第11話 指摘という名の反逆
翌日から、空気ははっきりと変わった。
第二王子の執務室に運び込まれる書類は、これまで以上に増えたが、その内容が露骨だった。期限が極端に短いもの、情報が欠けているもの、あるいは複数の部署をまたぐ調整が必要な厄介な案件ばかり。
――来た。
エリシアは、書類を整理しながら内心でそう思った。
昨日の会議での発言は、確実に波紋を広げている。静かな再検討で終わるはずがないことは、最初から分かっていた。
「……これ、誰が回してきたんだ」
若い文官が、書類の束を見て眉をひそめる。
「第一王子側だ。うちで処理できるかどうか、試しているんだろう」
別の文官が、低い声で答えた。
視線が、無意識のうちにエリシアへ向けられる。
責めるでもなく、期待するでもない、ただ探るような目。
エリシアは、何も言わずに書類を引き寄せた。
ここで不満を口にすれば、「やはり感情的だ」と言われるだけだ。
ならば、やることは一つしかない。
――結果で返す。
午前中は、ほとんど席を立つことなく作業に没頭した。各部署に連絡を取り、不足している資料を洗い出し、必要最低限の確認事項を整理する。
途中、年配の文官が苛立った様子で言った。
「これは本来、こちらで抱える案件ではない」
「承知しています」
エリシアは、顔を上げずに答える。
「ですが、現時点で停滞している以上、放置はできません」
「……余計な首を突っ込むな」
低く、刺すような言葉。
胸の奥が、わずかに痛んだ。
だが、手は止めなかった。
「余計かどうかは、結果で判断されるべきです」
静かな返答。
その場の空気が、一瞬凍る。
年配の文官は何も言わず、踵を返した。
午後、案件の一つで問題が発覚した。
契約条件に矛盾があり、このまま進めば法令違反になる可能性が高い。
エリシアは、即座に整理した資料を持って、レオンハルトのもとへ向かった。
「このまま承認されれば、後日、責任問題になります」
「根拠は?」
「こちらです」
法令の条文、過去の判例、現行案の不備。
短く、だが的確に説明する。
レオンハルトは頷いた。
「会議に上げましょう」
その判断が、さらに火に油を注いだ。
簡易会議の席で、第一王子側の実務官が露骨に不快感を示す。
「最近、こちらの案件に口を出しすぎではありませんか」
名指しではない。
だが、誰を指しているかは明白だった。
「必要な指摘をしているだけです」
レオンハルトが淡々と返す。
「結果として、進行が遅れている」
「問題を先送りにするよりは、健全です」
空気が、張り詰める。
その中で、エリシアは一歩前へ出た。
「遅れているのではありません」
声は落ち着いていた。
「是正しているのです」
会議室が、静まり返る。
その言葉は、反論ではなく、宣言だった。
「不備を見逃して進めば、後で必ず大きな損失になります。それを防ぐための時間です」
第一王子側の実務官が、冷笑する。
「理想論だな。現場は、そんなに余裕がない」
「だからこそ」
エリシアは、はっきりと言った。
「今、止める必要があります」
沈黙。
誰かが小さく息を呑む音がした。
最終的に、案件は再度差し戻しとなった。
結論が出た瞬間、エリシアは理解する。
――もう、元には戻れない。
これは、指摘ではない。
反逆と受け取られても、仕方がない行為だ。
会議後、廊下でカイル・エルドが声をかけてきた。
「……やるじゃないか」
ぶっきらぼうだが、視線は真っ直ぐだった。
「嫌われる覚悟がなければ、できない発言だ」
「覚悟、ですか」
「そうだ」
彼は短く頷く。
「だが、必要なことだった。少なくとも、俺はそう思う」
それだけ言って、去っていった。
執務室に戻ると、レオンハルトが言った。
「今日の発言について、後悔はありますか」
エリシアは、少しだけ考えた。
怖かった。
今も、怖い。
それでも。
「ありません」
そう答えた自分の声は、揺れていなかった。
「それなら、問題ありません」
レオンハルトは、静かに告げる。
「あなたは、もう“ただの補佐”ではない」
その言葉の意味を、エリシアはまだ完全には理解していなかった。
だが一つだけ、はっきりしていることがある。
この場所で。
この人の下で。
自分は、確実に一線を越えたのだ。




