第118話 路地に咲く花
九良名市の夜は早い
市内の人口の半分が退魔師の係累であるこの街では、誰が何を言わずとも夜の危うさを理解している。
親族に退魔師が居て、鬼の存在を近しい者に警告する事も多い。通力で戦う術は持たないが、なまじ知識があるだけに普通の一般人よりも窮屈な生き方を強いられていた。
それでも、夕方以降は完全に出歩けないと言うほど逼迫した生活を送っているわけでもない。住民たちの最低限の信頼を保つ一要素となっているのが退魔師の存在だ。
警察や、九良名市独自の制度である特務警備部……通称“民警”なる権限を持った一般人――退魔師や退治屋に類する戦闘力を持った者――が区域ごとに警邏を行うことで、居住区を中心にセーフティエリアが形成される。余程の不運でも無い限りは鬼に遭遇する方が難しい程に。
そんな人々の安寧を守るシステムの一端には、ボランティアの名を借りた学生退魔師も多分に含まれていた。
「と言うわけで……僕ら生徒会や、松平君たち風紀委員会は世のため人のために日夜戦っているんです。だから、そんな退屈そうにしないでくださいよ、鉄火さん」
生徒会庶務、海北 綱。一見して少女のような華奢な体格と愛らしい顔立ちをしているが、れっきとした男子。普通に男物の私服を着ているだけでユニセックスな洋服のセンスと誤解したチンピラを惹き付けてしまうのが、昨今の悩みだと言う。
「だってつまんねーし。ってか、何であたいが手伝わなきゃなんねーんだ。今夜こそは二郎の寝込みを襲ってやろうと思ってたのに」
黒い革ジャンに丈が胸下までのラフなシャツ、しなやかな美脚を見せ付ける短パンといった、季節感への反逆とも取れる服装。そして小麦色の肌とアスリートを彷彿とさせる無駄の無い健康的な肉体が映える女性は風紀委員、松平二郎の式鬼神である鉄火だ。かつて“百鬼大蛇”の一味として退魔師協会と敵対関係の“鬼”であった。
「鉄火さんが寮でニートしてるから、たまには働いてこいって追い出されたんじゃないですか。一応は松平君の式鬼神なんですから。それに、鉄火さんの食費が馬鹿にならないって、会計の工藤君が松平君を突き上げまくってますし」
「チッ……これじゃ大将んとこに居た頃と、あんまし変わんねーな」
「大将って、“龍首”の事ですよね。そこでもニートを?」
「ちげーよ、ちゃんと働いてたわ! ただ大将がな、あたいを戦いから遠ざけたがるんだよ。表の世界でまっとうな仕事を探せってさ。まあ、そんな器用な生き方あたいには出来ねーから、結局家でダラダラ過ごす癖が付いちまった」
「そうでしたか………あれ? やっぱりニートじゃ――――」
「ちゃんと食費ぐらいは稼いでたっての! たまに外に出てゴロツキから金を巻き上げたり、エロい仕草で誘き寄せたチンピラから金を巻き上げたり、野良鬼を捕獲しては調教してみたりな」
「……どこからツッコムべきか」
「おいおいツッコムとか、往来でそんなエロい話すんなよ。照れんじゃねーか」
「……………」
磯野と行動を共にすることの多い海北としては、セクハラ?発言への対処には慣れているつもりでいた。
しかし、テンションが高い時の磯野などは殴れば済むが、女性が相手だと対応の仕方を変えなければならない。また一つ、常識人レベルを上げざるをえない海北であった。
「下ネタは磯野と同格。けど女性相手じゃ下手な発言と行動をすれば即逮捕案件……はぁ、嫌なこと思い出しちゃったな」
「お前、女からどんな闇を植え付けられたんだよ」
ぶつぶつと愚痴を溢し始めることで鉄火を黙らせた海北だが、それどころでもない様子で歩いたせいか、割り当てられた巡回ルートを外れて歓楽街の側に出たと気付く。
目が痛くなりそうなネオンの光が視界の端を掠め、海北は正気を取り戻した。
