第130話 剣と 終わりと 潜む闇
九良名市から東に十数キロの沖。細い木がポツポツと生えている程度の寒々しい無人島。
冷たい風を遮るものが無い場所で、仁科黎明、三王山亜笠、四宮鶫の3名は水平線へと目を向けていた。
「西はあっちか、四宮」
「はい、学園長」
動的ストレッチで身体を解す鶫と亜笠。
九良名があるだろう方角へと、二人は今まさに飛び出そうとしている。
そんな前のめりになった二人の肩を、黎明がガシッと掴んだ。
「イノシシかお前ら!? 頼むから落ち着けよ!」
「何ですか邪魔しないでください!」
「引っ込んでろシジイ!!」
「お前ら俺への当たり強いよね!?」
二人が焦るのは理解できる。
結界を応用した転移……場所ずらしの性質上、転移可能なのは九良名の近海と分かるにしても、街で何らかの異常が起きている可能性を思えば気が気ではない。
だが、と黎明は暴走せんとする2名を慌てて制止した。
「結界ごと位置を移動させられたんだ。当然この島はソイツのテリトリーってことになる。見てみろ」
黎明が手近な石を拾い、海へ向けて無造作に投げる。
石は高速で飛んで行き、そしてある程度の沖で急激に失速。数秒その場で滞空した後、ポチャンと力無く落ちた。
この現象は石が滞空したのではなく、そこに留まったように見えただけ……見た目以上の距離を飛び続けたことを示していた。
「空間が歪められてる。結界の高等技、『異界化』というやつだな」
「ちっ、これだから結界ってやつはいけ好かないんだよ。他にどんな仕掛けがあるかも分かんねーし、迂闊に触れもしねーじゃねーか」
「俺としても専門外だから断定は出来ないが、単純に距離を誤魔化すだけのモノじゃなさそうだ」
石が結界に触れる直前、結界自体が自律して形状を変えた。必要最小限だけ、細く長く空間が間延びしたのだ。
内部の動きに反応、対応するフレキシブルな結界。恐ろしいほどに手が込んでいる。
この分では迂闊に突破しようとして何も起きない筈がない。
「こんな芸当が出来るとしたら玉藻の前、あるいは橘花院だが……」
橘花院は先ほど四宮鶫と派手に私闘を繰り広げている。状況的にはかなり怪しい。
しかし、そうだとするなら脱出は限りなく難しくなるだろう。アレは結界の使い手としては玉藻の前を越える、史上類を見ない怪物だ。黎明をもってしても短時間での突破は望めない。
もしくは、これが玉藻の前による謀なら……
「あの女が仕掛けて来たなら、間違いなく殺りに来てるはずだ。あるいはこの島ごと消滅させる仕掛けがあっても不思議じゃないぞ」
どちらの仕業であっても、ろくでもない事が起きるのは間違いない。
力ずくで結界を破壊するのは最後の手段にしておきたかった。鶫と亜笠が今まさにやろうとしていることは、やることをやってからだろう。
「当然のように電話は通じないが、幸いにして外に連絡はできる」
黎明が取り出したのは緊急時のホットライン、メリザンドに持たされていた骨伝導スピーカーホン型神託。通称『もう骨伝導スピーカーホンでよくね? Type-E』である。
「これぞゴールドスミス渾身の逸品! エマージェンシー仕様だから結界による遮断も何のその! ………だと思う、多分」
「おい、何で最後に自信なくした?」
「……使ったことなくて」
「まぁ、あんたの非常時なんて想像できないけど」
それだけに、使わざるを得ない現状が難儀だということだ。
仮に黎明一人であれば無茶にも及んだが、亜笠と鶫がいる状況では危ない橋を渡るのは避けたい。多少遠回りでも、慎重を期すべきだろう。
黎明は小型の神託を耳に挿し込み、起動のための言葉を口にする。
『世界一カワイイ魔法使い様へ』
「「…………」」
「なんだよその目は!? 仕方ねーだろ!」
これで何も起こらなければイヤホンを大気圏外まで投げ捨てたところだが、幸いにして通信は成功した。黎明は50のダメージを受けた。
『ハイハーイ、こちら世界一カワイイ魔法使いデース。Ah-ha、レイ~。ついに言っちゃいましたネー。そんなにメリザンドちゃんが恋しかったデスカー?』
緊急時が無かった……のもそうだが、こうなると分かっていたから使いたくなかったのだ。
もはや死んでも使うまい………
「……結界に閉じ込められた。用意してあった結界破りを送れるか?」
『OH アレナ。イヤホンを目印に送れるのは一回きりだケド、アレで良いノー?』
「ああ、安全に解除できる物が良い」
