第115話 集う者たち
九良名学園第三校。
三学年は実質的な卒業を迎え、冬の休みを終えても学園内は閑散さを残していた。
学園生の大半は就職、進学、どちらを選ぶにせよ退魔師の技能を活かす道に進む。また、企業を隠れ蓑とした“社”の他にも、学園同様に退魔師を擁する上級学校も存在する。
1月の冷たい風に撫でられながら校舎を見上げる前生徒会長……三王山梓も、進学をする一人であった。
「……あの野郎。まだ帰ってないとか」
学園の制服ではないカジュアルな私服姿の梓が、檸梨市から帰ったのはつい先程。黒沼公浩が何の相談もせずに危険な場所へと向かった事に文句を言いに行ったが、憎たらしくも逃げられた後だった。
しかも、抜け駆けした鶫によって連れ出されている始末。
そんな訳でやる事もなく帰ってみれば……どこかで時間を潰しているらしい二人はまだ帰還していなかったのだ。
「また……出遅れた」
檸梨市に駆けつける事も、公浩に少なからず抱いている気持ちに気付く事も。
本当なら鶫と交際(仮)を始めた時点で取り返しがつかないと分かっている。ただし、大事なのは仮がくっついている点。まだ諦める段階ではない……本気になる前に試合終了なんて、我慢ならない。
梓の決意が無意識のうちに、サイドテールの髪を束ねるシュシュへと手を伸ばさせる。何が悔しいって、自分がこんなプレゼントなんかで心を留められた事だ。
だと言うのに、心だけ留められて身体は離れ離れ。梓は卒業し、公浩は一年遅れて卒業……校舎を見上げて感傷に浸りたくもなるというもの。
異性を想って白く濁るため息を吐くなんて、柄ではないと分かっているが……140センチ台の身長で圧倒的に女らしさの足りない体つきを見下ろすと、自然と漏れ出てきてしまう。
絶対に、大学生には見えない………
早くに行動を起こしていたとしても、こんなチンチクリンな自分では……と、考えてしまうのだ。
どうしようもない苛立ちが、やり場の無い破壊衝動と無力感となって襲ってくる。
このままここに居ては、何に八つ当たりをしてしまうか分からない。加えて寒空の下では考えも纏まらない。取り敢えず生徒会の寮に避難するか、または風紀委員の寮でストーカーよろしく待ち伏せでもするか………
その答えは、思いもよらぬ所から現れた。
「君、ここの関係者かな」
梓が問い掛けられた方を振り向くと、そこに居たのは地味なコートの下にパンツスーツをビシッと決めた凛々しい雰囲気の女性。キャリアウーマンのイメージを体現したと言える佇まいだ。
梓が理想とするメリハリのあるボディライン、肩を越えた辺りまで流れるしっとりと艶やかな髪。それら全てが、大人の女としての魅力の塊のように映る。
梓の視線――八つ当たり含む――が微かな敵意を含んで向けられた。
「あぁ済まない、驚かせてしまって。君はここの新入生、かな?」
「……違う」
「学生か教員の家族とか?」
「……否定はしない」
女は明らかに部外者である。正規の手続きをする前に話し掛けて来たのなら、梓が丁寧に対応してやる義理もない。
そもそも、怪しい人物でないとも言い切れないのだから。
「事務所まで行きたいんだが、場所は分かるだろうか?」
「………ん」
梓は愛想も何も無い様子で大雑把な方向を指差す。
流石に塩対応すぎる梓に面食らったのか、女は目を点にして示された方向を見やる。
そこに何とも言えない居心地の悪さを感じ、下手に触れないうちに去るのが賢明と判断した。
「ありがとう。ここは第二校よりも敷地が広くて、迷いそうだったから助かったよ」
「……第二校?」
第二校という独特な呼び方をするのは、梓の知る限りでは九良名学園ぐらいだ。
であれば、この女性はそこから来たのだろうか?
