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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
123/148

第123話 静けさ

 


「殺すべきですわ」



 苛烈な発言が一刀両断に現場を切り裂く。

 声の主は学園の護り手、風紀委員長である澪であった。


「銀箭羽々矢……退魔師協会の危険人物リスト、その10番以内で常に名前がある男。即時抹殺の許可が出ている凶悪なテロリストでしてよ」


「ペンドラゴン、貴様………」


 膝立ちで両手を挙げている羽々矢からの鋭い視線に応じず、澪は無言で手刀を作る。それを高々と掲げ、冷酷さを湛える目を向けた。


「風紀委員長の権限において、今この場で処断します」


 澪が腕を振り下ろせば羽々矢という男は死ぬ……それが分かる程の殺気だ。

 性急とも思える判断に、鶫が止めに動く。振り挙げられた澪の腕を遮る形で手を添えた。


「ペンドラゴン卿、急ぎ過ぎではありませんか? それほどの大物なら、引き出すべき情報がいくらでもある筈です」


「次の瞬間には何をしでかすか分からない危険人物ですのよ? 学園の敷地内で、生徒の命に直結する事態を未然に防ぐのは私の仕事。機会がある内に実行しないと取り返しがつかなくなりますわ」


「ここは学舎です。こんな強引なやり方は続けられませんよ」


「……こんなやり方?」


「敵は皆殺しにするスタンスです。あまり極端な手段を、しかも独断で取り続けるようなら………」


「――――!」


 それは純粋に澪の今後を心配しての忠告だった。

 ただし、そこから感じる圧力は澪をしても息を呑む程である。学園で孤立しないようにという鶫の善意は、しかし目が合った瞬間、脅迫へと変わっていた。

 視線だけで澪を脅せる……その一事がどれほど凄まじいことなのか、その場の誰も本当の意味で理解してはいないが。


「まるでお兄様と同じ………」


「え、お兄様……?」


「……貴女、何者ですの?」


「?? えっと、四宮鶫です。生徒会長の」


 忘れちゃいました? 鶫のキョトンとした顔がそんな言葉を物語る。意味合いこそ違うが、互いに不思議なものを見る目で視線を交わした。

 数秒の沈黙に痺れを切らしたの澪だ。そんな事は知っていると無言で身を翻し、美しい眼光が引く滑らかな軌跡を残す。

 腕を下ろし、鶫を視界の外に追いやりながら、羽々矢へと向き直った。


「コレの殺害は必要な事だと確信していますわ。私は別に殺人鬼でもありませんし。毎度毎度、やれ殺せなどと言うつもりもないですわよ」


「……分かりました。貴女を信じます」


 鶫が一歩引き、澪に道を開ける。

 それは生徒会長として、危険人物の早急な処断を許容したということ。


 まずい事態に冷や汗をかき始めたのは羽々矢だ。

 思惑が外れかけている。避けては通れない目的があったとはいえ、固執して命を落としては話にならない。

 こんな事なら、澪が現れる前に逃げ出すべきだった。

 こうなっては死力を尽くして暴れたとしても、周りの教員数名を道連れに出来る程度。かの名高い澪・ペンドラゴンと正面から相対して逃げおおせるか……それは賭けにしても分が悪すぎる。勝てる可能性などは考えるだけでも失笑ものだろう。


「下手な真似はおよしなさい。今さら手遅れですわ」


「ペンドラゴンっ……」


 敵意と憎しみを吐き出しそうな形相の羽々矢が呻く。

 学園で暴れれば風紀委員長が出てくる事は分かっていた。だから対策(・・)を用意したと言うのに………


(あの野郎(・・・・)、何をやっている! 足止めはどうした!?)


