第117話 集う者たち3
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きゃああああ!!!(←作者の悲鳴)
な事態は断固阻止。
「お尋ね者同士、気楽に行こうぜ」
カジュアルな服装でニカッと笑う少年はその実、100年を生きる老獪な退魔師だ。
仁科黎明……退魔師協会の会長からその地位を追われた男にしては、その表情は晴れやかだった。
「レイ、厳密にはお前はお尋ね者ではなく囚人だ。島流し、というやつだろう」
小麦色の肌に長身の男……黎明に雇われた元“聖堂騎士”、イグナシオ。
海外での活動中、黎明に惚れ込んでその後も行動を共にしている。現在では黎明が最も信頼を置く仲間の一人だ。
「差し詰め、九良名は流刑地ってか? 人様の家に向かってあんまりな物言いだな」
「罪人の行き着く場所と言う意味ではこの上なく正しい。そこの“鬼”どもが証拠だ」
話を振られた一行……感じの良い青年と、薄着にも思える活発で若者らしさを感じさせる服装の少女、その後ろから不安気に顔を覗かせる幼い女の子。うち二人は“酒呑翁”と“鬼王・八重波”……超が付く大物たちである。
本来なら退魔師の親玉とも言える黎明と、その辺でバッタリ出会して良い相手ではなかった。
「ふーんだ! こちとら別に行き着いたわけじゃねーやい!」
「ヤエの言う通り、ちょっと通り掛かっただけです。出来れば穏便に……見逃してもらえると有り難い」
“酒呑翁”は柔らかい物腰の裏で、どのタイミングでも逃げ出せるように身構えていた。
こういう状況では、何を言っても八重波が殿として足止めを買って出ると分かっている。それを踏まえた逃走経路を脳内でシミュレーションして、僅かでも生存確率を上げるぐらいしか“酒呑翁”には出来ない。なにせ仁科黎明とこの場で相対するのは想定外に過ぎる事態だ。
状況は限りなく最悪………そう考えていた“酒呑翁”を嘲笑った訳でもないだろうが、黎明が放ったあまりにも自然体な一言は、若き青年の空回りを物語るものとなった。
「おう! いいぜ、ゆっくりしてけよ」
「………それだけ?」
面食らうとは、今の“酒呑翁”の事を言うのだろう。
完全に真に受けてはいないが、思わずといった感じに張り詰めた表情筋が弛んだ。
「ああ、今やここは俺の唯一の居場所だ。家の中でお前らとドンパチなんて冗談じゃない……なんだったら持て成してやってもいいが?」
「いえ……それは高く付きそうなんで、またの機会に」
「宿は決まってるか? ホテル用意してやるぞ」
「長居しない予定なので」
「そっか………気が変わったら連絡してくれ。世の中は持ちつ持たれつってね」
「ご親切にどうも……それでは先を急ぎますのでこれで。うちの扶養家族が冬の新作をご所望でして」
「……それってヤエのこと? ヤエちゃん養われてたの!?」
何度も立ち去ろうとし、その度に足を止めてきた一行。愛想の良い少年の顔をした黎明に見送られて、三人は今度こそ場を後にした。
軽い会釈を残す“酒呑翁”に宥められて去る様子からは窺い知れないが、八重波にあるのは強い警戒と安堵。文句を言っているのは、弱気を悟らせないための強がりだ。
早々に気配を隠したのは、その証拠であった。
「……いいのか? 野放しにして」
「見た感じ、分別はありそうだったからな。下手に締め付けたりしなければ無害だろうよ」
「そうか。なら、こっちはどうする?」
イグナシオが指し示したのは焔だ。
ティータイムも終わり、こちらも後は立ち去るだけ。
一応は休戦が成っている間柄である。イグナシオも尋ねる形をとってはみたが、引き止める理由は無いとも分かっていた。
「こちらさんはお客だ、ただ帰すのも芸が無いし………そうだイグナシオ、お茶にお誘いしろ」
「は? なんで俺が」
「俺が誘ってもオッケーするわけないだろう。お前そこそこ美形なんだからさ、ちょっと引っ掛けて来てくれよ」
「茶を飲み終えて帰ろうとしてる女を茶に誘えってのか? 無茶を言うな」
「はは! お前うまいこと言ったな」
