第126話 ケンカ
『白鯨』という言い回しはとある文学小説からですが、要するに捕鯨船の船長がクジラに逆ギレして何年も追い回した挙句クジラと相討ちになって死ぬ話です。
久良名学園、地下に設けられた緊急的用途を目的としたスペース。
『大部屋』の術式により拡張された空間は東京ドーム二個分に相当する。それも、目が眩みそうなほどの白い回廊に取り付けられている扉、一つにつきだ。それらが2メートル間隔で設置され、実に100メートルは続いていた。
ここは街に住む非戦闘員の避難と、有事の際に退魔師協会の機能を丸ごと果たせる拠点としての役割など、あらゆるもしもに備えた砦である。仮に、この備えが檸梨市にも有ったならば、“結界事変”による被害は大きく減らせたことだろう。
学園長の亜笠はこの施設を見た時、注ぎ込まれたであろう途方もない予算に眩暈を覚えた。通力も顕術もタダではないのだ。
とはいえ、人命を優先した結果だけに無駄遣いなどとは思わない。
亜笠としては、これほどの金を動かした仁科黎明の理念が嬉しくもあり、自分にこの街を押し付けて消えたことを恨みにも思いと、複雑な心境であった。
いつかの感情、物思いに耽りながら、亜笠は機能重視で飾り気のない回廊を進む。後ろには陸道鏡がナイトのように付き従っていた。
そして行き着いた扉は、いわゆる牢屋の機能を有した一角である。
「亜笠、待て」
扉を開ければ人を監禁するための部屋がズラリと並ぶ場所。そこへ足を踏み入れる前に、鏡は念を押すべきだと感じていた。
ガサツに見えるが繊細で心優しい面を持つ亜笠を案じた故にだ。
「ここは人の矜持を奪う場所だ。戦いで傷つけ合う戦場とは違う」
「……何が言いたい?」
「お前には辛い場所だろう。おまけに相手は、一筋縄ではいかない凶悪性の塊と来ている。まともな神経では会話をするだけで毒だ」
「ちっ、そうかよ。ご親切にどうも。だが、アタシがか弱いからって職務からは逃げられないんでな」
鏡の言葉を亜笠は曲解している。善意の言葉が嫌味として聞こえているのだ。
どこですれ違ってしまったのか、いまだに鏡が自分を嫌っていると勘違いしていた。
不幸にも鏡自身、己が嫌われているという自覚が薄い。なにせ亜笠の口の悪さは、日々ならず者の世界に生きる鏡にとっては愛嬌の一種でしかないのだから。
「とにかく気をつけろ。相手の言葉は話半分に聞くのがコツだ」
「ああ、そうさせてもらう」←話半分
若干うんざりしながらドアを開け、中へと入る。
そこには鉄格子も重厚な扉も存在しない。あるのはガラスで仕切られた何も無い部屋だけ。
奥を見渡すと、片側に同様の部屋がいくつも置かれている。それらはまるで巨大な水槽の様であり、実験動物でも観察するような冷たさが感じられた。
「来たか亜笠」
先に来ていた仁科黎明、五行一樹、“猟犬”ことイグナシオ。
シャツにジーパンという少年らしい軽薄さを見せる黎明と違って、横の二人は厳つい目つきのまま亜笠たちを一瞥する。
呑気な顔の黎明を除けば、一般人が裸足で逃げ出すほどに殺気立った面々が揃った。
高級スーツを着たヤクザと褐色肌の傭兵上りみたいな雰囲気がにじみ出ている。事実、二名への感想としては正しい。
「さてと、待たせたな銀箭羽々矢。お喋りしようぜ」
視線が一斉にガラスの向こうへと注がれる。
十メートル四方の部屋の中央には、一人の人間がいた。真っ白な衣服は拘束具の役割を果たし、窮屈に手足を縛りつけながら器具に固定されている。
人権など無く、人道など歯牙にもかけない扱いに、亜笠が僅かに息を呑んだ。
「まあまあの面子だな。この扱いなら、俺にも箔が付くってものだ」
涼しい顔で言う囚人は稀代の凶悪犯、銀箭 羽々矢。
本人に関しては情報が少なく、年齢や出身、血縁の有無すら不明。