 羽々矢は澪を封じる手段……刺客を用意した。

 そいつは不意を突ければ澪を打倒しうるだけの能力(ちから)を持っているというのに。


 澪・ペンドラゴンは、あまりにも強すぎた。それ故に取れる対策が限られてしまったのだ。

 予備のプランを用意できず、1人の人物に背中を預けざるを得なかったのは痛恨としか言いようがない。


(陰険野郎め、今すぐ動かないと――――)


 地獄からでも呪い殺す。

 そんな恨み言を抱えて命を絶たれる……その寸前だった。



「待て、澪・ブライト」



 投げられたのは亜笠による制止の声。そして身長を越える長物……方天画戟(ほうてんがげき)が発した野太い風切り音が澪の動きを止めた。

 鶫と、周りの教員たちにも緊張が走る。一人が状況の説明のために口を開こうとするのを亜笠が遮り、羽々矢を睨む。


「大体は分かってる。だが、銀箭羽々矢の身柄は“社”が引き取る事になった。引き継ぎが完了するまでウチが責任を持って管理するからな」


「お待ちなさい、亜笠」


 納得のいかない澪が、半ば困惑した声で亜笠の前に進み出る。

 しかし、それに返ってきたのは方天画戟の切っ先だった。

 先端には槍の穂先、その両側に三日月型の刃が付けられた武器。それが前触れもなく澪へと突き付けられたのだ。


「……冗談では済みませんわよ?」


「そっちこそな。アタシの断りもなく下すには重い判断だ」


「与えられた権限の内ですわ」


「権限なら、こっちが優先だ」


 亜笠が合図をすると、教員の何人かが捕縛用の顕術で羽々矢ともう一人を拘束した。

 乱暴に立たせ、二人を監禁すべく学園内の一室(・・)へ連行していく。その際、羽々矢の口元は勝ったと言わんばかりに歪んでいた。


「亜笠、考えなおしなさい! 貴女が思っているよりも遥かに悪い事態ですのよ!?」


 取り乱したとも見える澪の剣幕に、亜笠も只ならぬ何かを感じる。

 だがそれでも、亜笠の姿勢は揺るがない。頑として譲れない顔つきで対峙した。


「黎明のじいさんを通して、五行家からの要請だ。簡単に突っぱねられないんだよ」


「素直に言うことを聞くんですの!? 貴女が!!」


 遂には亜笠の胸ぐらを掴み、高級感のあるスーツに盛大な皺が刻まれた。

 それを見ていた鶫が、慌てて澪を引き剥がしに掛かる。いつもは真っ先に間に入りそうなジェーンの姿が見えなかったからだ。


「落ち着いて風紀委員長! まずは順番に話してください。何があったんですか?」


「…………」


 澪はやりきれない葛藤に歯を食い縛りながら、亜笠と鶫に視線を往復させる。

 何かを言うべきか、それとも言わずにおくのか……そんな顔だ。

 やがて、焦りとも怒りともつかない感情が鎮火した澪は、亜笠の胸ぐらを掴む手から力を抜く。そして苦虫を百匹は噛み潰した表情へと変わり、やや俯き気味にその場を後にしようとした。


