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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
129/148

第129話 嵐、来たる



114話にて届いたメッセージは、以下の意味がありました


 ワサビ=緊急


 風呂=謝罪、会いたい


 日本=情報共有、少数、静かに


 流行り=荒事あり


 嘘=恋愛


 

 自らの最も古い記憶は燃えるように赤い雪原だった。

 夕焼けの中に純白のドレス姿で佇む自分が、ぼーっと星を眺めている記憶。


 手足は動く。呼吸も出来る。遠くが見える。苦痛は無い。

 ただ、自分が何者なのかが分からない。ここが何処なのかも。


 自分が空っぽの器でしかないと気づくまで、どれほどそこで佇んでいただろう。

 自分に思考力が備わっていると気づくまで、どれほどの時間を要しただろう。

 オレンジ色の世界が夜に溶け、青色を宿す雪原へと変わるまでだろうか。その移り替わりを、二度三度と経験した頃だろうか。


 あるいは過ぎ行くだけだった世界に、夕焼けのような少女が現れた時だろうか。



「ねえねえ。あなたずっとそこに居るけど、楽しいの?」



 少女の姿を認めようと首を動かしてみる。

 視界に入ったのは笑顔で覗き込んでくる幼い子供、そしてオレンジの軌跡を引く赤毛。

 蛍にも似た薄い光を発する髪の毛が、手を伸ばせば届く距離にあった。何も考えず立っていただけの存在が、何を思ったのか無意識にその光を掴もうとしていた。

 少女はヒョイっと軽やかに跳んで距離を開ける。


「おっと。こらこら、レディの髪を無造作に掴んじゃダメよ」


「…………」


 赤毛が発していた薄光が徐々に収まり、人懐っこそうに笑う少女が上目遣いに叱る。

 手を伸ばす……それは突然に芽生えた自我による最初の行動であった。赤ん坊が反射的に目の前の物を掴むのと同じ。

 事実、現在の状態は生まれたて同然。少女もそれが分かっていて、奥を探るように覗き込んだ。


「やっぱり中身が無いのね。悪魔は本能だけの生物として生まれるか、人間だった頃の知識や記憶を持って生まれるかなんだけど、あなたは……どちらでもないみたい」


「…………」


「そうよね、何も持ってないって不安よね。大丈夫よ、私が与えてあげる。あなたみたいな子が迷わなくても済む世界を作るのが、私の夢なんだから」


「………ぁ」


「うん? なぁに? 言ってみて」


「ぁ………ぎ………」


「何か思い出した?」


「ぎ………ね………」


「うーん、これは難儀しそうね………とりあえず名前を付けてあげるわ。少しずつ自我を育てましょう」


「………? ………??」


「あら、偉いわね。もう感情を出せるようになったわ。困惑が顔に描いてある」


「ぎ……ぃ……ね………」


「ごめんなさい。あなたが何を伝えたいのか、まだ分からないの。でも焦らなくて良いわ。これからゆっくり、アナタはアナタに成って(・・・)いくのだから。昔の事はそのあとで、ね」


「………」


「じゃあねえ、今から貴女の名前は――――」



           ★



 メイド喫茶『りゅうのあにゃ』、阿刀田(あとうだ)支店。

 深夜、店のオーナーである虎子が突然にギーネから呼び出しを受け、場所を貸してくれとスタッフルームを開けさせられた。

 テーブルを挟んで顔を突き合わせているのは4人。まず、この不思議な集会の発起人であるギーネ、眠そうに目元をくしゅくしゅしている虎子。

 そして此度の主賓、一見すると赤毛の幼女……“吸血貴族(ノーブル・ド・ドラキュリオ)”の盟主として名高いカーミラ夫人。と、別居中のその旦那 in 着ぐるみ。


 金髪ツインテ幼女と赤毛幼女、眠気で不機嫌なメイド喫茶オーナー、熊とリスの特徴を備えたテーマパークのキャラクター……控えめに言って、途轍もなくシュールな集まりであった。


「以上が、現在の『クルーオル・グラシャ=ラボラス』の動向だ。ただ、素性を探ってもらってた五行家も立て込んでるらしくてな。この男の全貌に関してはもう少し待ってくれ」


「依頼してから殆ど経ってないのに、これだけ掴めたなら十分だよ。ありがと、タツヤ。後でご褒美あげるね」


 カーミラが舌をチロッと出して指先を舐める仕草は、着ぐるみの中の人……東雲達也をガツンと殴りつけた。


(チクショーッ、我慢するこっちの身にもなれよ!)