ただし、見た目はかなり若い。
人間であることを考えると、実年齢との誤差はそれほど無いだろう。
この若さで、退魔師協会が最大級の危険人物と認識する事実……これこそが問題であった。
「一樹、先に尋問しろよ。こいつは五行家にとっての白鯨だ。お前の頼みじゃなければ………」
チラリと亜笠を流し見る。
一樹の頼みでなければ亜笠に捕獲しろなんて言わなかった。その頼みを聞いたばかりに、今も物凄く睨まれているところだ。友人でもある稲生平からの預かりもの……澪に至っては大いにヘソを曲げているらしい。
当然だろう。銀箭羽々矢を殺害しようとした澪の判断は黎明の目から見ても正しいと思えた。亜笠とて、この危険人物を生かして捕らえるなど御免だったはずだ。
「お前の頼みじゃなければ、亜笠に恨まれてまでこんな事はしなかった」
「感謝しているよ、仁科会長―――失礼、元会長。我々の尋問は長くなる、差し当たっては………」
聞きたいことは山ほどあるが、それは誰も居ない時にじっくりとするらしい。
この場で聞きたいことはたった一つ。一樹がガラス向こうの囚人を怒りに燃えた目で見据えた。
「三年前、協会や大聖堂を含むいくつかの組織による会談の席。各組織の代表が『呪殺陣』を用いたテロで命を落とした……生き残ったのは私だけだ」
一樹自身、その時の一件で重傷を負い、危うく死にかけた。
一樹の娘である五行 葉が卑劣な『呪い』を受けたのも、五行家当主が安否不明の混乱に乗じての事だ。
その話を持ち出された羽々矢は手柄として自慢するでもなく、挑発的な笑みを見せたりもしない。
ただただ怒りと悔しさを滲ませた。
「もう三年も経つのか。あの場でお前を殺せなかった事はつくづく残念だよ。思い返しても忌々しい」
「殺せたはずだ。少なくとも、瀕死の私に止めを刺すチャンスはあったろう。なぜ見逃した?」
「白々しいことを。お前の護衛とやらが駆け付けなければそうしていた。どうやってあの結界使いを隠していたのか聞きたいところだ」
「…………」
五行家で結界使いと言えば小田原だろう。
しかし、大聖堂の管轄する街で行われた会談では、小田原は同席していない。だからこそ、羽々矢の目論見は半ばまで成功した。
防犯の観点から各代表は護衛を抜きで話し合いを進める予定だったのだが、それが裏目に出た形である。
ところが、居ないはずの小田原に阻まれて一樹を殺せなかった?
話がどこか噛み合っていない。
三年前の出来事は一樹にとって数少ない汚点だ。万全の態勢で臨んだはずなのに、どうやって『呪殺陣』など発動できたのか……全貌を解明しなければ五行家の今後100年に響く。
何としてもと追いかけ続けた銀箭羽々矢だったが、どうにも不可思議な事態になった。
「『呪殺陣』を仕掛けた方法は?」
『呪殺陣』……様々な影響を及ぼす『呪い』を大小織り交ぜて同時に流し込む、呪術の中では群を抜いて殺傷能力が高いものだ。
狭い範囲にしか影響は無いが、身に受ければ病気、傷、精神汚染、肉体や精神の剥離または乖離まで。人間が死ぬには十分すぎる要因が一斉に襲ってくる。一樹が生き残ったのが奇跡に近かった。
しかしそれだけに大掛かりな仕掛けとなってしまう。要人の集まる場所にそんな術式が設置されて気づかないはずがない。
「五行一樹、俺をお喋り人形と勘違いしてないか? 教えるわけないだろ、同じ方法で今度こそお前を殺すつもりなんだからな」
「ほざけ、身動きも取れない死刑囚の分際で」
ガラス越しに殺意がぶつかり合う。
向こう側では通力も呪力も著しく制限される。一個人での脱出は仁科黎明でも難しい。
だと言うのに、羽々矢の余裕は何だ?
受ける印象から強がりでないのは分かる。脱獄の算段でもついていると言うのか?