「おい、澪・ブライト………」


 澪は呼び掛けに応じる事なく、薄暗い校舎の陰に消えて行った。



           ★



 ひと悶着があった直後、その足で澪が向かった保健室にて。

 養護教諭のマサキから治療を受けている最中の五行紗枝に、先程のやり取りを大まかに聞かせた。


「ごめんなさい。多分、父が予め話を通していたんでしょう。呪術師の組織は無視できない規模ですし、銀箭羽々矢は五行家にとって喉から手が出るような大物ですから」


 紗枝の右腕全体に痛々しく巻かれた包帯には、所々に赤黒い染みが滲んでいる。

 血の痕ではない。もっと赦されない、命を侵す忌むべき何かだ。


「それは別にいいんですの。五行家の性質を考えれば当然の要請だと思いますし。問題なのは、今の状況ですわ」


 紗枝が腰かけているベッドの反対側へ、澪はゆっくりと腰を下ろす。すらりとした白い脚を投げ出し、気持ち上等なシーツへと後ろ手を沈ませた。

 その際、ちらりと心配そうに紗枝の腕を見る。


「その………ありがとう、紗枝。正直、助かりましたわ」


 紗枝の向かいに座るマサキが今現在も険しい顔で解呪の顕術をかけ続けている様は、敵の奇襲から身を挺して庇ってもらった澪を苛む。

 責任を感じるのは当然として、学園でも最強戦力を自負する自分が危うく呪術師の術中に嵌りかけた事実も、澪のプライドを大きく損なっていた。


 …………


 ………………


 ……………………


「厭な感じですわね……紗枝、市花と松平の方で異常があったという連絡は無いのでしたわね?」


 グラウンドで『血の祭壇』を破壊してから暫くの間、澪が校舎の屋上で周辺の様子を窺っていた時のこと。

 ちょうど鶫が呪術師と格闘を開始した頃だ。

 一緒に居る時間が長い紗枝ですら鼓動が跳ねる澪の眼差しが、より鋭さを増して緊張感を高める。


「はい。二組とも帰投するように言ってあります」


「到着を遅らせなさい。どうも胸騒ぎがいたしますわ……二人は仮入学組の引率でしたわね?」


「………! では学園の敷地に近づかないよう、近辺で待機させます」


 紗枝が通信符で指示を飛ばす傍ら、澪は無言でフェンス越しの虚空を見つめる。

 いつだったか、これに似た不快さを感じたことがあった。あれは確か、欧州で稲生平に付いて活動していた時。


「……エニグマ?」


 澪が初めて亜笠と組んだ仕事を思い出す。当時の聖堂騎士序列3位が企てた大規模な陰謀であったが、派手な戦闘も無く、首謀者が死んだことで未然に防げた事件。

 既に終わった出来事のはずなのに、なぜ気にかかるのか………


「まさか、あの男……」



 その瞬間、空気が変わった



 生まれながらにして強く、他者に脅かされた事など数える程しかなかった自分が、特大の警戒心を抱く強烈な殺気。

 敵の姿はなく、次の瞬間に何が起こるのかも分からない。故に咄嗟の行動も遅れた。


 転移系であろう空間の揺らぎが澪の背後に現れ、そこから伸びたのは人の腕。そして握られているのはリボルバー式の拳銃。

 漆黒の銃口がトンと背中を押すようにして静かに突き付けられていた。


「抜かりましたわ……」


 自分が不覚を取ったのだと、嫌でも分かる。

 屈辱に奥歯を噛みしめ、美しい顔が怒りを露わに歪んだ。


 タァンッッ――——


 やけに乾いた発砲音が響きわたる。

 直後、うめき声と共に倒れた人影が一つ……五行紗枝だ。


「紗枝!」


 いち早く奇襲に反応し、澪を押しのけた結果、紗枝が銃弾を受けた。

 たまたま澪の死角をカバーできる位置にいたため動くことができたが、代償として右腕から多量の出血を強いられている。おまけに、傷口には一目で呪いだと分かる黒い染みが浮かび、目に見える早さで範囲が拡大していた。


「大丈夫っ、直撃ではありません! 気を付けて!」


 澪はすぐさま駆け寄ると、次弾の脅威から逃れるため紗枝を引っ張り上げて走り出す。

 しかし、空気中から生える腕が屋上からの離脱を許さない。再び眼前へと現れ――――


「邪魔!!」


 紗枝を支えているのとは反対の手を一振り。すると揺らぎが渦のように中心へと閉じていく。空間干渉に関しては澪の『王権』が圧倒的に上手であった。

 さらには腕が慌てて引っ込む様を見て普段なら気を良くするところだが、一秒が惜しい現状で笑っている暇はない。半径100メートル程の範囲を『王権』によって転移系の干渉――意図せず、梓の口伝千里も――を阻害しておく。

