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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
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第116話 集う者たち2

 

 九良名(くらな)市、メインストリート。

 飲食、服飾、家具、家電や雑貨まで……街の全ての生活機能を揃えた場所であり、およそ手に入らない物が無い。

 九良名は元より試験都市と銘打った街。最新の品物や技術、制度または法令などを率先して施行し、前例と言えるものを作りだす。

 異例と特例を詰め込むだけ詰め込んだ街は、仁科黎明という怪物が先頭に立ったからこそ実現したシミュレーション装置。理想の足掛かりとも、現実を切り開く剣や盾とも、転ばぬ先の杖とも呼べる代物である。


 とは言え、いかに大仰な言葉を並べていてもだ……住まう住民にとっては至って普通の日常を感じさせる、ただただ住みやすい街でしかない。

 整備され尽くして雑味の無い大通り……建ち並ぶモダンな店舗に溶け込んだオープンテラスカフェにて優雅な読書に興じる少女には、街の本質的な部分など一片の興味も無いのだ。


 雲が陽光を遮り、冬の冷たい空気が肌を刺さんばかりの中、オフホワイトのシャツとパンツスタイルが絶妙にフィットする大人びた少女……斑鳩(いかるが)縁(えにし)は、コーヒーカップに口を付ける仕草から吐息までが艶っぽく映える。通りを行く軟派な男共が目を奪われては、しかし声を掛けるには高いハードルと分厚い孤独空間によって近寄れずにいた。

 サラリと流れるセミロングの髪を耳の後ろへと引っ掛け、手元の本を読み進める姿はいっそ溜め息が零れる程に神々しい。


 切りの良い所まで読んだ本を置き、横の椅子に掛けられたアウターのポケットから携帯を取り出して時間を確認する。それだけで離れた場所からは切なげな声と、よそみ運転の事故による煙が上がっていた。


「やれやれ、良い女は落ち着いて人も待てないな。学園の制服を着ていた時はここまでではなかったのだが………お前が加わったら更に人目を引くと思わないか?」


 道行く人の視線を愉快そうに受け止め、待ち合わせの時間丁度に現れた相手を、目元に皮肉っぽさが浮かんだ笑みで迎える縁の声。

 対するはスラリと着こなしたレディースのスーツがクールな印象を際立てる飾り気の無い美貌。“真ノ悪”より五郎左の指示を受け、“鬼王・斑鳩”と面会する事になったミス・オーバーワークこと、焔(ほむら)である。


「ここでの顔合わせも初めてではないのですから、今さらコソコソする理由も無いでしょう。協会と“真ノ悪”の間で不可侵の取り決めが成っていますし、このくらい目立ったところで何だと言うのです」


「私が貴様らに……正確には橘花院士緒にだが、個人的な接触を図ったと黎明が知れば煩いぞ? 実はまだ契約が完全に切れていないのだ」


「式鬼神の契約ですか………いいでしょう。単純な契約術式なら破棄は可能です。その後、貴女はこちら側に――――」


「それは断る」


 席に着こうと椅子を引いた焔の動きが止まる。

 眼光鋭いその瞳が語るのは、敵対か協調かを明確に問う意思だ。

 梢が最初に接触を受けた時の話では、縁は橘花院士緒を目当てにしているとの事。ここに来てそれを翻すとは何のつもりなのか……事と次第によっては、この場で“鬼王・斑鳩”と戦争になる未来も頭を過った。


「勘違いするな、“真ノ悪”。私は極めて個人的な関係構築を願い出たのだ。そちらの傘下に入るかは、その個人的な関係(・・・・・・)如何による」


 露骨な意図が透けて見える縁の言葉は、詰まるところ政略的な男女関係を要求していると言って良い。

 私の力が欲しければ○○を寄越せ……恥も外聞も関係無いとばかりに低俗な要求を突き付けているのだ。


「私が黎明と交わした約定は、『望んだモノを一つ、例外無く譲り受ける』といった感じのものでな。橘花院士緒を手に入れるのに、別に貴様らの側に居る必要はない……契約の事を考えれば、黎明に手を貸して“真ノ悪”に殴り込み、橘花院の身柄を押さえても良いわけだ」