「レイ、奴の狙いが何なのか吐かせる。許可をくれ」
「ん~~、『地の眼』が封じられてなけりゃなぁ……いざとなれば必要か」
拷問をするか? どうしようか。
そんなやり取りをポーカーフェイスで流している亜笠は、内心では穏やかではない。命の奪い合いや拷問など当たり前の世界だとは知っているが、黎明への初恋の記憶と現実の差異を目の当たりにして、少なからずショックを受けたのだ。
鏡の言った通り、亜笠には辛い場所となった。
「拷問よりも、私に尋ねてみてはいかがです?」
不意に現れたのはストレートの黒髪が部屋の白さに映える美女。
銀箭羽々矢すら驚きが顔に出ている中、黎明とイグナシオだけは予期していたように落ち着いていた。
「呪術に関してなら、誰よりも役に立ちますよ?」
「“真ノ悪”っ、てめぇ!」
さも当然のようにそこに居る焔に、亜笠は戟を取り出して素早く臨戦態勢に入る。一樹と鏡も、亜笠ほどではないが警戒心で気配を尖らせた。
焔は意に介した様子もなく、話し続ける。
「例えば呪術には、それと分かっていなければ察知できないものが多い。人、物などを媒介に『呪い』を運ばせるといった方法も多様です。タチの悪いものになると見たり聞いたりしただけで『呪い』を受けますし」
「三年前も、誰かが会談の場に持ち込まされたと?」
「あるいは貴方かもしれませんね、五行一樹。まぁしかし、あれだけの高度な呪術となれば一人に『呪い』を持ち込ませるのは現実的ではない。おそらく複数人に分散して持たせたのでしょう。それらが1か所に集まったことで陣が完成したのかと」
「……防止する方法は?」
実利になると判断し、僅かな屈辱を飲み込んで一樹は問う。休戦中とはいえ、敵に答えを教えてくださいと頼むような行為……気分が良いとは言えなかった。
「呪術は察知されにくいですが、通力とは違って己が身一つでの発現は難しい。術符のような目に見える何か、個人の印象や記憶を利用した暗示など、とにかく前準備が欠かせない。感知系の顕術に頼るのではなく、視覚や聴覚で違和感を探すのが上策です。ただしサングラスのような物をフィルターとして使うことを勧めます」
「直接の見聞きはリスクがある、か…………裏付けが終わり次第、そのように対策する」
一樹は悔しさが滲んだ表情で素っ気ない返しをする。意地でも礼を言いたくないとばかりに。
実際、この話をどこまで当てに出来るのかは不明だ。自分にとっても不利になる情報をペラペラ話したとも考え難い。
……のだが、一樹は相手の嘘を見抜くのも仕事の内。嘘と思えないだけに苦虫を噛み潰した表情になっている。
そんな可愛らしい一幕っだったが、その影に、しかし鏡だけは本質的な問題を垣間見た。
「仁科黎明、この女がいる事を知っていたのか?」
「いいや、俺もちょっと前に報せを受けた。知っての通り、ほとんどの隠形は監視カメラで捕捉できる。ほれ」
そう言って見せてくるのはタブレットに届いたセキュリティ通知映像だ。
数分前に通路を歩いてくる焔の姿が映っている。時折カメラ目線になって後ろ髪をフワッと広げて見せるのは、茶目っ気なのだろう。
「それに、誘ったのも俺だし。いつ来るとは聞いてなかったけどさ」
「……次も正直に答えろ。十年前、土御門を一族ごと葬り去った理由だ」
「…………」
「大部分の資料だけでなく、土御門と関係の薄い呪術師まで処理している。おかげで呪術に関する専門的な知識は虫食い状態だ」
五行一樹が不意打ちを食らったのも、その後の捜査が三年も進まなかったのも、過剰とも思える呪術社会への弾圧のせい。その全てが、十年前の事件から始まっている。
かつて土御門の一族は危険な思想と、それを実行する力を持ち、“退魔師協会”が介入した時には実際に大事件が起きる寸前だった。
同じ事を起こされないようにと、最低限の資料を押収し、残りは破棄したと記録にはある。
勿論、鏡は記録が眉唾だと分かっていた。追求しなかったのは家の性質上、事実に蓋をするような隠ぺい、捏造に理解があったからだ。沈黙しているだけで、仁科家への貸しにもなる。
だが、沈黙は仁科黎明への信頼が最低限あってこそ。
過去のツケが回って来たのなら、貸しは回収しなければならない。
「この件は剣助も把握している。あいつから聞くといい」
「……親父か」