 そして自分の目の前に人が通れるくらいの揺らぎを生み出す。ここではないどこかを映した吹き抜けの穴は、保健室へと繋がっていた。


「おお? 珍しいところから入ってきたな」


 部屋の主、マサキから緊張感に欠けた反応が返る。

 澪はそれには構わず保健室へと紗枝を投げ入れた。


「頼みましたわ」


 あだぁ! という声を聞き終える前に入り口を閉じ、気配を探ろうと集中する。

 たとえ固有秘術であっても、長距離の転移は多くの制限、制約が付き纏う。遠くからの干渉ほど威力も精度も落ちるうえ、消耗も激しいはずだ。

 先ほどに澪が打ち消した術の感触からして、かなり遠い場所に潜んでいるのは分かった。

 こうなると、不意打ちさえ食らわなければ同じ能力の使い手として遅れを取る理由はない。


「領域干渉で私と張り合おうなんて、身の程を教えてさしあげますわ」


 研ぎ澄まされた名刀の如き気配を全方位に放ち、正真正銘、死角をなくす。

 そして徐に、拳を暗い空へ向けて突き出した。

 グルン、グルン、と夜天に円を描く筆のように腕を回し、その軌跡が光の輪となって拳の先に刻まれていく。


「よくも私の友人を呪ってくれましたわね。そんな外道に、安全な場所など与えませんわよ」


 やがて出来上がった光輪が手元を離れ、宙へ昇るにつれて円が大きくなる。

 屋上がすっぽり収まる大きさになった頃、男が姿を現した。


「降参です。お互いの陣地に爆弾を落とし合うのは止めにしませんか?」


 柔らかな男の声が背中に投げかけられる。

 転移系……主に固有秘術への対策をしてあるため、この場に敵が瞬間移動したとは考え難い。精々が人の輪郭を持っただけの粗末な幻を映し出す程度。事実、吹けば飛ぶような脆い幻影が佇んでいた。


 男の白々しい申し出に対し、澪は沈黙と行動で答える。

 握り拳を銃の形へと変え、真上を向いていた腕は砲門を調節するかのように傾き、狙い(・・)を定めた。

 腕にシンクロして光輪も角度を変えていく。その照準が、別場所から幻術を操って話しかけている自分を完璧に捉えてると分かり、内心で冷や汗を垂らしながら幻影が言葉を紡いだ。


「さっきの女の子、コレ(・・)が無いと死んじゃいますよ?」


 男がビー玉ほどの青白い球体を厭味ったらしく摘まんで見せる。暗に、紗枝を人質にしているのだと。

 だが、一見してそれが何なのか澪に分かるはずもない。本当に呪いを解く何かかも知れないし、或いは真逆の物かも知れない。

 よって、澪は最も合理的な思考で背後に立つ男の幻を嘲笑った。


「だから何ですの? 本当に解呪に必要な物か保証もなく、鵜呑みにするほどお目出たくありませんわ。第一、どんな呪いかも不明ですのに」


「正体不明の呪いを簡単に解呪できると思っている時点で、十分お目出たいですけど」


 呪術の気配を漂わせる球体を指先で転がし、あくまで強気の姿勢を崩さない。

 確かに、あの弾丸はそもそも澪を狙ったものだ。絶対の自信がある切り札でなければ使わないだろう。

 直撃でなかったため十全の効果ではないが、アレは間違いなく自分を害しうるものだった。

 マサキの腕が良いとはいえ、楽観はできない代物である。だが、


「私、お兄様ほど頭はよくありませんけれど、やるべき事は理解していましてよ? それは、薄汚いクソ野郎と取引する事ではありませんわ」


 澪の指先に空間が圧縮され、一部の景色が間延びする。

 弓を引き絞るのにも似た現象が空に浮かぶ光輪との間に出来上がった。


「お行きなさい、『カルンウェナン』」


 音すらも吸い込み、標的を滅ぼさんと破壊の一撃を吐き出す瞬間……認識外から音もなく放たれた通力の矢が、先に澪の手を射た。


「――――っ、邪魔を!」


 瞬間的な衝撃と痛みを受け、空へ向けられていた腕が弾かれる。粗末な輪郭は、その様に喜色を浮かべた。


「まさに天の助け!」


 通力の矢による必中の顕術……『与一』が澪の集中を乱し、転移阻害が緩んだ。

 そこへ透かさず、男の本体が自分の領域を捩じ込む。世界の一部が歪曲し、澪を取り囲む八方行の空間から、存在が曖昧になった半透明の腕が生えた。それぞれがリボルバー式の拳銃を構えている。

 全てが本物であり、どれもが必殺の弾丸を孕んだ状態で。

 そして――――


 キンッッッ!!