退魔師関連の用事で来たのなら、無駄に時間を取らせる必要もない。むしろ目を離して不要な動きをされた末、問題が起きた時に亜笠の小言を聞かされるのは梓である。
もう生徒ではないからと無視はするべきではなかった。
「……三王山梓、元生徒会長」
「……………ん? 何の話だ」
「むぅ……私は卒業生で、前期の生徒会長。用件なら聞ける」
「卒業生……飛び級の生徒だったのか?」
「チッ………用件は?」
明らかに不機嫌な声音の梓に威圧されながらも、女は僅かに怯んだ程度で持ち直した。
軽くとはいえ、探りを入れるために一般の人間にはキツイ威圧を放ったのだが、殆ど堪えた様子もない。見れば、身のこなしも退魔師に相応だ。それも、かなり上位の実力があると見受けられる。
恐ろしく肝の据わったOLとかでなければ、“社”の上級退魔師か、赴任してきた教員か。“鬼”の類でないことは梓の固有秘術……『口伝千里』によって確認済みだ。
何にせよ、ここからは対応に気を払う必要がある。
梓は注意深く女の答えを待った。
「私は久我山という。風紀委員の男を探していてな……名前は黒沼公浩」
「………あの野郎、ハーレムでも作ってんのか」
九良名学園第二校、前期生徒会長……久我山 絢里。到着早々にして、同職に就いていた梓に敵認定を受けるのこと。
★
同学園敷地内、女子風紀委員寮の外周に設置された花壇にて。
その一角を飾る冬の花たちは、ある時期から唐突に現れた。空白だった花壇の片隅から徐々に植えられ始めた、落ち着いた彩りの花々。
その場にしゃがみ込んで不思議そうにそれらを眺めるのは、緩やかにカールしたプラチナブロンドを寒風に靡かせる風紀委員長……澪・ブライト・キャメル・ペンドラゴンだ。
「委員長、近頃その花壇の前によく居ますよね。お花が好きなんですか?」
隣から声を掛けたのは女子生徒……口煩い次席の松平二郎や、優秀ながら主張の弱い佐助花真朱に代わり、澪が補佐に指名した人材。五行家の次女であり、種咲市にて学生退魔師をしている東雲未来夜と交際関係にある少女……五行紗枝だ。
「別に好きでもありませんわ。風紀委員会の敷地で無断の造園をしている不届き者を捕らえようと思っただけ……まさか環境委員会や園芸部の仕業ではないですわよね?」
「それでしたら正式な申請がある筈です。少しずつ範囲が広がってるのを見るに、誰かが個人的に行ってるんだと思いますよ? まぁ、見当は付きますけど」
花壇は風紀委員会の一室……委員長のデスクから背中越しに見える位置にある。
これが誰に対して見せる物か、誰の手によって行われているのか。いつぞや、風紀委員会に愛の告白を携えて乗り込んで来た生徒会庶務の磯野を見た後では、もはや考えるまでも無さそうなものだ。
「ふーん……でしたら、取っ捕まえた暁には環境委員会で奉仕活動でもさせようかしら。掃除のついでに花壇を弄くれるなら本望でしょう」
「はぁ………残酷すぎる」
「………? 寛大な処置と思うけれど」
恐らく磯野であれば、嬉々として掃除の名目のもと澪の周りをピカピカにしていくだろう。紛う事なき奉仕の精神(対個人)……きっと本人も満足するに違いない。
ただ、良かれと思っての行動に対する仕打ちとしては、些か惨い事を除いて。
「委員長……私、付き合ってる男子がいるんですよ」
「……何ですの急に、自慢? 初めて貴女の首を絞めたくなりましたわ」
「あれぇ? 委員長は恋愛なんか興味ないんだと思ってました」
「心に決めた殿方がいるだけですわ。恋愛はしたいわよ」
「したいと思ってるだけじゃなく、行動に起こさないと。例えば私の場合、遠距離恋愛なので会いたい時に会えません。もっと早く問題と向き合っていれば、私はここに来る事もなく、側に居られたのかもって………委員長のお相手はどうですか?」
「………遠距離とは違うけれど、似たようなものですわね」
澪の想う相手……黒沼公浩とは、距離的には然ほど離れていない。しかし、それは澪が慕う橘花院士緒でもなく、潜入する立場が続くうちは士緒として接する事が出来ないのだ。
もどかしさが積もる点で言えば、遠距離恋愛と大差無かった。
「側に居なくても通じ合ってますか? 婚約してらっしゃる、とか」
「婚やっ!? わわ、私とお兄様はそんな関係では………」
お兄様………
紗枝はその言葉で、澪の置かれた状況を薄らと理解した。
澪・ペンドラゴンは式鬼神契約を交わした人外の存在……色々と複雑な立場があると理解はしている。
それでも紗枝としては、一生懸命に好意をアピールしている男子がいたら、結果はどうあれ応援したい。澪のことも、拙いながらも風紀委員長という重職を懸命にこなす姿に好感を抱いている………磯野を選べとは言わないが、このもどかしさは精神衛生上よろしくなかった。