「ごめんなさい鉄火さん、ボーッとしてました。戻りましょう」
「あ? んだよ、遊んでかねーの? 酒も女もやらねーとか、真面目かお前は」
「いえ、それ以前の問題かと……とにかく行きましょう。鉄火さんってほら、絡まれやすそうな見た目してるんですから」
「おう! この格好してると男も財布も寄ってくるんだぜ。あれ? 男と財布って同じ意味だっけ」
「なんてこと言うんですか」
鉄火の向きをクルリと変えさせ、背中を押して先を促す。
適度に引き絞められた腰回りと、その拍子に見えた短パンと肌との隙間を見つけてしまい、海北は赤面して視線を外した。
「わぷ―――!? どうかしましたか?」
歩みを止めた鉄火の背中にぶつかり、軽く弾かれた。
海北が目を逸らした瞬間、鉄火は別のモノを見つけていたらしい。その視線を追うと、繁華街側にポツリと生まれた建物の狭間。
ネオンの明かりも届かない路地裏へと続く薄暗い道に、男が数人寄り集まっている。
着崩した服装で、軽薄なホストそのものの雰囲気。鉄火の男漁りが発動したかとも思ったが、男たちが取り囲んだ中心に中学生くらいの少年の姿を見付けて、海北の眼が鋭く変化した。
二人は何を言うでもなく、その輪へと近づいていく。
「ねーねー、今オレらちょー困っててさ。お金貸してくんない?」
「全員財布落としちゃったんだよぉ。ちょっとでいいから貸してくれる? なー頼むよ………聞いてんのかおい!!」
「ガキてめ、なにすかしてやがんだ殺すぞ!」
「無視してもいいことないよぉ?」
パーカー、ジャケット、目深に被ったキャップ。海北と良い勝負ができる線の細さを抜きにすれば、ごくありふれた十代の少年だ。
チンピラ……いや、この辺りは陸道家の息が掛かっていて、不良に毛が生えた程度のチンピラがうろつける場所じゃない。不良以上、筋者未満の下っ端だろう。
少年をビビらせようと声を張り上げる下っ端どもに、しかし少年は全く動じず、ゆったりとコンクリートの壁に背中を預けて立っていた。
「なぁボクちゃん。子供がこんな時間にこんな場所を歩いてちゃいけないなぁ。お母さん呼ぶ? 学校に知らせる? それともお巡りさん呼んじゃおっか」
警察なんか屁とも思っていない連中がゲラゲラと笑いだす。
弱味を握ったと思い、優位さを確信する男たち。実際、親やら警察やらを呼ばれて困るのは少年の方なのだ。
普通ならこれだけプレッシャーを掛ければ少年を言いなりに出来る。
ただし男たちは少年から巻き上げられる小銭なんかに興味などない。親を脅かしたり犯罪に荷担させたりして、それをネタに更なる脅迫を行う。
極めて質の悪い存在。この街の均衡を保つべく黎明が黙認した必要悪なのだが、それは排除してはならないという意味ではないわけで………
「へーい、お前ら楽しそうじゃん。あたいらとも遊ばねーか?」
ここをニューヨークと勘違いしている露出の多いイケイケな女。その隣には地味めだが可愛い顔を不機嫌に歪めた少女(海北)。
男たちは新しい鴨が来たとでも思ったのか、ニヤニヤと下卑た笑いを隠そうともしない。遊びが好きそうな外見の女にはピュウと口笛を鳴らしてみたり、逆に純粋そうで遊び慣れていない感じの少女(海北)が幾らぐらいになるか算盤を弾く者まで。
すぐさま男の一人が前に出る。
どうやって騙し、黙らせ、操ろうかと打算を巡らせていたが、幸せな時間はそこまでだった。
グシャッ
何が起きたのか、口に出すのも悍ましい。
海北の腰と肩に手を回そうとした男はこの瞬間、男の象徴を砕かれたのだ。後は音も無く、苦悶の表情を浮かべる暇も無く、白目を剥いてその場に倒れ伏すだけだった。
幾らなんでも同性に対する仕打ちではないと、横で見ていた鉄火ですら一歩引く程の殺気。この手の揉め事は自分の領分だと思っていただけに、驚きも割増しだ。