 銃口が火を吹く寸前、8度の衝撃がそれぞれの拳銃を同時に弾き落とす。

 曖昧なだけあって厳密な実体ではなく、生えた腕も拳銃も霞のごとく消え去った。

 この場に居なくとも、男の苦悶が伝わってくる。同じく離れた場所にいる必中の射手……紗枝の護衛役である九重(ここのえ) 小鳥(ことり)は、決して天の助けではないことも。


「……そこまで都合よくはありませんか。まさかこの様な伏兵を調べ損ねるとは、羽々矢くんも使えませんねぇ」


「“鷹目の雀”……大方、解呪の方法が目当てなのでしょう」


 彼方の射手を睨み付け、次はタダでは済まさない意思を伝える。

 だが、紗枝の護衛という立場から介入したのなら、最低限の利害は一致していると言って良い。澪も、紗枝を死なせたいわけではないのだから。


「さてと、クソ野郎さん。かなり遺憾ではありますが、取引ですわ……あそこの健気さんに免じて」


 改めて空へと『カルンウェナン』を構え、心底不愉快そうに言った。


 …………


 ………………


 ……………………


「という事がありましたの。後できっちり言っといてくださいます?」


 マサキが額の汗を拭う仕草をして紗枝の処置を終えた。

 ぐーーっと伸びをして、椅子をゴロゴロと転がし薬棚へ。その際、白衣の下のワイシャツが張り詰める様を見て澪は泣きそうになったが。


「嫌です。私だって死にたくはないんですから、むしろ褒めておきます。っていうか委員長こそ、よくも私を見捨てようとしましたね」


「わ、私はマサキなら何とか出来ると信じただけですわ! まぁ、あの呪具がなければ危なかったのですけど……それにしても、あんな怪しげな取引をした自分を未だに不思議に思いますわね」


「取引と言えば………何でその男の事を学園長に言わなかったんですか? それも怪しげな取引とやらの内ですか」


「……亜笠には自分の仕事に集中してもらいますわ。どうせアレは私をつけ狙ってくるのです。私が牽制すれば済む話ですわよ」


「…………」


 嘘……ではなくとも、建前であることは紗枝にも察せられた。

 こんな苦しい言い訳をする理由があるにしても、事態の大きさがそれを許さない。澪に致命的な不意討ちを行える程の存在を、敢えて黙っているのは危険すぎる。


「敵は“大聖堂”が情報を規制している事件、“エニグマ”の一件で、亜笠にも因縁のある相手ですの。下手に知られて暴走でもされたら堪りませんわ。大丈夫、仁科黎明にはちゃんと伝えておきますわよ」


「……分かりました」


 “大聖堂”の管理情報といえど、詳しい内容は後で一樹にでも聞けば分かるだろう。紗枝は、そう思って深く聞かないでおいた。

 怒っているような、悔やんでいるような、そんな聞きにくい雰囲気だったのも理由だ。


「紗枝、頼みがあります。六年前にヨーロッパで起きた“エニグマ事件”について、五行家で内々に調査してほしいんですの。それから九重の協力も含めて、御父上に頼んでくださるかしら?」


 “エニグマ事件”の直後、大聖堂転覆を企てた敵の残党によって、亜笠の同僚が殺害された。犯人は未だ捕まらず。

 澪の勘が当たっていれば、先の襲撃者はその時の犯人と同じだ。おまけに、今回の騒動でも計画に深く関わっているかもしれない。

 亜笠がそれを知った場合、形振り構わずそいつを追うだろう。転移という限られた能力を持っていて、“エニグマ事件”の関係者を。そうなると当然、行き着く人物がいる。


(今そいつの周辺を探られるのはマズいですわ。あの方(・・・)も調べられてしまう。でも、エニグマの件だけなら……うん、私にしてはナイスプレー)


