↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
120/148

第120話 嵐の前に

 

 夢を見た。

 昔の夢を。

 綺麗な過去を。


 それは三王山の次女、梓の心に刺さる記憶だった。


 …………


 ………………


 ……………………


『お母様ー!』


 まだ小さい自分(あずさ)が、広い庭の真ん中から縁側に腰掛ける母に手を振っている。

 落ち着いた和服に身を包んだ小柄な母が上品に手を振り返した。


『走ると危ないよー、梓ちゃん』


 母が好きだった。

 優しくて、怒られた事も殆ど無い。物心ついた時から父親は居ないものだと納得していた自分が、女性らしさの溢れる母にべったりとなったのは必然なのだろう。

 ただ……思い返すと、どういう訳か姉の亜笠が母と折り合いが悪く、いつも気まずそうに言葉を交わす光景を不思議に思っていたものだ。


 しかし、年相応に無邪気で活動的であった自分(あずさ)としては特に気にするような事柄でもなく、母親を独占できて嬉しい程度の認識だった。

 だからなのか、自分(あずさ)と母親の絆は余計に強まっていく。



『見てお母様! 綺麗なお花が咲いてるよ』


『そうだね、綺麗だね』


『お母様! 猫ちゃんだよ、猫ちゃん!』


『可愛いね、梓ちゃん』


『お母様! お風呂入ろー』


『もー、梓ちゃんは甘えんぼさんなんだから』



 現在からは想像も出来ない程に明るい自分がいる。

 そんな、姉妹や親友にも似た関係は、直に中学を卒業という年齢になっても変わらなかった。

 母にも増して小柄なせいか、この年齢で母親に甘える自分(あずさ)の姿は驚くほど違和感がない。それも二人の親子愛に拍車をかけた理由の一つだったろう。


 これからも、ずっとこの関係が続く………と、その日まで信じていた。



『梓ちゃん。お母さんね、梓ちゃんに言わなきゃいけない事があるの』


『…………』


 九良名学園への入学を控えたこの時期、いつになく真剣な面持ちの母に呼び出された。

 入学を機に話すべきだと、前日に亜笠と大喧嘩していたのも知っている。

 何か深刻な告白があるのだと、自分(あずさ)も不安気な表情だ。今思えば、そこには滑稽さしかない。


『お母様……お顔の色が優れません。もしやお体の調子でも………』


『違うの梓ちゃん。そうじゃないの』


『でしたら………』


『…………』


『…………』


『……………』


『………あの、お母様?』


『………お母さんね、実は』


『実は?』


 沈痛さを滲ませる母の顔が、意を決して梓と向き合った。

 そして―――――


『お母さん実はね…………お母さん(ハルヒ)じゃなくてお父さん(しゅんよう)だったの!』


『―――――――』


 その日、春陽(ハルヒ)お母様が父・春陽(しゅんよう)だと知った梓は………………吐いた。


 ………………………


 …………………


 ……………



「――――っっ!」


 時刻は深夜。

 風紀委員寮、佐助花真朱の部屋にて。

 黒沼公浩に物申してやろうと部屋を借り、待ち構えていた梓はベッドでのうたた寝から跳ね起きた。


「……………ぅぷ」


 それまでの明るい人格が変わる程の衝撃的カミングアウト。夢で当時の状況を思いだし、梓は何故と自問せずにはいられない。


「……なんで風呂で気付かなかったの私」


 余談だが……その日から春陽の和服が浴衣へ、丈はミニスカへと変化したという。



           ★



 山本五郎左衛門の邸宅にて。


 目映い白髪をたなびかせ、時代を見失いそうになる給仕服の少女……先日の檸梨市での一件から五郎左の下で世話になっている聖川輝真。

 それがモップを片手に、西洋屋敷の廊下で梢をガミガミと叱り付けていた。


「梢っ! あまり帰ってこないのにどうして部屋があんなに汚くなるの!? この間なんか、平さんが掃除してるのを見て卒倒したわよ」


「あぅ、ごめんっす」


 輝真が屋敷で家政婦業をするようになってから間もないにも関わらず、既に見ての通りの立場が確立している。梢も不可思議に思いつつ、生活を握られた身では逆らえずにいた。


「士緒が居る時はもっとしっかりしてるって聞いたわよ? あんまり気を抜いてると、いざって時に困るのは貴女だからね」


 輝真の視線に誘われて開け放たれた扉の向こうに目をやる。

 潜入時で物が置かれてない部屋とは違い、そこには散乱した衣服……主に下着類や、漫画にお菓子のカス、袋ゴミなど。一目瞭然の汚部屋だ。


「ぶぅー……どうせ見る人も居ないっすもん」


「そんな事言って、士緒がいきなり帰って来ても知らないから」


「わっはっはーっす! 若が帰ってくるなら望むところっす! どうせ他の女とイチャイチャするのに忙しくて帰ってくるわけ――――」


「ただいま帰りました」←士緒


「ぎゃあああーーーっす!!?」←ヒロイン


 バタンッ!


