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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
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第147話 ヤンデレ(真)



 久良名学園は今現在、街を巻き込んだ騒動の中で最も安全で、拠点としても安定した数少ない場所だ。

 協会本部で起こった激戦の報告は既に届いている。間もなくこの学園を緊急対策本部にするという通達もあった。

 なんと関東の全退魔師のトップとも言える人物からの要請であり、街中から退魔師も集まるため受け入れの準備をするようにとのことだ。


 風紀委員はてんてこ舞い。教師陣はキリキリ舞い。

 ただでさえ呪術師や『九十九の尾』たちと遭遇戦になった退魔師、それと退治屋の怪我人が続々と送られてきているところに追加の仕事が舞い込むのである。

 協会本部が倒壊すれば学園が臨時拠点としての機能を求められるのは自然な流れとはいえ、学園長不在の時というのは間が悪過ぎた。


 仕事が追いつかず、あわや拠点が崩壊か……とも思われたが、見かねた生徒会副会長が手を挙げる。

 呪いのせいで動けないが、書類関係や円滑な指示出しなどのまとめ役に回る事で破綻を防いでいた。

 本来なら絶対安静が必要な体であるが、努めて平気な顔をして、保健室にいながら右へ左へと人を動かす姿は紛れもなくスーパー管理職のそれであった。


「ふぅ……なんとか落ちついてきたかな」


 慌しかった保健室の周辺もだいぶ静かになっている。

 現在進行系で焔とマサキから呪いの除去を施されるのを尻目に、死んでもおかしくない症状の当人は強靭な精神力で書類と格闘していた。

 それなりに無理をしているせいか、焔からは治療の合間合間で責めるように脇腹を抓られる始末だ。しかも、


「あ、あの! ありがとうございました、黒沼副会長」


「どういたしまして。風紀委員は特に忙しくなるだろうから、このくらいの雑務はさせてもらうよ」


「副会長聞いてください! 言われた通りの手順を踏んだら障壁陣形の成功率が上がりました。符術に頼らない簡易結界も数人掛かりでなら格好が付くレベルになったんです!」


「それは良かった、物量は風紀委員会の強味だからね。敵を倒す事よりも生きて立ち続けてくれる方が、味方にとっては有り難いはずだよ」


「副会長さん! 凄いですよ、風紀委員で何人かが下級の術符を作製できたんです。これで物資に余裕が出来ます。副会長さんが作り方とかコツを教えてくれたおかげですよ。何でも出来て尊敬しちゃいます!」


「ははは、大袈裟だなー。けど嬉しいよ」


 ……女子生徒が多い。


 最初の数分間は男女比など気にならないくらいの大忙しだったが、次第に訪ねて来る生徒から男子が消えていく。

 女子生徒が男子を押しのけ、少しでも公浩と言葉を交したい者達が仕事の回転率を上げると同時に保健室を渋滞させていたため、結果的にプラマイゼロとなった。


 黒沼公浩は学園では英雄だ。

 成績優秀、品行方正、風紀委員を経て生徒会副会長、若くして特一級退魔師という異例の抜擢。

 まさにカリスマ的存在。そんな要素てんこ盛りの少年が女子からの人気が出ないはずがない。


「そ、それじゃ失礼します!」


「副会長も大変なのに押し掛けてすみません。何度も助けていただいてありがとうございました」


「今度お礼にお菓子とか作って来ていいですか? 違う形でお礼、とかでも良いですけど……」


 頬を赤らめ身体をくねらせ、最後に不穏な言葉を残した女生徒は密かに焔の呪いを食らった。


(あんなモブに若をネトラせるわけにはいきません。せいぜい腹を下してトイレの亡者になるがいい)