「おいふざけてる暇無いぞ。女が行っちまう」
どっちが軟派するかで揉める男子学生のような掛け合いに、焔が呆れて踵を返してしまう。
慌てた挙動でそれを制止しようとする黎明の姿などは、正に相手にされない学生そのものだった。
「待って待って! あんたとゆっくり話がしたいだけだ」
「お家に帰りなさい坊や」
「そんなぁ、おねぇさん。ちょっとで良いんだって」
嫌がる女性をしつこく誘う軽薄な男………
飛英が急拵えで張った『人避け』の範囲を抜けてしまえば、黎明の姿はタチの悪い輩として通行人の目に映っていた。
速足で道を行く焔を追う形となっているため、必然的にイグナシオも同じ目で見られている。とんだ巻き添えだ。
「なぁ、橘花院の事なんだけどさ。俺も会って話がしたいんだよなー……斑鳩の後でいいから頼んでくれない?」
焔の足がピタリと止まる。
ある程度は予想していたことだが、やはり縁との関係は知られていた。
未だ阻止に動くでもなく、隠す様子もないことから黙認の立場なのだろう。気掛かりは、どこで嗅ぎ付けたのかだが………
「斑鳩がどう言ってたか知らんけど、あの女には気を許さない方がいいぞ。お前と接触した直後に上機嫌で報告してきたんだからな」
「あの女………」
完全に信用したつもりは無かったが、ここまで清々しい二枚舌とは正直驚いた。
縁との会話を思い返せば、確かに嘘を言ってはいない。しかし、一部誤った情報を焔に与え、巧妙に誤解や曲解を招いている。そういう意味では食わせ者も良いところだ。
それでいて煮ても焼いても食えそうにないところは……認めたくないが士緒が好みそうな気質でもある。夜会をセッティングしたことを、焔は早々に後悔し始めていた。
「まぁ面会は無理にとは言わない。ここ暫くの報告書を読んだけれど、俺に復讐したいんだって? そんな奴が俺と会ったらガチバトルもあり得るし、今はまだ避けたいと思ってるんだろ………どうせ復讐とやらも建前だろうしな」
「………建前? 若が欺瞞を口にしているとでも?」
「俺はそう考えるね。だってさ、俺が橘花院の生き残りに恨まれるってのが、俺に言わせりゃおかしな話なんだよ」
「……………どういう意味です」
焔の人を殺さんとする目。地の底から響く憎悪の声音。
黎明の物言いは明らかに、責任を感じていない一言である。士緒を慕う者が聞けば、大なり小なり激憤を露にするのは確実だろう。
仲間内では冷静な部類の焔でさえ、感情を隠しきれていない程だ。
とは言え、黎明の放った言葉は焔が思うような責任逃れとはまた違う……より最悪の発言だった。
「橘花院は、俺がこの手で滅ぼした。生き残りが存在する筈はないのに、誰が俺を怨む」
「―――――」
「教えろよ。橘花院士緒とは何だ? 何が目的で橘花院を騙る」
質問に対する焔の反応は静かなものだ。
本気で口にしたのか、あるいは挑発だったのかはどうでもいい。
慕う男が仇と定める相手の身勝手な言葉に怒りを覚え、呼吸を忘れたのも一瞬。自然な足取りで歩み寄り、聞き取りにくい音量で焔が二言三言を紡ぐ。そして黎明の喉笛に手を掛けようと腕を突き出した。
「っ―――!!」
突き出された腕は横合いから伸びる見えざる手によって掴まれていた。
それは黎明によるものではなく、大事を望まない“真ノ悪”の身内であった。
「まさかこれ程の『呪術使い』だったとはな………出自は土御門か?」
焔の掌には、現状で持ち得るありったけの『呪力』が込められ、触れれば例え黎明であっても万が一があり得た害意の塊。最悪でも死にはしないと高をくくっていた黎明も、蓋を開けてみたら冷や汗が吹き出る事態だ。
街一つを埋め尽くす量の『呪い』が黎明のせいで解放されなかったのは、幸いとしか言いようが無い。
「ガウェインっ、邪魔をするのですか!」
焔は自らの腕を掴む虚空に向けて怒声を放つ。
感情的になり、自分の犯している失態に気付いていない。
(焔様、これは五郎左様の計画には無いことです。どうか博打はお止めください)
「貴方が邪魔をしなければ勝っていた博打です。それに間違って殺していたとしても、計画の修正は可能でした」