男の仲間たちに至っては戦慄のあまり、腰を抜かして動けないでいる。
「お前ら全員、女にしてやる」
穏やかで常識人で、磯野の扱いにも長けた学園の良心。それが女子と見間違う顔で恐ろしい事を口にした瞬間、チンピラたちは絹を裂くような悲鳴を上げて走り出した。
憐れにも犠牲になったホスト風のチャラ男は置き去りにして。
「皆殺しだ」
「うぉおい!? 待てよツナ、急にどうした!」
鉄火が海北を宥めるという不思議な光景を繰り広げているが、幸いにして海北はすぐに我に返った。
鉄火と目を合わせてキョトン、と。どうにも、いまいち状況を理解していない。
「すみません、またボーッとしてたみたいです。疲れてるのかな」
目元をぐりぐりと揉む姿は紛れもなく海北綱。
鉄火は思う。普段大人しい奴ほど、トラウマなどのストレスからは遠ざけるべきかもしれない、と。
「お前って……人間が嫌いなのか?」
「………? と言うより、他人に迷惑を掛けて楽しむ輩が男女問わず嫌いですね。昔ちょっとあって」
鉄火がそれ以上を聞かなかったのは、海北の辟易とした顔に見覚えがあったからだ。虎子の腹心で付き合いの長い扇という男のそれと似ている。
世話焼きで温厚だが、やはり怒らせようとは思わないタイプだった。
海北が決まりの悪い様子で咳払いをして、薄暗い路地へと歩きだす。
そのまま気まずさを誤魔化すように仕事へと戻った。
「こほん。ええと………君、大丈夫? 怪我とかしてない?」
絡まれていた少年に優しく声を掛ける。
改めて少年を見ると、何とも怪しい風体だ。目深に被ったキャップが如何にもといったところ。
肝も据わっているのか、先程から暴力的な状況に晒されているのに、まるで眼中に無い。只々、気取った立ち方で海北を一瞥しただけだった。
「話し掛けんな、オカマ野郎」
このまま無視さるのかと思いきや、若い声質でグサリと刺さる言葉の暴力が振るわれた。
本当なら補導という形で交番に突き出してから本来の職務に戻るのだが、様子からしても只者ではない。ここは、
(お灸を据えてから交番、かな)
仕切り直し、と咳払いをする海北。直後、通力を用いた身体強化を遺憾なく発揮し、一息に少年との距離を詰めた。
「っ!!」
精々見習いの退魔師が増長している程度と思い、加減をしつつ少し強めに取り押さえるつもりだった。
しかし相手の少年は海北の腕をすり抜け、狭い路地の奥へと滑るように移動する。
海北は生徒会でも特別に能力が高いわけでもないが、それでも上一級か、特一級の補佐が務まるレベルだ。自分と同程度の年代ならそうそう引けを取らない筈。
「――――鬼の類いか!」
人型の“鬼”は特殊な顕術を使わなければ基本的に判別が付かない。もしそうなら……海北は迂闊に相手を刺激した自分を呪った。
「ふん。短絡的だな」
明らかに見下されたと分かる少年の態度。この程度の相手なら余裕……そんな雰囲気がこれでもかと伝わる。
覆せない程の実力差があるかはハッキリしないが、間違いなく格上であった。
「手ぇ貸すぜツナ!」
三人以上が横並びになれない路地を軽やかに跳躍した鉄火が少年の背後へと降り立ち、退路を塞ぐ。
先の態度では当然とも言える対立が起き、少年は面倒くさそうに舌打ちをする。
「実は最初からこっちが目当てだったんだよなー。コイツがチンピラを退治するのを待ってからバトルしようと思ったんだが……思わぬ伏兵がいたもんだぜ」
呆れが込もった視線が海北に向く。冷静になって自分の我の忘れ様を自覚したのか、当人には苦笑いが浮かんだ。
と、そこで少年がパーカーに付いたポケットから何かを取りだそうとする。
「民警だ。あんたら人の担当区域に入っておいて――――!?」