「そんなに睨みつけるとは意外だな。お前はNTRを糧とする側だと思ったが」


「真桜静……何の話か分かりませんね。しかし、私にも美学というものがありますので。どこのモブとも知れない女はお断りです。あと、人の性癖を透視するのは止めなさい」


「どこのモブ、か。そいつはいいのか?」


 公浩の傍で椅子に腰掛けながら寝息を立てている女子を指す。

 風紀委員会から身の回りの世話をするていで付いてきた筈の本多勝実。書類仕事が始まって暫くは公浩の手伝いをしていたが、敢え無くこのザマだ。


「…………」


「うん? どうした」


「……いえ、何でもありません。別にいいのではないでしょうか、そこの小娘がどういう立ち位置なのか、まだわかりませんし」


「可視化できそうなほど好き好きオーラを出してたが?」


「気のせいでしょう」


「二人とも、せっかく人の波が落ち着いたのですから、僕の治療に集中してくれません?」


 焔とマサキの二人に挾まれた公浩は、文字通り話題の中心にされた。焔の性癖あたりからは特に居心地が悪い。


「それに分かってるとは思いますが、ここは個室というわけではないんです。話題には注意してください」


 街ではゲリラ的に戦闘が起き、退魔師の怪我人は増えている。学園が拠点として機能し始めてからは多くが此処に運び込まれ、外と地下に治療スペースも作られた。

 ほとんどは保健室以外の場所で治療を受けているが、何の巡り合わせか向かいのベッド二つにも怪我人の影がある。奇妙なことに、どちらも公浩の知り合いだ。


「なになに、三人でナイショの話?」


「ふん、どうせハーレム系主人公の話だろう」


 全身を骨折した割には元気そうに顔を覗かせたのは真田幸子。同じく全身を包帯塗れにして不機嫌そうに背を向けて座る久我山絢里。

 どちらも『九十九の尾』の一体……業平との交戦で負傷し、偶然にもこの学園に来たのだが、


「黒沼くんは人気者ね。優しくて面倒見が良くて、みんなから頼られてる。私も頼ってる一人なのよ?」


「!」


 ゆったりとした歩みで近付き、焔を押しのけて公浩に身体にしなだれ掛かった。

 女性陣は突然の事に固まり、公浩も狼狽を見せる。


「あ、あの……少し見ない間に雰囲気変わったね」


「そう? 確かに自分磨きには力を入れてるけど……あれぇ、もしかしてドキドキしてる?」


「は、ははは。どうだろうね」


「でも心臓の音、大きくなってるよ。ほら」


「ちょっ………」


 胸元に手を添えられ、嫌でも意識させられる。

 頬に触れるほどの距離にある幸子の顔を直視出来ない。

 意外だが、ここまで露骨な誘惑を行ってきたのは斑鳩縁ぐらいだ。要するに慣れていなかった。


「……んふふ。なるほどなるほど」


「………真田さん?」


「実は手管を教えてくれた人が居てね。試したら結構上手くいったわ。ほーら、ドキドキ」


「っ……そういうのは感心しないな」


「ごめんごめん。でもいつか、ね。私がもう少し良い女になったら、その時は本気で誘っちゃうから」


「………肝に銘じておくよ」


 自分に宛てがわれたベッドに戻り、カーテンを閉める幸子。その顔は真っ赤に染まり、心臓はドキドキを通り越したバクバクである。

 思い切った動きをしたは良いが、とても余裕など無かった。その証拠に、焔が迂闊にも発した嫉妬と性癖の波動に全く気づかなかったのだから。


 ちなみにマサキは『ポケ〜』っとその様子を眺め、動揺しまくりの絢里は枕を顔に押し付けながらも一部始終をガン見していた。


マ(今のは……なんだったんだ? スキンシップか?)


絢(あ、わわ! えっ……うそ……え!?)


 絶妙に男女間の駆け引きに疎いマサキと、駆け引きに耐性が無く混乱して身動き出来なかった絢里。

 いつだったか風紀委員の寮で会った時、幸子は安定感のある印象を受けた。手堅い空気、落ち着いた言動、かと言って地味な感じはしない。その評価は間違っていないのだが、この場で公浩に会えた事で運命的なものでも感じた幸子は、本人すら予想外の行動に出る始末。