 “大聖堂”に潜入中の“真ノ悪”。特定の人物に調査が及ぶまでの時間を稼げる。

 “エニグマ事件”の再調査から、退魔師協会が独自に先の襲撃者にたどり着く。その時点で別の内通者からは一時的にでも目が逸れる筈だ。

 “真ノ悪”の都合で紗枝を操ってしまう事に罪悪感が湧くが、澪はそれでも、やるべき事は理解していた。


「了解です……因みに貸しですから。今度、人気のカフェでご馳走してください」


「あら、高くつきましたわ」


 軽い冗談でお互いに笑い合う二人には、友人同士の気安さがある。

 それは澪が、学園に入る前は想像もしていなかった新しい絆……恐れている関係でもあった。本人に、未だその自覚がないままに。



           ★



K「寝ました?」


マ「寝たな」


ミ「寝ましたわ」


 保健室。真っ白なベッドで眠りにつく紗枝を覗き込むのは黒沼公浩、真桜(まさき)静(しずか)、澪・ペンドラゴン。

 マサキが休息が必要だと言って飲ませた謎のお薬(・・・・)により、紗枝は朝までは起きない。万一のためにベッドへ音が届かないよう簡易の結界も張ってある。

 マサキが士緒の実質的な協力者?なのは“真ノ悪”でも周知しているので、取り敢えずは目の前で悪巧みをしても問題はない。

 これから聴かれたくない話をする準備は万端、整った。


K「というわけでマサキ先生。早速ですがお話を――――」


マ「ツーン………」


 公浩がニッコリとマサキに近づくも、連れない態度で椅子をゴロゴロして離れる。

 その微妙な距離感に公浩の笑みが苦いものに変わった。何気にグサッと罪悪感を感じている表れだ。


 公浩が檸梨市の結界事変に飛び込んだ日、マサキと変な揉め方をして今日まで気まずいままとなっていた。

 内容を要約すると、「わたし士緒が好きなのー!」に対し、「ウソつくんじゃねーよ尻軽がー!」というもの。

 結果、マサキが拗ねて士緒が謝罪するはめになったのだが………


「まだ許してくれませんか? せめてお詫びの機会が欲しいのですが」


 檸梨市から帰って何度か謝っているが、今のところ取り付く島が無い。

 どうにか機嫌を直してもらおうと、最近はいろいろと手を尽くしているのだ。


「…………けっこん」


「――――は流石に厳しいので、今日はザッハトルテを作ってみました」


 大きめの皿からドームカバーをカパッと外し、乗せられた一口サイズのザッハトルテをマサキに見せる。

 表面で艶やかに光るチョコが、マサキの女子心(←生唾)をゴクリと動かした。


「テンパリングを会得するのに苦労しました」


「ぅぐ………こ、こんな物で、ボクがあっさり許すとでもあむっ」


ミ(速いっ!? 手が見えませんでしたわ)


K(ギーネさんと被るなー)


 幸せな顔でザッハトルテを頬張る姿は、まるで何か(金髪ツインテロリ)に憑りつかれたかの様。

 隣で羨ましそうにしている澪には、「また今度作りますよ」と言っておいた。


「もぐもぐ……………はっ!? 違うっ、今のなし! ボクはまだ許さないぞっ!」


「はい、お粗末様でした」


 食べ終えた皿を回収し、頭を押さえてここ1、2分程の記憶を掘り起こしているマサキの傍に立つ公浩。今度は距離を取られない。

 椅子の背に手を掛け、腰まで流れるサラサラの髪に手を伸ばす。


「おい、勝手に――――」


「私のことが好きなのでしょう? この程度は見逃してください」


「新手の俺様系か!?」


 止める気配もなかったので、マサキは仕方なくされるがままでいる。背後で髪を弄ばれ、もぞもぞと落ち着かない。

 これはプレイというやつなのか? とドキドキが凄いことになったところで、目の前に差し出された手鏡に気付く。

 そこにいる自分(マサキ)の後ろ髪には、普段には無いブルーのリボンが飾られていた。ふわりと降り立った蝶のような彩りが、恐いくらいに美しい黒髪と共存しているようだ。


「うん、似合うと思っていました。たまには、こうやって後ろに結わいておくのも良いでしょう。落ち着きある大人の女性っぽく(・・・)見えますよ?」


 うっとりと鏡を見つめているマサキは気付かないが、蝶々の形に結んであるリボンが大人っぽいと言われても首を傾げるところだろう。

 だが、誰もが認める美貌の養護教諭に加わった新たな要素は、高嶺の花すぎて現実味が薄い印象を程よく中和していた。

 似合うか似合わないかで言えば………間違いなく似合っている。


「これで機嫌を直してください。私には貴女が必要です」


(っ!! 梢お姉様と焔お姉様が即死したというセリフですわ! 私もまだ言われてないのに~~~)