『オーケー! すぐに送りマース。あ、それとレイ』
「ん? なんだ」
『倉庫のマスターキー、今のうちに渡しときマース。これでいつでも欲しい物を持ってけば良いサー』
「そりゃ有り難いが……急にどうした? なぜ今なんだ」
『いやー、檸梨では死にかけましたからネー。暫く工房に引き込もる事にしましター。もう前線は懲り懲りデース』
「そうか……確かに無理させたよな。妹のこともあるのに」
『まったくデース! 今もちょうど病院にいマース』
「容態は変わらず、か」
『事故からずーっと意識不明デース。まぁ仮に、前線でワタシが死んでもレイがこの子の面倒見てくれるなら、も少し頑張っても良いですケドー?』
「面倒なら看てやるよ。約束だ」
『ふふ……それならちょっとくらい危ない事、やってやっても良いカモナー。さてさて、品物の準備ができたから、今からそっちのオラクルに向けて配達シマース。耳から外して離れててクダサーイ』
黎明はイヤホンを地面に置き、鶫と亜笠を数歩下がらせる。自らも直撃を受けない程度に距離を取った。
『レイー』
指先ほどのイヤホンから、最後の声が届く。
黎明はその声の様子に、言い知れぬ不安を覚えた。
『あんまし、ムチャすんなヨー?』
直後、上空で何かがぶつかったような、電気柵に弾かれたような音と衝撃があり、鶫と亜笠はそちらを見上げる。
飛来した物体は一瞬の時間差の後、結界をすり抜けてイヤホンへと直撃した。
ドォンッッ!!
衝撃で土を巻き上げながら突き刺さったのは、ファンタジーで見掛けるデザインの両手剣。柄にはチャリンと鳴る鈴が付いており、薄らと青色かかった刃の部分も、物語に聞く幻の金属を思わせるものだ。
それに一泊遅れて、幾何学的な模様の描かれた白い手袋がヒラヒラと落ちた。
オラクルを保管している倉庫のマスターキー。メリザンドの成果が詰まった全財産であり、ある意味で世界一価値のある宝物庫だ。
「わぁ、綺麗な剣ですね」
「こいつは……殿町宗玄の傑作に並ぶんじゃねーか?」
やはりと言うべきか真っ先に目が行くのは、見ただけで凄みを感じさせる名剣。三大魔法使いと名高い“賢しき金細工師”の作とあらば、国内最高峰の術装製作者に匹敵するのも当然ではある。
しかしメリザンド曰く、性能面では一点を除いて平凡な剣でしかないと言う。
それもその筈。これは、特定の戦闘スタイルに対して特化した武器なのだから。
「対結界武装。俺がメリザンドに言って造らせたメタ装備だ。まさかここで使うとはな……」
本来は誰に対して使うつもりだったのかは聞くまでもないだろう。
ちゃっかり対抗手段を用意している辺り、何とも抜け目がない。
鶫は「ふーん」という顔を黎明の背中に向けていた。
「でもそのオリハルコンソードを使ったら、結局は力ずくって事になるのでは?」
「オリハルコンて……まぁ多少穏やかなだけの力技だな。コイツが入ってきたとこを見たろ? 範囲を最小限に絞って斬れるから、結界全体を壊さずに作業できる」
「ん? なんだ作業って」
「剣が侵入する瞬間、結界の層が複数見えた。多分、内側の結界を壊したりすり抜けたりすれば、外側の罠が起動する仕組みだったんだろう。剣が入れたのを見るに、中から出ようとした時に作動するのかもしれない」
「……まさかその剣で、結界を一枚一枚剥いで行くとか言わねーよな?」
「なわけねーだろ。外側の結界が作動しない線を見極めながら、丁寧に削っていくんだよ」
「「…………」」
「待て待て、海に向かおうとすんな。ほんと短気な奴らだな」
「離せジジイ触るな!」
「私たちならちょっとくらい危険でも乗り切れると思います」
亜笠を羽交い締めにしていなければ頭を抱えているところだ。
正直、怪我で済むなら黎明もとやかく言わない。だが今回に限っては、厭な予感があった。
「四宮、お前は直感を信じるタイプか?」
意外にも亜笠は勘に頼るタイプではない。直情的で普段の言動がそれを思わせないが、どちらかと言うと理屈を好む。
常に考えを巡らせ、理屈に合う説得をすれば渋い顔で納得して見せる気性である。
だからこの場合、現状に潜む気持ち悪さを亜笠は共感できないだろう。故に鶫に尋ねた。
「……直感は信じます。ですが現実的に、時間が掛かりすぎるのも相手の思う壺では?」
「んー……作業スピードを上げる手が、無いことも無い」
「………?」
考える素振りをした後、黎明の視線が鶫を捉えて動かない。
それはどこか、大きな期待を含んでいる目だ。