 このまま黎明の下に居続けるのは、一種の保険。蝙蝠(こうもり)の立ち位置から動かなくとも、望みは叶えられる……それを後ろめたさも無く堂々と言ってのけた。


 縁の攻撃的な交渉を前に、焔の頭はむしろ少しずつ冷めていく。

 “真ノ悪”には絶対強者の余裕がある。“鬼王・斑鳩”が改めて敵に回る程度なら許容範囲……それどころか焔としては、士緒をつけ狙う女を殺す大義名分が得られて都合が良いくらいだ。

 思考の邪魔になる熱が抜けた事により、席に座って縁に向き合う姿勢を整えられた。


「先日、梢が受け取った銀箭(ぎんせん)羽々矢(はばや)に関する有力な情報に免じて、今の発言は聞き流す事にします。では差し当たって、貴女は若との対談を望まれるのですね?」


「……思ったより冷静で詰まらん。あぁそうとも、私は奴と二人きりで言葉を交わしたいだけだ。その際、この魅力をもって籠絡してみるのも悪くはない」


「変な気を起こさないことです。貴女がどうこう出来る方ではありません」


「ふふ……かもな、期待するだけ無駄かもしれん。貴様や“千影”などが、未だ手をこまねいてる状況を見てしまっては」


「ふっ、梢と一緒にしないでもらえますか? 着々と計画は進んでいます………最後に笑うのは、この私です」


「そうか、出遅れて笑いものにならなければ良いな。泣きを見る事になる」


 縁がこれ見よがしに指先で唇をなぞる。その狂おしいまでの劣情を抱かせる艶美な仕草が、何を指しているのかは明白。

 梢から聞いている……例のキスの一件。

 その点で先んじた事を優越感と共に知らしめ、焔を挑発しているのだ。

 弱味を見せた相手を揶揄(からか)って愉しむ……享楽家である縁の基本スタイルであった。


「……若は最終的に、私の働きを最も高く評価してくださると信じています。だいたい、キスが何ですっ……私なんか、もっと凄い事とかしてますよ? 若のアレ(※呪力)………そうアレ! 溢れるくらいドクドク注ぎ込まれて、いつも足腰立たなくなってますから? 貴女が何を得意になっていようと、私の方が愛されているんです!」


「っ―――そ、そうか。アレ(・・)だな、アレ………クク、私は銀箭羽々矢の組織の動きについて言ったのだがな。手をこまねいている、の辺りからは………いつの間に色恋の話になっていたのだ?」


「―――――」


 またしても揶揄っただけ。しかも我を失って要らぬ言葉を垂れ流してしまうとは、とんだ赤っ恥である。

 縁の戯れ言と分かっていても、焔は怒りと屈辱、羞恥心を抑えて冷静な思考を取り戻すのにそれなりの時間を要した。


「こほん……確かに、銀箭羽々矢が封印への攻勢を画策していると聞きます。近いうちに、この寒々しいカフェも消えて無くなるかもしれませんね」


「どうでも良さげだな。それに、街が戦火に見舞われるのを確信している口振りだが?」


「……銀箭羽々矢、実に下らない男です。所詮は行動が過激なだけのテロリスト……やることは猪と大差ありません。九良名の街そのものが何らかの封印形態である事を考えると、銀箭羽々矢が最終的に何をするかは想像に難くないでしょう」


 神野悪五郎を名乗る者が士緒に提供した封印の所在、梢や浪川凛子が市内の各所にて発見している小型の独立した封印端末。それら全てを破壊する事が絶対の目標と考えられる。

 ある意味において目的が被る“真ノ悪”がいる以上、遅かれ早かれ目的は達成されるだろう。銀箭羽々矢の場合は、それを成すために街を焦土に変える事も厭わないだけで。


「別に我先にと競っている訳でもありませんし。正直、目的が達成されるのなら手段はどうでも良い……それに粗雑な方法によるリスクは全てあちらの負担。失敗しようが“真ノ悪”は痛くも痒くもない」