数ヶ月前、恋人の未来夜を焚き付けようとした父親の謀で、自分が陸道家に輿入れさせられそうになった時、未来夜が駆けつけて戦ってくれた。
あの時の幸福感……異性に本気で好かれる感覚を味わえば、澪の心情も少しは変わるかもしれない。
澪の人柄は短い間で広く伝わっている。横柄で尊大な態度でありながら、根は善良で愛され系。ツンケンしつつも面倒見よく人に手を差し伸べる姿まで。
そんな澪が、自分のように大事なモノを取り零しそうにならないか心配だった。喩えお節介であろうとも、世話を焼きたくなる程度には澪の事が好きになっていたのだから。
「好意に鈍感なのも結構ですけど、恋愛に鈍いと手遅れになりますよ? 変な人と結婚させられて後悔しても知りませんから」
「………?? 今日の紗枝は変ですわ。そもそも、どうして色恋の話になったのやら」
澪は立ち上がり、制服の乱れをさっと直す。
白を基調とした九良名学園の冬服。生地は高級素材であり、1月の寒風にも抗う仕様だ。だが女生徒に立ちはだかる宿命……スカートによって無防備な箇所が生まれる事も避け得ない。
澪は“鬼”に類するだけあって普通の寒さには耐性があるが、紗枝は長めのソックスやスパッツなどで対策をしている。
寒さに強い故に白磁のような美脚を晒し続けた……澪は恋愛云々よりも先に、この事を後悔する事になった。
「………紗枝。今日は風紀委員会に来客の予定はあったかしら」
「いいえ、アポは……先ほど顔合わせをされた転入生だけです。問題ですか?」
「風紀委員寮の敷地に巡らした結界を、誰かが通ったみたいですの。生徒会と風紀委員は授業免除の特権があるとして、他は教室でしたわよね?」
「ええ、休み明けで気の抜けた生徒がいなければ」
澪は仁科黎明から稲生平を通じて、学園の最高戦力として雇われている。有事に際しての対応……主に拠点防衛を担う責任者だ。
最たる能力は、空間を意のままに支配する顕術とでも呼ぶべき『王権』。その権能は柔軟性が高く、結界にも応用していた。
「風紀委員は寮周りの結界には引っ掛かりませんし、もしも不審者だとしたら放っておけませんわ」
「え、考え過ぎじゃないですか? たまたま外部からの来訪があったとかでは」
「万が一があったらどうしますの。そう、万が一があったら」
「ぇぇ………」
書類仕事にも四苦八苦する澪だったが、本領はその強さを活かした用心棒。つまるところ、平和な学園内では給料分の仕事をする場が少ないのだ。
ちょっとタイミング良く人が訪れただけだとしても、珍しく真価を発揮できるチャンスでは? という希望的観測が発生するのも無理はないわけで……要するに退屈を紛らわす遊びに近かった。抵抗されるなら望むところである。
「どっちにしろ、許可も無しに寮へ入り込んだのは事実。様子を見て来ますわね。何と言ったかしら……見敵必殺?」
「不審者でも殺さないでくださいね!? まずは職務質問ですよ!?」
紗枝の言葉を聞いていたのか、澪はその場に微風だけを残して跳び去ってしまう。力を活かせないフラストレーションの発散先を求めて、仮想侵入者へと向かった。
「そう言えば……磯野くんが檸梨市から帰ってくるのって今日だったような?」
風紀委員は結界に反応しない。
生徒会役員はどうだったか………?
………
……………
…………………
「っし、暫く花壇の世話を園芸部に任せっぱなしにしてたからな。今回はこのクリスマスローズを植えてアピールすんぜ………はぁ。委員長、まだ気付いてくれないのかなぁ」
園芸用品で完全武装した磯野が、花壇を目指して女子風紀委員の寮沿いを歩む。
作業用のツナギに、シャベルと軍手とバケツ……園芸の化身となった少年に、皮肉にも侵入者という評価は正しかった。
許可なく男子生徒が女子寮に近づく事は禁じられているのだ。皮肉ついでに、それを咎めに向かったのがお目当ての風紀委員長……澪・ペンドラゴンとは。
「うぅ~、さぶっ。こんな寒さでも花はめげないなぁ……俺もこんぐらい打たれ強く生きないと。委員長に気付いてもらうまで、頑張るぞいっ!」
ビュゥウッッ――――
目的の花壇へと到着したところで、一際冷たい風が磯野を呑み込む。
強めの風に運ばれた寒さに身を震わせる少年が、ふと現れた気配を追って空を見上げた。
「おお……ハレルヤ」
頑張ったご褒美なのか。
見上げた先にあったのは女子の宿命……スカートの中の無防備だった。
「――――」
スタッ
磯野を飛び越えて、花壇の前へ着地した澪。背中を向けた状態でスカートの前側を押さえている事から、磯野に見られた事実を認識しているのだろう。
数秒、着地の衝撃による余韻が冷たい空気となって二人の間に流れる。
余韻が抜けた時、澪がプルプルと体を震わせ始めた……寒さとは別の要因で。
「……見ましたわね?」
「えっと、確認なんですけど………ピンクのランジェリー的な――――」
「ふんっ!!」
――――ゴォッッッ!!!