 本気で誘っているのか、揶揄っているだけか。恐らくは両方だろうと達也は推測し、全力で顔を背ける。

 幼い外見に見合わぬ桁外れの妖艶さは、直視するだけでも目の毒だった。


「毒婦にゃ」


「…………」


 虎子は呆れ顔で二人を眺め、ギーネは自分にも真似できるかと指先を凝視している。

 達也は空気を変えようとギーネについて話題を振った。


「それで、ゲオルギーネ。あんたこれからどうするんだ? 橘花院とかいうのに熱を上げてるとか言ってたけど、スカーレットと組んだところで“真ノ悪”には太刀打ち出来ないぞ」


「そうね。暗号(・・)まで使って呼び出すから余程の事だと思ったけど、山本五郎左衛門に手を出すなんて思い切りすぎ。あら失礼、こんど(・・・)手を付けるのは若頭だったわね、ジュリエットさん」


「嫌味ばかりをネチネチと……いつぞやの事をまだ根に持っておるのか? しつこい女じゃのぉ」


「あれはギーネが悪いのよ? タツヤを出汁に私を挑発するから」


 ゾワッと毛が逆立つ感覚に虎子の眠気が吹き飛んだ。

 達也の隣に移動し、小声で尋ねる。


「何の話にゃ?」


「……見てれば分かる」


 片や笑顔で怒りを燃やし、片や眉を寄せて面倒くさそうに。

 いつも冷静で達観しているカーミラには珍しい姿だ。初対面の虎子でさえ、“遠き赤(スカーレット・ヴァーミリオン)”が感情的になる光景を意外に感じていた。


「もとはと言えば姉上であろう。『あなたに恋愛なんて、きっと五百年は縁がないわね。ウフフのフ』とか言って我をバカにするから悪いのじゃ!」


「あなたこそ『だったら我も姉婿殿に手ほどきしてもらおうかのぉ……』なんて、冗談でも言って良い事と悪い事ってのがあるわ」


「ふん、いま思えば愚かであった。姉上から逃げた腰抜けのロリコンにちょっかいを掛けんで本当に良かったわ」


「私から逃げたのはギーネも同じでしょ? それと、タツヤは腰抜けでロリコンだけど女の子の扱いだけは手慣れてるんだから」


タ「……フォローになってない上に人聞きが悪い」

虎「それよりこの二人、姉上とか呼ぶような仲なのにゃ?」

タ「俺の知る限り、言い争いでゲオルギーネのテンションが上がったりした時はな」

虎「ケンカするほど、とはよく言ったものにゃね」


 姉妹喧嘩を肴に一杯やり始めた虎子たち。

 達也としては小さい系の女の子二人が悪口を言い合う光景は眼福そのものである。ましてや嫁の貴重な姿に加え、古い知人の幼バージョンなど金を払ってでも見たいくらいだ。


(にしてもゲオルギーネの奴、ほんとに小さくなってんだなぁ。なんていうか、元の姿も美人だったけど、今の状態も悪くな――――ひぃ!?)


 達也との関係において大らかなカーミラも、妹分に色目を使う気配を察知して睨みを効かせる。

 何かを言ったりはしないが、それだけに本気で止めさせようというのが伝わってきた。


「す、すまん。つい目が行って………ってなんで謝ってんの俺」


「……タツヤは私だけ見てればいいのよ。わかった?」


「ぁ、はい……」


 恋バナ大好き虎子ちゃんの酒が進む。

 なるほど、冗談でも旦那に手を出すと言ったギーネを許さないはずだ。カーミラ自身もしっかり旦那の虜だと教えてやるべきだろうか?


