第53話 市場凍結
王都の朝は、いつもよりざわついていた。
「小麦が入らない」
「価格が倍になったぞ」
市場の声が荒れる。商人たちは帳簿を抱え、顔を青くしている。
「港湾の再設計で物流が滞っている」
誰かが叫ぶ。だが実際は違う。物流は動いている。止まっているのは――資金だ。
王宮執務室。窓を閉めても、市場のざわめきは薄く届いていた。
「複数商会の信用枠が一斉に凍結されています」
カイルが報告する。一斉に、という言葉に力がこもっていた。
「同時に、王都中央銀行が融資を停止」
「意図的だな」
レオンハルトの声は低い。意図的、と口にするまでに一拍も要らなかった。
「港湾とは無関係の商会も対象です」
「市場を揺らしている」
エリシアが静かに言う。日付を横に並べれば、狙いは一目で分かる。
「不安を拡大させるために」
書類が机に広げられる。資金の流れ。凍結のタイミング。
「同一の署名が複数回」
カイルが指差す。指の先で、同じ字が三度並んでいた。
「ガルド・ヘインズ」
名が落ちる。落ちたきり、誰もすぐには拾わなかった。
「財務局上席顧問」
第一王子側の人物だった。財務局の署名は、本来なら二人以上で回る。
「兄上の指示か」
「断定はできません」
エリシアが即答する。断定は、こちらの立場を弱くする。
「ですが目的は明確です」
「第二王子の改革は市場を混乱させる」
印象操作だった。窓の外から、怒号が聞こえる。市場の不安は、街へ波及している。
「物価上昇は三日以内に暴動へ発展する可能性」
カイルの声が硬い。三日、という数字を、彼は自分で確かめてきた。
「兄上は安定策を出すだろう」
「価格統制と強制融資」
エリシアが言う。相手の次の手までは、もう読めている。
「短期安定は可能」
「だが」
レオンハルトが続ける。短期の安定は、あとで倍の値で請求される。
「長期的には歪む」
沈黙。
「どう動く」
彼が問う。決めてから訊く人ではない。
「市場へ出ます」
即答した。机の上で数えられることは、もう数え終えている。
「現場で説明を」
「危険だ」
「既に危険です」
視線を逸らさない。危険だと言われて退いたことは、一度も無い。
「恐怖が拡大すれば、誰も耳を貸さなくなる」
正しい。だが理性が揺れる。腕の包帯は、まだ外れていない。
「……護衛を倍に」
「承知しました」
王都中央市場。怒号が飛び交う。
「王族は何をしている!」
「価格を戻せ!」
人波が揺れる。その中へ、第二王子とエリシアが現れる。ざわめきが広がる。
「話を聞いてほしい」
レオンハルトが声を張る。人波の上を通る声の出し方を、港で覚えていた。
「融資凍結は一部顧問の判断だ」
「言い訳か!」
野次が飛ぶ。エリシアが一歩前に出る。
「資金の流れは確認済みです」
はっきりと言う。数字を出せば、怒号の速さは必ず一度落ちる。
「凍結は三日以内に解除させます」
「どうやって!」
「代替融資枠を設けます」
即答した。
「王族名義で」
ざわめきが止まる。リスクは高い。だが覚悟は示せる。レオンハルトが彼女を見る。一瞬の確認。頷き合う。
「責任は私が取る」
王子が宣言する。怒号は完全には止まらない。だが揺れは変わる。恐怖から、様子見へ。
遠く。高台の窓からその様子を見ている男がいた。ガルド・ヘインズ。
「民衆は簡単だ」
低く呟く。市場の人波を、値動きの表と同じ目で見ている。
「少し揺らせば、王は不安定になる」
隣の部下が問う。窓辺の男は、まだ市場から目を離さない。
「次は」
「暴動寸前まで追い込む」
冷たい声だった。追い込む、という語に、迷いも興奮も混じっていない。
「理想家が血を流す瞬間を見たい」
王都の空は曇る。市場の不安は、まだ消えていない。そして、次の一手が、すでに打たれようとしている。