「四宮、今この場で強くなってくれ」
あまりにも無茶な要求は、しかし鶫にはしっくり来るものであった。
★
とある病院の一室。
医療機器に囲まれたベッドで穏やかに眠り続けている少女がいた。
そして部屋にはもう一人、黎明との通信を終えた直後のメリザンドが微笑みを湛えて座っている。
何年も目覚めない少女の名はアニー。メリザンドの妹だ。
かつて枢機卿によって人質に取られたため、今では病院全体に独自のセキュリティを張り巡らしており、不審者が近づける余地は無い。医療も警備体制も仁科黎明の計らいであり、“大聖堂”所属のメリザンドが黎明個人に力を貸す最たる理由だ。
「……終わり、デスカー」
ツナギ姿で椅子に腰掛け、金の三つ編みをだらんと垂らして天井を見上げる。
寂しそうでもあり、安堵しているようでもあった。
どれだけ話しかけても妹は眠ったまま。仕事で“神託”を作るのは楽しいが、どこか虚しい日々。
ある意味で充実した人生ではあったが、妹の事や世界的な情勢など、ここから先の見通しはネガティブな想像ばかりが浮かぶ。
黎明に依頼された“命の樹”も文句なしの出来であったし、今がメリザンドという女にとって潮時なのだろう。
黎明との通信が済むのを見計らい、病室の影に佇む人物がメリザンドの背後へと進み出た。
「気持ちの整理は付いたでござるか?」
短刀を手に、異様な殺気を携えた忍者装束の女、加藤ミサゴ。
これから起こる事は避けられないのだと、いつになくピリピリした雰囲気が物語っていた。
「こんな事は拙者も望んでおらぬが……許されよ」
「イイヨー別に。レイのとこでやるべき事は済ませたし……欲を言えば恋人でも作って、結婚でもして、おばあさんになるまで生きたかったカナー」
「身勝手に人生を終わらせることは承知。されど」
ミサゴが短刀を握る手に力を込め、メリザンドの眼前に差し出す。その圧から逃れるように立ち上がり、メリザンドはゆっくりと壁際まで追い詰められた。
「御命、頂戴つかまつる」
「アハハ………ムネン」
困った笑顔で三つ編みを解いたメリザンドへと、短刀が深々と刺し込まれた。
★
そこは九良名市、市営の舞台ホール。
オペラ、演劇、オーケストラなどのイメージにピタリとはまるクラシカルを演出した建物で、その拘り様は建築家の鬼気すら感じられる。
現在は一時的に閉鎖され、建物内は無人のはずであった。
しかし舞台上には、日本人形に無理矢理ドレスを着せたような少女が一人。
まるでバレーの発表会のような一礼をしたかと思えば、本当にバレーを披露し始めた。
無人で音楽も無い状態では惜しいほどの演技だ。
それを自信に満ち溢れた美しさと呼ぶか、自身に酔いしれた鬱陶しさと捉えるかは人によるのだろう。
「…………」
観客席に現れた若い女はどちらでもなく、ただ恐ろしいと思った。
国を滅ぼす巨大な怪物が少女の姿を形作っている現実に、冷たい汗が伝う。
自らの監視と連絡役として現れたその女を、“白面金毛”は目に留めた。
「ふふふ、あははは! 別に取って食べたりしないわ。そんな泣きそうな顔しなくたって」
「……銀箭羽々矢との約束が守られるまで、貴女のことは信用できません。もし、約束を違えるようなら――――」
次の瞬間、意識の外からフワッと舞い降りるように、“白面金毛”が女の眼前に美しい顔を突き合わせる。女はまったく反応できず、驚きと恐怖に顔を歪ませる暇すら無かった。
「約束を守らなければ、何? 殺すの? それとも封じちゃうの? キャハハハ!! カワイイっ、カワイイカワイイ!! 儚くて哀れでみっともない陰陽師もどきたちったらもう!!」
「ッッ――――」
「大丈夫よ、羽々矢くんと交わした約束の半分は果たしたから。暫くは黎明でも出られない場所に押し込んでやったわ。これで計画はカンペキね………くす」
「―――――」
「あら、息できないの? ほら空気を吸って。苦しいでしょ? そうだわ、楽にしてあげましょうか!」
優しく包むように、“白面金毛”の手が女の頬に触れる。
息を呑む美貌が、呪術師の命にそっと手を掛けた。
「お止めください、九尾様!」
ホールに駆け込んで来た男が慌てて間に入る。
着ていたコートを女に羽織らせ、くずおれる身体をしっかりと支えていた。
「あらヒカルくん。かくれんぼはもういいの? せっかくヘタな見張りを楽しんでたのに」
「お許しを。これも職業病ですので」
祓魔師、幸円 光。