陸道家の当主が跡取りに語るべき話、ということ。
この場で答えが得られないもどかしさが鏡を突き動かし、出口へと身体を向けさせる。
「席を外すぞ」
「え、今? 尋問は?」
「そいつには興味ない」
鏡は歩き去る前、興味のある人物の横に立ち、独り言として相手に聞かせた。
「俺は黎明を信じていない。お前はどうする?」
「…………」
亜笠が答えるのを待つ様子も無く、鏡はさっさと立ち去ってしまう。
自分は黎明にどんな感情を向けているのか、それが判断を鈍らせていないか。考えさせられる問いかけだった。
「内輪揉めは終わったのか、退魔師ども」
「おっと悪い、忘れてたわ。影薄かったからさ」
「……挑発は聞き流してやる。俺は今、最高に機嫌が良い」
羽々矢の視線が焔へと固定される。
凶悪な笑みは餌を前にした野獣そのもの。ただし、そこには純粋な尊敬の眼差しも含まれていた。
「貴方と会ったことは無いはずですが?」
「そうだ、だから会うために探していた。あんたを見つけ、陰陽師の栄華を取り戻す……我々の悲願の一つだからな」
黎明とイグナシオ、一樹らは羽々矢の言葉に注視する。
そもそも焔という女は何者なのか。分かっている事と言えば“真ノ悪”の幹部で、冷徹な切れ者、そして黎明を脅かす程の呪術使いという事だけだ。
まさかその正体に迫る情報が羽々矢から齎されるとは、思わぬイベントの発生である。
「おかしなことを言うものです。私を見つけだすことが何故、陰陽師の栄華に繋がると?」
「あんたを呼んだのは俺の師だ。師は陰陽道の開祖を、その魂を現世に繋ぎ留め、生まれ変わらせた。失われた古の業を、呪術師と蔑まれた俺たちに取り戻させてくれると信じてな、ご開祖様」
「なっ、この女が古の陰陽師だって言うのか! しかも開祖だと!?」
それは非情に珍しい光景だ。仁科黎明が取り乱し、動揺を隠せずガラスの仕切りに詰め寄る姿など。
焦りにも怒りにも見える表情が羽々矢と焔を行き来する。
「レイ、どういうことか説明してくれ」
「……死者の蘇りは世界を壊す禁忌だ。ともすれば橘花院の禁術と同等のな」
「メリザンドの『命の樹』とは違うのか?」
「あれは理の範疇で行われる抜け道で、相応の制限もある。だが一度でも死が確定した魂を蘇生するのは反則でしかない。世界の基幹を蝕む歪みだ。前に話したろ、“裏返り”もその歪みの一つだと」
「土御門を滅ぼしたのは、その技術を完全に消すためか」
「…………」
手負いの動物が牙を剥くような、近づけばタダではすまない気配をガラス越しに感じている羽々矢は、それでも愉快そうな笑みを崩さなかった。
黎明は先ほどの言葉が嘘であったらと願うが、しかし羽々矢の様子から嘘を感じない。“三つの異能”で心を覗かなくても、その程度は経験で分かってしまった。
「仁科黎明、俺たちも馬鹿じゃない。お前たちが必死こいて拠点を潰して回ってた頃、既に事は進んでたんだよ。儀式が秘密裏に行われていたと今まで気づかなかったとは間抜けなもんだ」
「……抜けてるのはお前だ」
「ああ?」
黎明の声音には怒りと嘲りが混じっている。
反抗期に親へ反発する不良が、後先考えず自分の家に火を点ける姿を心底から馬鹿にしている目だ。
「その様子じゃ知らないんだろ? お前の師が何をしたのか、何故、陰陽道や呪術に纏わる資料が消失したのか」
「ふん、師が何をしたかなど興味無い。あるいはご先祖様を呼び出した事も、俺が考えてる思惑とは違うのかもな。だが、俺は別に師匠を尊敬していたわけでも、その意志を継いだわけでもない。あの男には必要な技能を教わっただけで、目的の邪魔になるなら殺すつもりでもいた」
「そうか、なら呪術にて多くの呪術師を道連れにし、目ぼしい文献を根こそぎ破棄したのがお前の師でも、興味ないわけだ」
「――――!!」
「お前の師は敵だったが、少なくとも志はあった。その末に何をしたのか、俺たちはよく分かっていなかったみたいだがな」
イグナシオは聞いていないとばかりに僅かな非難の目を向け、亜笠は混乱気味に視線を行ったり来たり、一樹は事実を知っていたのか落ち着いている。
焔は、やれやれと肩を竦めて話に割って入った。
「私の過去に脱線しないでいただけますか。さっさと用事を済ませたいのです」
「まだ話は終わっていないぞ、仁科黎明。あの虐殺は、お前の仕業じゃなかったっていうのか!?」