「成功しても漁夫の利だけはかっ拐う、と。そもそも、封印とやらが“禍神(まがつかみ)”なるモノを含めて二つ存在しているそうじゃないか。“禍神”が解放されたら、流石の“真ノ悪”にも面倒な事態と思うが?」


「……太古よりこの地に根差し、仁科黎明が封印の重ね掛けを行ってまで閉じ込めた何か。真正の荒魂(あらみたま)の類いなら、確かに脅威でしょうね。対処が難しい……といった程度ですが」


「ほぉ、大きく出たものだ。山本五郎左衛門を頭と仰ぐ組織は底が知れん」


「五郎左衛門様もですが、我らの最大の切り札は若です。あの方は“死神”や“白面金毛”と、ある種の同類……人、人外、鬼や神仏ですら踏み込めない領域に在るのですから」


「っ――――! 実に心踊る話ではないか! もっと聞かせてくれ」


「それは今晩、直接尋ねてみては如何でしょう。どこまで話してくださるかは分かりませんが、そこは私の与り知らぬ事ですので」


 焔がテーブルの上にスッと差し出したのは、とある家に入るための鍵。

 それの意味するところは一つ……夏より続いた縁の念願が叶ったという事だ。

 縁の表情が気分の高揚に従って上気していく。誰憚らず口元を大きな笑みの形に吊り上げ、目の色を変えて鍵に視線を固定した。


「0時、場所は貴女が梢と話した部屋です。それと最後に、これだけは言っておきましょう………梢が納得したからといって、貴女が若と二人きりで会う事を喜ぶ者は居ません。こちらの計画も煮詰まっていますので、ここに来て余計なファクターの登場は率直に、迷惑でしかありません」


「では排除するか? 餓えた狼から餌(かぎ)を取り上げようしてみろ……噛みつくぞ」


「そんな愚かな真似はしませんよ。ただ、当然ですがこの事を誰かに知られないように。下手に話が伝われば、末端への伝達の不備……もしくは面倒な妹の乱入が発生しかねませんので」