(この言い方はしたくありませんでしたが………若が望まれません)
「っ…………」
怒りに我を忘れた状態でも、その言葉は劇的な効果をもたらした。
身内間では、こんな言い方をされて逆らう者の方が珍しい。偏に橘花院士緒のため……そう思うからこその魔法の言葉である。
焔は不満がありありと出ている顔で、渋々と手を下ろす。
見えざる手の持ち主も、存在しないながらに胸を撫で下ろした。
「………“猟犬”。貴方は自分が、どれ程に狂った思想に手を貸しているのか分かっていないのでしょうね。貴方だけではない……多くの人間が、自分もこの男の正義に共感できると勘違いしている」
「ふん。俺は正義なんて、ちんけな言葉は信じないものでな。ましてや、この馬鹿が正義の味方だと勘違いする事もない。なぜならこの馬鹿は、真顔で悪事を働くなんてことに向かないだけで、基本的にならず者だからだ」
「イグナシオお前、二回も馬鹿って………」
その時、焔の表情を見たイグナシオは激しい懸念に襲われる。
返ってくるのは聞き分けのないイグナシオを侮蔑する顔や怒りが強まった顔だと予想していた。しかし、実際の焔から読み取れるのは、皮肉っぽい微笑と憐れみだけ。
正義は信じないが黎明の事は信じられるとか、この男には賭けてみる価値があるとか、世界を変える可能性があるとしたらコイツの事だとか……その手の議論に発展すると身構えていたのに、それらしい気配はない。
焔はただ、諦めていた。
他者の理解も、崇高な目的を讃える言葉も、愚か者を救い出す事も。
それこそはある種の人間味に溢れた表情……他人事を遠目に眺める、冷たい表情だった。
「先程の質問に答えましょう、仁科黎明。橘花院士緒とは……貴方がたにとっては亡霊であり、悪夢そのものです」
焔はそれだけを言い残し、もう完全に相手にしないとばかりに強い足取りで背を向ける。
頑とした姿勢に、今度こそ掛ける言葉を失った黎明は、静かにその背中を見送った。
「なぁイグナシオ、さっきあの女を止めた何かだけど……お前、視えてたか?」
「いや……お前は気付いてて放置しているのかと思ったが、そっちも把握していなかったのか。女を止めてからもずっと気配を探っていたが、居ると分かってても全く掴めない………どうなってる」
「橘花院が使う穏形でもないな。今のは存在を隠すとか、気付かれない事とは別次元だ。ひょっとしたら、今もその辺に居るかもな」
「間違いなく何らかの制約がある筈だ。でなければ暗殺だけで世界征服ができちまう」
「そうだな………ま、とりあえず学園に行くか。会話から少しは情報も手に入ったし」
「呪術師……10年程前まで、土御門という一族が擁していた力か。呪術とやらの体系や方式を真似たのが、退魔師も使う『呪い』というものだったな」
「そうだ、10年前………危険分子として協会に粛清されるまでは」
「……レイ。橘花院と土御門の事で、あれこれ詮索するつもりは今のところ無い。だが、一つだけ答えてくれ………正しい行いだったのか?」
「…………必要だった。それしか言えない」
「必要……そんなものに迫られている時点で、正しい行いである筈もないか。尤も、さっきも言ったが俺は正義なんてものは信じない。お前がどんな必要に迫られたとしても、俺は支持してやるよ」
「………ああ、サンキューな」
感謝を口にする黎明の表情は、決して明るいものではない。
その言い知れぬ罪悪感にまみれた顔は、二人が学園に着く頃まで続いた。
★
「ぐぁああああ~~!!? 許してくれ亜笠ぁああ!!」
約一年半ぶりに学園へと帰還を果たした理事長……仁科黎明の顔は直前までの罪悪感から一転、石を抱かされて苦悶に満ちていた。
学園長室のデスクに後ろ手に縛り付け、鋭い凹凸が刻まれた板の上に正座させられた上に、脚には平たい石が何枚も積まれている状況。
これは長時間続ける事を前提にした拷問である。鬼が元は人間である事実や橘花院に絡む因縁……それらを黎明の口から聞けなかったことに、亜笠はそれだけショックを受けていたのだ。
