第21話 崩れる計算
決定的な一手は、思いのほか早く訪れた。
第一王子側から、新たな修正版が提出されたのだ。今度こそ完璧に整えられた書類だった。法令改正、持続性、現地負担の緩和。形式上、非の打ち所がない。
「……綺麗ですね」
エリシアは、静かに呟いた。褒め言葉として言ったのではない。
「ええ」
レオンハルトも頷く。
「ここまで整えるには、内部資料へのアクセスが必要です」
それは、暗に“内部情報を見ている”ことを示す。エリシアは、差し替え履歴一覧を机に広げた。
「修正経路を照合します」
日付。時刻。承認者。修正箇所。そして、新修正版の草案提出時刻が、ある内部会議の直後と一致していることに気づく。
「……早すぎる」
呟きが漏れる。通常、これほどの再構成には数日を要する。条項を一つ動かせば、後ろの数字が全部ずれるからだ。だが提出は、わずか半日後。つまり、最初から、この案は用意されていた。
「最初の提出は、旧基準を含む“未完成版”」
エリシアは、ゆっくりと整理する。声に出したほうが、順番の穴が見つかる。
「差し戻しを前提にした、囮」
レオンハルトの目が、静かに細められる。驚いた顔ではなく、答え合わせをした顔だった。
「そして、修正版で“善意の改善”を演出する」
つまり、最初の不備は事故ではなく、誘導だった。差し戻しを引き出し、その後の“改善”で主導権を握る計画。だが。
「履歴が残っています」
エリシアは、確信を持って言う。手元の一覧は、昨夜のうちに時刻順へ並べ替えてある。
「旧基準条項の差し替え指示と、新基準案の草案提出が、同一部署から発信されています」
意図的な操作。それが、記録として残っている。
「公表しますか」
問いは、静かだった。レオンハルトは、数秒考える。考える時間の長さが、そのまま重さになる人だった。
「いいえ」
即答だった。
「まだ早い」
だが、その目は冷静だ。
「次の会議で、あくまで“確認”という形で問いましょう」
攻撃ではない。照合だ。それが、最も効果的だった。
翌日の合同会議。第一王子アルベルトが出席している。その隣には、いつもの微笑みを浮かべたオズワルド。議題は、修正版の最終承認。
「今回の修正により、懸念点は解消されたと考えます」
オズワルドが、穏やかに述べる。
「第二王子殿下側からのご指摘も反映しております」
礼儀正しい口調だった。だが、主導権はこちらにあるという自信が滲む。そこで、レオンハルトが口を開いた。
「一点、確認があります」
静かな声だった。
「旧基準条項が含まれていた理由について」
室内が、わずかに静まる。確認、という言葉が最も硬い意味で使われたことに、全員が気づいた。
「単なる更新漏れかと」
オズワルドが、微笑みを崩さず答える。
「なるほど」
レオンハルトは、机上の資料を開いた。
「では、こちらをご覧ください」
差し替え履歴一覧が、提示される。日付と時刻。旧基準条項の挿入。その直後に作成された新基準草案。
「偶然にしては、準備が整いすぎている」
静かな指摘だった。室内の視線が、オズワルドへ向く。微笑みが、ほんのわずかに揺れた。
「……内部での検討過程です」
声は穏やかだが、ほんの一瞬、間があった。
「では、なぜ未完成版が正式提出されたのか」
レオンハルトの声は、低い。
「意図的な提出でないと証明できますか」
沈黙が落ちた。第一王子が、眉をひそめる。自分の側の人間へ向けた顔ではなかった。
「オズワルド?」
問いかけ。初めて、完全な即答が返らなかった。
「……手続き上の混乱です」
だが、説得力は薄い。混乱、という語を選んだ時点で、順番の説明を放棄している。エリシアは、静かに言葉を添える。
「提出前の草案が同時に存在していた事実は、記録で確認できます」
攻撃ではない。事実の提示だ。会議室の空気が、変わる。オズワルドは、再び微笑みを作った。
「検討不足でした。今後は注意いたします」
表向きは収束だった。だが、その目の奥に、初めて、冷たい光が宿った。
計算は、崩れた。完全な勝利ではない。しかし、罠を張った側が、“疑われる側”へ回った。
会議後、廊下でカイルが低く笑った。
「……やったな」
「いいえ」
エリシアは、首を振る。
「まだです」
確かに一手は返した。だが、これは終わりではない。戦いは、次の段階へ進む。
そして、オズワルドは、廊下の奥で静かに立ち止まり、呟いた。
「……想定外だ」
その声は、初めて微笑みを失っていた。
相手の計算が崩れます。
崩したのは新しい証拠ではなく、完璧すぎる書類そのものでした。整いすぎているものは、整えられる立場の人間がいることを示してしまう。
最後にオズワルドが漏らす一言だけ、それまでの彼と声の質を変えてあります。