少年が特務警備部……海北たちと同僚である事を示す腕章を見せようとした瞬間。突然に飛び掛かって来た鉄火が、少年の掌とガッチリ組み合った弾みで腕章を落とした。
目の前の女がこうも喧嘩っ早いとは、少年にも予測出来なかったのだろう。
驚いた表情で組み合った両手に力を込め、身長差から押し倒されないように前傾で耐えている。
「腕章なんてその辺の退魔師から掻っ払ってくれば済むだろ。本当に退魔師なのかは殴ってから考えりゃ良い!」
鉄火が一歩を踏み込み、耐える少年のコンクリートの足場が一歩分だけ抉れる。
その顔は苦痛と言うより、虫に纏わりつかれた鬱陶しさに歪んでいた。柄の悪い男たちに絡まれていた時よりも、よっぽど不愉快そうに。
「ちょっとお!? 何やってんの鉄火さん! 悪いのはエリアから外れた僕たち――――」
「聞こえねぇええ!!」
少年の体が僅かに浮き、力任せに隣の建物へと叩き付けられる。
ドゴンッ、と激しい音を立てて壁が壊れ、大穴を空けてそのまま飲食店の厨房に押し込んだ。清潔感のある明るい厨房で仕事をしていた者たちは戸惑いながらも慌てて避難していく。
鉄火は仰向けの少年に馬乗りになり、それでも尚、絡めたままの指には相手の掌を砕かんと力を乗せる。ついでにタイルの床に亀裂が入る程に押し込みながら。
「へへっ、なんかエロい格好になっちまったな」
「っ―――あんた正気かっ、俺は敵じゃないぞ!?」
「どうだかなぁ。取り敢えず、“鬼”のくせに民警を名乗ったお前は十分に怪しいぜ」
「な――――!?」
少年の目が驚愕に見開かれる。
それは図星を言い当てられたからに他ならない。
少年の正体は、確かに“鬼”と呼ばれる存在である。
だが民警という立場も嘘ではない……些か複雑な事情を持った退魔師なだけだ。
「かく言うあたいも人間じゃねーが、まあこっちには本物の民警の奴も居るし、問題ねーだろ」
「あるよ! っていうか鉄火さん、鬼と人間の見分けが………」
建物の人間に避難を呼び掛けてすぐさま戻って来た海北が半信半疑に問う。
実際、人間と人型の“鬼”とを見分ける顕術を扱える退魔師は貴重だ。その顕術は使い手の純粋な素質に依存するため使用者の数が伸び悩み、協会においても需要と供給のバランスが取れていない。
鉄火が、その能力を持っているというのは初耳だった。
恐らく契約を交わした松平二郎も知らないのだろう。知っていたらニートなど許さず、いの一番に活用していた筈だ。
「あれ? 言ってなかったっけか。まぁ“百鬼大蛇”に居た頃はあんまし役に立つ能力でもなかったし、大将も『履歴書には書けない特技にゃね……』とか言ってたから、言う必要も無いだろ?」
「めっちゃ役立つよ! むしろ天職じゃないかな!?」
海北の叫びは抗議半分、歓喜半分である。
今後、この能力がどれだけ退魔師に貢献してくれるか。それを思うと興奮に声が大きくなっていた。
「とにかく、コイツを縛るの手伝ってくれねーか――――っつあ!」
「ぐっ!?」
少年に馬乗りになっていた鉄火と、若干の距離を置いて様子を見ていた海北が同時に弾き飛ばされる。
ほんの僅か気を抜いた瞬間、何らかの物体が二人に激突したのだ。
少年との間に突然に現れたそれは、それなりの面積と衝撃を伴っていたにも関わらず、そこに目を向けても何も無い。
チラリと見ただけだが、二人に衝突した物は………
「エアバッグ……?」
それが一瞬だけ現れ、そして消えた。
『大部屋』の術式があれば収納自体は行えるが、海北と鉄火を退かした物には勢いが付いていた。術式は出し入れは出来ても、取り出した物に速度を持たせる事は出来ない。
そして、不可思議な状況に思考を取られた二人の行動がコンマ1秒遅れる。その隙に、少年は壁を破壊して出来た大穴へと駆けた。
「そこで止まれ」