その報復としては些か惨い気もするが………一緒に学園長室を赴いたイグナシオに亜笠を止める勇気は無かった。
「許してくれー? よくもそんな事言えたなクソジジイ。こちとらあんたの隠し事の多さには愛想が尽きた」
「おまえ愛想が良かった事なんて殆ど――――」
ドスンッ
「んぬぁあーーー!!? 7枚目はムリだって~~!!」
「洗いざらい話して貰おうか。アタシの知らない事情が無くなるまでな。幸い、時間はたっぷりある」
「お、俺の脛には時間が無いかも………」
徐に8枚目を取り出した亜笠を、ジェーンが慌てて制止に入る。
元より怒りの制御が弛みがちな亜笠ではあるが、流石にこれ以上は黎明を慕う金髪の美人秘書にとって、少々忍びない光景と言えた。
「が、学園長、落ち着いて。きっと理事長にもお考えがあって――――」
「だとしたら考えが甘ぇーんだよ!! お前が甘い顔をしても、アタシは許さん。手始めにぶっ殺す」
「殺しちゃダメですよお!」
二人の押し問答は暫く続いた。
時間が経過して亜笠の頭も多少なりと冷え、ジェーンの説得を受け入れたのは黎明にとっては良かったのだろう。亜笠が冷静になるのに要した1時間ほど、石を抱いたまま放置されていなければだが。
「痛つつ、暫く見ない間に残虐性に磨きをかけやがったな亜笠………んで、何から聞きたい?」
檸梨市の事件を切っ掛けとして浮き彫りになった退魔師協会の闇……それに漸く食い込める機会である。亜笠、ジェーン、息を殺して部屋の隅に避難していたイグナシオの3人は、逸る気持ちを抑えて話の進展を促した。
「橘花院だ。何であんたが10年前の暴挙を起こしたのか、言い訳を聞かせな」
「そうだな………最初の言い訳としては、玉藻の前とかいうイカれた奴を信じた事だろう。そこから始まった」
黎明は語る。
事の起こりは10年前、“白面金毛”こと玉藻の前の言葉だった。
★
10年前 試験都市 “九良名”
大規模な街の設置から十数年が経過した当時、全体の都市機能が十全なものとなり始めた頃。
その夜は未開発地域の雑木林が残る一角に特一級の鬼が出現したとの報告が“社”に届き、手隙だった黎明が単騎での討伐を買って出た。
しかし、わざわざお気に入りの衣装――将校をイメージした軍服もどき、半身を覆うアシンメトリーのマント、シンプルな軍帽など――を着こんだものの、対象の鬼は特一級とはいえ単純に強いだけの鬼。最強の退魔師にとっては作業のように調伏が済んだ。
たまの戦闘だと張り切った割には、肩透かしの不完全燃焼である。
「やっぱ直衛として動かせるチームを作りたいな。まさか潤沢に集めた筈の人手が足りなくなるとは……街をでかくし過ぎたか?」
現場仕事に耐える人材の育成、後方支援の充実、九良名を基点に各地への退魔師派遣システムの構築が思いのほか好調なのは喜ばしい。
しかし、九良名の成長が予定よりも早足に進んでいるせいで、現場レベルでの人員が不足している。退魔師の遠方への派遣や急激な仕事の増加が悪い具合に重なり、協会本部としてのキャパシティーを超える事態に陥っていた。
「順風満帆すぎるのも考えものだな。もっとサボってりゃ良かった」
坂道を転がり落ちるにも似た事業の成功。そこにブレーキをかけたいと言うのは贅沢な悩みだが、転がり落ちている身としては切実だった。
ふと、周りを見回す。
街の拡張も着々と進み、鬼の調伏を終えたばかりのこの林にも、近く人の手が入るだろう。
住宅街に隣接する平凡な雑木林たが、月夜の明かりがどことなく幻想的な光となって差し込む光景は、厨二病に片足を突っ込んだ黎明の心を揺さぶる。
開発遅らせようかな……と、本気で検討し始める程度には。
「………誰だ」
下手な感傷に浸っていた黎明が腰の剣に手を添える。
アシンメトリーのマントが風に翻り、自然体で被せるような手の動きを晒していた。
「わたしよ、黎明」
雲間を抜く月明かりの下に姿を晒したのは、最近のマイブームだというビスクドールの装いを纏った黒髪の美しい少女。重力を感じさせないフワッとした足取から、上目遣いに黎明を覗き込んでくるのは“白面金毛”……数十年来の付き合いがある者は“玉藻の前”と呼ぶ女だ。