 話に入れず蚊帳の外だった澪が半泣きになる。

 公浩はポーっと手鏡を覗き込んでいるマサキを一先ず置いて、背中を向けてハンカチを噛みちぎりそうだった澪に話しかけた。


「放っておいてすみません。どうしてもマサキ先生と話しておきたくて」


「…………」


「そのジト目は、もしや怒ってますか?」


「…………(チラリ)」


 澪の視線がマサキを捉える。「ボクが必要……貢ぎ物……モテモテ」などと呟いている後ろ姿にどことなく既視感(御姉様ズ)を覚えながら、青色のリボンを怨めしく見やった。


「市花に言いつけますわ」


「(ドキッ)……なぜ彼女に?」


「梓にも言いつけますわ」


「(ドキッ!)」


 本能的な後ろめたさが公浩を襲う。

 いつだったか、同じように二人にも髪留めとシュシュをプレゼントしたことがあった。

 今でも大事に使っているのは火を見るより明らかだ。なぜなら、着用していない姿を見た試しがないのだから。


「お兄様、女性の機嫌を取るための贈り物が悪いとは申しませんが、それで簡単に靡くと思われていると知ったら………」


「いえ、あの、決してそんな風に思ったことは………」


「ちなみに私でしたら、お兄様がちょっと優しくしてくれるだけで何でも言うことを聞いてしまうと思うのです。ギュッてしてもらったりナデナデしてもらったりしただけでニヘヘ………」


「澪、顔に気をつけてください」


「だからっ! 私もお兄様から何か貰いたいですわ!」


 なぜ自分が浮気の口止め料を要求されているダメ男みたいな状況に陥ったのか、謎の理不尽が橘花院士緒を苛む。

 が、そのくらいなら浮気男(不本意)にとってはお安い御用だ。澪には今度、ザッハトルテの他にも何か見繕っておくことにした。


「それに関しては、後ほど交渉の場を設けましょうか。今は………」


 ホワワンとお花畑をちりばめて、椅子でクルクル回っているマサキに向き直る。

 夢心地から引き戻して、そろそろ本題に入りたかった。


「マサキ先生。明日、デートしませんか?」


「む?」


「お兄様!?」


 常なら、その言葉を聞いただけで歓喜して失神しても不思議じゃないマサキは、意外にも落ち着いた様子で振り返る。

 公浩の言葉から浮わついたものを感じず、気を引き締めるべき話だと直感したからだ。

 対する澪は、さっきの今で何を言っているのだと目を剥いていた。


「ふーん……冗談ではなさそうだな。でも、ボクなんかを誘っていいのか? 恋人がいるだろう」


「今まで気にしなかったくせに、私の方から歩み寄ったら連れない事を言うのですか。ひょっとして、まだ御機嫌斜めとか?」


「ボクも馬鹿じゃない。近く、この学園が戦場になることは容易に想像できる。どうせ、ここから連れ出して逃がそうとでも考えてるんだろ?」


「当たらずとも遠からず、ですね」


 厳密には学園を離れた辺りで誘拐するつもりだった。

 マサキは未だ正体不明なれど、その潜在的価値は高いと踏んでいる。

 橘花院家と関わりを持ち、仁科黎明がわざわざ学園に縛り付けて情報を遮断していたのだ。所有している情報が何にせよ、大いに興味が湧く。

 なら、ここらで安全圏まで拐ってしまおうと考えたわけだが……憎たらしいことに、いつもは天然でドヤァなマサキは、こういう時だけ勘の良い美女となって立ちはだかっていた。