少年の逃走を阻む位置に立ち塞がったのは、仕立ての良いスーツを着たスラリと背の高い男。
一般人ではあり得ない威圧感を放っており、少年もそこで足を止めるかに思われた。
「邪魔だオッサン」
少年は走る勢いのまま、軽やかな身のこなしから繰り出す回し蹴りをスーツの男の側頭部に炸裂させる。
一応は手加減がされており、派手に錐揉みしながら気絶する程度の威力だ。
ただし、それは相手が一般人だったらの話だが。
「誰がオッサンだ」
顔の真横まで迫った足を、逆側の手でしっかりと止めていた。
そして足首を掴み、大きな魚でも掲げるようにして腕を前に突き出す。
「俺の店で暴れるとは、学園の生徒にしては行儀が悪い」
「っ!! 陸道………」
少年が逆さ吊りの状態で見た相手は、言わずと知れた“六家”の陸道家。その次期当主と目されている男……陸道 鏡。
俺の店……と言うのは、この場所が陸道が所有している店だからだ。仁科黎明が街の必要悪を許容するにあたり、それらが暴走しないように管理する役目も同時に置いていた。
この店はそんな悪党たちの元締めが仕切る店であり、この日は私用で鏡が訪れていた……その点は間が悪いとしか言えないだろう。
「ん? お前は――――」
そこで数秒前とまったく同じ事が起きる。
今回に出現したのはエアバッグではなく、金属製の野太い棍棒だ。通常の筋力では持ち上げる事も困難なそれを虚空から勢いよく射出した。
「ぐっ――――!」
鏡が回避する拍子に手を放し、少年は再び自由を取り戻す。
だがそれを良しとする人間はこの場にはいない。硬直から立ち直った鉄火が振りかぶった拳を嬉々として少年に向けた。
「どわっ!」
少年は最小の動きで拳を躱し、殴り掛かる力をそのまま投げる力に変える。鉄火は天地を逆転させて厨房の壁に背中を打ち付けた。
逃げるなら今と逃走ルートを探して視線を走らせる少年。しかしそこで気づいたのは、警戒していたにも関わらず海北の位置を見失った事だ。
いや、姿が見えなくなったのなら好都合。居ない方へと抜ければ良い。
鏡を振り払ってからここまでの流れが一秒程。何故、自分が必死になって逃げねばならぬのか。
少年は腑に落ちない心持ちで、奥に見える扉へとひた走る。
「っ――――ちぃ」
直後、少年の足が地面に吸い付いて動かなくなる。全身への力の伝達も鈍くなり、首から下を泥に浸けているような感覚に縛られた。
『不動金縛』
四宮流を模した汎用型として退魔師の世に広まった顕術。
拘束力は力量差によるが、同格の相手には今のように動きを鈍らせる程度の効果で、尚且つ、自分の動きにも制限が加わる。
だが、この『不動金縛』は主に下半身へと拘束力を集中しており、その一点においては本家の顕術に迫る性能だ。
使用者、海北綱が顕術の成功を確認し、直上から少年の背後に降り立った。
「ごめん、大人しくして」
海北の指先から伸びる通力で出来た鞭。それが少年の華奢な身体をぐるぐる巻きにしていく。
海北綱はあらゆる能力が平均値で突き抜けた取り柄が無い。それ故に万能、柔軟な応用力。通力の形状を自在に変化させるという技術は実のところ高度な技で、誰にでも扱えるものではなかった。
「……おい、どうする?」
少年が誰にともなく口にする。
通信符を用いているわけでもなく、近くに仲間が潜んでいる気配も無い。
海北が側で訝しむのも構わず、少年の独り言が続いた。
「このメンツの中を逃げるのは無理だぞ………………ちっ、わかったよ。やるだけやってみる」
ピリッ――――
「熱っ!」
通力の鞭……『柔光剣』を通して海北の指先に凄まじい異物感が流しこまれる。
実際は大きな痛みも衝撃も無かったが、感度に直接働きかける幻術を注ぎ込まれたことで怯んでしまった。