「姉上にも可愛らしいところがあるんじゃなー。しっかり虜ではないか」←空気読まない系


「つい最近まで恋愛のレの字も知らなかったお子ちゃまのくせに、生意気じゃない?」


「事実じゃろ。あの時だって、旦那には手を出さないでと素直に言っておれば我とて手を引いたわ。城が吹っ飛ぶまでやり合うことも無かったろうに」


「だ、だって! あなたって時々お調子者だし、腰抜けでロリコンで変態のタツヤが好きなんて正直に言おうものなら、私へのイタズラ気分で誘惑しかねないもの! そうなったら困るのよ!」


ギ「………ん?」

虎「………んにゃ?」

タ「変態って………」


 気付けばカーミラは身を乗り出して、溜めていた本心を投げつけていた。


「あなたすっごく綺麗なのよ!? もしギーネのせいでタツヤがロリコンじゃなくなっちゃったら、私なんか相手にされなくなるじゃない!」



 ・  ・  ・  ・  ・  ・



 すとん、と静かに腰を下ろして、ふぅと一息。何事も無かったかのような顔で虎子の飲みかけの酒を引ったくり、一気に呷る。

 本音を吐き出したカーミラ夫人は常の落ち着きを取り戻していた。


「たまには莫迦な事を言ってみるのも良いわね。スッキリした」


「う、うむ、そうじゃの………それで姉上、恋愛相談なのじゃが」


「あ、うんうん、男の扱いなら何でも聞いて」


(変な空気になった……)

(お酒うみゃー)


 ギーネが引く程の必死さに、誰も何も言及できなくなった。


 直後、達也には居心地の悪い空間と化した。何故と言われれば、話し始めた内容が酷い。

 男の扱いと言うが、聞いてる限りアドバイスの殆どは東雲達也との実体験(アレコレ)から提供されている。当然と言うべきか居心地は良くない。

 流石に、自身の性癖を洗いざらいブチ撒けられる場に居るなど地獄だ。避難とばかりに達也は退室した。


 ふらふらと外に出ると、喫煙スペースが目に入った。

 設置されたベンチに座り、一息つこうと被り物を外す。


「ふぅーー」


 そこは町の端に位置する閑散とした場所で、国道に面するも車通りは少ない。道沿いにはメイド喫茶以外に居並ぶ店もなく、広々とした風景にポツンと異色の趣を湛えている。

 時間は深夜で、辺りは非常に静か。田舎以上、都会未満の町ならではの風情だ。


 だが落ち着いたのも束の間、気付いた時にはカーミラ夫人の近侍であるアリシアという恐いブロンド女に、恐い顔で背後に張り付かれてしまっていた。


 地獄から逃げて来たはずなのに別の地獄が追いかけてくるとは、あんまりである。


「カーミラ様に不埒なマネは――――」


「シテマセン、ハイ」


「ちっ、ヘタレが。カーミラ様の御心も知らず……」


 どっちと答えても罵倒されたんだろうなぁ。

 泣きそうな顔を見られる前に被り物を装着する。すると、今度は両サイドから更なるプレッシャーに挟まれた。


「姫様に指一本でも触れていませんね? このロリコン」


「ほっほっ、うちの御姫ぃ様を視界に収めなかったでしょうな? ロリコン殿」


 ゲオルギーネの執事、ベネディクト。咒水(しゅすい)虎子の老臣、“鬼王・刃桜”。

 ベネディクトとは顔見知りで、一緒に仕事をしたこともある仲だ。だが刃桜とは初対面であり、最初に見た瞬間「鬼王? 嘘だろ」と思わず溢すほどに驚いた。

 密談にあたり、付き添いの面子は外の見張りを任されている。主と離されて機嫌が悪いのは、見ての通り。

 あと、刃桜さん理不尽すぎ。


「一応、決まったことを伝えとく。ゲオルギーネは久良名に出向くそうだ」


「ですが、姫様はこの町を離れられませんよ。仁科黎明との、今回限りの契約ですから」


「だろうな。だが分かってるだろベネディクト。“真ノ悪”が本腰を入れるのも時間の問題だ。そうなれば……」


「……確かに、連中が本気で封印の破壊を狙ったなら、我々で防ぎきることは不可能でしょう」


 呻くように言うベネディクトの悲痛さはよく分かる。

 “真ノ悪”とはそれ程にどうしようもない存在なのだ。人間が素手で竜巻を止められないのと同じ。

 それだけの圧倒的な力を有しながら、しかし目的がはっきりしないのも“真ノ悪”の不気味なところ。

 時に人を助け、鬼を助け、人を殺し、鬼を滅する。何でも叶えられる者たちが何も成さない様は、大型の爆弾を背負うのに似た恐怖があった。


「ゲオルギーネたちが守っているのは確か、“神野悪五郎”なる者を封じた機構の一部でしたね?」


「その通りだ、アリシア。正確には久良名にある封印を安定させる楔だとかなんとか」


「姫様が守護されているこの場所以外にも、国内で複数設置されているとか。随分と大掛かりな仕掛けです。たかだか封印一つに大袈裟すぎるほどに……」


 久良名、嵐の中心となりつつある街。

 仁科黎明も厄介の種をそこら中にばら撒いたものだ。

 そもそも何故、封印なんていう回りくどい手段を多用しているのか。いずれ、それを狙う輩が現れると知りながら何故?