 隣のカーテンの奥では恥ずかしくて身悶えまくっている幸子がいるのだが、絢里は脅威と尊敬の念を抱かざるをえなかった。


「………は!? くく、く、黒沼あーー!! お、おま、お前はっ! ハレンチだ!!」


「謂れが無いにも程がある……」


 絢里が九節棍を伸ばして公浩の頬をぐりぐり押して文句を言い募った。

 横では焔がハァハァと息を荒くし、その対面ではマサキが鼻歌を歌いながら呪いの除去を行う。


 なんともシュールな保健室であった。


「それにしても久我山さん、大怪我のわりに元気そうで良かった。災害級の鬼を相手にして生き残ったなんて凄いな」


「うっ、そんな、無邪気っぽく言っても無駄だからな。お前の本性はちゃんと分かってるんだからな」


「おやおや、嫌われたものです。久我山さんは何と言うか……泣き顔が可愛いからイジメてしまうんですよ」


「な!? だ、誰が泣くか!」


「アイドル活動の時とか」


「ぅぐっ……あ、あれは仕方ないだろう」


「呪術師に襲われて、お漏らしした時とか」


「も、もも漏らしてなんかない! 漏らしてなんかないぞ!!」


 男子学生と美人女史の掛け合いにしては立場的に逆では? という様子が繰り広げられた。

 周りが見れば、イジワルな弟とイジられ体質な姉という印象を受けるだろうか。

 焔の嫉妬と殺意が発動しないということは、少なくともモブではない。舞台に上がっている側なのだと、マサキは焔を物差し代わりにして判断した。


「そういえば久我山さん、今や一級退魔師だそうで。おめでとうございます、流石ですね」


「特一級退魔師のお前が言っても嫌味としか受け取れないがな」


「なら、一つ本音を伝えておきましょう。久我山さんも真田さんも、一歩間違えれば死んでいたかも知れない敵を前にして、退かずに戦ったのは本当に凄い。生きて此処で会えて良かった」


「っっっ! わ、私はもう寝るからね。おやすみなさい!」


「く、黒沼……おおお前は……ズルいぞ! この女たらし! おやすみっ!」


 人懐っこい笑み、または妖しさが潜む微笑とも取れる公浩の顔と声。

 恋する二人をカーテンの向こうに引きこもらせるには十分な威力があった。

 言いたい事を言い放った二人はその晩、身悶える気配を放ち続けた。


「さて、今晩はこのくらいにしておくか。治療中に居眠りするわけにもいかんからな。あ、一緒に寝るか?」


「遠慮しときます」


「……どいつもこいつもチョロインばっかですか」


「お、知ってるぞホムホム。それはブーメランというやつだ」


「チョロインが悪いとは言ってません」


 焔とマサキ。案外と相性良い二人だ。

 焔は他者との交流に難があるタイプではないが、クールで近寄りがたい空気も持っている。かたやマサキはマイペースで気に入った相手には遠慮なく距離を詰める。


 上手く噛み合っている二人を、公浩は楽しそうに見ていた。



           ★



 半年前、夏。

 久良名学園の第一校、第三校間で行う交流戦を控えた日。

 後に“千影”によって殺害されることとなる仁科の分家、仁科源造の邸宅。その執務室で、源造は自らの養子である暮光という少年に苦言を呈していた。


「暮光、少しは自重しろ。くだらんイジメ行為のために、一体どれほどの敵を作った? 少なくとも陸道家の若造に目を付けられてしまったではないか」


「はいはい、分かってますよ。最後に犬野郎を再起不能にしたし、暫くは静かにしててやるって」


「言っておくが、若造とはいえ学園長の鏡は油断ならない男だ。今までは生徒間の諍いということで不介入だったが、生徒が重傷では黙ってはおるまい。反省のフリだけでも良いから、喧嘩の末に相手に大怪我をさせて後悔していると示しておけ」


「ちっ、面倒くせ」


「おい、あまり調子に乗るな」


「っ………」


「私が、お前の尻拭いでとれだけの時間を無駄にしたと思っている。確かにお前は退魔師として天才の部類だ。手段を選ばない残虐な気質も買っている。だからこそ養子に取ったが、将来性と損害が見合わないと判断したら即、切り捨てる。わかったな?」


「ぁ、ああ……分かったよ親父。大人しくしておく。けどよ、向こうが仕掛けてきたぶんには構わねえよな? うちの風紀委員や他校の生徒まで俺に因縁付けて来やがって……今度の交流戦でなら堂々とぶち殺してもいいんだろ?」


「他校の生徒……交流戦で戦うということは第三校の生徒か。素性は? 退魔師であるのなら、一応は調べておくが」


「取るに足らないザコだよ。犬野郎の知り合いじゃね?」


「交流戦に出てくるのなら、相手は生徒会か風紀委員だ。それなりには強かろう。それに向こうには三王山の後ろ盾がある。相手によっては面倒だ」


「確か、くろぬま……とか言ったかな。俺だってちょっとは調べた。普通の家柄で、何処にでもいる退魔師見習いだよ。糸浦の方で実戦にも出たらしいが、そんぐらいだ」


「糸浦……」


「ん? 何か知ってんのか親父」


「いや、『くろぬま』という名は知らぬな。糸浦といえば、あの村正が管理している“社”があるが……まぁしかし、関係はあるまい」


「赤坂村正ねぇ……ま、そのうち俺が村正なんて名前を歴史に埋もれさせてやるよ。災害級の討伐数だって、所詮は自己申告だしな。誤魔化してるに決まってる」


「……災害級は現れれば、文字通りに災害の爪跡を残す。確認された上で村正が出向き、それを調伏したと報告するのだぞ。その後、同一の個体が確認されないとはそういう事(・・・・・)だ。誤魔化しが通じる筈がない」