集中が乱れたタイミングで鞭を振り解き、即座に海北の懐へと侵入。鳩尾に向けて低い姿勢から肘撃の構えに入る。
「危ないツナ!」
鉄火が急ぎフォローに入ろうとするも、位置的に間に合わない。
そこで咄嗟の判断から、日に焼けた脚部を目一杯に突き出して海北の背中にドロップキックを見舞った。引くも駄目、防ぐも叶わぬとなれば、後は体勢を崩して少しでも間合いを外すぐらいしか思いつかなかったのだ。
乱暴な方法だが、海北が肘打ちを食らう事は避けられた。
「な――――!?」
少年を押し倒す形で巻き添えにし、硬い厨房の床へと倒れ込む。
覆い被さった状態で、奇しくも動きを封じる結果となった。
「お、やったなツナ! そのまま押さえとけ………よぉ?」
鉄火は唖然とその光景に見いる。
言われてみれば確かに、と思えた。
声とキャラが記憶の中の人物と一致しなかったために、正体に気づけなかったのだと。
「お前っ――――佐助花じゃねーか!?」
キャップが外れ、艶のある黒髪が投げ出される。少年……否、正確には佐助花真朱の“三つの異能”が作り出した別人格、李李だ。のし掛かる体勢で慌てて李李の腕を押さえつける海北も、訳の分からない状況に目がぐるぐると回っていた。
「……悪ぃ、真朱。捕まった」
プイッと気まずい顔を背けた李李の誰へともない独り言が、静けさを取り戻した厨房に響いた。
過去編
『心の殺人(未遂)』
数年前、学校から下校中の海北綱に、それは起きた。
「へへへ、獲物ゲットー」
「おいおい、また随分とガキじゃねーか。可愛い顔してるからいいけどよ」
いかにも軽薄そうな今時の若者3人組に、いきなりバンの中へと連れ込まれた。
当時、退魔師として本格的な鍛練に入る前の海北には男たちの暴力に抗う術はなく、口を塞がれ手足を縛られ、ただ恐怖に震える事しか出来なかった。記憶に残るのはチャラチャラした男たちの出で立ちと、これから行う犯罪に関する下劣な会話、その節々に上がる下品な笑い声だけ。
男たちが一通り海北の楽しみ方を話し終えた頃、車は静かで人気の無い場所に停まった。
窓に掛かる仕切りをどけて外を窺う男。海北もその隙間から外を見るが、日は落ち、緑が茂る場所としか分からない。
きっとどこかの山中だ。叫んでも、誰にも聴こえないような場所なのだと直感する。
そもそも、犯罪者たちは海北が男だと知らない様子だ。事実に気付いたら、自分はどうなるのだろう。殺されるのか、それとも何事もなく解放されるのか。
正直、車内での会話を聞く限り、ろくな結果にはならないと分かっていた。
ああ……自分はもう助からないのか
悲観的な未来しか想像できない。
海北綱という少年は、絶望の直中に居た。
「カメラの準備完了ー。ではでは、早速脱がしていきたいと思いまーす」
男が海北の体をまさぐる。服の下に手を入れられ、指が胸部に触れた。
年齢からして体型や服装は男女どちらでも通用する範疇のため、幸か不幸か、まだ男だとは気付いていない。
身を捩り、ガムテープでくぐもった拒絶の声音を出すも、男たちは手際よく海北の衣服を剥ぎ取っていき………
「はあ!? お前、こいつ――――」
「だからもうちょっと上の年齢にしとけって言ったんだ! 最低でもスカート穿いてる奴にしときゃあ――――」
下着一枚にされたところで、男たちが揉め始める。
いよいよかと、海北は涙ながらに覚悟を決めた。この短時間の体験で、子供とは思えない精神の荒み方をしている。この恐怖が終わるなら、もう何でもいいと考えていた。
目の前の醜い罵り合いが終わった時、どうあれ自分も楽になれるだろうか。
そんな虚ろな思いで目を閉じた時、ガラッと車のドアが開かれる。
男たちも言い争いを止め、そちらを見た。
「どうも、こんばんわ。ここは私有地ですので、車を動かしていただけますか?」