「……うるさい虜囚ですね。『黙』」
「んぐ――――!?」
焔が指先をピッと向けた瞬間、羽々矢が口を噤んだ。
唇は動くが発声は出来ず、もどかしさでジタバタと藻掻く。
先ほどは前準備が必要と言っておきながら、あっさりと呪術らしきものを使用して見せた。
さらに驚くべきは、顕術も呪術も制限されている空間で平然と力を使って見せたことだろう。
全員が冷静さを保てているのは、“真ノ悪”ならやりかねないという心構えがあったからだ。
「黙って聞きなさい。今となっては貴方の師に感謝しているのです。私を、若に出会わせてくれた……ですが」
その一瞬だけ、焔が女の顔を浮かべる。ドキッとするような、それでいて羽々矢にとっては背筋が凍る現実に気づかされた。
呪術師に希望を齎すと思われた陰陽師の開祖。陰陽師の歴史、文献の中にあって間違いなく最強の存在、されど名も知れぬその人物の魂は、多くの犠牲によって生き返ったはずなのに………自分の役には立たないのだと。
「私は陰陽師だか呪術師だかを導くつもりは毛頭ありません。今後は気安くご先祖呼ばわりしないでください」
「まっ………ぁぁ………!」
声を発せない。たったそれだけのことに、人生で最大の不快感と焦燥を覚える。
羽々矢は焔を引き留められず、虜囚の身で出会った事を呪うしかなかった。
二人の会話?に胸を撫で下ろしたのは黎明だ。もしも、“真ノ悪”が羽々矢と組んだりすれば、想像を絶する悪夢になるのだから。
焔に問いただしたい事は山のようにあるのだが、今は自分の用事にしか興味が無いと目が語っていた。
「仁科黎明、もう一人の捕虜と話したいのですが」
「もう一人の? …………ああ! サンシィか!」
「サンシィ……ええ、まぁ、それです。どこにいますか?」
“雷蹴脚”……檸梨市で神崎風音、久我山絢里、磯野らとの戦闘の末に捕らえられ、ここに送られた。
現在は黎明の温情(別名:嫌がらせ)によって羽々矢とは別格の扱いを受けている。部屋にはファンシーな趣味の家具やテレビ、WiFiまで完備した環境に置かれ、日々ピンク色の屈辱に悶えているのだとか。
そのせいで黎明は“雷蹴脚”が捕虜だということを忘れてしまうのだ。
一樹やイグナシオらは、“雷蹴脚”にどのような思い入れがあるのか黎明に聞いてみたが、
命の恩人で……
友人の忘れ形見で……
実は元カノで……
といった具合にはぐらかすばかり。
リサとケイトが半ば迫る勢いで聞いても答えは同じだった。そして、元カノという単語を使った代償として石を抱くことになった………
「サンシィなら突き当りの部屋で自堕落してるよ。ついでに部屋を掃除するよう言っといてくれるか?」
「…………」
黎明の本気とも冗談とも取れる頼みを無視し、焔は目的の人物を目指す。
イグナシオが黎明と視線を交わし、一つ頷くと焔の後に続いた。流石に防犯上、一人で施設内を歩かせるわけにはいかない。休戦しているとはいえ、“真ノ悪”は敵なのだから。
「またほったらかして悪いな。鏡といい“真ノ悪”といい、お前に興味がないんだとよ」
「……………」
「しまった、口がきけないのか。尋問できないじゃん」
「いつまでこの状態なのか分からない。呼び戻すか?」
「えー、慌てて呼び戻すとか、ちょっとカッコ悪くない?」
「安心するといい。黎明、あんたは何もしなくともカッコ悪い」
「じいさんの株は既に手遅れのレベルだ」
………ゴン
ガラスの仕切りに頭をぶつける。
落ち込み方のお手本のような有様は、なぜか堂に入っていた。
「…………ん?」
ガラスを通して黎明の頭頂部に微かな振動が伝わる。
この地下空間には地上からの揺れは届かない。巨大ドリルで掘り進めようが空爆されようが一切の干渉を阻む造りだ。
かと言って内部での異常ならタブレットに連絡が来る。では、これは………
「亜笠、ジェーンは例の部屋に詰めてるんだよな?」
「ああ、だから万が一の事態が起きても、一先ず住民の安全は確保できる。ジェーンには窮屈な思いをさせてるが」
「……地上で何かが起きているな。それも凄まじい何かが」
黎明は羽々矢を睨みつけ、お前の差し金かと声なき問を投げる。
しかし怒りともどかしさに染まったままの羽々矢からは、助けが来た時などに見える愉悦や安堵が読み取れない。