 慌てて部屋へ飛び込み扉を閉める梢を微笑ましく見る士緒。

 斑鳩縁と会った後、五郎左に押し付ける仕事を持って実家とも呼べるこの屋敷に顔を出したのだが、梢にしたら何でよりにもよってー、といったタイミングである。


「お帰りなさい士緒。ゆっくりしていくの?」


「いいえ。親父殿と幾つか話したら、ゆっくりせずに戻ります。それにしても……輝真さん、ここにも随分と慣れたみたいですね」


 梢との関係も良好。この分なら焔も手玉に取っているかもしれない。

 自然体から発せられる気安い言動は、まるで姉でも出来たようで心地良いものがある。梢などからしたら、口煩い母親のような相手なのだろう。


「平さんのおかげでね。色々と気を使ってくれるから……図体に似合わない繊細さよね」


 輝真は家政婦として屋敷に引きこもるのではなく、五郎左の表の仕事も手伝っている。外では主に秘書的な役割で、稲生平の身の回りの世話をしていた。なので呼ぶ時は『平(たいら)』が基本だ。


「平さんなら書斎で紙の束とにらめっこ中よ。このあと夜食差し入れるけど、お邪魔かな?」


「仕事を持って来て言うのもなんですが、あの方はもう少し怠けるべきです。美味しい物を食べさせて、ぶくぶく太るくらいが丁度良い」


「……あの人、太るの?」


「……まぁ、やるだけやってみてください」


 行く前に梢にも挨拶を、と思えば未だ戻ってはおらず。

 部屋に飛び込んでからと言うもの、バタバタと悪足掻きをしているのがまる分かりだ。梢の面目が保たれる程度に片付くのを見計らって、改めて顔を出すことにした。


「それでは、また後ほど」


「あ、待って」


 呼び止めに振り向くと、輝真は唐突に士緒の胸元を引き寄せて匂いを嗅いだ。

 士緒は内心で戸惑いつつ、先ほど縁に迫られた出来事を思い出す。

 悪い事をしたわけでもないのに、気恥ずかしさと、どうしてか後ろめたさが湧いてくる。すんすんと輝真が音をたてる度に浮気がバレるのをビクビクしているような、なんとも情けない気分になった。


「………ん。梢と会う前に着替えたほうが良いわね。それとお風呂沸かしとくから、出かける前に入っていきなさい」


「……そうします」


「気をつけなさい。旦那さんが他所の女の匂い付けてたら、嫁たち(・・・)も良い気はしないんだから。浮気も程々にするのよ?」


「浮気だなんてそんな………ん? 嫁……たち??」


 首を傾げる士緒を置き去りにして、輝真は夜食を取りに行ってしまった。

 檸梨で行動を共にしていた時より肝が据わったのではなかろうか?