 それに、“真ノ悪”が今更になって久良名の封印に手を出した理由も判明していない。


 仁科黎明は、重大な何かを隠している


 この場の誰もが、その見解を同じくしていた……杖を突いた細身の老紳士を除いて。

 アリシアは刃桜の態度に不穏なものを感じた。


「鬼王・刃桜。先ほどから静かですが、考え事ですか?」


「ほっほっ、なにも考えてはおりませんよ。ただ、“真ノ悪”に関して儂から言える事は無い、とだけ」


「刃桜、それは――――」



 こほん、にゃ



 追求する勢いのアリシアを制したのは、猫耳と尻尾のメイド。

 虎子に視線が集まる中、刃桜は音も無く虎子の傍に控えた。


「爺(じぃ)、トラたちは先に退出するにゃ」


「では車を用意いたします」


「頼むにゃ。あー、ベネディクト。ギーネには伝えといたけどにゃ、お前にも黒沼から伝言にゃよ」


「……なんでしょう」


「約束が守られているようで嬉しい、だそうにゃ」


 黒沼公浩が橘花院士緒である事実をギーネの一党は知っている。黒沼と繋がっている虎子も、“真ノ悪”の仲間であるという結論はすぐに出た。

 そしてそれを口外しないと、仕える主が決めたのだ。当然、ベネディクトもその意思には従う。

 訝しむ視線を送るアリシアと達也に若干の負い目を感じつつも、有能な執事はポーカーフェイスを貫いた。


「ギーネと“遠き赤”は込み入った話に入るそうにゃ。三人とも呼んでるにゃよ」


「作戦会議か……“龍首”は参加しないのか? ここまでゲオルギーネと親しければ、当然協力するんだろ?」


 達也は、虎子の立場が複雑なことを知らない。

 純粋に、味方として動いてくれるだろうとの問いかけであった。


「もちろんにゃ! ギーネが幸せになれるよう、出来るだけ協力するのにゃ」


 嘘はない。

 虎子がギーネを害することは無いだろう。

 ただしそれは、橘花院士緒を手に入れる結果を目指しているのではない。虎子はあくまでも、“真ノ悪”の側なのだ。


「でも今日のところは、都合で退散するにゃ。何事もフェアに行きたいからにゃ」


 意味深に立ち去る虎子と刃桜の背中を、アリシアは疑いの目で見送った。



           ★



 同時刻、久良名市、久良名学園。

 生徒会室にて、橘花院士緒から多くの真実を語って聞かされた面々は、一様に表情を沈ませていた。


 鬼が生まれる仕組み、協会の裏の顔、仁科黎明、“白面金毛”。

 本来、一学生が知ることのない情報の数々、数時間に渡って詰め込まれた事実は重荷に過ぎる。

 同時に、聞いてしまったからには目を逸らせない話だ。数時間も黙って耳を傾けていれば、その覚悟も窺い知れるというものであった。


「では整理するぞ。鬼は人間の馴れの果て。“裏返り”は魂の器が損傷して起きる。“白面金毛”はそれを意図的に起こそうとしている……ということだな?」


「That’s right. 優秀な生徒ですね、工藤君は」


 工藤、磯野、海北、風音、それから“口伝千里”にて部屋を覗いている梓。全員、茶化すような物言いに反発する気力も残っていない。

 それほどに神経を擦り減らす内容だったのだ。最後まで逃げずに聞いただけでも称賛に値するだろう。


「君の研究テーマは『鬼の発生メカニズムと発生予測の可能性』だったね。研究が進んだ……いや、飛躍した感想は?」


「……ああ、全部無駄にしてくれて、どうも」


「いえいえ、どういたしまして」


 殺意を抱く気力も無いかと思いきや、顔面を5、6発殴りたい程度の怒りは湧いた。

 士緒はどこまでも人を食ったような態度でコーヒーを口に運んでいる。さっきまで荒れていた風音が斬りかかっていないのが不思議なくらいだ。


「なぁ、あんたさ」


 いつになく真剣なトーンで声を発した磯野へと視線が集まる。

 意外なことに、生徒会の誰よりも冷静で動じない姿勢を保っていた。