「だとしてもだ。俺は特一級だって単独で殺った事があるんだぜ? 災害級だって、そのうちには倒せるようになるって」


「そんな単純に測れる強さではないのだがな……とはいえ、そのぐらい言ってもらわねばチンピラ同然のお前を養子にした意味が無い。精々鍛えておけ」


「……そう言やぁ、聞いたことなかったよな。養子の件、なんで俺だったんだ? 実子がいるだろ。なのに何で俺を後継者にしようなんて考えんだよ」


「……アイツの話はするな。誰の口からどう聞いたか知らんが、お前は絶対に関わるな。知ろうとするな。命令だ」


「は? 何で――――」


「いいから言う通りにしろっ!!」


「っ!!」


「アレは……アレは私の手には負えんのだ。あんな怪物を手元に置いておくなど出来るものか! やっとの思いで他所に放逐する事ができたというのに。二度と蒸し返すな、良いな!!」


「わ、わかった。関わらなきゃいいんだろ? けど理由ぐらい教えてくれてもいいんじゃ……」


「理由だと? アレは化け物だ。悪魔のように狡猾で悍ましく、神のように気まぐれな存在なのだ。アイツの笑った顔は……思い出したくもない。毎日毎日、遊び半分で包丁を喉に突きつけられ、内蔵を引き摺り出される幻覚を見せられるなどっ……」


「そんなもん、親父ならどうとでも出来るだろ? 元とはいえ、特一級退魔師なんだからよ。自分のガキだからって遠慮する必要はねーよ。なんなら、俺がちょいと痛い目を見せて――――」



痛い目?

私に痛い目を見せてくれるの?

義兄さんが?



「!!?」


「なっ……貴様、いつから」


(後ろに誰か……っ、う、動けねぇ)


お父さんが私を追い出した後、養子を取ったって聞いたから

何日か待ってれば会えるかなって。だからここで待ってたんだよ、何日か前(・・・・)からね


「っ!? 何日か、だと? 貴様やはり、私を恨んで――――」


やだなぁ、恨んでないよお父さん

向こうの家に引き取られてからちょっとあって、家出ごっこをしてるんだよね

今は真面目で優等生で、けれど悩み多い年頃で反抗期っていうキャラで通してるから

そうだ聞いてよ、可愛らしい従姉妹ができたんだ

その娘がね、弄り甲斐があるんだよ

ちょっと記憶を書き換える実験に協力してもらったら、私のことを幼馴染だと思うようになってさ

可愛いくて可愛いくて、もっともっと深いところまで解剖したくなってきちゃった

さすがにマズイよね?

だから、そうしないようにね

家出ごっこ


「……貴様は狂っている。どうせ向こうでの生活も長くは続くまい。一家を皆殺しにして姿を消す日も近いだろう」


酷いよお父さん

そうなったら此処に戻って来ちゃうけど

お父さんも嫌でしょ?


「ああ、だから新しい退屈しのぎをくれてやる。何日も此処に居たのなら知っているだろ、四宮の一件と、橘花院なる男だ」


え? もしかして私を利用しようとしてる?

お父さんも懲りないね

どっちが潰れてもお父さんは嬉しいだろうけど

結局、私か相手のどっちかは残っちゃうんだよ?


「お前は恐ろしいが、さりとて橘花院よりも話が通じる可能性も無くはない。少なくとも、私を殺すよりかは生かしておくほうが、貴様にとっても面白くなるはずだ」


そうかな?

そうかも?

どうだろ?