「お帰りなさい、ですか。梢たち以外に言われるのは、少し新鮮でしたね」


 浮気を笑って許す理想的な妻……輝真は正にそんな雰囲気を醸し出していた。

 まぁ、浮気などしていないのだが………


「………(すんすん)」


 士緒は用件を済ませたらすぐに着替える事にした。

 縁より受け取った勾玉……それをさっさと五郎左に渡してしまおうと、書斎へ向かう足が早足となった事には気付かずに。



           ★



「――――へっぶし!!」


 陸道の中華料理屋を出て警邏に戻った海北と鉄火。冬空の下、住宅街をじっくりと二人で歩いて行く。

 鉄火の薄着を思えば、寒さを覚えるのも当然だ。ただし、鉄火の肉体は人外の“鬼”……身を震わす寒さなど、真冬と言えどもそうそうありはしない。


「ずずっ―――ぅぅ、おいツナ。ヤバくねーか?」


「ええ、いつの間にか敵の領域に入ってしまいましたね」


 二人が気づいた時には周辺一帯が氷結するレベルの気温になっていた。範囲内にある住宅も、中では凍えそうな寒さになっている筈。

 顕術で環境を変えて自らに有利な領域を形成する……明らかなプロのやり口だ。それも相当な技量の。


「舞台作りができる腕となると、僕だけでは手に負えません」


「あたいも手伝ってやるから。二人でやれば余裕だろ」


 せめて戦いの場を変える必要がある。

 今いるのは幅の狭い道路、街灯、電柱、そして民家が溢れている住宅地。もう既に氷結で被害が出ている中で、これ以上は退魔師として看過できない。


「敵が捕捉できません。鉄火さん、何か手は?」


「んー……変だな。通力の質を見るに、相手は人間だぞ」


「え!?」


 直後、周囲の空気が止まる。靄の状態で漂っていた冷気が一瞬で収束……粗い刃の形をとって牙を剥いた。


「ツナっ、あたいの後ろへ!!」


『大部屋』から取り出した身の丈を越える大剣を地面に叩きつける。

 大剣が纏った『衝波』が、迫る無数の氷の刃を弾き飛ばした。


「脆い脆い! こんな雑な攻撃いくら来たって――――」


「危ない!」


 海北に後ろへと引っ張られた鉄火が居た位置、そこの足下から不意に走る一閃。

 冷気そのものが通力によって形を得た刃だ。刃が通れば内側から凍りつく代物……それが死角無しに襲ってくる。


「冷気が集まる瞬間は視認できます! 全方位どこでも注意してください!」


「ちっ、しゃーねーな。とりま、ここを抜けるぞ」


 冷気の空間さえ出てしまえば、少なくとも敵陣で取り囲まれている窮地は脱せられる。

 このままでは何時どこで敵が手数を増やしてくるか分からない。喉元に添えられた刃を振り払おうと、二人は駆け出した。


「こそこそしやがって、出てきやがれ!!」


 脱出はさせまいと阻む氷刃を大剣で薙ぎ払う鉄火。しかし、


「ちぃ、狭いっ――――」


 道路を挟む民家の塀に鉄火の大剣が食い込む。

 破壊を許容するなら敵が隠れている範囲も含めて吹き飛ばす事は出来るが、流石にそれをしないだけの良識はあった。


「鉄火さんは『虚空踏破』を使って脱出に専念を。露払いは僕が!」


 海北が指先に顕した『柔光剣』を鞭のようにしならせ、宙へ跳んだ鉄火を狙う氷刃を散らす。

 しかし家々を見下ろす高さまで達しても冷気の空間を抜けられていない。さらには周辺に視線を走らせた鉄火の眉間には不快さから生まれる皺がギュッと表れていた。


「ツナ、見てみろ」


『柔光剣』を掴み、いきなりの行動に驚きの声を漏らす海北を強引に引っ張り上げた。


「うわっ、とと。こんな高さまで冷気が――――」


 そこで海北が見たのは、いっそ幻想的で美しくさえある氷の世界。2キロ弱に渡って広がる氷結と、それに巻き込まれた民家の群れだ。

 建物内部は不明だが、最悪の場合、死傷者が大勢出ているかもしれない。また見える範囲では数名だが、生きたまま凍りついた通行人の姿もある。何が起きたか分かっていないのか、まさに歩行中の体勢で真っ青な彫像と化していた。


「これが人間の仕業だって言うんですか? いったい、どれだけの被害が………」


「嘆いてる暇は無ぇ。術者を探し出して締め上げるぞ」


 未だに敵の掌中。この有り様では逃げ切るだけでもかなり手こずりそうだ。

 術者を探しつつ氷結範囲から抜けようと思えば消耗は必至。海北と鉄火は思いのほか連携が取れている優秀なコンビではあるが、今の状況を劇的に打破し得る手段は持っていない。