「なんだ……手下の手綱ぐらい握っておけ」


「手下を捨てて来た貴女に言う資格があるとでも?」


 返された言葉に縁がクツクツと笑う。

 そして要点も話し終えたと見て手元のコーヒーを飲み干すと、その場を後にしようと席を立った。


「私は来たばかりです。一杯くらい付き合ってくれないのですか?」


「すまんな、今晩に備えて粧(めか)し込まねばならない。今日という記念すべき日は特に念入りに、な」


「……ああ、なるほど。血化粧というやつですか」


 言葉の意味を察した焔が納得したように頷く。

 確かに、折角の逢瀬に水を差す要因が少しでもあれば、焔も全力で取り除こうとしただろう。

 粧し込む……それは決して化粧の乗りを指す言葉ではなかった。


「暫くは静かな夜になりそうですね」


「どうかな……掃除はするが、精々見える所だけだ。黎明がこの街に戻ってきたら、残りを片付けさせるか」


「銀箭羽々矢の一党としては黎明氏が戻る前に動きたかった筈ですからね。貴女が暴れて潜伏中の敵を殲滅しておけば、氏が腰を落ち着けるまでは大人しくなるかと」


 焔がそれとなく通りの先に視線をやる。気配を隠した退魔師らしき男が通行人に紛れ、縁と焔の二人を窺っていた。

 街に潜んでいる不穏分子……実力者の監視と情報収集を目的としたいずれかの組織の手駒だ。

 これから“鬼王・斑鳩”によって蹂躙される運命が待つ、憐れな生け贄たちの一人である。


「おっと、逃げ出したか……それではな、焔。私はアレを取っ捕まえて色々と聞く事がある」


「まぁ頑張ってください。それと約束の時間は厳守です」


 縁は一言「当然だ」と言い、足取りも軽やかに立ち去った。

 残された焔はハーブティーを注文し、優雅なティータイムを引き継いだ。


 そして折角の空いた時間、焔は僅かの間だけ思考の海に浸かる。

 斑鳩縁……国内に十と存在しない“鬼王”の一人。最も年若いとは言え、その力は一個人との契約に縛られるほど小さくはない。

 今は役割を澪と交代したが、学園の守護として置くには強大過ぎる戦力だ。

 それは仁科黎明が封印の価値を、どれだけ高く見ているのか分かる一手だと言えた。


(そこまで封印が大事ですか、仁科黎明。貴方はそれが、どんな結果を招こうとしているのかも解っていない)


 不意に沸き上がった苛立ちを紛らわせようとハーブティーを一口に含む。

 焔の、人ならざる身(・・・・・・)に鎮静効果のある香りが染み渡った。



「――――へぅっ!」



 その横で、ポテッと可愛らしい音を立てて道に倒れ込む幼い女の子に目がいく。

 格好からしてごく普通の少女。上体を起こし、いっぱいの涙を溜めるその顔は高い将来性を感じさせる造形だ。

 しかし、そんな光景を冷めた目で流し見る焔は、特有の感性(・・・・・)により少女がただの人間の女の子ではないと知っていた。


 涙ぐむ少女の脇に手を差し入れて立ち上がらせる青年もまた、“鬼”に類する存在だということも。


「大丈夫かい、イチョウ。珍しくはしゃいでたね」


 細身にグレーのチェスターコートが上品な印象を与える好青年。それが幼気(いたいけ)な女の子に微笑みかける姿は、二人が人間ではない事を除けば、この上ない平和な日常を体現していた。


「もぉ、ナオキ(・・・)行くよ! 冬の新作が売り切れるー!」


 髪はおかっぱ、全体的にピンクが多目の彩飾で、冬場にしては気合いの入ったミニスカートとソックスという明るく活発なコーディネートの少女が、青年の腕をやや強引に引っ張る光景も見る者を和ませる。

 そこだけを切り取れば兄妹のやり取りと何ら変わらない。実に微笑ましい限りだが………


(驚きました。まさかこんな所で遭遇するとは………)


 それは思いもよらない大物の登場だった。焔も想定外の事態を前に驚きの表情が浮かび上がる。

 ここで出くわしてしまうと騒動になりかねない。そのまま少女が青年の手を引いて立ち去って行くまで、焔は自らの存在を察知されないように気配を潜めた。

 尤も、顔を会わせずにやり過ごせれば儲けもの程度の認識でもある。焔は然程の緊張感も無くカップを手に取り、口元へと運ぶ。


 そして、それが口に触れる瞬間、銀色の硬質な質感を帯びた刃が顔の横合いに風を切って出現していた。


「ねぇ、あんた今こっち見てたでしょ。なに、退魔師?」


 軽い調子での問い掛けには、しかし恐ろしい程の剣気が込められている。

 一歩間違えば、その尋常ならざる死の恐怖に息の根が止められてもおかしくない。現に、少女の圧倒的な存在感の余波しか受けていない周りの人間たちが、訳も解らず本能的にその場を逃げ出す程だ。


「“鬼王・八重波”……随分と行儀の悪い。これだから卑賤な賊あがりは始末に負えないのです」


 先日の関西方面にて、五行一樹率いる千人規模の退魔師と鬼の巨大組織であった“日計の毒”の衝突が、さながら大戦の様相を呈して巻き起こった。

 開発の及んでいない郊外に留まらず、地図から一つの街を削り取るに至った大規模な軍勢のぶつかり合いの末、“日計の毒”はほぼ壊滅に追い込んだ。一方で、首魁の“酒呑翁(しゅてんおう)”と側近の“鬼王・八重波”を取り逃がすという片手落ちの結果も付いて回る。