種咲市での五行家と“日計の毒”の争いに際し、教会の戦力として参戦した男。
元は退魔師であり、祓魔師へと転向してからも実力は聖堂騎士に劣らない。
クルーオルという極悪と手を結ばなければ、いずれ祓魔師を背負って立ったであろう人物である。
「ですが九尾様。貴女には他愛のない遊びでも、大抵の人間には致死毒なのです。銀箭羽々矢、そしてクルーオルと組むのであれば、どうか弁えていただきたい」
「うふふふ、怒られちゃった。ごめんね、なんだかお祭りみたいで、はしゃいじゃったの」
「お祭り………ですか?」
「そうなの! なんとビックリ、今回の件に“真ノ悪”が絡んできたのよ! 噛みついてきた、が正しいかしら?」
「想定内です。仁科黎明が不在の今は、連中にも好機の筈ですから」
互いに目的は承知している。
土地に根付いた封印を解くこと。尊き荒魂の解放だ。
どのように関わるにせよ、目的が一致している点は疑いようがない。“真ノ悪”が決定的な邪魔をしてくるとは考えていなかった。
「ふふ、ふふふふ。いけないわ、いけないのよ? そんな甘ぁい考え方してたら、失敗しちゃうんだから」
「……どういう事でしょう?」
「“真ノ悪”はね? あなたたちが思うより、ずぅーっと頭がおかしいの。利害なんて物差しは捨てたほうがいいと思うなー」
「……噛みついてきた、と仰いましたか?」
「そうよ。いま彼らは、この上なく敵なの! キャハハハ!!」
「話が違うのでは? 貴女が言ったのです。協会と休戦状態とはいえ、“真ノ悪”が我々の邪魔をする事はないと」
「取り合いになることはないって言ったのよ。アナタたち、なんか気に触ることでも……あーわかった! 学園に手を出したんでしょ。なんで橘花院が居るときに仕掛けちゃうかなー? 最後にしときなって言ったのにぃ。クスス」
「…………」
幸円は色々と苦言を呈したい気持ちを抑え、力の抜けている女を抱きかかえて立ち上がる。
“白面金毛”が橘花院の情報を意図的に隠していたのは明らかだ。理由など、考えるだけで頭が痛くなるものに違いない。
と、幸円が抱き上げた女の顔が徐々に変化していく。呪術とオラクルの併用で姿を変えていた女の素顔は異国のもの。
童顔で艶やかな肢体の女は幸円光の妻だ。祓魔師であり呪術師の系譜でもある希有な背景を持った女。
変装は幸円の言葉を借りるなら、職業病から来る用心である。
もっとも、相手が強大過ぎては小細工の用も為さなかったが………
「クルーオルがもうじき到着します。そうなったら、事態がどう動くか予想できません」
「そっかーそっかー! いろんな恨みを買ってるんだもんね? 正体バレたら袋叩き待ったなし! もー、ヘイト稼ぎすぎなんだからー」
「私は貴女に張り付くよう指示されていますが、もはや意味も無さそうです。クルーオルと合流して不測の事態に備えることにします」
そのまま踵を返して本当に立ち去ろうとする幸円に、“白面金毛”は意地悪な笑みで言葉を投げる。
「いいのー? わたしから目を離したりして。ぜーんぶ台無しにしちゃうかもよ?」
幸円はそこで負けじと、意趣返しと言わんばかりの不敵な微笑みを浮かべた。
「今日よりこの街では、何が起こるか分からない。それは貴女も例外ではないと思いますがね」
「………はぁ?」
「それに台無しにするとしても、順番というものがあるでしょう。我々は最後になさるほうが身のためです」
ガシャンッッッ――――!!
幸円が立つ真横の席が派手に飛び散った。
そこには、癇癪から投げつけられた靴がめり込んでいる。
「弱いくせに、脆いくせに。アレをクルーオルが握ってなければ、呪術師もろとも踏みつぶしてるところなのよ?」
「……では、これにて失礼致します」
幸円は震えそうな脚を押えつけながら、妻と共にその場を後にした。
破壊の衝撃が余韻となってホールに漂う中、やってらんないという態度で“白面金毛”は舞台に寝そべる。そしてアンニュイな溜め息を一つ溢した。
「どいつもこいつも、過去のことばーっかり。ナヨナヨの幸円たちですら復讐を考えてるし。わたしたちは過去なんかに拘わらないわよね? ねぇそうでしょう? 五郎左衛門」
囁くような声は、誰も居なくなったホールの闇に溶けて消えていく。
しかし闇は、狂った少女の独り言を確かに受け取っていた。
『かわいそうな タマちゃん
みんなの きらわれものの タマちゃん
わたしが ねがいを かなえてあげるね』




