第148話 破滅の足音
いまだ静寂が支配する保健室の薄暗闇の中。
邪魔者を排除して、心置きなく獲物を咀嚼する時間を愉しもうとしていた勝実であったが、予想外の衝撃に襲われた。
突如、眼を開けた公浩が容赦の無い握力で首を締めつけ、壁へと磔にしたのだ。
手足は結界で拘束されて身動きも不可能。息を漏らす事も許されず、脳への血流は止められ、骨がミシミシと音を立てて圧迫される。
「ッーーーぁ、は」
そんな恐ろしい目に遭っているはずなのに、勝実の瞳には愉悦が浮かび、唾液が漏れる口元は恍惚につり上がっていた。
押さえ付けている公浩すら、勝実の様子に気持ち悪さを覚える程だ。
「人払い御苦労さまです。それで、目的は何だ?」
わざわざ新入生として学園に籍を置くという手間を掛けているのだ。誰それの暗殺や拉致などの狙いとは違うだろう。
橘花院士緒と同様に特殊な目的か、または諜報か。
勝実の異常さを考えると後者ではない。だが前者と考えるにはタイミングが奇妙だ。
街全体が大騒ぎの最中、公浩という個人を狙う理由など無いと思える。あるいは、公浩ではなく………
「ぅ、ぁあ……すごい、こんなに力強く触れられたの……初めて」
「っ!」
勝実の腕が蛇のような柔らかさで公浩の腕に絡む。
まるで愛しい者を優しく撫でるかのよう。そしてどういう訳か公浩の腕が脱力し、勝実は自由になった身体を無遠慮に押し付け始めた。
年下とは思えない色香を放ち、明らかに発情した上目遣いと目が合う。
「わざわざ気色悪い言い方するのはどうかと思います」
「本心なのだから仕方ないでしょう? 殺意と嫌悪が、私の首を通して全身に浸透してくるんだもの。あぁ、中の中までシビレるみたい! でもごめんなさい、私も決して消えない傷を貴方から付けて欲しいけど……生まれつき怪我とかしない体質だから、期待には応えられないの。痛めつけられなくて残念? ねぇ、残念?」
「……誰かに似てると思ったら、キミの雰囲気は“白面金毛”とそっくりだ。どおりで気に食わないわけだよ。それに、キミは傷を付けて欲しいのと同じくらい、相手に傷を残したいタイプだろう?」
「あぁ……そんなに私のことを分かってくれてるなんて。でも、学生としてちゃんと自重してきた点は評価してくれます? それに一生消えない傷を刻み付けたいと思ったのも貴方だけなんですよ、橘花院さん」
「……やはり、知ってて近付いてきましたか。それを分かった上で虎の尾を踏みに来た、と」
「ふふふ」
腕の痺れが取れない。なるほど、強力な毒を打ち込まれたらしい。
忌々しい事に、これは仁科源造が用いてきた毒の残りだ。それが判り、公浩の顔が心底不快に歪む。
「汚いな」
「――――!!」
公浩が小振りな『光剣』を作り、それで自らの二の腕を突き刺した。
血が溢れ出て床にぼたぼたと流れる様を、勝実は興味深そうに観察する。
「通力由来の毒だから、『光剣』を経由した通力で中和できるのは分かりますけど、ほんと器用ですね。中和しきれなかった分は血液ごと排出かぁ……クスス、だとしてももう少し穏便に治療すればいいのに。わざわざこんな痛い事するなんて、貴方って人はほんと私好みですね」
「仁科源造の毒は全て、あらかじめ調べておきましたから。解毒の方法も判ってる。ただ、奴の作った物が1秒でも長く体の中に残っていると思うと我慢出来ないもので」
「くふ、ふふふ……そうじゃないかと思って実家から取って来て良かったです」
「……貴女は私の好みではありませんね」
ピストルを象った指先を勝実のこめかみに添える。先刻、数十名の呪術師を肉塊に変えた不可視の弾丸が狙いを付けた。
「一度だけ聞きます。何者ですか?」
「本多勝実……になる前は、仁科 罪歌という可哀想な怪物として仁科源造に飼われていました。よよよ………」
「ツッコミを入れる気にもなりませんね……しかしなるほど、仁科源造の手に余って存在を抹消されたわけですか。貴女を見ていると、むしろ源造の方に同情してしまいそうです」
毒は抜けたのに、未だに公浩は体を思うように動かせない。それどころか目の前の女は顕術を用いて公浩の手足を操り、肉体の主導権すら手に入れようとしている。
糸に吊るされたマリオネットのように相手の肉体を操作する顕術、『繰糸操鎧』。
退魔師殺しの一種だが、士緒が本気で脱しようとしているにも関わらず強い強制力を維持し続ける勝実の技量は異常だ。
これはまるで………
「これは固有秘術ですね。正確には固有秘術にて模倣した技能の行使。これ程の退魔師殺しを使える人物といえば……」
「ご明察です。以前、お父さんに連れられた場所で観察させられた陸道剣助の技能……それを完璧に真似ました。うふふ、面白い特技でしょう?」
完全な模倣を可能にする固有秘術。当然ながら無制限であるはずがない。
どこまで真似出来るのかは想像がつく。人間が素手で空を飛べず口から毒を吐き出せないように、勝実という人類が許す範囲に限られるだろう。故に鬼が独自に持つ能力や、“影軍”などの鬼核による不条理は再現出来ない。
そうなると問題は何人の能力を模倣し、それを身の内に留めておけるのかどうか。
陸道剣助が退魔師殺しの技能を披露したのは源造が生きていた時期。少なくとも半年以上は前の出来事のはずだ。
であるならば、期間に関しては制限が無いと想定し、その他無数の能力を全て使いこなしているとすれば………
「固有秘術ではない……“三つの異能”か」
