第15話 調べられる存在
第一王子の執務室は、いつもより静かだった。
重厚な扉が閉ざされ、限られた者だけが出入りを許される空間。机の上には整然と並ぶ書類。その前に立つ男は、穏やかな微笑みを浮かべていた。
「失礼いたします、殿下」
低く落ち着いた声。
アルベルトが顔を上げる。
「……オズワルドか」
現れたのは、第一王子直属の策士官僚――オズワルド・レイン。
年齢は三十前後。柔らかな物腰と、常に崩れない微笑み。その印象だけ見れば温厚な補佐役だが、実務においては冷徹な計算を行う人物として知られている。
「調査の結果をご報告いたします」
アルベルトは、椅子にもたれたまま顎で促した。
「エリシア・フォン・アルヴェーン。伯爵家出身。学術成績は上位。特に財務・法令分野に優れています」
「……成績など、貴族なら誰でも整える」
「ええ。ですが彼女の場合、記録に不自然な空白がございます」
オズワルドは一枚の資料を机に置いた。
「婚約成立以降、公式な場での功績記録がほとんど残っていません」
「当然だ。あの女は、表に出ることを嫌った」
「ええ。しかし」
穏やかな声のまま、続ける。
「執務記録の内部修正履歴と照合したところ、殿下の案件で“事前調整”が頻発している期間と、彼女の出入り記録が一致しています」
アルベルトの指先が、止まった。
「つまり?」
「表に出ない形で、下準備を行っていた可能性が高いかと」
沈黙。
オズワルドは、声色を変えない。
「第二王子殿下の執務室でも、同様の整理が行われているとの報告がございます。差し戻し案件の分析手法が酷似しております」
アルベルトは、机を軽く叩いた。
「偶然だ」
「ええ、偶然かもしれません」
即座に肯定する。
「ですが、仮に偶然でなかった場合――」
そこで初めて、オズワルドの微笑みがわずかに薄くなった。
「殿下は、機能していた部品を自ら外したことになります」
その言葉は、柔らかく、しかし鋭かった。
アルベルトの視線が、冷たくなる。
「言葉を選べ」
「失礼いたしました」
即座に頭を下げる。
だが続ける。
「問題は、能力の有無ではございません。問題は、現在その能力がどこで使われているか、です」
アルベルトは、ゆっくりと息を吐いた。
「第二王子か」
「はい」
「……あいつが、女の働きに気づいたとでも?」
「いえ」
オズワルドは、首を横に振る。
「気づいたのではなく、“評価した”のでしょう」
その違いは、決定的だった。
アルベルトの胸に、不快感が広がる。
評価。
自分が切り捨てた存在を、弟が評価する。
それは単なる能力の話ではない。
選択の正誤を突きつけられる構図だ。
「殿下」
オズワルドが静かに告げる。
「現状、第二王子側の案件処理効率は向上しています。原因が彼女であるならば、放置は賢明ではありません」
「排除しろと言うのか」
「いいえ」
微笑みが戻る。
「まだ早い」
静かな断言。
「今、露骨に動けば、第二王子殿下の警戒を強めます。まずは――」
資料をめくる。
「彼女が“替えがきく存在”であると証明することです」
アルベルトは、目を細めた。
「どうやって」
「簡単です」
穏やかな声。
「彼女の判断を誤らせればよい」
沈黙が落ちる。
「事故に見える失敗。あるいは、情報不足による誤認」
オズワルドの視線が、静かに揺れる。
「能力がある者ほど、責任を背負いたがります。その性質を利用します」
アルベルトは、ゆっくりと笑った。
「……なるほど」
その笑みは、冷えている。
「失敗すれば、“やはり偶然だった”と証明できる」
「はい」
オズワルドは一礼する。
「殿下の判断は、正しかったと」
その言葉が、心地よく響く。
アルベルトは、椅子に深く座り直した。
「やれ」
短い命令。
「承知いたしました」
オズワルドは、静かに退出する。
扉が閉まった後、執務室には再び静寂が戻った。
アルベルトは、机の上の書類を見つめながら、低く呟く。
「……私が間違えるはずがない」
だが、その言葉の奥にある違和感は、消えなかった。
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