「私とて死にたくはない。黎明を追い落とし、奴が収集した禁術を手に入れれば、私も不老の身体を手に入れられる。そうなればお前の無聊を慰められるぞ」


 ・・・・・


ま、いっか

たまには親孝行してあげても

あ、そうだ義兄さん


「っ!」


交流戦、頑張ってね

せっかくだし見に行ってあげるから

じゃあね



 暮光の視界の端で黒髪が揺れ、耳元には怖気が走るほどに澄み切った声が残る。

 暮光は膝から崩れ落ち、意識を失った。そして目が覚めた時、その数分間の記憶は消えていた。

 容易く人の記憶に干渉できる能力も、それを行う精神性も、源造には恐怖でしかない。


 後日、源造は死の間際ですら、その恐怖が心の片隅にあった。藁にも縋る思いで、実の娘の邪悪な笑みを探したのである。


 その姿は確かにあった。

 しかし“千影”によって齎された残虐な死に様には興味を示さず、“千影”と橘花院をも欺く隠形を使って眺めるだけ。

 その邪悪な笑みは終始、橘花院士緒の方へと向けられていた。



           ★



 深夜。

 学園の保健室という場所は静かだった。

 呪術師と“白面金毛”による破壊活動や小競り合いが各地で起きている中、その場所は音もなく薄暗い。

 窓の外には運動場があり、仮設の建物が並び、人も忙しなく動いている。照明の光がカーテンの隙間から室内に差し込む以外、この場に灯りらしいものは無い。


 だがその暗闇で、抑えきれない愉悦の笑みが三日月のごとく浮かび上がった。


 公浩が眠りに付いてすぐの事。

 待ち侘びたとばかりに、その顔を覗きこむ。

 穏やかで、隙だらけで、無邪気で、安心しきっている顔だ。

 そして、自分はその安心を容易く破り捨てる事ができる、柔らかな命を自由に嬲る事ができる……そんな悦びに身体が震え、人が見たら一歩も二歩も引くような顔で公浩を視姦していた。


「くふ……ふふ」


 人影は寝ている公浩の制服に指先を滑らせる。通力を纏わせた指先が服を裂いて上半身を露わにした。

 無駄の無い引き締まった身体。寝息で上下する胸に手を置けば筋肉の硬い感触が返り、人影はそれを見て満足そうに舌舐めずりをする。


「あぁ、強靭で逞しいヒト……その命が私の手のひらの上なんて。お父さんの作った薬、結構役に立ってくれたなぁ。見直したよお父さん……もう死んじゃってるけど」


 眠り薬の中でも飛び切りに強力な特別製。

 亡き父はその手の薬を作成するのが得意だった。

 協会で地位を得たのも、仁科家の威光だけではない。使っても気付かれず、痕跡も残らない薬という物を作るに長けた故の、血生臭い実績があったればこそだ。


「ん、ぁぁ、はぁ………」


 艶めかしい吐息。自らの身体を嬲るように這う掌、指先。

 もどかしく切ない疼きに支配され、公浩の露わになった胸元に額をぐりぐりと押し付ける。


「ん……れろ」


 舌を這わせる。

 背徳感が全身を駆け巡り、ピリピリとした快感を覚えた人影がぶるりと震えた。


「あぁ……もういっそ、このまま食べてしまおうかな――――」


「そうはいかないわ!」

「そうはいくか!!」


 暗い部屋にあって薄ぼんやりと光を発する『光剣』を突きつける幸子と、九節棍をロープのように操って人影を縛り上げた絢里。

 同じ部屋のすぐ近くのベッドで異様な気配を感じて飛び起きて見れば、自分の好きな男子が性的に食われそうな現場となっていたのである。幸子は一見冷静でありながらも憤慨しており、絢里は湯気が出るのではと思える程に赤面していた。


