第20話 逆転の準備
代替案提出の翌日、王宮の空気は一層張り詰めていた。
第一王子側からの正式な返答は、まだ来ない。だが、沈黙が長いほど、不穏さは増していく。
エリシアは、執務机の上に積まれた資料を整理しながら、胸の奥のざわめきを抑えていた。やるべきことはやった。理屈も、根拠も揃えている。それでも、相手は理屈だけで動くとは限らない。
「少し、こちらへ」
レオンハルトの声がかかる。執務室の奥、他の文官たちから少し離れた場所へ呼ばれる。
「昨日の会議の件ですが」
「はい」
「予想通り、向こうは表立った反論を控えています」
エリシアは、わずかに眉を寄せた。反論が来ないほうが、来るより落ち着かない。
「……静観、でしょうか」
「いいえ」
レオンハルトは、机の引き出しから数枚の書類を取り出した。
「準備です」
差し出された資料を受け取り、目を通す。そこには、ここ数週間の案件差し替え履歴、承認経路、修正時刻の一覧が記されていた。そして、ある名前が、何度も浮かび上がる。
――第一王子直属、管理部門。
「これは……」
「あなたが違和感を覚えた案件の履歴を、全て洗い出しました」
静かな声だった。集めた者の労力を、少しも匂わせない言い方をする。
「修正のタイミングが不自然に集中しています」
エリシアの胸が、強く打つ。
「つまり」
「罠は、偶然ではない」
確定の言葉だった。だが、レオンハルトは続ける。
「ただし、まだ“意図”までは証明できません」
法的には、単なる手続き上の修正で通る。
「今は、泳がせています」
エリシアは、顔を上げた。
「……気づいておられたのですか」
「最初の差し替えの段階で」
淡々とした答えだった。あのとき、何も言わなかったのは、見抜いていなかったからではない。見抜いた上で、動かなかったのだ。
「あなたがどう判断するかを、見ていました」
胸の奥が、静かに熱くなる。
「信頼していなければ、止めていました」
その一言が、何よりも重い。
「向こうは、あなたの判断を誤らせようとしている。ならば、逆に証拠を積み上げる」
レオンハルトは、冷静に続ける。
「急がず、確実に」
エリシアは、資料を握りしめた。怖い。だが、同時に、確信もある。自分は、ただ罠を避けるだけではない。罠を張った側を、記録に残す。
「……いつ、公表するのですか」
「決定的な一手が揃ったとき」
短い返答だった。それは、戦略の言葉だった。
その頃、別室では。
「差し戻しの後、妙に静かだな」
第一王子が、低く呟く。オズワルドは、穏やかに微笑んでいた。
「焦る必要はございません。いずれ、判断の歪みは表面化します」
その笑みは、崩れない。だが、まだ知らない。すでに、自分の手順が記録され始めていることを。
夜。執務室の灯りが落ちた後も、エリシアは資料を読み込んでいた。罠を避けるだけでは足りない。相手の思考を読む。その必要性を、今、痛感している。
「無理はしなくていい」
レオンハルトの声。
「いえ」
エリシアは、小さく笑う。笑えたことに、自分でも少し驚いた。
「守ると決めたので」
その言葉に、彼は一瞬だけ目を細めた。
「では、最後まで」
「はい」
まだ逆転は起きていない。だが、準備は整いつつある。次に仕掛けてくるのは、向こうだ。その一手を、待つ。そして、返す。




