第26話 港の現実
港湾都市リゼルは、潮の匂いに満ちていた。
王都の整然とした石畳とは違う。湿った風、軋む桟橋、絶え間なく動く荷車。活気はある。だが、その裏に疲労が滲んでいる。
「……思っていたより、消耗していますね」
エリシアは、低く呟いた。声に出してから、王都で読んだ報告書の文面を思い出す。活況、という語が三度使われていた。船は多い。荷も多い。だが、作業員の顔色は良くない。建物の外壁は修繕途中のまま放置されている。数字だけでは見えなかった歪みだった。
「歓迎は、形式的なものになります」
出迎えた女性が言った。鋭い眼差しと、実務家らしい簡素な装い。歓迎という語を、断りの意味で使う人だった。
「セリーナ・ヴァルトです。港湾商会連合を代表しております」
握手は力強い。手のひらに、荷を扱う者の硬さがあった。
「第二王子殿下自らお越しになるとは思いませんでした」
「現状を確認するのは当然です」
レオンハルトは穏やかに答える。セリーナの視線が、エリシアへ向く。
「……補佐官の方ですね」
「エリシアと申します」
軽く会釈する。セリーナは、ほんのわずかに口角を上げた。
「王宮は、港の実態をご存じですか」
問いは、挑戦的だった。
「数字上は」
エリシアが答える。
「ですが、現場は見ていませんでした」
正直な言葉だった。取り繕えば、この人には一度で見抜かれる。セリーナは、目を細める。
「ならば、見てください」
案内されたのは、倉庫群の奥だった。表通りは整っている。だが裏手には、修繕されていない倉庫、放置された木箱、破損した荷台。
「資材は足りていません」
セリーナは言う。
「補助金は出ているはずでは」
カイルが口を挟む。王都の数字を信じている者の訊き方だった。
「ええ、書類上は」
その一言に、空気が冷える。
「ですが、実際に届く額は少ない」
エリシアの胸が、強く鳴る。書類上は、という言い方を、この港では誰もが使うのかもしれない。
「中抜き、ですか」
「証拠はありません」
セリーナは即座に言う。言い切る速さが、何度も同じ問いに答えてきたことを示していた。
「ですが、計算が合わない」
それは、エリシアの感じた違和感と同じ言葉だった。
「労働者は増え、船は増え、仕事は増えています」
海を指さす。
「ですが、港の利益は増えない」
疲れた男たちが、重い荷を運んでいる。子どもが、壊れた縄を結び直している。数字の向こうに、生活がある。
「王宮の判断で、港は立ち直ると言われました」
セリーナの声は、冷静だ。
「ですが、現実は違う」
視線が、まっすぐエリシアへ向く。
「あなた方は、本当に立て直すつもりがありますか」
問いは、重い。答えを間違えれば、帳簿は一冊も出てこないだろう。エリシアは、息を吸う。
「あります」
即答だった。
「ですが、現場を知らずに判断していたことは否定できません」
認める。逃げない。ここで取り繕えば、この人は二度と本当のことを言わない。
「今回の視察は、そのためです」
セリーナは、しばらく彼女を見つめていた。やがて、小さく頷く。
「ならば、帳簿をお見せしましょう」
案内された執務室。積み上げられた帳簿の山。エリシアは一冊を開き、ページを追う。数字は整っている。だが、どこかがずれている。
「……輸送量の増加率に対して、保管料の上昇が不自然です」
「気づきましたか」
セリーナが静かに言う。試すつもりで見せたのだと、その声で分かった。
「港を経由しているはずの貨物が、一部記録に残っていない」
つまり。
「密輸」
小さく呟く。口にした語が、思ったより重く部屋に落ちた。それは単なる地方問題ではない。関税逃れ。裏資金。そして、王宮内部との接続。
エリシアは、ゆっくりと顔を上げた。海風が、窓から吹き込む。これは、単なる港湾再建ではない。王宮の戦いは、ここまで繋がっている。そして、自分たちは、もう後戻りできない場所へ来ている。
「調べます」
静かな宣言だった。レオンハルトは、その横顔を見つめていた。数字を読む目ではない。人を守る目だ。
その視線に、エリシアは気づかない。帳簿の山へ手を伸ばしている。
彼は何も言わなかった。言わなかったことを、あとで思い出すことになる。