 正攻法で敵にジリジリ詰め寄る他なかった。


「覚悟はいいな、ツナ」


「ええ、とっくに」


 二人は『虚空踏破』で空中に立ち、背中を合わせて周囲を警戒する。

 次の攻撃が来たら、躱してその勢いのまま圏内から逃れるつもりでいた。術者の発見はその次だ。


 背中で互いの緊張感が伝わる中、それ以外の全神経で冷気の揺らぎを探す二人。しかし、待てどもその瞬間が訪れないと感じてから、数分が経った頃だった。


「冷気が引いている?」


 海北の呟きを肯定するかのように、広範囲に渡っていた氷結の世界が音もなく狭まっていく。

 外側からある一点に向けて靄が薄れ、海北たちから程近い公園の辺りで完全に消滅した。


「行くぞツナ!」


 言うが早いか、鉄火はその公園へと急行する。海北もすぐさま後に続いた。

 何の変哲もない普通の公園に降り立った二人は落ち着きなく辺りを見回す。何者も見逃さない気概で何度も、何度も。


 先程の冷気がここを中心に発生していたのは間違いない。他に比べて冷気が強く残っているのが証拠だ。

 鉄火は怒りと悔しさに顔を歪め、備え付けのベンチに八つ当たりの蹴りを見舞った。


「ちくしょーっ! 次はぜってぇにぶん殴る」


「…………」


 熱くなる鉄火を余所に、海北は奇襲に警戒しつつ冷静に公園内を観察する。

 将来は警察機関で退魔師や鬼を専門とする部署を目指しているからこその視点で、手掛かりが無いかを探っていた。


(誰かが居た痕跡は無い。それほど繊細な隠蔽をする時間も無かった筈なのに………)


 そもそも、何が目的で自分たちを襲ったのか。

 軽く戦闘をしただけであっさり引いた理由は、その目的を達したからか、でなければ予期せぬ遭遇戦だった可能性がある。もしくはその両方だ。

 この日はルートを外れていたこともあり、事前に退魔師の巡回予定を調べていたのなら、想定外の事に慌てて戦闘行動を取ったとしても頷ける。


(だとしたら、目的は何だったんだろ)


 どこにでもある普通の公園だ。重要な施設も金品の影すら見えない。要人が居た可能性も無くはないが、この街で簡単に誘拐できる要人など皆無である。九良名で要人と言えば凄腕の護衛がいるか、護衛が要らない程の凄腕くらいなのだから。


 ひとまず、この事態を“社”に報告しなくてはならない。巻き込まれた住民たちを大至急で医療施設に搬送するなどの必要事項を、対通力仕様の電話越しに伝えた。


「“社”の退魔師が来るまで僕らは待機です」


「かったりー。引き継ぎとか全部お前がやっとけよ」


 バキッ


 一瞬、何の音かと身構えた二人だったが、何の事はない。鉄火が八つ当たりしたベンチの脚が折れたのだ。

 それなりに新品で、どう考えても鉄火の蹴りが原因だった。


「あれは自分で謝ってください」


「………へぃ」


 ちょっとだけ悪びれた様子の鉄火は、なんとも可愛らしくある。

 被害を思って沈んでいた海北に、少しだけ笑みが戻っていた。


「………? あれは」


 壊れたベンチの下側……腰掛けの真裏に、何かが描かれている。

 一見落書きだが、複雑な魔法陣のようなその絵は退魔師の目から見れば術式の類いだと解るものだ。

 かなり高度な仕事と思えるそれは、しかし一直線に走る傷跡によって効力を失っていた。


「これが狙い? こんな小さな術式が………」


 あり得なくはない。

 それ以外に理由も見当たらないのだから、調べる価値はあるだろう。


 その後、“社”の退魔師への引き継ぎを完了した海北は、警邏の仕事も“社”の人員に頼み込み、術式について調べるべく学園へと急ぎ向かった。



           ★



 繁華街の端。佐助花真朱が警邏をするルートで待ち構えるように何者かが立っていた。

 顔に黒い帯を巻いて全身黒装束、猫背が不気味でこれ以上ないほどに怪しい人物。

 にも関わらず、人の流れがある往来のど真ん中で誰もその存在を認識していない。岩を避ける水流にも似た現象の正体は『隠形』だ。

 ただの『隠形』では視線を逸らせたり存在感を希薄にする程度にしかならないが、目の前のそれは次元が違う。檸梨で黒沼公浩と渡り合った“魔蠍”の『隠形』とほぼ同等の性能と言えた。


「……なに、あんたも俺に喧嘩売るの?」


『隠形』の中に確かな害意を感じ取り、正面から相対する李李(りい)が両の手をポケットに突っ込みながら殺気を投げつける。

 パーカーのフード下から放たれる切れ長の眼光は、黒装束の人物とは別の意味で人の流れを遠ざけていた。


「佐助花真朱だね? クライアントが会いたがってる」


 中性的で男か女かは分からない声がヌルリと絡み付く。

 さらには、真朱の“三つの異能(トライアド)”が感じ取る奇妙(・・)な感情と、鼻腔を刺激する血の臭い。

 李李が敵と断ずるには十分過ぎる相手だ。


「大人しく来てくれるなら――――」


「お前の首から上と引き換えなら付いて行ってもいい。ただしそうなると、案内は出来ないか」


「……口が悪いお嬢さんだなぁ。聞いた話よりもアグレッシブだ」


「傭兵……ならず者の類いか。取り締まりの対象だな」


「ふひ、俺を取り締まるのかい? あんまり手荒な事はしたくないけど――――へ?」


 言葉の途中で眼前に出現した拳に、黒装束が間の抜けた声を発する。

 少女に相応な小さな拳は黒装束の視野を埋め尽くし、そして顔面をひしゃげさせた。


「飛んでけえ!!」


 明かりに塗れた繁華街の空を、薄汚れた黒い塊が横切った。

 それだけに留まらず、追撃の手が容赦なく後に続く。


 ガンッガンッガンッ!!