「だとしたら不思議だと思いません? 短命が宿命付けられている筈の“三つの異能”である私が、健康体どころか超抜の生命力を身に宿しているなんて」
「……寿命の代わりに理性を失っているから、と言われれば納得できますが」
「くふふっ……それもあり得そうですけど、もっと単純な理由ですよ。私は少し特別なんです。仁科黎明と同じでね」
(――――っ! 足場が)
全身を包み込む浮遊感の後、ストンと真っ暗闇の空間に降り立っていた。
新たに『大部屋』を作り、自分ごと真下の穴に落ちたのだ。相手に気取られることなく、重力と床がある以外は只々暗い、閉ざされた部屋へと。
「やった! 成功した。これでゆっくり愉しめますね。さぁ、私の操り人形さん。2人だけの世界で踊りましょう」
「はぁ……こんな即席の『大部屋』に対処できないと思われるのは心外です」
公浩が指先をパチンと鳴らす。
身体の自由を奪おうとしていた『繰糸操鎧』を通力の瞬間的な放出で吹き飛ばした。
直後には倒壊寸前の部屋がたてる軋んだ音が響き渡り、そして塗料がボロボロと剥がれるように崩れ去る。
月明かりが差す薄暗い保健室に戻り、勝実も僅かに焦りを見せた。
「うそ……凄すぎ」
「この程度なら、焔やマサキ先生も自力で何とかできるでしょう。ああ、それと」
「――――!?」
帯状の結界で口周りを覆って声を遮断。続けて極小の結界を連結させて薄皮程度にまでなった拘束衣を、勝実の全身にピタリとフィットするように被せた。
こうなると首から下をコンクリートで固められたのと変わらない。自力で抜け出すことは不可能だ。
「気分はどうですか? 屈辱ですか? 屈辱でしょうね」
「…………」
勝実は微笑っていた。
橘花院士緒の鬼畜な所業に、あろうことか興奮を覚えている。屈辱すらも愉しんでいるのだ。
いまにも絶頂するのではという顔で、体を軋ませてでも悶える姿はかなり気持ちが悪い。
「逃れようとしても無駄ですよ。退魔師殺しも絶対ではない。特に陸道剣助の退魔師殺しは対策済みですので」
カウンターには更なるカウンターを。
普通ならかなりの難題だが、橘花院士緒には造作もない。勝実は為すすべもなく拘束を余儀なくされた。
だがそこへ、
「困るのぉ。儂らは遥々その娘っ子を拾いに来たと言うのに」
公浩と勝実の間に、白い髭を垂らした老人の御面が割り込んだ。
「………!」
宙に浮いたその翁の面と公浩が、暫し睨み合いになる。心底困ったような声を発している能面が譲らないと察し、公浩が一歩引いた。
「“酒吞翁”……奇妙な所で会うものですね」
かつて酒吞童子という鬼が率いた一大組織、“日計の毒”。その後釜として名を知らしめた“酒吞翁”が身に着けていた御面だ。
今の学園内は常に無い程の厳戒態勢だ。
そこへ気づかれずに侵入しているだけでも侮れない。
“酒吞翁”本人の戦闘能力はそれ程でもないと思っていたが、伊達に酒吞童子の後継として君臨していたわけではないということか。
しかも、この翁の面は……
「そうか……なるほど。貴方という存在がいったい何処から湧いて出たのか、親父殿も不思議に思っていましたが、謎が一つ解けました。享楽主義の童子様が手元に置きたがるわけです」
「おや、橘花院の若様は酒吞童子と面識がおありで?」
部屋の入口の陰から若い男の声が掛かる。
翁の面はくるくると回転しながら、物陰から姿を現した男の手へと収まった。
「初めましてですね、黒沼公浩。いや、橘花院とお呼びするべきですか?」
“酒吞翁”……常に被っていた御面の下にあったのは、何処にでも居そうな平凡な若者である。
強者特有の覇気や研ぎ澄まされた戦いの気配を纏わない、何とも柔らかそうな雰囲気だ。
「初めまして酒吞翁。それとも、貴方の事もこう呼ぶべきでしょうか、四宮の長老殿」
「……驚いたな。この御面を見ただけで僕の正体に気付くなんて。しかし僕としては、貴方と酒吞童子がどういう関係なのかを聞きたいところですね」
酒吞翁が手にした翁の面を口元に持ってくると、御面がカタカタと揺れて音を鳴らす。
すると勝実を拘束していた結界がふっと消え、自由になった異常者が一瞬のうちに酒吞翁の斜め後ろへと飛び退いた。
「まぁ、それはまたの機会で構いません。今日のところは罪歌さんの回収だけさせていただきます。彼女には我々を手伝ってもらうと話がついているので。ご安心を、暴走しないようにちゃんと見張っておきますから」
酒吞翁の後ろで息を荒くしながら笑っている勝実は、もはやどうでもいい。
問題は青年の形をした鬼の頭領。それはかつて四宮家の奥義を開眼させた2代目の当主……百年以上も前の存在であるという事だ。
(鬼となって生きながらえていたのか。身の上話に興味が無いわけではありませんが………)
処理できるものなら処理したい……だが、ここが学園の中という点は気掛かりだ。
暴れるわけにはいかないし、正体をバラされても面倒になる。
簡単に倒せる相手なら迷わなかったが、四宮の2代目ともなれば難しい。なにせ開眼させた四宮の秘奥の厄介さはよく知っている。
百数十年の間、その技を使えたのは2代目の当主と……あの怪士だけだ。
「僕らの目当ては酒吞童子が残した、とある遺産です。退魔師協会が保管していると判ったのですが、どうやらこの街には無いようですね。呪術師がテロを起こしたドサクサに紛れて保管庫も見ましたが、無駄足でしたよ。なので快く見逃してもらえませんか? “真ノ悪”と敵対し、本気で狙われようものなら我々などひとたまりもないでしょうから」
