表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された地味令嬢ですが、実は王宮一の補佐でした ~捨てたのは第一王子? いいえ、私は第二王子と国を立て直します~  作者: 紅茶うさぎ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/33

第6話 臨時補佐官として

 第二王子レオンハルトの執務室は、王宮の中でも不思議な場所だった。


 豪奢な装飾はない。必要最低限の調度品と、机の上に積まれた書類の山。壁際には地図と年表、棚には帳簿と法令集が並び、空気は紙とインクの匂いで満ちている。


 ――ここは、社交の場ではない。

 誰かを飾り立てる場所でも、慰める場所でもない。


 エリシアは扉を閉め、静かに背筋を伸ばした。


「こちらへ」


 レオンハルトは淡々と指示し、机の脇に置かれた小さな机を示した。そこにはすでに、封の切られていない書類束がいくつも積まれている。


「本日からあなたは、私の執務補佐として働きます。ただし――」


 彼は一度言葉を切り、エリシアを見る。


「正式な任命ではありません。肩書きも、あなたの身分も、この部屋の外では守られない」


 そう言い切る声に、揺れはない。


 エリシアは頷いた。


「承知しております」


「ならばいい」


 それだけ言うと、レオンハルトはすぐに視線を書類へ戻した。まるで、エリシアがここにいることが当然であるかのように。


 その態度が、逆に緊張を呼んだ。


 ――期待されている。

 同情ではなく、仕事として。


 エリシアが席に着くと、扉がノックされ、年配の文官が入ってきた。灰色の髪をきちんと撫でつけた、細身の男だ。目が合うなり、彼は一瞬だけ眉を動かした。


「殿下、本日の案件をお持ちしました」


「置いてください。ああ、それと」


 レオンハルトは顔も上げずに言う。


「こちらは本日から補佐に入る、エリシア・フォン・アルヴェーンです。連絡の行き違いが起きぬよう、共有しておいてください」


 文官の視線が、エリシアへと向けられる。

 値踏みするような、冷えた目。


「……承知いたしました」


 形だけの一礼を残し、男は書類を置いて出ていった。


 扉が閉まった途端、胸の奥がひやりとした。


 あの目は、知っている。

 夜会で向けられた視線と同じ種類だ。


 ――元婚約者。

 ――落ちた令嬢。

 ――情けで拾われた存在。


 そのラベルが、今も自分に貼りついているのだと、痛いほど分かった。


 エリシアは、そっと指先を握りしめた。


 ここで怯んだら終わる。

 仕事で示すしかない。


 積まれた書類束の一番上を取り、封を切る。

 中身は、地方の租税の徴収報告。数字の羅列と、曖昧な文章。


 目を走らせた瞬間、理解した。


 ――これは、後回しにしたらまずい。


 数字の齟齬がある。

 意図的か、単なる計算ミスかは分からない。だが、今のまま承認されれば、来月の配分に影響する。


 エリシアは用紙の端に、細い字でチェックを入れ、別紙に要点をまとめ始めた。


 やるべきことは明確だった。


 ・数字の整合性確認

 ・疑義箇所の抽出

・追加資料の要求文の下書き

 ・今日中に殿下へ報告


 指先が自然と動く。

 かつて、第一王子の机に積まれていた書類を処理した時と同じ。違うのは、今は「隣に立つ婚約者」ではなく、「結果を求められる補佐」だということ。


 しばらくして、再び扉がノックされた。


 今度は若い文官が顔を出す。先ほどの男より年下で、どこか落ち着きがない。


「殿下、こちら……」


「机に」


 レオンハルトは短く返す。


 若い文官は書類を置きながら、ちらりとエリシアを見た。驚きと警戒が混じった表情。


 だが、彼が出ていく直前、背後から別の声が聞こえた。


「……本当に、ここに入れたのか」


 扉の向こう、抑えた声。

 それに小さく応える声。


「殿下のご判断だ。だが、面倒の種にならねばいいがな」


 扉が閉まる。


 エリシアは、ペン先を止めなかった。

 胸の奥がざわついても、表情は動かさない。


 ――面倒の種。

 そう見られているのなら、なおさら結果を出す。


 午前の時間は、ひたすら書類と向き合って過ぎていった。


 昼前、レオンハルトが初めて顔を上げる。


「進捗を聞かせてください」


 エリシアはまとめた紙束を持って立ち、机の前へ進んだ。


「租税報告の第二項、計上額に差異があります。計算式の記載がなく、追加資料の提出が必要です。こちらに、疑義箇所と確認事項をまとめました」


 淡々と報告する。

 震える声は出なかった。


 レオンハルトは紙に目を通し、ほんのわずかに眉を上げた。


「……速いですね」


 それだけ言い、紙を机の端に置く。


「要求文の下書きは?」


「こちらに。口調は官僚向けに整えました。感情的に取られないよう、理由を三行で明示しています」


「良い」


 短い評価。

 だが、胸の奥に小さく灯るものがあった。


 褒められた、というより。

 仕事が「仕事」として扱われたことが、初めて嬉しかった。


「午後は、この案件を優先します。あなたは引き続き、残りを。期限の近いものから処理してください」


「承知しました」


 そのまま席に戻ろうとしたエリシアの背に、レオンハルトが言った。


「……無理はしないように」


 声は小さく、命令のようでも、慰めのようでもない。

 事務的な確認のようでいて、わずかに温度があった。


 エリシアは振り返らずに頷いた。


「はい」


 午後も、書類は途切れなく運び込まれた。


 予算配分、兵站の補給、港湾税の見直し、外交文書の文言調整。

 どれも小さな案件に見えて、積み上がれば国を傾ける。


 エリシアは、無駄な部分を削り、必要な要点だけを抜き出し、指示が通る形に整えていく。


 それは派手な仕事ではない。

 だが、間違いなく「国政を回す」仕事だった。


 夕刻、机の上が少しだけ片づいた頃、扉が開き、先ほどの年配文官が入ってきた。


「殿下、追加資料の件で地方局から返答が……」


 そこで、彼は言葉を止めた。

 机の端に置かれたエリシアのまとめ紙が目に入ったのだろう。


「……この要点整理は?」


 レオンハルトが答えるより先に、エリシアは一歩前へ出て、静かに言った。


「私が作成しました。誤りがあれば、訂正いたします」


 年配文官は、じっとエリシアを見た。

 冷たい目が、僅かに揺れる。


「……なるほど」


 それだけ言い、返答書を机に置く。


 彼が去ったあと、室内はまた静けさを取り戻した。


 エリシアは、椅子に座り直し、息を吐いた。

 胸の奥が、じんと痛む。


 たった一言「なるほど」。

 それだけなのに、夜会の嘲笑より、ずっと効いた。


 ――評価されないことに慣れていたはずなのに。


 不思議だ。

 ここでは、評価が「存在の価値」ではなく、「仕事の価値」として返ってくる。

 だからこそ、少しの反応に心が揺れる。


 窓の外は、薄い橙色に染まり始めていた。


 今日一日で、世界が変わったわけではない。

 立場はまだ不安定で、王宮の視線は冷たい。


 それでも。


 机の上の書類が少しだけ減ったのを見て、エリシアは小さく思う。


 ――私は、まだ終わっていない。


 捨てられたことが終わりではない。

 ここから、始め直せる。


 その確信だけが、静かに胸の奥で形を作っていた。


本話もお読みいただき、ありがとうございました!


少しでも続きが気になる、と感じていただけましたら、

ブックマーク や 評価 をお願いします。


応援が励みになります!


これからもどうぞよろしくお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