「これはどういう事なのか説明しなさい、本多勝実!」


 風紀委員会所属、本多勝実。エリート育成を目的とした早期入学の制度で新入生に先んじて学園に上がってきた退魔師見習い。

 それがどういう訳か公浩に薬を盛り、艶っぽい表情と手付きで事に(・・)及ぼうとしていたのだ。

 しかも単純に見た通りの状況ではない。女が男を性的に襲おうとしているでは済まない危険な空気が流れている。


「あー、真桜静と“悪喰”に気を取られて、貴女たちのことすっかり忘れてました。邪魔になりそうな二人はしっかり隔離できたから、別にいいんだけど」


 他校と比べて広くはあるが、それでも学校の保健室の広さなど高が知れている。その小さな空間を見渡してもマサキと焔の姿が見えない。

 公浩の治療で付きっきりだった筈の二人が居ない事に、幸子と絢里は強い不安を覚えた。


「これはどういう事なのか説明しなさい。二人に何をしたの?」


「これから何をしようとしているかもな」


「はぁ、ダメだなぁ。浮かれすぎてたみたい。面倒がって掃除を怠ったせいだけど、こんなふうに水を差されるなんて」


 それは会話にならない言葉の一方通行。幸子と絢里は答えを求めて投げかけたが、勝実は二人に対して意識を向ける価値すら見出していない。

 いまだ穏やかな呼吸を繰り返す公浩の胸に手を置き、残念そうに溜息を吐いた。


「久我山さん、気をつけて」


「ああ、コイツはかなり危険だ。新入生というのも怪しい」


 業平という災害級の“鬼”と戦った後の二人をして、勝実から得体の知れない恐ろしさを感じる。

 強さ云々ではなく……いや、恐らく強さでもあの業平を上回っている。この女は、まっとうな強さ(・・・・・・・)で対峙してはいけない何かだ。


「術式を二つ追加。二人とも邪魔なので、少しあっち行っててくださいね」


「「!!?」」


 足場が消え、突然の目眩と浮遊感が襲いかかった。


 次の瞬間、そこが保健室ではなく全く別の場所だと気付いた幸子と絢里は身構える。

 背中を合わせて周囲を窺えば、自分たちが居るのは所々にタイルや漆喰が見える洋館だ。

 当然というべきか、二人には全く見覚えのない場所である。


「転移か!?」

「いえ、それにしては様子がおかしいわ」


 洋館のエントランス。外へ繋がっているはずの扉は無く、左右には果ての見えない廊下、2階へ上がるための階段から天井までの壁は歪に折れ曲がっていて遠近感を失いそうになる。


 廊下には窓があり、そこから見える外の景色は森であったり町並みであったりと目まぐるしく変化している。おまけに昼と夜も定まっていない。

 どう考えてもまともな空間ではないだろう。


「もしかして『大部屋』の術式?」


「わからない。だが術式に放り込まれた様子はなかった」


「確かに、術式を刻んだ媒体なら私たちが目にしているはずだし、押し込められる前に抵抗も出来るけど……」


『大部屋』の術式は対象を迷い込ませる事は出来ても、一瞬のうちに閉じ込めるような事には向かない。

 入るためには「前に進もう」「場所を移動しよう」など最低限の本人意思が必要になるからだ。

 幸子と絢里に対してそれらを行える隙は無かったはず。


術式(オート)じゃなくて、(マニュアル)で発動させたとしたら」


「なっ、いくら何でもそれは……」


『大部屋』の術式は作りと理論はそこまで高度な物ではない。ただし、拡張した空間を維持し続けるという一点で顕よりも術で行うのが適していた。


 仮に勝実が『大部屋』をその場で構築したのみならず、瞬く間に幸子と絢里を閉じ込めてみせたとしたら。それはスーパーコンピューターが行う処理を個人ですることと同義だ。


「ここは安定してるし、かなりの広さがある。もう20秒以上もこうしているのに、揺らぐ気配もない……こうなると人間業じゃないわ」


「どれほどの精神力が要るか理解できないな。ともあれ、脱出するだけならやりようはある」


 壊せば良い。

『大部屋』内で目に付くものを破壊していく。顕術の維持に処理能力を割く以上、内部構造に負荷を掛ければそれだけ相手に負担を強いる事になるのだ。


「正直、不安しかないけど……」


「それでも、黙って閉じ込められているよりは――――」



「その必要はありませんよ、お二人とも」



 いつの間に現れたのか、二人だけと思っていた空間に闖入者のクールな声音が通る。

 保健室から姿を消していたスーツ美女、焔だ。


「元は本多勝実が即席で組み立てた『大部屋』でしたが、私が制御を奪って作り変えました。あちらは奪われたことに気付いていないはずです」


「あなたもここに……でも、焔さんがいればすぐに脱出できるんですね?」


「そういうことです、真田幸子」


「………?」


 絢里は違和感を覚えた。

 何が、どう変に感じたかは分からない。2人の短い会話の中でおかしな所でもあったのか……?