やはり自分の目で確かめるしかないだろう。もし、ここを離れるのが敵の思うつぼだったらと考えると足が重いところだ。
「一樹、ここにいてくれ。亜笠は一緒に来い」
「ああ、分かった」
「言われなくても、上はアタシの庭だぞ」
地上で起きている異変に対処すべく、二人は足早に向かった。
★
「本日はご挨拶に伺っただけです。そう警戒なさらずに」
生徒会室に全くの不意打ちで現れた人物に、中の空気が一気に張り詰める。
全員が戦闘態勢に入り、特に風音の殺気が尋常ではない。
嫌味なほどに高級なスーツと、そして実際に嫌味な笑顔で堂々と入室してきた男……橘花院士緒を、隙あらば斬り殺そうとする気配が部屋に渦巻き始めた。
「私の現在の立場はご存じでしょうか? “退魔師協会”とは休戦中ですので、これから皆さんとも顔を合わせると思います。滅多な事はしないほうが身のためですよ」
「休戦であって同盟ではない。個人的な諍いにまで口は出されないだろ」
「おやおや工藤正臣くん、心にもないことを。君はそんな軽率にものを言う人だったかな?」
工藤は舌打ちをしながら、言い返せないことに歯噛みする。
悔しまぎれに強気な言葉を使ったが、個人的な諍いで済む保証もなければ、いざその時になっても自分ではどうしようもない相手だ。むしろ聞き流してもらって幸運とさえ言えた。
「諸君、はっきり言っておきましょう。君らが束になって私に敵意を向けたところで、何もできない。立場的にも実力的にもね。大人しくしていることです……特に神崎風音さん」
一秒ごとに殺気を内へと収め、剣気を研ぎ澄ましていく姿は、もはや初対面の頃とは別人だ。本気で相手をしても、ひょっとしたら一太刀を浴びせられるのではと感じる程に。
公浩として近くに居た時間が長かったせいか、少しだけ恐くなってきていた。
「ふむ……そのままでも構いませんが、きっと疲れてしまいますよ?」
「あんたこそ涼しい顔してるけど、背中から刺されるかもって思うと疲れるんじゃない?」
「………ごもっとも」
元はと言えば自分で撒いた種なので文句は言えないが、随分と嫌われたものだ。
女性と思えばこそ最低限の配慮はしたはずだが、殴る蹴るをした時点で好感度は決まったようなものである。黒沼公浩の気分でいれば怪我をするのは間違いないだろう。
「ですが本当に挨拶に寄っただけですよ。期待外れで申し訳ありませんが」
「そうですよ風音先輩。そんなピリピリしなくても大丈夫ですって」
すっと目の前に差し出されたティーカップから、紅茶の香りがゆらゆらと視界を漂っている。
他のメンバーと違って穏やかに微笑みを湛える四宮鶫から、士緒がカップの乗ったソーサーを受け取った。
「お久しぶりです、橘花院さん。あれから一度も会いに来ないなんて、少しつれないんじゃありません?」
橘花院士緒は鶫の父親を殺している。誰よりも恨んでいるのが当然なのだ。
だからこそ、この落ち着き過ぎた様は全員の目にも異様に映った。
「もしかして、会いにくる必要がなかったとか? 身近で観察してました?」
「…………」
それを、今まで考えなかったわけではない。想像し得る最悪の可能性を。
鶫が公浩の正体に気づいている……知ってて、敢えて沈黙している可能性だ。
だがこのやり取りで探りを入れている、鎌をかけているだけの可能性も、まだ残ってはいるが。
士緒は馴染みのある紅茶の香りに誘われ、気持ちを落ち着けようと口に含む。
それを見て鶫は、恥じらうような苦笑を浮かべた。
「あはは、すみません。間に合わせで淹れたので、そんなに美味しくないかもしれません。ウチの副会長が淹れた紅茶はもっと美味しいので、今度は居る時に訪ねてください」
「………ふむ」
士緒が飲みかけの紅茶をテーブルに置き、落ち着いた足取りで鶫へと近づく。
風音がすかさず反応したが、鶫はそれを手で制する。堂々たる様に風音は二の足を踏み、固唾を呑んだ。
「可愛くないですね。ゲームでもしているつもりですか」
「なんのことでしょう?」
その時、すぅっと伸ばされた士緒の掌が鶫の頬を乱暴に鷲掴む。
これまで見せていた紳士的な態度が消え去り、微笑みながらも煮えたぎる感情を露わにした。
「随分と生意気になったものですね、この口は」
「…………」
「いつぞやの貴女を思い出させてあげましょうか。一年前の惨めな貴女を」