仁科黎明が社会の怪物として振るう尋常ならざる権勢。人間が数十年程度で得られるはずもない格別の地位は、この女の力添えによって得られたと言っても過言ではない。
“大聖堂”がこの事実を知れば、正しく悪魔に魂を売ったのだと揶揄し、罵詈雑言を吐き捨てることだろう。
二人の関係とは、敵同士であり、一種の協力関係でもあり。友情とも愛情とも違う不可思議な絆とでも言うべき何かであった。
「事業は順調みたいねー。嬉しい悲鳴が聞こえたわよ?」
「独り言をいちいち拾うなって。また便利な魔法で問題を解決できるなら、喜んで頼らせてもらうけど」
「あらまぁ、図々しいお坊ちゃんだこと。貴方にはまだ山のような貸しが残っているんだけど?」
「村正に殺されそうだったのを助けてやったろ。襲撃情報のリークはハイリスクだってのに」
赤坂村正。
当時から災害級の鬼を単独で調伏できる実力を持つ故か、退魔師の中でも特に多忙な、全国を飛び回る男であった。堅実にして確実な仕事ぶりで、任務の成功率が協会内でも群を抜く人物としても有名である。
そんな村正が目を付けたともなれば、喩え“白面金毛”が死の概念を持たない存在だとしても、恐らくタダでは済まない。肉体が消滅すれば復活に百年単位の時間を要するのだから、面白くは思えないだろう。
結構な借りを返したと、黎明は認識していた。
「わたしが居なくなって困るのは貴方でしょ? 随分と高く貸し付けてくれるじゃない」
「わーってるよ。だからアイツには別の仕事を回して、お前から遠ざけてやったろ。これで暫くは忙殺できる筈だ」
「若くて有能なのに血の気が多いわよね、彼。貴方でも制御しきれないなんて、項羽とか呂布くらいだと思ってたのに」
「……んで? まさか雑談が目的で来た訳じゃないだろ。接触しやすいように一人になってやったんだ、用件を言えって」
前日から玉藻の前が接触のタイミングを測っている気配を察知した黎明が、この晩に行動を起こしたのだ。
それなりに長く血生臭い歴史を持つ二人は、今回のような事が少なからず求められた故の、息の合わせ様だった。
「うふふ……気が利く良い子ね、黎明。わたしのお願いを聞いてくれたら、もっと好きになってあげるわよ?」
「お願い?」
「大した事じゃないわ。ちょっと人間の隠れ里を一つ、滅ぼしてくれるだけで良いの」
「……………は?」
数十年は長い付き合いだと思っていた黎明だが、玉藻の前から理解できない言葉が飛び出したことで考えを改めた。
自分はまだ、この女を知らないのだと。
「誤解しないでね。ちゃんと貴方が納得できる理由もあるんだから」
「俺に人殺しをさせようとして、それを俺が納得する理由があるって?」
里を滅ぼす。そう言った時の玉藻の前に感じた違和感……いや、強烈な悪寒は拭いようが無かった。今までとは決定的な何かが違っていると、警戒心が本能から沸き上がってくる。
「これは貴方のためでもあるのよ。と言うより……世界の平和?」
世界の平和……そんな陳腐なセリフを意味も無く口にする女ではない。軽薄に見せて思慮と抜け目無さの塊だ。
不信感が募る現状では断言を躊躇うが、きっとこれは本気………なのだろう。
「……隠れ里とか言ったな。俺が知らないような集団が、この国に存在しているのか」
「そう、すこーし特殊な一族でね。歴史自体は浅いんだけど、持ってる禁忌が問題なの。『天道無楽』っていう、世界を殺しかねない代物が」
………まただ。
またしても大仰な言葉が出てきた。
これはいよいよ深刻な事態なのかもしれないと、気を引き締め直す。
「世界を殺す、か……それはお前も殺せるって事だな。真の意味で消滅するとなれば、流石に命が惜しくなるか?」
「そりゃね、当然でしょ? まぁでも、わたしよりもっと戦くべきなのは、貴方たちじゃないかしら」
「…………」
「そんな恐い顔しないでよ。『天道無楽』は危険なの。もしもこれが使われたら、この美しくも儚い世界が崩れ去るのだから」