「童子様の遺産……ひょっとして“御山”のことでしょうか?」
「――――!? “真ノ悪”……いや、山本五郎左衛門が“御山”の事まで知っているとは思いませんでした。酒吞も御山の秘密はかなり慎重に扱っていた筈なのですが……しかし、いずれにせよ貴方がたには関係のない事。ましてや協会ごときが“御山”を持っていても宝の持ち腐れでしかない。あれはヤエと僕が受け継ぐものです」
「ふむ、そうですか」
“御山”がどのような遺産なのか、何処にあるのか。“真ノ悪”は全てを知っている。
なぜなら、それは“真ノ悪”の目的に大いに役立つ予定だったからだ。
だが自分たちが何としても使わなければならないという事もない。酒吞翁がそれを欲しいと言うのであれば、与えようじゃないか。“真ノ悪”に代わって使ってくれるのであれば、それはそれで都合が良い。
「ときに酒吞翁。悪魔と取引したことはありますか?」
「………? 慣れたものですけど」
「では、真の悪と取引したことは?」
「…………」
真顔で士緒の言葉に耳を傾ける酒吞翁のうしろで、狂った女の小さな笑い声が静寂の中にコダマした。
★
同じ頃、学園はあらゆる意味で大騒ぎとなっていた。
稲生 平、退魔師協会関東“社”統括官を筆頭としたトンデモナイ面子が場を仕切ったからだ。
六家の三王山家当主、三王山 春陽。
退魔師協会関西方面総指揮、海藤小角。
そして“真ノ悪”でも最大級の災害、“千影”。
学園で教師として勤める特一級の退魔師たちはともかく、生徒に至っては緊張で仕事の効率が大幅に下がっている。
敷地内の安全確保。周辺の見回りや簡易結界の点検と維持。各種退魔師武装、術符の管理など。
挙げだしたらキリがない仕事量だというのに、協会のお偉いさんや最大の敵の一人が近くを通りすがるだけでも萎縮してしまっていた。
特に、グラウンドのど真ん中で言い争いを始める二人によって。
「ちょっと“千影”ちゃん、あまりみんなを恐がらせないでよ。お仕事がやりにくいじゃないか」
「はぁあ? チビでオカマのオッサンこそ、誰彼構わずちょっかい掛けてウザがられてるのが分からないっすか? 塀の角で人知れず気配消してろっす」
「なにおぅ!? ハルちゃんはみんなを元気付けてるんだもん! 童貞っぽい男の子に話し掛けてちょっと触ってあげたらデレデレするからクセになったってわけじゃないんだよ決して。それにオカマのオッサンなんて酷いこと言わないで! ハルちゃんはこんなにもキュートなんだぞ(きゃるん)」
「『だもん』 とか『きゃるん』とかキモいっす! これ以上青少年たちの純情を踏みにじった上にトラウマを産みつけるのは止めろっす!!」
「むぅ~〜………」
「くあっ!? なにこっそり『幽化鳴動』で攻撃してるんすか!? ノーモーションで内蔵締め付けとかマジ◯チガイっす。 そっちがその気ならこの場で決着つけてやるっすよ!!」
一瞬でグラウンドを黒く染め上げた影がユラユラと立ち昇り、近くにいた風紀委員が慌てふためくか腰を抜かしていった。
「二人とも、頼むから大人しくしていろ。生徒たちですら真面目に働いているのに、いい歳の大人が邪魔するなよ」
現在、学園内に集まった全ての退魔師を瞬く間に掌握してみせた稲生平……その圧倒的な存在感が2人の間に割り込んだ。
「千影、お前は屋上で澪と一緒に居ろ。後でキャンプ用品を差し入れてやるから」
「え〜〜、屋上暮らししとけってことっすか……でもちょっとワクワクするというか、楽しそうなのが悔しいっすね」
「春陽、あんたも暇ならチームを作って外回りに行ってくれないか? 今まで生徒会と風紀委員が受け持っていた巡回が減った途端、鬼の発生も確認されてる。その上、白面金毛の手下もうろついているんじゃ、あんた程の戦力を遊ばせてられないんだよ」
「なぁんだ、そんな仕事があるなら始めから言ってよ。じゃあ何人か貸してくれる? 足手まといにならない程度でいいからさ」
「生憎と腕利きの退魔師は別の件で動かしてる。非戦闘員や負傷者の回収、情報収集も含めて仕事は山積みだ。あんたも外に行くなら、ついでにその辺の仕事も頼む。それと多少は面倒見るつもりで若いのを連れて行ってくれ。経験を積ませたい」
「ちぇー……しょうがない。タイラっちにそこまでせがまれちゃ断れないな〜」
「せがんでねーよ。これでもあんたの事情を考慮してるんだからな。あと、タイラっちって呼ぶな」
「ハルちゃんの事情?」
「ああ。ここに来てからずっとソワソワして落ち着かないのは、梓の行方が分からないからだろう?」
「………べつに」
学園に到着してすぐ、春陽は梓の行方を尋ねた。しかし、生徒会は少し前に氷結系の呪術師から襲撃を受けて戦場を移すために飛び出したという。
以降、生徒会の行方は途絶えて誰も状況を把握していない。
「あんたの奇行は見慣れてるが、今日はいつもと違って不安を押し隠そうとしているみたいだ。たまには父親らしく慌てふためいてみろよ。その勢いを使って、闇雲にでも娘を探しに行って来い。あんたはそのぐらい適当な方が役に立つしな」
「え、平くん優しい……ギュってしていい?」
「断る、さっさと行けって。ちゃんとチームで動けよ?」
チームで動くなら春陽も無茶は出来ない。若い芽を無駄に死なせるような事はさすがに控える筈だ。
それに応えるように、一瞬ではあったが真剣な表情を浮かべた春陽が踵を返す。