少年の声だ。
歳は海北より一回り上ぐらい。
一人で居るのか、それとも他の大人も居るのか。それによっては、被害者が増えるだけに終わってしまうかも。
少年の声が、どうか希望でありますように
結論として、海北の願いは届いた。
思わぬ形ではあったが。
直後、海北の体が何とも言えない浮遊感に包まれる。
縛られていた手足が今の一瞬で自由を取り戻しており、気が付けば自分は下着一枚で誰とも知れない相手に抱きついていた。
肌寒い中、ギュッと抱き締めている相手の体温が、どうしようもなく心地良かった。
「心配ありませんよ。もう大丈夫」
相手はドアを開けた少年のようだった。海北に自分の上着を羽織らせ、次にそっと、両の耳を塞ぐ。
その行動を不思議に思う間もなく、海北の背後でドスンッという地面が揺れる衝撃と、肌を震わす轟音が上がった。
「人助けなんて、柄じゃないのですがね」
その時、後ろでは何が起きていたのか。
中に居た3名の犯罪者を乗せた車が、どうやってか高所から地面に叩き付けられていたと知ったのは、それから数日後の事だ。
海北を助けた人物は『橘』と名乗った。顔はよく見えず、覚えていない。
これも後に知ることだが、海北綱の命の恩人は3名の殺害で退魔師案件に登録されたのだとか。
海北はいつか、その橘という人物を見つけたなら、絶対に恩を返すと決めていた。
故に海北綱の進路は警察組織でも退魔師案件を扱う部所である。
間違っても、その恩人を捕まえたりしないように
118話現在
『心の殺人?』
「話し掛けんな、オカマ野郎」
(いやあああ~~~!!!)
李李が顔見知りに向けて暴言を吐いた時、真朱の悲鳴が脳内に響き渡った。
この日、この一帯は風紀委員会が受け持つ事となっている。そこへ何故、隣の地区を担当している筈の海北綱が現れたのかは不明だ。
しかし、柄の悪い男たちから助けようとしてくれた彼らに対し、あろうことか李李の態度は先程のチンピラが可愛く見えるものだった。
(李李っ、リイりい!? お願いだから言葉を選んで! 今すぐ謝って!!)
控えめに言って、最悪の状況だ。この上、自分の正体が風紀委員の佐助花だとバレたら………考えただけでも背筋が凍る。
今後も平穏無事に学園へ通いたければ、何としても素性だけは隠し通さねばならないだろう。
真朱は失礼を働いた弟を叱りつけながら、穏便に話を付けさせようとしたのだが………
「――――鬼の類いか!」
「ふん。短絡的だな」
(やめて~~~っ!!!)
海北が戦闘体勢に入ってしまった。
その上さらなる暴言。最早、話し合いの道は断たれたと思って良い。
(逃げて李李! 早くっ! はりあっぷ!!)
脳内で大音量に鳴り響く真朱の悲鳴。李李は若干うんざりしつつ、冷静さを失っている真朱の代わりに民警の腕章を取り出してみせた。
「民警だ。あんたら人の担当区域に入っておいて――――!?」
(ふぇえ~~~ん! 何でこんな事にぃ……)
時すでに遅し。
悲しみに暮れる真朱を置き去りにして、事態は物騒な方向に進む。風紀委員次席の松平二郎、その式鬼神である鉄火がやる気になってしまった。
今となっては、戦闘は李李が得意だからと夜間の見回りを任せっきりにしたのを後悔するばかりだ。
「そこで止まれ」
(まさかその人――――止めて李李お願い!?)
「邪魔だオッサン」
この瞬間、真朱の心はへし折れた。
李李はと言えば、元凶のくせに何とも他人事のような態度である。
この期に及んで、「……おい、どうする?」はないだろうに。
「このメンツの中を逃げるのは無理だぞ (うるさーい!! いいから死ぬまで足を動かし続けるの!!) ちっ、わかったよ。やるだけやってみる」
結果………
「……悪ぃ、真朱。捕まった」
佐助花真朱の心が死んだ