 良く言えば痛み分け。厳しく評するなら痛恨のヘマと言えるだろう。


 そんな退魔師協会の失態のツケが今、焔の背後から頬に肉薄する位置に刃を突き付けていた。


「へぇー、ヤエのこと知ってるんだぁ。しかも賊あがりだなんて、そんな昔のこと持ち出されるとは思わなかったよ………あんた、見た目ほど若くない? 古い“鬼”とか?」


「答える義理はありません。不躾に刃物を見せびらかす野蛮人には特に」


「感じわるー……生意気な口利くじゃん、お姉さん。その綺麗な顔、切り刻むよ?」


「私が生意気だと言うなら、そちらは大口を叩く負け犬でしょう。西で五行一樹に打ちのめされて、泣きべそかいて逃げて来たくせに」


「むかっ……大口はお互い様じゃない? あんた、ヤエとほんとに殺り合えると思――――っっ!!?」


 ゾワ


 直後、八重波は達人としての技量を総動員した神速の歩法を、後方へ飛び退く事のみに注ぎ込んだ。

 言い繕う余地の無い完全な逃げの一手。焔の背中越しに一瞬だけ迸った厭な感じ(・・・・)に、八重波は直感で逃げを選択した。


「あ――――っぶな。マジで死ぬとこだった……いったい何したの?」


「……私が何をしたのかも解らないのに今のを躱すとは、どういう勘の良さです? ケダモノですか貴女は」


 ハーブティーを飲み終わり、焔が席から立ち上がる。余裕の窺えるその面(おもて)が、ここに来て漸く八重波へと向けられた。


「あんた、ヤエと何処かで会ってた?」


「いいえ、面識はありません。ですが少なからず因縁があるとだけ。現在も昔も、辛々で長らえた命です……こんな危険極まる街からは早々に立ち去る事を勧めます」


「…………」


 焔の言葉は意味深さを含み、八重波に奇妙な懸念を植え付けた。

 単純な暴力では測れない、得体の知れない恐怖心。それを払うように、八重波は努めて平静な振りをしてみせる。


「ふ、ふーんだ! あんたに言われるまでも無く、こんな街になんて来たくなかったわよ。でもでも、ナオキがどうしても来るって言うから~」


 そこに、緊張感が緩む八重波の間延びした文句を遮る形で、ナオキと呼ばれた青年が二人の前に進み出る。

 困った顔で八重波の肩を掴み、くるりと回して背中を押し出した。


「ヤエ、ご迷惑だろ? ほらほら、冬の新作新作!」


 あれこれ文句を言う八重波をぐいぐい押しながら、青年は背後の焔へ向けて軽く謝罪を残して歩き去って行く。

 その後ろを小走りで追随する黒髪の少女も、不安げに焔を見る。少女の目には如実な恐怖が浮かび、天敵に怯える小動物そのもの。震えながら青年へとしがみついた。


「最後に忠告をしておきます。この街に関わるなら、銀箭羽々矢には気を付ける事です。下手に接触すれば諸共に滅びますよ、“酒呑翁”」


 去り際の青年の背中に焔が投げ掛けた言葉。ナオキこと、“酒呑翁”の歩みにも一瞬の躊躇いが生まれる。

 常に翁の面を付け、正体も不明の“酒呑翁”の素顔は、にこやかで人の良さそうな若者。“鬼”の枠組みでは外見など参考にならないが、焔が視た(・・)限りでは、それほど歳(よわい)を重ねてはいない。

 銀箭羽々矢がその若さに突け込み、自陣に引き込んではいないかと、軽く気に掛かったのだ。


「面を付けていない時は、ただの直樹という一個人ですよ。今の僕には“酒呑翁”のロールプレイよりも、こちらの姿でやるべき事がありまして……用向き次第ですが、忠告に従えるかは何とも」


「私の忠告は無駄になる、と?」


「いえいえ、感謝はしていますとも。それに銀箭羽々矢なんて外道に進んで関わりたくもありません。期せずして関わってしまう事を除けば、貴女の心配は杞憂ですよ、お嬢さん」