すぐに軽やかな足取りになって平へと手を振りながらニコニコ顔で同行者を探しに行った。
「あんな様子だが余裕は無かったんだろうな。梢も、この後の動きは分かっているな? 夜明けまでにクルーオルか羽々矢が事を起こせないようなら………手伝ってやれ」
「了解っす。それじゃ、それまでは屋上で澪をからかって遊んでるっす」
「ほどほどにしてやれよ」
梢は素直に屋上へと向かい、今や監視台と化している風紀委員長の後ろに降り立つ。“真ノ悪”において頭の上がらない相手が現れた事で、澪が小刻みに振動し始めた。
その緊張が無意識に伝播し、誰もが気付くほどに学園中の空気がビリビリと震える。
強大な鬼同士が相対して一触即発か!? という勘違いが巻き起こったが、本当のところは妹分が姉貴分にイタズラされているせいだとは、誰も知らない………
★
「と、歩きまわってはいるけど……」
学園内を宛も無く歩いて同行させる退魔師を探す。
戦闘力はそれほど重視しない。最低限、自衛さえしてくれれば十分だ。
「欲を言えば探知系か感応系、でなければ逃げ足の速い支援系の退魔師でも落ちてないかなぁ」
街に呪術師と特一級以上の鬼が多く潜んでいる状況下、求められる能力を備えた退魔師は出払っている。
動かせる人員は学園の風紀委員か、後方で事務や雑務を担当する退魔師未満の協会職員くらい。
後者はいくらなんでも論外だ。さりとて風紀委員はどうかと言うと、悩ましい。
未熟な若者を連れ歩いて九十九の尾などと遭遇した日には守りきれる保証が無い。何も考えていないように見える春陽だが、味方の安全には最大限に気を配っていた。
「けど、この街を歩き回るのにサポートは必要だし……」
緊急時の久良名では味方と鉢合わせた際、同士打ちという不幸な事故を防ぐ為に身元を照らし合わせる独自のシステムが構築されている。
退魔師の資格証や学園の生徒手帳、退治屋に一時的に発行されるビジターのIDなどを重ね合わせ、反発が起きなければ本物という極めてシンプルな照会方法。ちなみにこれらは科学+耐通力による産物だ。
「こんな事なら来客用の身分を発行しとくんだった。急に押しかけたから“社”も通してないし、身から出た錆かぁ。ま、いざとなったら一人で行動するしかないかな」
………あれ?
何だろう、不思議な匂い。
『幽化鳴動』を使い続けてきた自分だから分かる、魂に直接触れる優しい空気。
暖かい陽射しを浴び、爽やかな風と草の香りに包まれて草原に寝転んだみたいな幻が広がった。
あまりにも心地よい何かが近くにある。
ソレに気付いてしまっては、衝動を抑える気など起こらない。いつの間にか廊下を駆け抜け、部屋の引き戸を開け放ち、中にいた者たちの驚きと奇異の視線をスルーして、その原因に向かってピョンと飛び付いていた。
「ふわぁ……気持ちいぃ」
細いのに芯の通った強い身体。タックルも同然の勢いで抱きついたのに、相手はズッシリと安心感のある立ち姿で受け止めた。
「おや、これはこれは。随分と大きなネコが迷い込みましたね」
年若い少年の声に顔を上げてみると、そこにいたのはあどけなさの残る顔立ちの、紛れもなく少年。
黒沼公浩。
娘の学友、生徒会の役員、凄腕の退魔師、女誑し。
梓に近しい学生ということで調べまくった様々な情報が頭の中を駆け巡った。
「あれ? 黒沼公浩くんだ。あ、初めまして、ボクはね――――」
「存じ上げています。お目にかかれて光栄です、三王山閣下」
「っっ??」
言いしれない感覚が肌を走った。
ピリッと痺れたみたいな、敏感な所に息を吹き掛けられたみたいな、痛気持ちい感じ。
何だろう、この子。
目が離せない。目を離したら次の瞬間、別の何かに変わっているんじゃないだろうか?
神のような何かか、鬼のような何かに
絢「お、おおお、女! また女!!??」
幸「(呆気)」
ホ「はぁ………」
改めて見回すと、そこは保健室だと気づいた。
なんかエロい体型のおねーさんが狼狽えながらこっちを指差している。
その横には“真ノ悪”のクールビューティーさんに、真面目っぽい感じでポテンシャル高そうな女の子。
それに1人だけ、みんなから刺すような敵意を浴びて距離を置かれている子がいた。
みんな制服とスーツ姿で、ここに長居しない空気が漂っている。校舎裏にお出掛けかな?
「三王山閣下。恐れ入りますが、僕はこう見えて結構な怪我人でして。刺激的な抱擁はお控えください」
「おっと、ごめんごめん。そうだよね、保健室だもんね」
さすがに、大の大人が少年に抱き着いたままは恥ずかしい。ハルちゃんは別に良いんだけど、少年はいかにも気まずそうに眉を寄せてるもん。
絢「おい黒沼っ……またか? またなのか!? 私を散々開発しておいて別の女かっ!? ちょっとは責任取れ!!」
幸「落ち着いて久我山さん、その発言は後で後悔するやつよ」
ホ「それに、アレは生物学上は♂です」
絢「はあ!? んなわけがあるか!! ………えっ、ほんとなの? それなら、まぁ……良いのか?」
ホ「少なくとも寝取られる事は無いので心配は要りません……………たぶん」
K「そこはもうちょっと自信を持って欲しいですね。僕も一応は女性が好きですからね? まぁ例外もあるかもしれませんが」
「「「え………?」」」
三人の頭に一斉に浮かんだのは、同級生の海北を壁ドンする公浩のイメージだった。
K「ははは、冗談ですよ三人とも。特に久我山さん」
絢「何で私にだけ念押ししたんだこのやろぅ」
春「あっはは! みんな仲良しだなぁ」
よし決めた!