 しかしその違和感も過ぎ去り、すぐに気にならなくなった。それがおかしい(・・・・)事だとも気づかずに。


「さて……実を言うと、お二人とはじっくり話をしたかったのです」


「私たちと、話を?」


「“真ノ悪”が、我々のような下っ端に用があるなんて光栄だ……と言うべきか?」


「何か裏があるのか、という顔ですね。そう警戒なさらず。雑談のようなものですよ」


「雑談、ですか……」


「ええ、雑談です」


「…………」

「…………」


 絢里は特一級でも通じる優秀な退魔師だが、“真ノ悪”という巨大組織の看板を前にしては気を抜く余裕など無く、かなりの緊張状態で身構えている。さらには先ほどからの焔の言葉をどう捉えるべきか、深読みで頭が茹で上がりそうだ。


 それとは逆に、幸子は緊張こそあれど落ち着いていて、『光剣』を消して焔と向き合うほど堂々たる態度。逸りそうな絢里を手で制する冷静さも見せていた。


 ………またしても、絢里は違和感に襲われる。


 違和感に何の意味があるのかは分からない。だが短時間のうちに二度も起きたなら、何か重要なことを見落としているのではと余計に不安が強まった。


「ずばり、お二人は黒沼公浩を好いていますか?」


「はい」

「…………はい?」


 同じ二文字でも、意味は270度ほども違う「はい」であった。


「なによ久我山さん、今さら否定しようっての? 無駄な抵抗は止めときなさい」


「す、すすす好きって、いや……だって」


「地元の“社”じゃなくてこっちの“社”にわざわざ来たし、来て早々に男子寮まで会いに行っておいて白を切ろうって? はん」


「……でも、成り立てとはいえ社会人の私が年下の高校生を好きになるって、なんか格好悪いし」


幸「何よそのシチュエーション……女性向け漫画なら人気のコンテンツじゃない」


ホ「年下のカレシ……素晴らしい世界です」


幸「いっそのこと養っちゃえばいいのよ」


ホ「年下のうえにヒモで、さらには泣き虫で弟で、同居して、やがては……」


幸「なんか変な属性混ぜませんでした?」


絢「って! 何でいきなりそんな話になっているんだ!? 本題は別にあるんだろ、そうだと言え!」


 “真ノ悪”の、それも恐らく幹部らしき女性から何故そんな質問をされねばならんのか。

 気恥ずかしさもあり、絢里は全力で話題を逸らしに掛かる。

 そして、焔も少しだけ真剣な表情となって絢里に応えた。


「先の質問は至極真面目なものですよ。私は知りたいのです。これは貴女がたの今後に大きく関わる問いかけで、行動を著しく変えるかもしれない」


「年下の男子を好きかどうかで大袈裟な――――」


「黒沼公浩の正体が、橘花院士緒だとしても?」


耳元に顔を寄せ、絢里にだけ聞こえる声でそう言った。












〜〜 ◯◯プレイ? 〜〜


休日、外出許可を得てデートをしている四宮鶫と黒沼公浩。

鶫はデートを満喫し、公浩もそれなりに楽しんでいたが、


ツ「はぁ……今日の映画はしてやられましたね。新作かと思いきや、ほとんど総集編だったとは」


K「やっぱり事前の調べは大事だね。やれやれだよ、ツグミがデートを仕切ると、こういう事がまま起こる」


ツ「彼氏が嫌味を言うせいで素直に謝る気が失せました」


K「………」


ツ「そもそもですよ、先輩が積極的にデートプランを組んでくれないからこうなるんです! しかもデート中、たまに姿とか消しますし」


K「男には一人になりたい時があるんだ」


ツ「ふーん……てっきり悪い(・・)誰かと会っているのかと」


K「…………」


ツ「先輩は分かっていません、私がどれだけ素晴らしい彼女なのかを。顔と性格は高水準だし、浮気にも寛容だし、おまけに日本屈指の太い実家。良妻まっしぐらの尽くす系ヒロイン、理想の恋人ですよ?」


K「実家の太さをプラス要素と捉えるかは議論の余地があるとして……まぁ確かに、良妻まっしぐらの尽くす系ヒロインである点は、ある程度認めよう」


ツ「ほらあ! だったらもう少し大事にしてくれても――――」


K「だから別れてほしいんだ」


ツ「え、嫌ですけど。私の話聞いてました?」


K(日常会話のようにシレッと……動じなさ過ぎて怖いな)


ツ「っていうか、良妻だと認めておきながら別れようだなんて矛盾もいいところです! 少なくとも、契約期間中に別れ話をするなんて非常識だと思います」


K「恋人関係を契約で保とうとするのは非常識じゃないと?」


ツ「(口笛)〜〜〜」


K「こんな関係は健全じゃないと分かっているだろう。君は容姿端麗で性格もそこそこ(・・・・)良くて実家も太い。ある意味で理想的な女性だが……だからこそ、僕よりもマトモな相手と付き合った方が――――」


ツ「えへへ、そんな〜、美人でお淑やかで理想の妻だなんてぇ」


K(都合の良い部分だけ切り取られた……最強かな?)