まるで舞台にでも立っているかのような芝居がかった所作で、玉藻の前は周囲の景色を愛おしそうに撫でる。
オペラでも歌いだしかねない浸り方だ。身体をクルリと踊らせて、身長ほどの長い黒髪が反射した月明かりを引く様は、正にこの世ならざる美しさを魅せていた。
黎明もこんな時でなければ優雅に見蕩れる余裕もあったろうが、今は酔狂に月見など望むべくない。
「人の願いを叶える術式よ。それも、なんの対価も必要とせず、世界がそのツケを払う類いの。叶え方は人それぞれでしようけど、そんなイカサマみたいな力を使い続ければどうなるか………解るわよね?」
「世界を消費するだろうな。『裏返り』に呑まれるか、あるいは表裏関係なく、存在そのものが食い潰されて………」
「地球がヤバいなんて、のんびりした事は言ってられなくなる………うふふ」
会話の内容にそぐわない愉しげな微笑。
何かがおかしいのに、それが何かは分からない。黎明は激しい胸騒ぎに駆られるも、玉藻の話に耳を貸さずにはいられなかった。
これまで二人の間に築かれた信頼は、この日のためにあったのではと勘繰る程、黎明の心は不穏に乱れていく。
「けど悪いことばかりじゃないわ。毒も薄めれば薬になるっていうじゃない? まぁ、『裏返り』すらも利用しちゃう貴方には釈迦に説法だろうけど………ふふふ、モノノケやら鬼とか呼ばれるわたしが釈迦に説法だなんて、ちょっと皮肉が過ぎたかしら?」
「……お前なら、どうやって薬にする?」
「簡単よ。現存する術式は三つ……そのうちの一つを砕いて使うだけ。けど、件の隠れ里の一族……橘花院にはその気が無いみたい。禍根を絶たない限り、また同じことを――――」
「っ!? 橘花院、だと」
九良名学園理事長の黎明にとって、橘花院ほど記憶に刻まれた名は無い。
試験都市九良名において、退魔師の育成も行える学園の設立は急務であった当時。そんな急拵えで運用を難航させていた未熟な学園の基盤を、学生ながら磐石な土台へと昇華させた生徒会長がいた。
あのマサキが一目置き、懇意にしていた男。かく言う黎明も親交があった、橘花院 日向である。
(世界を喰らう禁忌の術………なるほど、マサキが入れ知恵していたとすれば説明がつく。いかに奴が天才でも、歴史の浅い一族が一長一夕に作れるモノじゃない)
真桜 静……アレも相当の禁忌だ。
世の均衡を崩すバランスブレイカー。その記憶には黎明が全力の封印を施しており、間違っても外には漏らしてはいけない人物である。それ故の万全な封印だったが、それが油断を招いた。
恐らく橘花院日向は、どうやってか封印を抉じ開け、その記憶から必要な知識を得たのだろう。始めからそれが目的で学園に入ったのかは分からないが………
「橘花院……才能の塊みたいな子だったわよね。貴方が箱庭を造って遊んでるのを、わたしも外から見てたけど………殺すのが惜しくなるくらい楽しめたわ」
「……………」
「でもね、禁忌の術は存在しちゃいけないの。この世界もある程度なら許容する器は持ってるけど……あんまり歪みが大きいと、わたしや“死神”みたいな調律役がいても厳しいわ」
「“死神”の奴等がそこまで上等な存在とも思えないが……とにかく、橘花院の禁術が問題なのは分かった。なら、そいつを取り上げちまえば――――」
ちっ
剣呑な色の乗った玉藻の舌打ちは、数多くの修羅場を越えてきた黎明をも凍りつかせた。
そして、久しく感じていなかった本能的な怯えは、一瞬の間だけ全身の筋肉を強張らせる。
「ちょっと、ぬるいこと言わないでよ。もうそんな事言ってる段階じゃないの。こんな危険な代物、可能性の一つも残しちゃいけないのよ?」
「さっきはネコババするようなこと言ってたろ。薄めて薬にするか知らんが、あまり虫のいいことは言うな」
「彼等には出来なくて、わたしには出来る……理に適ってると思うけど」
「………………」
このまま耳を傾け続けて良いものか。正直、今の流れで玉藻の思惑に乗りたくはない。
そもそもの話、禁忌の術についての情報はどうやって手に入れた? 正確な情報なのか? 具体的に何が出来てしまうのか?