 瞳は油断なく士緒を見据え、言葉から真偽を読み取ろうと鋭さを増していく。一瞬とはいえ、士緒がカップに口を付けることを躊躇うぐらいの圧があった。


「隠し事を全部言えとは言わねーけど、一番に言うべき部分を隠すってのは気に入らねーな」


「はて……一番に言うべき部分とは、具体的に何ですか?」


「あんた自身の事だ」


「………ふむ」


 そこに切り込んで来るとしたら工藤だと思っていた。ところが、磯野からは普段の馬鹿な言動が嘘のような頼もしさが見える。

 磯野を侮った事はないと思っていたが、どうやらまだ過少評価だったらしい。


「ここに居る連中はな、これまでの話を説得力があるってだけで鵜呑みにしちまうガキどもだ。けど普通なら、あんた自身の事を何も知らないのに話だけ信じるなんてしない。難しい言葉を並べて誤魔化してないで、あんたを信じられる話をしてくれ」


「……まいったな。あまり楽しい話じゃないんだけど」


「聞くよ。せっかくここまで長話に付き合ったんだからさ」


 もう深夜と言える時間。山ほどあった仕事を全て後回しにしたのだ。今更、半端には終われない。

 しかも、教師陣がてんやわんやで生徒会長も理事長と話し込んでるのを良い事に、梓が生徒会室周辺の人払いを済ませている。こうなれば朝まででも語ってもらおうと、全員が気合を入れなおした。


「…………」


 士緒の視線が向かったのはビニールシートが被せられた大穴の横、生徒会長の椅子である。

 12時間前の出来事が脳裏をかすめたが、すぐさま振り払う。

 今この時に鶫との記憶を呼び起こしたのは、その存在の大きさを感じての事だった。鶫がいない場で、自分の身の上話をすることに抵抗を覚えたのだ。

 橘花院士緒(・・・・・)は別に、鶫の恋人でもないと言うのに。


「……遅いですね、生徒会長さん」


「ぇぇー………この期に及んで渋る? 俺が珍しく決まってたのに?」


 磯野による抜けた発言をスルーし、ガタッと音を立てて士緒が立ち上がる。

 見た目に慌てた様子は無いが、直前まで優雅にコーヒーを飲んでいた姿との落差が違和感を際立たせていた。


「梢、四宮鶫を追えますか?」


 虚空に話しかけているようだが、梢が遠隔で操作する“影軍”の端末が室内に居る(・・)。

 直感で異常を感じ取った士緒の、穏やかでない内心が声音から見えた。

 そして、梢からの報告を聞いたところでポーカーフェイスが消え、表情が不快気に歪む。


「ミルディン……いえ、この手口は女狐ですね。あの汚物が」


「ちょっと、何が起きてるの?」


「説明しろ」


 只事ではない空気に、風音と工藤が士緒に詰め寄る。

 いち早く行動した梓が、学園内の探査を開始した。視覚と聴覚を走らせ、全力で目的の人物を探す。

 結果として、どこにも(・・・・)発見することは出来なかった。


「結界で学園長室を異界化して、部屋の内部ごと引き寄せたようです。雑で不格好ですが、転移の一種でしょう」


「っ!? 学園長室には誰が……」


「三王山亜笠、四宮鶫、そして仁科黎明。部屋の中をくりぬかれてから、それほど時間は経っていないようです。ですよね、三王山梓さん?」


『……確認した。顕術の痕跡と、三人が行方不明なのは事実』


 唐突に会話に入った形の梓だが、そこは一年近く生徒会で働いた者として全員が馴れた反応だ。

 すんなりと存在を受け入れた。


「おいおい、転移ってことは昨日の、風紀委員長を襲撃した奴か?」


「いえ、これは結界系顕術を基盤に組んだ場所ずらし(・・・・・)です。風紀委員長を襲ったやり口とは違います。狭い範囲とはいえ、これほどの芸当が出来るのは私か“白面金毛”くらいでしょうね。おまけに私にも気づかせないとくれば」


 風音が刀の鍔に指をかけ、猜疑の視線を投げる。

 お前がやったのか? 知ってて見逃したのでは?