「……お嬢さん? 私を小娘と思ってあしらうつもりですか?」


 物言いが癇に障った事を察し、“酒呑翁”はヘラヘラと誤魔化すように止めていた足を動かし始める。

 今度は焔も引き止めない。今後、八重波が敵方として現れるなら、その前に殺しておく事も考えたが、“酒呑翁”の覇気の無さを見るに“真ノ悪”にも“退魔師協会”にも敵対する気概は持ち合わせていないだろう。


 結論として、現段階では無害な通りすがりでしかなかった。


「退屈しない街ですね、ここは」


 そんな皮肉とも辟易とも取れる独り言を、離れ行く“酒呑翁”の背中から目線を外しつつ溢す。

 それに合わせた訳でもなかろうが、直後、焔の独り言が事実と証明された。


 空から、オープンテラスのど真ん中へと鋭角に突入した謎の物体。それが幾つものテーブルを薙ぎ倒し、面々の前に文字通り飛び出した。


 店の客は八重波が抜刀した段階から殆どが退散している。義務感から辛うじて残っていた店員も、今の騒ぎで心が折れたのか逃げ去った。

 遠目から携帯などで焔たちの悶着を撮影していた野次馬も、いつの間にか姿を消している始末だ。


 立ち去ろうとしていた“酒呑翁”と八重波の一行も、またもや足を止め、視界の端に突如として現れた何者か(・・・)に視線が吸い寄せられていた。


「ちょっとお!? 今度はなんなのよ!」


 八重波が“酒呑翁”を庇う位置に身を踊らせ、飛来した人物を目視する。


 女だった。


 ノースリーブのタートルネックに白のパンツスタイルという、冬場と考えればイカれているとしか思えない服装。反面、知的な印象を与えるヒビ割れた(・・・・・)眼鏡は、大人びた女子大生っぽさを作り出している。


 文句無しに美人と言えただろう………ロケットよろしく頭から突っ込んで来た挙げ句、デレデレ嬉しそうに倒れていなければ。


「ぬわっ!? ナオキ下がって! 変態よ変態っ、特一級の変態が降ってきたわ!!」


「ふぇえ~~!? 変態やだぁ」


 八重波が臨戦体勢を取り、“鬼”の少女は“酒呑翁”の服をギュッと掴んで背中に隠れる。

 焔は飛来した女を、ただただ冷めた眼で見下ろした。


「ぶほっ―――げふ、けふ……ひ、飛英(ひえい)様ぁ……好きぃ」


 凄まじい勢いで地面に叩き付けられたにしては傷一つ無い女。鼻血と、ほんの僅か頬が腫れている以外は綺麗な服と肌のままだ。

 ビクッビクッと体が痙攣しているのは、打ち所が悪かったせいだと思いたい………


「このクソ変態女!! 俺のケツを鷲掴むなんてどんな発作だ!?」


 憤怒の形相で高所から着地して見せたのは、五行家の暗部を担う“御庭番”の頭領……落ち着いた衣装に身を包んだ五行飛英だ。

 いつぞやの因縁深い男の登場に、八重波も嫌な顔を露にした。


「げぇっ、御庭番! とうとう犬どもに嗅ぎ付けられた!?」


「イヌぅ~、帰れぇ~~!」


 チビッ子と並んでやんややんやと騒ぎ始める八重波。当然と言えば当然の反応……飛英は五行家が“日計の毒”と争った際、八重波に剣を突き立てた一人である。

 即座に殺し合いに発展しないのは、“酒呑翁”の一行としても退魔師の総本山で目を付けられる事の危険を理解しているからだ。

 協会も、街中で八重波に暴れられる事は避けたい。故に、一行が街に入った事を知りつつも、お互い刺激しないよう不干渉を保っていた。

 ただしそれも、先ほど焔に会うまでの話だったが。


「ああ!? 今はお前らに構ってる暇なんか無え!」


 ゲシッゲシッ!