どうせ引率するなら、こういう明るい子たちが良い!
春陽に振り回される哀れな犠牲者が、ここに決定した。
「ねぇみんな、ハルちゃんこれから街に繰り出すんだけど、一緒に来てよ。大人の遊びを教えてあげようじゃないか」
本当に遊びに行くのでは、と思わせる軽い口調。
公浩の袖を掴んでグイグイと引っ張る様はどう見ても少女のそれであった。
「閣下、我々は学生なので大人の遊びは遠慮しておきます。それに怪我人だということもお忘れなく。貴方に付いて行って戦闘になっても、お役には立てないと思いますよ?」
「またまたぁ、謙遜しちゃって。キミ、相当強いよね? 日常的に通力の運用とかして修行してるでしょ。常時その状態を維持できるなんて、相当イカれた精神力が要るよ?」
「ははは、恐れ入ります」
「キミヒロくんはボクのことを知ってるんだよね? なら分かるでしょ。これでも父親だし、梓ちゃんの周りには目を光らせてるんだ。キミの事は特に念入りに調べさせたよ。ムラマサくんに脅されるまでは……」
「それはそれは、養父が失礼をいたしました」
怒ったムラマサくんとか恐すぎ。
普段は温厚そうな見た目に反しない気性だけど、ひとたび敵認定されたらガチの意味で殺しに来るからな〜。
あの絶対殺すマンめ、ちょっと養子の男の子を調べただけで珍しく神経質になって………
「それでね、ムラマサくんの秘蔵っ子にハルちゃんはとても興味津々なのです。白面金毛の手下とか出てきてもハルちゃんが守ってあげるからさ、お散歩ついでにお話に付き合ってよ」
「ふむ………」
今の久良名は、さながら紛争地帯だ。
誰かが持ち込んでいるのか多くの鬼が出現し始め、呪術師はゲリラ的に退魔師を襲い、徘徊型のボスみたいに『九十九の尾』が暴れる。
辛うじて学園周辺は要塞化が進んでいるため、敵は遠巻きにうろつくに留まっていた。
不幸中の幸いは派手な戦闘が少なく、街そのものの被害が今のところ軽微に留まっている点。そして住民の避難は心配要らない点だ。
黎明が久良名で推し進めていた安全装置が機能しているのだとか。
地下に避難経路でも造っておいたのかな?
「待ってください! 黒沼くんは『呪い』の影響がまだ残ってるんです。安静にしないと何が起きるか」
お? いかにも秀才って感じの娘だ。
本気でキミヒロくんを心配してる。好きなのかな?
「みんな着替えてるってことは、元々出掛けようとしてたんでしょ? どこに行くのか知らないけど。だいじょーぶ、ハルちゃん強いから皆を守るくらい楽勝だよ。特一級程度の鬼なら100体来ても蹴散らしてあげるからさ」
「いくら三王山家のご当主様でも、そんなこと―――」
「いいや、彼なら出来ると思うよ真田さん。養父と同じ底知れなさを感じます。恐らく、今のこの街において、一、二を争う強さではないかと」
ほぉほぉ、キミヒロくんはボクの力量を測れるのか。すごい、これまで強さを隠すように立ち回って来たつもりだし、殆ど気付かれなかったのに。
確かにボクはムラマサくんと同じくらいには強いけど、実際に戦ったならどうだろう?
お互いに殺す気満々で戦ったとして、最終的には多分、ボクが勝つ。
だけど……死ぬのも多分、ボクになるかな。不公平な相討ちだ。
「ぶるる……お腹に風穴が空くの想像しちゃった。まぁそういうわけだからさ、一緒に行こうよ。じゃないと平くんが外出許可を出してくれないんだもん」
「……私は残ります。まだ本調子ではないので」
「………? 意外だな。真田は意地でも黒沼に付いて行くものかと」
「足手まといは少ない方が結果的に生存率が上がるから。私は雑務でもこなして待ってるわ」
「そうか。私は一級退魔師という立場があるから、多少無理してでも現場には出る。もっとも今は小さな支援ぐらいしか出来んがな……それよりも真田」
ボソボソ………
(あの少年?青年? らしき人物は何者なんだ。さっき三王山とか聞こえたが、まさか六家の……?)
(やっぱり知らなかったのね。あの人は……ごにょごにょ)
(………え? あれが三王山家の当主!? え、だって……)
(私も実物を見るのは初めてだから、驚く気持ちもわかる。まだ信じられないわよ、あんな可愛らしい見た目で退魔師の重鎮だなんて)
(だが噂では鬼人の如き大男だとか、数寄者だとか言われていると聞いたぞ。真逆も良いところじゃないか)
(奇人と好き者って意味だったんじゃない?)
「コラそこ、聴こえてるぞー」
意外と恐い物知らずな娘たちだ。
これでも権力者なんだけど………
「確か……真田幸子、久良名学園第一校の風紀委員長さん。夏の交流戦から学園間の連携に関する繋がりが増えたけど、梓ちゃんとの個人的対面は数えるほどで、キミヒロくんを巡って梓ちゃんとは恋敵……って、調査を頼んだ一樹くんが言ってた」
「……権力者って怖いですね」
「にはは、そんな調査のために六家である五行家を動かすとかどうかしてるって? 娘想いの父親の暴走だから大目に見てよ。一樹くんも興が乗ったみたいで、色んな事を調べまくってくれたんだ。誰のせいかな? チラッ」
「ははは、権力者に目を付けられるような事をした覚えは数えるほどしか無いのですが」
絢「あるんかい!」
幸「黒沼くんならまったく不思議に思えないのが凄いわ」
「ん〜〜? でも君は知らないなぁ。おねーさんは何処のどなた?」
「あ、いや、私は………」
途端に権力が怖くなったのか、エロい体つきのお姉さんが黙ってしまった。
着ているのは制服ではなく退魔師仕様のビジネススーツ。協会が正式に採用している衣服ってことは、正規の退魔師の人?