ガシッ
鶫は強い意志の込もった瞳で見つめ、逆に士緒の手首を掴み返す。
通力で強化していなければ骨が砕ける程の力で。
グググッと押し出すように自分の顔から士緒の手を引き剥がした。
「そういえば、もう半分ですね。約束の一年」
約束……勝負に負けた時、仮の恋人として一年を過ごすという決まりだった。
それがもう半ばまで差し掛かっていると。
「半年かけて、ようやくあなたを本気にさせられたわけですか。残りの半年……どうやって使おうかと考えてましたが、今、決めました」
「……何を言っているのですか?」
「思えば私たち、ケンカってしたこと無かったですよね」
「…………」
「お互いに言いたいこと言い合って、全部ぶちまけてスッキリするんです。ね? しましょうよ、ケンカ」
問いかけのようでいて、それは問答無用で起きた。
鶫が、士緒の手首が引っこ抜けそうな勢いで放り投げたのだ。グラウンドに面した生徒会室の壁を粉砕して、橘花院士緒が外へと躍り出る。
それにピッタリと張り付くように深紅の弾丸が飛び出していた。
「思い出しません? 糸浦の“社”でのこと」
普通に会話をしているようだが、地面に降りた直後に千キロ単位の踵落としが降ってくる状況で何を思い出せと言うのか。
士緒は身体を捻り、振動が地下にまで到達する攻撃をすれすれで回避した。轟音の直後、グラウンドが一直線に割れており、ヒヤリとしたものが伝う。
「あの時は交際を賭けてましたけど、今日はどうします?」
「既に命が懸かっていますが……」
次に繰り出されたのは回し蹴りだ。それも恐ろしく速い、眼前に迫った段階で認識できたレベル。
息をつく暇も無い剛撃を、士緒は上体を逸らすことで何とか躱す。足が通り過ぎると同時、衝撃波が地面に深い亀裂を刻むのを見て、今度こそ怖気が走った。
(冗談抜きに死にますね、コレ)
続けざまに、以前に相対した時とは比べ物にならない出力と技のキレで攻め立てられ、反撃も許されない。
一撃一撃が地を揺らし、暴風を起こす。猛攻を辛うじて躱し続ける自分の姿は、確かに糸浦を思い出させるものだ。
鶫の体を覆っているルビーにも似た光の膜……色装の重ね掛けである『重装剛気』は、いつにも増して鮮やかで生き生きした光を放っている。
紅の軌跡が士緒を追って縦横無尽に駆ける光景は、あまりにも美しいものがあった。
「逃げるだけでいいんですか? 本気出さないと、また負けちゃいますよ」
「……カチーン」
逃げ回るだけだった士緒の動きが明らかに変化した。
鶫の連撃の中で最も鋭い突きが放たれると、そこに敢えてその身を晒してみせる。どうせ回避が難しく、体勢を崩しかねない攻撃ならばと、全霊の『結界』と『不動障壁』にて迎え撃った。
「っぐ――――!!」
差し出したのは左腕だ。『結界』を纏わせたというのに、それでも肘から先の骨が粉々になっている。
腕を犠牲に右ストレートをガードしたが、全力で硬度を上げた『結界』を砕き、身体強度を高める筈の『不動障壁』は焼け石に水。プライドは著しく傷つけられた。
士緒は残された腕で鶫の胸倉を掴み、引き寄せる。
「腕が折れた……これもいつか見た状況ですね。ですが、ここからは」
『絶燕結界 イチ式』
鶫を包み込んだのは水のように揺らめく球体。ただし水なのは外見だけで、内部は異様に空気が薄く圧迫感が強いだけの堅い入れ物だ。
さじ加減一つで相手の血液を沸騰させることも、バレーボール程に圧縮することも出来る恐ろしい顕術……の筈なのだが、
「ぬぐぐぅ、重いぃ」
鶫は片膝を突いて苦しそうに呻いているが、『色装』で強化されているため大した負荷にはなっていなかった。
それでも気絶するまでは持っていけると思っていた士緒としては、またしてもプライドが傷つけられた形である。
しかも、プライドの蹂躙劇はまだ終わらない。
「こなくそ~っ!」
本当に気合が入るのか疑問な掛け声と並行して、結界に罅が入り始める。
左右から迫る壁を押し返すように、徐々に結界の圧力を跳ね除けていた。
「貴女はいったい、何がしたいんですか」
これは呆れの混じった独り言であり、問い掛けではない。
答えが返ってくると期待していないし、仮に答えたとしても、それを理解できるとは思えなかった。