「五行紗枝が受けた呪い、あれは強力なものでした。それに敵は澪を出し抜くほどの実力者……そうですね? 澪」


「は、はい。その通りですわ」


「責めてはいません。侮れない相手だった、それだけのことですから」


 紗枝の治療中、公浩は窓越しに室内の会話を拾っていた。

 敵に転移系の顕術、または固有秘術を使う者がいる。その一点だけでも、活動範囲がほぼ学園内であるマサキがどれだけ危険かは言うまでもない。

 しかも、澪が一瞬でも追い詰められるという考えられない事態まで起きた。ある意味でマサキの身が心配なだけに、少しばかり強引な手段を取ろうとしてしまったのだ。


「貴女の存在は貴重です。どうか保護させてください」


「貴重、か…………うん、イヤだ」


「っ………」


 士緒の表情が固まり、やりきれなさで身体に力が入る。


 マサキが子供のように駄々をこねていると見えるが、実際は逆だ。士緒が勝手な都合でマサキを手に入れたいだけ。

 そんな独り善がりの捩れた好意など、マサキが求めているものではなかった。


「『貴重』が『大切』に変わったら考えなくもない。ついでに恋人の件も、ケジメはしっかりとな」


「恋人………鶫のことなんて、どうとも思っていませんよ」


「??」


「お、お兄様、それは………」


 公浩の童顔寄りの顔からは感情が消えている。声音にも生気が込もっているとは言い難い。

 無理してるとか、強がってるとか、そういった言葉とは違う。どこか諦めきった、悲壮感を通り越して絶望感を湛えた言葉だ。


 顔は公浩の物とはいえ、それは澪が初めて目にする橘花院士緒の姿でもあった。


「どうせ、事が終われば私はこの学園を去ります。鶫との関係など、それまでのお遊びです。終わりは遠くない……その暁には、私は彼女の仇と成り果てるでしょう」


 渇いた笑いを漏らす士緒の腕を、澪が悲痛な顔でギュッと握りしめた。

 見ていられない危うさを感じたからだ。

 鶫なんかどうでもいい、恨まれてもへっちゃら、そう思い込もうとしている。これ以上、悲しい言葉を紡がないでほしいと澪が訴えるも、それは届かない。


「あと半年で、この下らない関係から解放されます。その前に私が仕事を終える可能性もありますが、何にせよ鶫を引き合いにだして私と距離を置く必要はありませんよ、マサキ先生」


「………そうだな」


 先程からの士緒の言葉が本心でないことは、考えるまでもない。マサキだけでなく澪にも、士緒の泣き崩れそうな姿が見えていた。

 負い目、責任感、使命感、情……様々な感情がグチャグチャになるまで、一人で背負ってしまった青年。ここで吹き零れるとは思わなかったが、マサキは良い機会だと思い直す。


 お前の事が好きだぞ

 お前の事は何でも知ってるぞ

 小さい頃からお前がどんな気持ちで世界に触れてきたのかも分かる

 この学園で初めて出逢う前から、僕(やつがれ)はお前に恋をしていたんだ


 だから、お前の苦難を払い除けるためならば………


「よし、わかった。ボクもそろそろ本気で動かせてもらう」


「……重い腰でしたね」


 単純に握手を求めてなのか、引っ張り上げてそのまま連れ去るつもりなのか、しかし士緒が差し出した手をマサキは首を振って否定した。


「何も諦めさせないぞ。恋も使命も、全て、僕が貢いでやるからな」


「…………」


 縁にも似たような事を言われたと思い出す。

 家族といい、恋人(仮)といい、なぜ皆して自分を甘やかすのか。

 自分(しお)に返せるものなど無いのに。いつか裏切るかもしれないのに。

 周りがこんなだから、自分(しお)はいつまで経っても中途半端な悪人にしかなれないのだ……なのに、逆恨みする気分にもなれなかった。


「潮時だ。神野悪五郎を封印から解き放つぞ」


「「 !! 」」


 橘花院士緒が学園を訪れた最大の目的。

 マサキの一言は嵐の前の静けさを、この場に齎した。





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