「先日より久良名市第一区“社”に配属されました、久我山と申します、三王山閣下」
「くがやま………」
覚えがない……いや待てよ、確か檸梨市で起きた胸糞事件で社を纏めてたのも久我山だった。
その後は支部長に就いて、息子と娘が一人ずついるって聞いたような?
「もしかして、檸梨の支部長の娘さん? ってことはキミ、まだキミヒロくんと同じくらい!? 凄い大人びてるね! じゃあさじゃあさ、キミヒロくんを追い掛けて来たの?」
「―――!? ぇ、ええと、ですね……それを言うのはちょっと」
キミヒロくんをチラチラ見ながら言い淀むって事は、ほぼ自白なんだけど。
ん〜〜っ! なんだかいじらしくてゾクゾクしちゃうな!
見た目とのギャップが激しい、素直で可愛らしい娘だ。きっとイジられ役に違いない。
「閣下、そろそろ本題に戻りましょう。外に出向いたとして、明確な目的地がございますか?」
「それが無いんだよねー。ちょっと鬼とか白面金毛とかぶっ殺しに行くだけだから」
「どう考えても学生の手には負えない化物の名前が出ましたね」
「キミヒロくんならやれるでしょ? 檸梨での活躍は聞いてるし、何だったら正式に依頼しても良い。初の特殊資格A―1、特一級退魔師の黒沼公浩くん」
「……協会を通した依頼ではないので、報酬を頂きますが? しかもケガを押してるので割高で」
「いいとも! イイねを払ってあげようじゃないか!」
「言い値です」
「…………」
公浩と春陽のやり取りをよそに、幸子は少し離れた位置で普通の学生らしく振る舞っている本多勝実へと目を遣った。
先ほどの事を思い出し、このまま放置して仕事には戻れないからと残る選択をしたのだが、改めて不安な気持ちが幸子を苛みはじめていた。
…………………
……………
………
「黒沼公浩の正体が、橘花院士緒だとしても?」
本多勝実が創り出した『大部屋』の中。そこで“真ノ悪”が放った問いは、絢里からしたら戯れ言の類だった。
そのはず、なのに………
「橘花院………姿無き襲撃者、IR。黒沼の奴がその危険人物だなんて、突拍子が無さすぎて反応に困るところだ」
退魔師の暗殺、協会施設への破壊行為、そしてまた暗殺。
橘花院士緒と言えば、この二、三年でかなりの悪名を高めた男だ。
その正体が黒沼公浩だと?
まだ少年とも言える彼と、退魔師が恐れる屈指の敵対者が、すぐには絢里の中で結びつかない。
だが何故だろうか……心の何処かで納得できてしまう点もある。黒沼公浩の異常な能力、歳に似合わない落ち着いた態度、吸い込まれそうな底知れない魅力などだ。
ふと、“真ノ悪”を見る。彼女にも、自分の微かな戸惑いは伝わっただろう。
「例えばの話、橘花院の目的が世界平和だとしたら……貴女は彼の味方になれますか? 世界を敵に回しても」
「馬鹿馬鹿しい。意味の無い問いだ」
「好きな彼のためだとしても?」
「――――っ! お前は何が言いたいんだ」
絢里が九節棍を握る手に力を込める。
言葉で惑わそうとしているのか、もしや呪術か何かで洗脳でもしようとしているのか。
絢里は恐怖を覚え、一気に警戒心が噴き上がった。
「2人とも、何の話をしているの?」
絢里はともかく、焔は小声で話していた。訝しんだ幸子が声を掛けた結果、焔は絢里から離れていく。
「何でもありませんよ、今ので久我山さんの事は理解りましたから。さて、長居は無用です。ここから脱出しましょう………と言いたかったのですが、もう少し待ってください」
「やっぱり簡単には出られない、とか?」
「いいえ、外でちょっとした問題が現れたみたいなので。いま我々が出ていっても混乱するだけです」
「……では、今しばし雑談ですね。さっきの質問、結局何だったんですか?」
黒沼公浩を好いているか
これが何を意味するのか幸子には分からない。
絢里に至っては落ち着かない様子でキョロキョロと視線を動かし、手持ち無沙汰とばかりに洋館の調度品らしき物に触れ始めていた。それを見て焔が薄く笑みを浮かべる。
「急ごしらえにしてはよく出来ているでしょう、この館は。先ほども言いましたが、この景観は私が作り変えたものです。若が育った家の、ほんの一風景ですが」
「若……橘花院の」
「橘花院の家ではありません。ここは育ての親たる五郎左様の持ち物です」
「“真ノ悪”の棟梁……山本五郎左衛門。もっと薄暗い洞窟みたいな場所に住んでいるのかと想像していました」
この家はとても人間味が感じられる。所々が歪んで距離感も掴みにくい空間だと思っていたが、これがまともな家の形を成せばレトロな雰囲気の………人が暮らす普通の家だ。
「私は黒沼公浩を好きか、と問いました。この家は彼を形作ったものの一つです。橘花院士緒は、神でも鬼でも怪物でもない……普通の人間でもあります。それを理解ってほしかったのです」
「…………」
「まだ黒沼が橘花院だと言い張るつもりか?」
絢里は否定的な言葉を投げる。公浩の正体を認めるだけの根拠も無ければ、認めたくない気持ちもあるからだ。
それは裏を返せば、認めざるをえない気持ちが存在しているということでもある。
「なるほど、そういう話だったのね。雑談にしては重い内容じゃありません?」
「どうせ雑談になるのですから問題ないでしょう」
「お前たち、何と言うか……妙に親しげだな」
「…………」
「…………」
絢里はついに、先ほどから感じていた違和感の核心に触れた。
