第27話 裏帳簿
帳簿は、夜になるほど静かに語り始めた。
港湾商会の執務室。灯りは最小限。外では波が、規則正しく岸壁を打っている。エリシアは、三年分の帳簿を並べていた。
「通常の変動ではありません」
低く呟く。輸送量の増加。保管料の上昇。だが、関税収入は横ばいだった。三つを並べて成立する説明が、一つしか思いつかない。
「港を通過した貨物の一部が、正式な課税記録に残っていません」
カイルが眉を寄せる。
「だが、検問はあるはずだ」
「ええ」
エリシアはページをめくる。指の腹が、紙の湿りを拾った。
「検問は通っています。記録もある」
「では?」
「“通過後”に消えている」
沈黙が落ちた。誰も言葉を継がないまま、意味だけが部屋に残る。つまり。
「港を出た後に、別経路へ流れている」
セリーナが静かに言う。この港の人間なら誰でも最初に疑う場所だった。
「裏桟橋か」
「いえ」
エリシアは首を振る。桟橋を一つ増やしたところで、消える量が違いすぎる。
「裏桟橋だけでは、この規模は説明できません」
指先が、ある項目で止まる。保管日数の欄が、他の年より一列ぶん短く見えた。
「……保管日数が短すぎる」
「何?」
「通常、国外へ出る貨物は一定期間保管されます。ですが、この記録は“即日搬出”が異様に多い」
そして、その搬出先。
「王都行き」
空気が凍る。王宮へ向かう貨物は、検問が簡略化される。王族関連物資という名目で。
「王都の誰かが関与している」
セリーナの声が低くなる。エリシアは、静かに息を吸う。ここで感情を動かしてはいけない。
「現時点では可能性です」
だが。帳簿の端に記された管理番号。その承認印。
「……第一王子派の管理部門」
小さく呟く。偶然ではない。港湾再整備計画。税収の不一致。そして、王都行きの即日搬出。線が繋がる。
「証拠は」
レオンハルトが問う。責めるのでも急かすのでもなく、次に何が要るかだけを訊いている。
「まだ弱い」
エリシアは即答する。弱いと分かっているものを強いと言えば、王宮では一度で終わる。
「ですが、搬出記録と王都側の受領記録を照合できれば、確定します」
「それは可能か」
「王宮内に戻れば」
セリーナが口を開く。
「戻れば、圧力がかかるでしょう」
「承知しています」
エリシアは頷く。王都へ戻ってから探せる資料と、ここでしか取れない資料は違う。
「だからこそ、ここで一次資料を押さえます」
彼女は、帳簿の写しを作り始める。筆の音だけが、静かな部屋に響く。その様子を、レオンハルトは黙って見ていた。
王宮では冷静な補佐官。だが今は違う。不正に怒りを覚えながら、それを理性で押さえている。
「危険です」
カイルが低く言う。
「相手は王宮内部だ」
「ええ」
エリシアは手を止めない。写しの一枚目は、もう乾き始めている。
「ですが、ここで引けば、港は切り捨てられます」
その言葉に、セリーナがわずかに目を見開く。
「……あなたは、本当に王宮の人間ですか」
「違います」
即答だった。
「私は、補佐官です」
守るべきは、立場ではない。判断だ。
ふいに、扉の外で足音が止まる。全員の視線が向く。緊張が走る。だが現れたのは、警備の兵だった。
「巡回です」
静かな報告だった。誰かが同時に息を吐き、その音で自分も止めていたのだと気づく。だが確信する。もう気づかれている可能性が高い。
港の密輸は、地方の問題ではない。王宮の中枢に繋がっている。そして、それは第一王子派の資金源になり得る。
帳簿を閉じたとき、エリシアは理解していた。これは、単なる視察ではない。王位を揺るがす火種だ。
「殿下」
静かに顔を上げる。
「王宮へ戻る前に、もう一つ確認すべき場所があります」
「どこですか」
「裏桟橋ではありません」
一瞬、間を置く。言ってしまえば、引き返せなくなる場所だった。
「王都行きの積み出し場です」
夜の海は、黒く深い。その奥で、確実に何かが動いている。
写しの束を抱えたエリシアの手を、レオンハルトが一度だけ見た。それから、自分の外套を脱いで椅子の背に掛ける。
夜は冷える、とは言わなかった。彼女もまた、それが誰のためのものかを訊かなかった。
夜の帳簿の回です。
三年分を並べて、増えているものと増えていないものを突き合わせるだけ。派手な捜査は出てきません。実務で不正が見つかるときは、だいたいこういう静かな形だと思っています。
ここで見つけたものが地方の問題では済まない、と分かるところまでが、この回の役割でした。