裏を取るには時間がかかる。しかし、もしも本当であれば一刻を争う案件。
黎明の判断材料は玉藻の言葉のみ。それを鵜呑みにするべきかの決断を迫られていた。
「まだ決められない? まったく、手間のかかる子ね……かわいい」
玉藻の前は指先を後ろ手に絡めて、妖しい笑みを浮かべながらユラユラと黎明に近づく。
一見すればあざとい仕草だが、迫られる側は不穏な怖さを感じ、飛び退いて逃げ出したい衝動に駆られている。
この時に飛び退いて縁を切るべきだったと、後に悔やむ事になったわけだが。
「貴方がやらないなら、わたしがやっても良い。もちろん、他の退魔師は黙らせといてもらうけど」
黎明の耳元で聴こえるのは、悪魔の囁きそのものだ。
人の身で抗うには、余りにも甘美な音だった。
「でも橘花院の坊やったら、わたしへの対策が執拗すぎて手が出しにくいのよ。そ・こ・で、貴方が代わりにやってくれるなら………ご褒美として『時間』をあげる」
「時間………?」
「そう。貴方に残された時間が刻一刻と減っているのは分かるでしょ? 若さを保って寿命を引き延ばして、せいぜい百年かしら」
「俺の延命が報酬だと? くだらない」
とある個人的な事情から、黎明は封印術による時間の停滞を行っていた。
しかし、それは人よりも長生きできる程度であり、完全な不死ではない。それも仕方ない事だと割りきってもいる。
叶うなら目的が果たされるまでは生に縋りつきたいが、人の道から外れてまで生きるつもりはなかった。
玉藻の前が、甘い誘惑を口にして揺さぶるまでは
「残りの寿命で、貴方の大好きなヘルメスに会えると良いわね。ちなみにだけど……わたし、ヘルメスが何処にいるか知ってるのよ?」
ヘルメス
その名前が黎明の心に楔のように突き刺さっていると知っていた。そこを押せば黎明の心が動く事も。
それこそが、その後10年間の過ちの分岐点だとは、知る由も無く。
黎明が1時間ほどの石抱きから解放された直後のこと。
「ぬぅおぉおぉぉ~~、死ぬかと思った………ジェーン結婚しよう」
黎明が奇妙なテンションでそんな事を言いだす。この場にケイトやリサが居たら軽く修羅場に発展しそうな言葉に、しかしジェーンは毅然とした態度で返した。
「理事長、そういう言葉は軽々しく言って欲しくありません。少なくとも私は、冗談で結婚しようなんて言われるのは不愉快です」
芯の通った確固たる意志だ。
好意を寄せる相手から言われてドキッとしたのは否定しないが、そこはキッパリとはね退け、言っておかねばならない。
黎明は足の痛みに悶えながら、真っすぐにジェーンを見て謝罪を口にする。
「すまない、軽口が過ぎたな」
「今後こういった冗談は私以外に言っちゃ駄目ですよ?」
久しぶりに黎明と会えたからか、ジェーンのテンションもやや高い。側に亜笠が居るのも忘れ、少しだけ親しげな空気を出してみる。
声は常よりも微妙に優しく、口調は僅かばかり崩して。
端から見ている亜笠はと言うと、明らかに浮かれたジェーンの様子に呆れ顔だ。図らずも、自分が信頼する秘書のために噛ませ犬となった事への、何とも言えない胸中がため息となって溢れていた。
「本当に悪かったな、ジェーン。もう二度と言わないから」
「え!? ちょ―――本気の時には言っても構わなくてですね!!」
「痛つつ、暫く見ない間に残虐性に磨きをかけやがったな亜笠………んで、何から聞きたい?」
「いきなり真面目な話に戻らないでください!」
鈍感無神経っぷりに磨きをかけた黎明であった。