 人間を殴りつけているとは思えない感触を覚えながら、少しでも人の居ない場所へと押し出す。

 佐助花真朱では考えられない戦い方は、気性の粗い李李ならではのノンブレーキで迫力のあるものだ。

 一打一打で拳を振り抜き、黒装束はピンボールのように跳ね回った。


「こっちだ不審者!」


 止めの一撃とばかり捩じ込んだ鉄拳が黒装束を一気に吹っ飛ばす。

 凄まじい速度で落下した先は夜の砂浜。砂を派手に巻き上げ、星の煌めく海面を切り裂いてから漸く止まった。

 数秒遅れて抉れた地面に降り立った李李が、飛沫の舞う海を不快そうに見つめる。


(なんだ、この手応え。気持ち悪い)


 士緒がもたらした術式により安定した真朱の“三つの異能”、それによって感じ取れる相手の感情は索敵にも有用だ。その能力が、相手は未だ健在であることを伝えている。


 先ほど得られた手応えは、鉄を殴っているような泥を殴っているような……兎に角まともに相手をしたくない類いの何か。

 戦闘時のスペックが真朱よりも遥かに高い李李でさえ、得も言われぬ不気味さに鳥肌が立っていた。何らかの奇跡が起きて一撃で死んでくれていたら良かったのにと、考えてしまう程に。


「問答無用かー、痛てて………ねぇ頼むよぅ、お嬢さん。悲しい雇われとしちゃ、女の子一人のエスコートも出来ないなんて思われたら今後の仕事に差し障るんだ」


「てめぇが失業しようが知った事じゃねーんだよ。雇い主の名前を吐いてこの場から消えるなら、煎餅みたくぺしゃんこにするのは止めてやる」


「……ほんと、口が悪い。クライアントと君、気が合うと思うんだけどな」


 説得は無理だと察した黒装束は猫背をさらに丸めて戦闘体勢に入る。月に雲が掛かり、黒装束の周りに差した影が不吉さを暗示しているようだ。

 嵐の前の静けさか、その一瞬、波の音だけが場に立ち込めた。


「あ、しまっ――――」


 差した影は雲によるものではなかった。

 不覚を取ったと気付いた時には、静寂を破る轟音と衝撃が頭上から投下された後。

 黒装束を哀れにも圧殺せんとした物体は建造物……取り壊しが決まっていた廃ビルである。それが基礎ごと真朱の“三つの異能”によって収納されていたのだ。

 通常の『大部屋』とは比較にならない高性能でありながら、精々が高速で射出するか少し離れた場所に取り出す程度の使い道しかないソレ。

 しかし李李によって、戦闘においてシンプルかつ最大限の効果を発揮させた、これ以上にない戦術となっていた。


(解体の費用が浮くって、建築関係からは歓迎されてっけど。“三つの異能”なんつっても、こんな物か)


 命を削る代物にしては半端な異能を嘆きつつ、もう一つの半端な異能で敵対者の感情を探る。

 あからさまな異物として砂浜に屹立するビルの真下からは、李李が目当てにした気配は感じなかった。


「あっさり逃げやがった………」


 終始、黒装束は本気の強い感情を発してはいない。不気味な風体と、目の前の事柄を重視しない適当な内心がどこか不調和だ。

 佐助花真朱の“三つの異能”は心が読めるわけではない分、感情のより深い部分を測れる。その感触では、あれは敵対者というより………


「………そうだな、真朱。考えるのは帰ってからな。ムカつくが、命拾いしたと考えるか」


 本気で敵対されていたら、果たして凌ぎ切れただろうか。

 プロの殺意が相手では結果など分かる筈もない。無駄に命を賭けずに済んで良かったと納得することにした。


「うぇ……残骸の掃除、やらなきゃ怒られるよな」


 海岸に散らばったビルの残骸を一つ一つ回収していく苦労を考えて辟易とする李李。

 心の内からは「当然でしょ」と、姉の心境の真朱が語りかける。ただ、掃除が終わるまで真朱は一度も交代はしなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。