互いへの言動、距離感が、敵対する者へのそれとは違う。警戒しているときのピリピリした空気が二人の間には無い。これではまるで――――
「久我山さん、ごめん」
「なっ――――」
反応出来ない速さではなかったが、不意を突かれた。
まさか味方の退魔師が懐に飛び込んで来て足払いを掛けてくるとは。
「ぐっ、真田!」
寝技を仕掛けられ、手足が思うように動かせない。
首に腕を回されてガッシリと締め上げられる。
「ごめんってば。私の就職が掛かってるの」
「なにい!? 就職って、おま――――」
倒され、押さえ込まれて身動きが出来ない絢里に焔が呪術を使う。
急速に意識が遠のき、瞼がぐんぐん重くなる。
「また後でね、久我山さん。忘れてるだろうけど、さっきの雑談、無意識下でも良いからよく考えておいてね」
「さ、なだ……」
……くぅ……くぅ
抵抗の意思が穏やかな寝息に変わった。
心構えがあったならともかく、不意打ちで焔から呪術を使われては抗う術などない。味方と思っていた相手から制圧されるという驚きも後押ししていた。
「後はお願いします、焔さん」
「何事も無かった……という記憶に置き換えます。それにしても、意外と平然とやってのけましたね」
「“真ノ悪”に加わる……その試験の一環だと思ってますから」
“真ノ悪”に加わる。
退魔師でありながらそれを裏切る行為だ。
真田幸子、卒業後の進路を、悪行の道と定めたり……そう自虐して時々笑ってみたりするのが最近のマイブームだった。
“真ノ悪”は目下、人材不足が著しい。居ないのではなく、他の務めに駆り出されているために手が回らないのだ。
そんなある時、稲生平が見いだしたのが幸子だった。
組織の在り方、具体的な仕事内容も説明し、本人が納得したうえでの雇用という形である。もっとも、断ったところで今のように記憶を改竄するという切り札もあるため、かなり気楽に勧誘できてしまうわけだが。
そして、幸子は勧誘を受け入れた。
手始めに雑用込みで焔の補佐という立場に就いている。
その際、幸子は事情を知るに至った。退魔師や鬼の真実、“真ノ悪”の目的、橘花院士緒の正体を。
覚悟をしていたつもりだが、数週間経った現在でも全てを呑み込めているとは言い難い状況だ。それでも幸子は目標を……公浩が振り向くほどの『良い女』であるためにと、日々邁進していた。
ちなみに、士緒はまだこの事について報告を受けていない。人事に関しては、常からいちいち報告する程ではないから……という建前で、焔からのちょっとした意地悪であり嫌味だ。
長らく仕事ばかりで放っておかれ気味になったせいである………
「試験の一環、ですか。それならもう済んでいます。貴女は黒沼公浩を殺してみせましたから」
「偽者だったからですよ。あんなの、殺すのは簡単でした」
当然と言うべきか、最初に幸子の内面を測る試みが行われた。
かなり精工な公浩のニセモノを用意し、それを捕らえたという体で幸子の前に置き、殺せと命じた。
しかし幸子は悩むこと無く、ニセモノの首を飛ばしてみせたのだ。
意地の悪い試験を提案した焔としては、驚愕と感心で何とも言えない瞬間だった。さらに焔へと刺さったのが直後の幸子のセリフ……
ホンモノはもっとカッコいいわよ。動きもしない木偶人形で騙そうなんて侮辱にも程があるっての
焔はその瞬間、幸子を大いに気に入ったのである。
「偽物と見抜くのも試験のうちです。彼の事をよく知らないと、まず見破れない仕組みで行ったのですから。これぞ愛の成せる業ですね」
「…………」
「なので、貴女は彼を裏切らない。私はそういう事には鼻が利きますから。昔から、未来を詠むのは得意だったもので」
「はぁ……にしてもですよ。あの伝説の退魔師、稲生平からリクルートを受けた時は耳を疑いましたよ。まさか悪の道への誘いだったなんて……そうだ、何故私だったのか、まだ聞いてないのですが」
「彼を好きで、彼を裏切る素質を持ち合わせず、そこそこ有能であり、与し易いから……でしょうね」
「そこそこで、与し易い。なるほど……ええ、言い返す気はありません」
「まあ、私の基準で言えば……ハーレムを許容出来るか、が最重要です。夫の愛の多さを受け入れてこそ良い女と呼べるのではないでしょうか?」
「〜〜〜っ! 久我山さんの方に集中したらどうです? 仕事が遅いですよ先輩」
「まったく……良い女を目指すなら、ちょっと揶揄われた程度で一喜一憂してはいけませんよ」
「どこで聞いたのか知りませんが、良い女という発言をイジるのは止めません? さもないと私が男子寮から盗みごほんごほん……持ち出した上物の枕の件を暴露します」
「うっ……黙ります」
ちょうど呪術による記憶改竄が終了した。
これで絢里が目を覚ました時には当たり障りのない会話をしてこの場を脱したという事になっているはずだ。
ただしその場合、1人厄介な問題が残っているが。
「あれ? 術式が乗っ取られてる。うわぁ、貴女がやったんですか。ほんと怖い組織ですね“真ノ悪”って。『大部屋』作りには自信あったのに、キズつくなぁ」
女子の中では高めの身長は変わらずだが、圧の強い目つきと反するように愛嬌を感じさせる表情は、学園で新入生組に交じっていた真面目な少女と同一人物とは思えないほど印象が変化していた。