「おふっ!? そんな飛英様……その扱いは余りにも酷い(ヒギィ)」


「俺ら一応“忍び”だぞ!? お前のせいで顔見られちまったろうが! ったく、せっかく隠れて監視してたってのに……おら立てヒギィ、さっさと行くぞ」


「ああ、そんな! 髪を掴んで引きずり倒すなんて――――」


「手を差し出してるだろ!? いいから立てって、連中に見られて気まずいんだよ!」


 居たたまれず顔を赤く染める飛英に強引に立たされ、変態……小早川 秋は、やはり幸せそうな顔で手を引かれ、連れたってその場を後にした。


「何しに出て来たのよ、アイツら」


 自らを追い詰めた事もある敵対者たちの、あんまりな恥態に哀しさすら覚える八重波が悲痛な呟きを漏らす。

 それに答える声があるとは思わずに。



「アイツらは俺のお目付け役で来てるだけだ。お前たちを追って来た訳じゃないから心配すんな」



 その声の主の登場は、災害級の実力をして緊張が走るものだ。

 恐らく純粋な戦闘力においては八重波をも凌ぐであろう最強の退魔師。現在は実質的に退魔師協会を追われ、九良名にて謹慎の処分を受ける男……イタズラっ気が抜けきらない笑みが浮かぶ、仁科黎明その人である。


「お尋ね者同士、気楽に行こうぜ」


 カジュアルな服装でニカッと笑う姿は少年らしさが強く出ている。

 その実、100年を生きる老獪な退魔師でもあった。





今日、『ヒギィ』という言葉を使った。

また一つ、落ちない汚れが付いた………




《こんな事が起きてました》



飛「……やべぇな。“鬼王・八重波”だぞ、ありゃあ」


 事実上の謹慎処分を受け、沙汰を待つ仁科黎明を監視する名目で派遣された五行飛英と小早川秋。

 現在も街を出歩いている黎明を見張るため、ビルの上から広範囲を見渡していたところ、八重波の存在を捉えた。しかもたった今、険悪な様子で対峙したのは“真ノ悪”から送られてきた折衝の女。

 おまけに、あわや戦闘が起きそうな殺伐とした空気に発展しているではないか。

 飛英は周辺の民間人を遠ざける事を優先し、即座に『人避け』の術符を設置するよう秋に指示を出す。効果が表れるまで、飛英は隠密裏に近くを彷徨いていた人間を物理的な手段――持って走る――によって運び出すという大仕事を、可能な限りで行っていた。

 そして再び最初の監視スポットにて、飛英と秋が集合する。


秋「大変です飛英様。監視対象をロストしました」


 大人しくしていれば美人で優秀な秘書、小早川秋。知的なのは外面だけで、中身は脳味噌までローションが詰まったドMである。

 服装が過度に薄着なのも、冬の寒さがチクチクと肌を刺す感覚が気持ち良いからであった。


飛「ちっ、しょうがない。目を離せばこうなるって分かってたしな。それにどうせ形だけの保護観察だ」


秋「だからこそ、一樹様より命じられた陰ながらの警護任務が優先されるのでは?」


飛「仁科黎明に警護が要るか? 俺たちはどちらかと言えば遊撃の戦力で、この便宜上の仕事にいちいち真剣になるこた無ぇよ。今から見つけ直すのも面倒くせーし」


秋「………あ、大変です飛英様」


飛「今度は何だ」


秋「持病の発作です」


飛「は? お前、持病なんか持って――――なっ!!?」


 飛英の臀部を、秋がギュムッと掴む。

 生理的な嫌悪に突き動かされ、もはや条件反射として身に付いた飛英の平手打ちが秋の頬にジャストミートした。


秋「素敵(はうん)っ!」


 そのまま屋上からギュルギュルーーッと凄まじい勢いのジャイロ回転で距離を稼ぎ、見事、場を荒らして帰って行った。


 なお、その時のジャイロと墜落による衝撃などが黎明の目に留まり、その場に誘き寄せる事に成功した訳だが………飛英だけは、それが秋の計算通りという証言を断固として信じなかったそうな。


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