「ケジメですよ。私は、あなたという過去を清算しなきゃいけないんです。お互いに憎しみ合って復讐するよりも、一緒に前に進みましょう、健全に」
「……このケンカで、恨みが忘れられると思ったのですか?」
そこで結界が音も無くスッと消滅する。鶫が破ったのか士緒が解いたのかは、本人たちにも実感できなかった。互いに詰め寄って睨み合うのに忙しく、結界をどうしたかなどどうでも良くなっているのだ。
奇しくも、二人が向き合って口論に発展しそうな様子はケンカ中のカップルに見えなくもない。
「私は忘れても良いと言ってるんです。父は可哀そうですけど、父の自業自得だったと割り切ることにします」
「水に流したいなら勝手にしてもらって結構。ですが如何にも恩着せがましく言われるのは不愉快です。そもそも自業自得と割り切るなら、こちらも水に流せというのは筋が通らないでしょう」
「少しくらい歩み寄ってくれてもいいでしょう!? 女の子を正論で追い詰めるなんて恥ずかしくないんですか!」
「反論できないとヒステリックに喚きだすとは、女性はこれだから………」
「今の偏見です! 性差別です! セクハラです! 最低っ!」
「おまけに名家で金持ちで苦労を知らないお嬢様はタチが悪い! 彼氏も大変に思ってることでしょう!」
「え……? ぐ、具体的に何を大変に思って………ると思いますかね、彼」
「例えばデート中、慣れないヒールで足を踏まれても笑顔でフォローしたり」
「ぅ………」
「例えば大量の買い物をして手と視界が塞がってる隙に、彼氏のスマホを勝手に弄っておかしなアプリを入れたり」
「ギクッ」
「例えば試着と称して無理矢理に試着室へ引っ張り込んで身体を触らせようとしたり」
「あ、あれは磯野先輩から取り上げた手引書に書いてあったから試しただけで、他のも含めてお嬢様とか関係ないですよね!? あと満更でもなかったでしょう!? 彼が!!」
「例えば彼氏の下着を新品とすり替えて古い方はハムハm――――」
「それはダメぇええええ!!?」
「ぐはっ!?」
グーで顔を殴られた彼氏……もとい士緒は、赤面して息も荒い鶫に抗議の視線を送る。
流石に理不尽すぎるだろ、と。
ちなみに、あまりにも激しい戦闘で近づけず遠目で機を窺っていた風音たちは、何が起きているのかさっぱり理解できていない。海北が一年の二人を連れて情報伝達に奔走している頃、鶫と橘花院士緒は痴話喧嘩にも見えるやり取りを始めてしまったのだ。
お互い仇という立場のはずなのに、二人はどういう訳か距離が近かった。
「な、なんでそれを知ってるんですか!? い、いいえ、やっぱり聞きたくありません。それより知った上で泳がされてたなんて、酷い辱めです!!」
「逆ギレなんてみっともな―――あ痛っ! 肩を殴らないでくださいっ、骨が砕けてるんですよ!?」
「まだ殴られ足りないようですねえ。大体っ、あなたは秘密主義すぎるんです! そっちの事情が分かれば協力できるかもしれないのに(ぼそっ)………この際、情報を全て吐くまで殴るのを止めませんよ!」
「暴力で脅しとは馬脚を現しましたね偽善者! そのポニーテールを引きちぎってくれます」
「分からず屋!」
「どっちが!」
第二ラウンド、開始
ピンクの牢屋にて
内装はファンシーで少女趣味全開に仕上がっている。
壁はまんまピンクで、部屋のあちこちにはヌイグルミが置かれ、テレビはデコられまくり。生地が使われている物は余さず明るい色だ。
その部屋に到着した焔は目が痛くなりそうだった。
しかし、続けて目に入って来たものが何か分かった時、哀れみを誘われた。
「ぷははっ!! コ、コーンフレークってあははは!!」
一人の女がジャージ姿で寝そべり、テレビを見て爆笑している。ゴミやら洋服やらが散乱した部屋で、ポテチを貪りながら。
あまりにも怠惰だ。
あれがかつて“雷蹴脚”と恐れられた“鬼”の成れの果てだと思うと、胸が苦しい。
自分は絶対、ああは成るまいと誓った。
「きゃははは………は………ぁ」
「………」
「いやぁああああああ!!!? なっ、なによあんた! あっち行ってよ!!」
「御自分が囚人だということも忘れましたか……はぁ」
「哀れむなっ! ちょ、待って今片づけるから! イグナシオ、見てないで手伝いなさい!!」
「油断するからだ、豚め」
イグナシオはしっかり手伝った。
かなり慣れた手つきだった……




