第41話 王の問い
王の執務室は、驚くほど質素だった。広いが、飾りは少ない。重厚な机と、古い地図。国の歴史が、静かに壁に刻まれている。
「入れ」
低い声。エリシアは一礼し、室内へ進む。国王は、書類から目を上げた。鋭い視線。年齢を重ねても衰えない威圧感がある。
「港での判断」
前置きはない。世間話をしない人だと、その一言で分かった。
「なぜ残った」
まっすぐな問い。逃げ場はない。
「港が崩れると判断したからです」
「それは報告で読んだ」
短い返答だった。報告書の言葉は、この人には通用しない。
「私は、動機を問うている」
一瞬、沈黙が落ちた。答えの形が、そのまま忠誠の形として読まれる。
「第二王子を支えるためか」
鋭い。答え方を選べば、選んだこと自体が答えになる。エリシアは、視線を逸らさない。
「支える立場ではあります」
「それだけか」
空気が重くなる。ここで曖昧にすれば、評価は落ちる。
「いいえ」
静かに答える。大きすぎる語だと分かっていて、ほかに言い換えが無かった。
「国を守るためです」
王の目が、わずかに細まる。呆れたのか、見定めたのかは分からない。
「補佐官風情が、国を語るか」
試す声だった。侮蔑の形をした問いに、侮蔑で返すわけにはいかない。
「立場は関係ありません」
はっきりと言う。ここで引けば、この部屋には二度と呼ばれない。
「制度が民を守れないなら、修正すべきです」
王の机の上に置かれた古地図。国境線は何度も書き直されている。消しては引き直した跡が、幾筋も残っていた。
「制度は安定を生む」
王が言う。地図から目を離さないまま、続けた。
「だが安定は、時に腐敗を生む」
静かな声だった。自分で言い、自分で受けている。
「港は腐敗していました」
「それを正すのは王族の役目だ」
「はい」
「ではなぜ、息子ではなく、お前が動いた」
核心だった。エリシアは、ゆっくりと息を吸う。
「殿下は、決断されました」
「だが提言したのはお前だ」
「はい」
沈黙が落ちた。同じ問いを、角度を変えて三度訊かれている。
「……恐れはなかったか」
意外な問いだった。責める順序から、確かめる順序へ変わっている。
「ありました」
正直に答える。恐れなかったと言えば、その一言で嘘だと分かる相手だった。
「王命に背く形になる可能性も、理解していました」
「それでも動いた」
「はい」
王はしばらく黙り込む。やがて、低く言う。
「なぜ」
エリシアは、ほんのわずかに迷う。だが隠さない。ここで数字を並べても、この人には届かない。
「港で、労働者の子どもを見ました」
静かな声だった。報告書には書かなかった一行を、いま口にしている。
「父親が疲れきった顔で荷を運び、子どもが壊れた縄を結んでいた」
王は何も言わない。書類から手を離しただけだった。
「数字ではありませんでした」
視線をまっすぐ向ける。数字にできないものを、数字の人間として言う。
「生活でした」
室内の空気が変わる。壁の地図が、急に人の住む土地に見えた。
「王は、全てを見られない」
王が言う。地図の上に、指を一度だけ置いた。
「だから制度がある」
「はい」
「だが制度は万能ではない」
静かな肯定だった。制度を作らせてきた側が、その限界を口にしている。
「だからこそ、提言しました」
長い沈黙。やがて王は椅子にもたれた。
「強いな」
小さく呟く。強い、という評を、褒め言葉として使わない人だった。
「強くはありません」
「強い者ほど、折れた時に大きい」
意味深な言葉だった。誰のことを言っているのかは、告げられないままだった。
「第二王子は」
王が続ける。会議の記録は、この部屋に届いているらしい。
「お前を切り離さないと宣言した」
エリシアの胸がわずかに鳴る。会議の場に、王も居たのだと改めて思う。
「それは、重い選択だ」
「承知しています」
「お前は、息子をどこへ導く」
核心だった。導く、という語を、王は意図して選んでいる。
「導く立場ではありません」
「では」
「隣に立つだけです」
王の目が、わずかに揺れる。隣に立つ、という答えが予想の外だったらしい。
「王妃になるつもりか」
直球だった。一瞬、呼吸が止まる。
「考えておりません」
正直に答える。考えないようにしてきた、というのが正確だった。
「私の役目は補佐です」
王はしばらく彼女を見つめる。やがて、ゆっくりと言う。
「息子は変わった」
低い声だった。息子、という呼び方をしたのは、この日が初めてだった。
「港の報告を読む目が、以前と違う」
エリシアは黙っている。否定も肯定も、するべきではなかった。
「お前の影響だ」
断言だった。褒めているのか案じているのか、声からは読めない。
「それが国を強くするか、揺らすか」
視線が鋭くなる。
「証明してみせよ」
それは命令ではない。試練だった。
「はい」
深く頭を下げる。退出の許可が出る。扉を閉める直前、王の声が届く。
「補佐官」
振り向く。扉の隙間から、地図の端だけが見えていた。
「折れるな」
一瞬、言葉を失う。試すためだけの部屋ではなかったのだと、そこで気づいた。
「……はい」
廊下に出ると、空気が軽く感じた。試された。だが、退けられなかった。
王宮の奥で、歯車が動いている。そして、自分は、もはや傍観者ではない。王位を揺らす流れの中に、立っている。