 可能性は低いと分かっていても、疑いの目を抑えることは出来なかった。


「“白面金毛”が関与している以上、その目論見は阻止します。私を手近な犯人にして邪魔をするなら、まずは貴女から排除しますよ、神崎風音さん」


 時間が惜しいとばかりに、士緒の言葉は余裕を欠いている。

 それに気が逸るのは風音も、他の生徒会メンバーも同じだ。

 事態を把握して最適の行動を取るためには、敵であっても信じるしかない。風音は大人しく引き下がり、小声で「悪かったわ……」と呟いた。


「とりあえず、しばらくは三人に危険は無いでしょう」


「え、何故ですか?」


「おい海北、考えてもみろ。今挙がった面子、誰がどうにか出来ると思うよ?」


「いや、そうかもだけど………」


 それでも突然の事態に海北の処理能力が追い付かない。

 パニックを起こさず思考を続けるだけ、退魔師としては優秀な部類なのだ。

 むしろ、誰よりもどっしりと構えている磯野が、海北には意外でしょうがなかった。


「三人のことよりも、こちらを心配したらどうですか?」


「「!!」」


 風音と工藤が素早い動きで窓側に駆け寄り、外の様子を窺う。

 鋭い視線で辺りを見回し、警戒を強めた。


『……磯野、海北、校内の守りを固めて。久良名でも屈指の戦力が消えたってことは』


 敵にとっては戦闘がやり易くなり、何らかの攻勢に出られるのは時間の問題。

 急いで行動に移さねば……そう思った時には、既に後手に回った後だった。


 キィン――――………


 学園全体を一瞬にして冷気が走り抜けた。

 気付けば見渡す限り氷の世界。空気が氷結する音や、いっそ美しいとさえ思えるプリズムによって、建物の内部まで余さず氷に覆われた。


「昨夜、僕が遭遇したのと同じだ。みんな気を付けて! 背中や足下、どこからでも攻撃して――――」


 シュインッ


 それはギロチンのごとく海北の首を狙った冷気の刃。

 士緒が後ろに引っ張っていなければ、見事に刎ねられていただろう。

 冷気とはべつに海北の心胆が凍り付いた。


「どうやら、相手も君を覚えているらしいね。真っ先に狙ってくるとは」


「あ、ありがとうございます………」


 振り向いた時に士緒と目が合った海北は、どういう訳か緊張で顔を伏せてしまった。

 いよいよ男とは思えない可憐な反応である。自分のリアクションが少女のそれだと自覚し、海北の顔がさらに赤らんだ。


「ちょっ――――何で私まで抱き寄せられてるのよ!? 離しなさい!!」


 海北と同時に抱き寄せていた風音がジタバタと暴れる。

 ちなみに結界で身を守っているため、風音の肘鉄も足裏も士緒にダメージを与えていない。


「私は女性には優しいのです。あ、男性方は自分で何とかしてくださいね?」


「どの口が言ってんのよ! ファーストコンタクトを忘れたか!」


 海「すみませんっ、僕も男性なんですけど!?」


 ガヤガヤと緊張感に欠けるやり取りは大きな隙だ。

 しかし、襲撃者の次の攻撃は一向に来ない。不審に思い周りを見てみると………


 ピシィッ――――


 士緒を中心に部屋全体のプリズムが罅割れ、充満していた冷気が搔き消えた。


「本当は手伝う義理など無いのですが、今日のところは仁科黎明に高く貸しつけるとします。まぁ、いつかどこかで役に立つかもしれませんし」


 それに“白面金毛”まで関与しているのであれば、無視は出来ない……否、是非とも妨害に協力させてほしい。

 仁科黎明を攫って街の防御力を半減させた事を思えば、アレがそれなりに本気で動いているのだと分かる。だとすると、学生たちを含む現状の久良名の戦力では万が一があり得た。また士緒が忙しなく働いたところで手が足りないかも知れない。

 そこで、橘花院士緒は容赦無い一手を梢に指示した。


「梢、“円卓”を集めてください。近くに居る者、全員です」


 その指示がどれだけ容赦の無いものだったのか、一同はこの後、嫌というほど分からされた。




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