そしてこの本多勝実を名乗る女は焔が知る中でもとびきりの危険人物。幸子に至っては勝実という女生徒は狂人と映っている。
これから何を言い出すのか、焔でさえ身構えてしまう。
幸子は近接戦闘が不得手な焔を守る位置に移動して通力を練り始めた。
「ようやくお出ましですか。侮らないでほしいですね、こんな粗末な顕術などいつでも抜け出せました」
焔が芝居がかった動きで後ろ髪を払って見せると、狂人の顔に微かな感情が窺えた。『大部屋』に自信があるというのは本心であったらしい。
「……そうですか。じゃあ、次はもっと取り返しのつかない落とし穴を用意しておきます。また不様に嵌ってくださいよ」
「そもそも、私はわざとここに捕らわれたのです。貴女の力量を測るのと、後から来るであろう人物を待つために。そんな事も分かりませんでしたか? 勘違いさせてしまったのなら申し訳ありません」
「……不思議な気分です。何でか貴女には苛立ちというか、対抗意識みたいなものが湧いてきます。これも“天道無楽”のお導きでしょうか? 私の魂にも影響を与えてるのかな?」
「“天道無楽”が魂核に作用する事も知っているのですか。となると、貴女の正体は六家の秘蔵っ子……仁科家あたりの鬼子といったところでしょう? 事情に詳しいところを見るに、多くの機密を得ていた仁科源造か、あるいは賢十郎の縁者か」
「………ふふ、あははは! すごい、当たってますよ。私は仁科源造の娘。忌まわしき血筋から産まれた突然変異……いや、血を喚び起こした先祖返りかな。知ってますか? 仁科家の初期には鬼と交わった記録があるんです。私はその鬼の因子を濃く顕在化させた、まさに鬼子として扱われてきたわけですよ。おまけに私ってば昔から頭がおかしかったみたいで、危険物として存在を隠されてきました。ま、私を幽閉するなんて誰にも出来なかったのですが」
「鬼の因子……なるほど、それで納得です。貴女や黎明のような、天才なんて括りからも逸脱した『運命力』の持ち主が、ただの人間である筈もなかった」
「私は黎明さんほど濃く鬼の因子を受け継いでませんけどね。それにあの人、若い頃に鬼の因子を活性化させるために何したと思います? 近しい親族、全員――――」
「もう結構。はぁ……私のようにまともな精神の持ち主としては、異常者と無駄話をするのはかなり堪えます。さっさと姿を現した目的を言いなさい」
「まともな精神? ふふ、私は親切だからそこはツッコまないでおきます。それで用件ですけど、酒吞翁と橘花院さんで話が着いたので迎えに来たんですよ。必要無かったみたいですけど」
「ふん、当然です」
「……ねぇ、一つ教えてくださいよ。もし酒吞翁と橘花院の契約が不成立に終わってたら、どうするつもりでした? 外に出られたとして、“真ノ悪”にとっては敵陣のど真ん中。さらには橘花院士緒の正体とか、そちらには都合の悪い秘密を持った私と、派手に一戦交えるつもりだったとか? ふふ」
「潔白でもないくせに強気なことです。貴女の身の上を考えれば、どちらの言い分に信憑性があるかは五分五分でしょうね。もっとも、私としてはどちらでも構わないのですが」
「………ふふふ、強がりじゃなさそう。ほんとに大した問題じゃないんですね。もうこの際ですから教えてくださいよぉ、“真ノ悪”の目的ってやつを。あなた達は橘花院士緒を黒沼公浩にするという面倒で意味があるのかすら分からない手段を取りました。いったい何がしたいんですか? それが気になって私、夜も眠れなくて」
(昼間に保健室で寝てたような……いや、真に受けるのは止めとこう)
幸子は焔の傍で気配を消しつつ、勝実を注意深く観察する。
いまだ退魔師や鬼の事情の全てを知っているとは言い難い幸子には、焔も勝実も不気味で得体の知れない存在だ。
幸子はいち退魔師として、ただのモブキャラやエキストラになりたくなかった。だから“真ノ悪”へと身を投じたのだ。
いつか自分も、公浩と同じ舞台に上がるために。
故に今のような蚊帳の外に置かれた状況は非常に居心地が悪い。
「真田先輩は何かご存知ですか? クスクス」
「ご存知じゃないわ。ほんと性格の悪い後輩だこと」
「……これも良い機会でしょうか。では真田さんにもこの場で聞いてもらいましょう。我々の求める、一つの結末というものを」
「え………?」
この場で聞けるというのか?
そんな重大な話を、まだ仲間として日が浅い自分が?
確かに知りたかった事ではあるが、いざその時となってみたら身が竦む思いである。そんな幸子とは反対に、勝実は全く動じていないのが悔しいところだ。
「ふふふ、秘密結社の壮大な計画の一端だなんてワクワクじゃないですか。呪われた一族、橘花院が目指すものでもありますし。あぁ、黒沼先輩……いつか私のモノにしますから!」
勝手に脱線し、妄想を捗らせている勝実を無視して焔が言葉を紡ぐ。
その第一声からして、信じ難いものだった。
「まず、このまま行けば世界が終わります。恐らく数年以内に」
長い説明はない。要点だけに留めた焔の説明だったが、幸子はそれでも消化しきれずに半ば意識が遠のくほどの衝撃を受ける。
異形の精神を持つ勝実でさえ、仁科黎明と白面金毛の行おうとしている事を聞いて表情を失っていた。
よもやこんなスケールの陰謀に関わる事になろうとは……幸子は心の中で涙目になりながら、好意を持った少年の憎たらしい笑顔に救いを求めるしか出来なかった。