ツ「先輩がそこまで言ってくれるなら、別れるのは可哀想ですよね。あと半年あまり、私の彼氏だと自慢することを許します」


K「ハイアングルな彼女だなぁ……でも、本当に良いのかな?」


ツ「はい? どうしてです?」


K「仮に、今別れるなら……『公浩くんの元カノ』の称号が手に入るからさ」


ツ「!」


K「元カノ……それは名誉ある呼び名ではない。しかし希少価値は保証しよう」


ツ「…………」


K「恋愛を題材にした作品ではあらゆる場面において重要な役目を担い、時に『今カノ』の宿敵として現れ、時に『今カノ』に返り咲くトリックスター」


ツ「お、おぉ……」


K「あるいは、公浩くんが『今カノ』とデート中の現場に偶然現れて「お久しぶりです先輩!」と話しかけ、君は『今カノ』にこう名乗る……「はじめまして、先輩の元カノです」と」


ツ「な、なんで……『今カノ』と仲良くされてイヤな気分の筈なのに、そのシチュエーションに惹かれる自分がいるなんて!」


K「それに少なくとも僕は、しばらくの間は退魔師の仕事と学生としての生活に集中したい。なので卒業まで誰かと付き合う事は無いと思う。するとどうだろう……数年後に思わぬ再会を果たした2人は気まずい空気となり、しかしお互いに付き合っている相手はいないという話になってから徐々に昔の距離感を取り戻し、やがて………」


ツ「ごくり……やがて、どうなるんです?」


K「………」


ニコッ


ツ「くっ、さすが鬼畜先輩。知りたきゃ別れろ、と」


K「さて、どうかな」


ツ「…………

   …………

    …………わ、別れません!」


K「そっか……あと一歩だったのに」


ツ「こほん! ……先輩。お願いですから、別れ話なんて簡単にしないでください。私との関係が先輩の負担なのは分かってます。それでもチャンスが欲しいんです。お願いします」


K「………わかったよ。そうだね、ごめん。悪ふざけが過ぎたようだ」


ツ「お詫びにチューを要求します」


K「……ほっぺで良いでしょうか?」


ツ「駄目ですよ。チクにしてください」


K(クチ、の言い間違いでありますように……)


最終的にクビ(・・)筋で妥協に至った。

その際、スイッチが入りかけたカノジョ(仮)に耳を噛まれた……



…………

……………

………………


恋人(仮)たちの逢瀬を建物の陰から覗いていた不届き者が2人。

好奇心から休日の公浩を追跡していた梢と焔である。

そして焔は今、困った事態に見舞われていた。


ホ「ちょ、梢! 落ち着きなさい!」


コ「離してくれっす! ジブンは、あそこに突撃して『元カノ』と名乗るプレイがしたいんっすー! 『あれー、こんなところで会うなんて奇遇だね公浩くん』ってやらせろっす!!」


ホ「くっ、いつも冷静な貴女が、ここまで欲望を暴走させるなんて。そんなにも『元カノ』の地位を欲していたと!?」


コ「幼馴染で、年上彼女……ジブンは夢を叶えに行くっすーーー!!」


ホ「目を覚ましなさい! 貴女は『今カノ』に面が割れています。それに()ですよ? 『元カノ』にどんな幻想を抱いているのですか!?」


コ「ジブンみたいに出番少な目ヒロインはチャンスを逃せないっす! せめて元カノとして爪痕を残してやるっすうーーー!!」


ホ「まったく世話のやける。本音を言えば私だって、元カノの姉として『弟くん久しぶり〜』と言って登場したいですけど!」


コ「……いや、それはちょっと良く分からないっす」


ホ「急に正気に戻らないでください。しかも、貴女には私をそんな目で見る資格はありませんからね」


そんな仲良し姉妹はその日の夜、尾行に気づいていた士緒によってチクチク嫌味を言われた。


K「鶫は勘が良いのですから、あまり下手な尾行はしないように。い・い・で・す・ね?」


グリグリ ⊃)≧Д≦)


グリグリ ⊃)≧Д≦)



コ「ふぁい……」

ホ「ふぁい……」


まるで兄に怒られる妹のようである。

柔らかい頬をグリグリ押された2人は、かなり嬉しそうだった。



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