侵入者が成敗された直後の揺れは、学園中に響き渡った。
★
「っ! 今の揺れは!?」
「あー、気にせんといて。第三校ではよくあんねや」
男子風紀委員寮、入り口。
生徒会、浪川凛子は外部からの客人――正式な手順を踏んだ後、手空きだった凛子が対応中――の案内として寮を訪れ、今まさに入るところ。偶然にも磯野と間を置かずに澪の結界に引っ掛かった二人だ。
仲間の生徒会役員が天誅殺された際に生じた衝撃波が凛子のボブカットの髪を乱し、前髪を押さえながら後ろを付いて来る女生徒を振り返る。
「えろう済まんなー、騒がしゅうて。うちの連中は第一校の人らよりも血の気多くて、礼儀も知らんもんやから」
凛子が男子寮の透明感のある扉を押し開き、それに続いて中へと入るのはガウンコートの下に九良名学園第一校の制服を着用する女生徒……現在は第一校で風紀委員長となった真田幸子だ。
「会うのは夏の交流戦以来だけど……その皮肉は酷いんじゃない?」
幸子は風で乱れたセミロングの髪を整え、凛子の嫌味とも取れる発言に端正な顔を痛恨の形に歪ませる。
昨年の夏、第一校と第三校の生徒による交流戦が行われた。
退魔師としての実力を協会の上層部に見せる目的もある恒例の行事。その時に黒沼公浩の相手として徹底的に痛め付けられた仁科家の養子……そいつが行ってきた非道について皮肉っているのだと、幸子は感じてしまう。
風紀委員として、生徒会役員の悪質な暴力事件を防げなかった事に負い目もある。不祥事を起こした生徒の養父……仁科源造が直後に死亡した事もあり、イジメの一件も含めて退魔師の業界ではセンセーショナルなニュースとして広まっていた。
「ちょいちょい、誤解せんといて。皮肉やなんて、そんなん違うから。第三校はホンマに五月蝿い連中の集まりやさかいな……特に女子が」
「別に馬鹿にしてくれて良いのよ? 血の気が多くて礼儀も知らないクズを野放しにしてた報いだから」
「そう卑屈にならんと……正義は果たされたやん。あんたらの手ぇでな」
靴を脱いで部屋履きに履き替え、寮内へと入る。
第一校でのその後の経緯など、知る者も少ないだろう。
風紀委員会と生徒会が学内の大掃除を行い、それまで見過ごされてきた生徒の悪事を徹底的に取り締まったのだ。綱紀粛正、治安向上、意識改革……学園の総合的なレベルアップが、幸子を含めた執行部によって成された。
そういった調べなければ分からない事情を凛子が把握している点だけでも、面白半分で幸子を揶揄するタイプではないと理解できる。浪川凛子という女は、態度を軟化させても良い相手だと。
「……まぁいっか。それで? 黒沼くんがいつ帰ってくるか、分からないのよね? ここに来てみたは良いけど、無為に待ち続けるのは嫌なんだけど」
「まぁまぁ、せっかく来たんやし、無為でもなんでも待たなぁ損やろ。茶ーくらい出したるから……って、ウチここの住人やないけどな」
広めにスペースを取ったエントランスの奥、待ち合い室として使う空間を見回す。
イメージする男子寮とはかけ離れた清潔感は流石に風紀委員会。広々とした部屋の隅にはテーブルとソファー、テレビ、共用のパソコンなど。学園の格を示すに足る建物だ。
幸子は今日、学園双方の風紀委員会の交流を名目として訪れている。ただしそこには、公的な名目など取るに足らない大事な用件を秘めていた。
卒業まで一年を残す幸子ではあるが、しかし早々に進路が定まり、内定も決まった事を公浩に報告したかったのだ。フワフワと定まっていない公浩への態度に、一種のケジメを付ける意味もあって。
そのためには、最低でも告白の一つはしておかないと気が済まない。今日は返事を貰えずとも、或いはきっぱり拒絶されるとしても、決意表明だけはしておきたかった。
(誰より強くて良い女になれば……か。豪語した手前、まだ顔を合わせ辛いんだけど)
交流戦にて風音との対戦開始前、告白にも似た言葉を既に投げ掛けていた。
魅力的な女の子が集まってくるなら、自分が誰よりも……むしろ公浩本人が言い寄ってくる程になれば良い。そのための努力は積んで来たし、これからも続けるつもりだ。
だが、まだそれは達成されていない。もっともっと、自分を高めてからと思っていたのだが、卒業後の進路を進むにあたって告白だけでもと乗り出した……までは良かったものの、結果はすれ違いである。
早速とばかり躓いて、不吉な暗示ではないか?
そんな不安は待ち合い室で顔を並べている来客たちを見た時、確たる危機感に変わった。
「およ? 会長、ちーっす。なんや、早くもウチらが恋しくなって戻ってきはりましたか?」
「……延髄蹴り?」
「ちょおっ!? シャレにならん技はあかんて!」
凛子たちが足を踏み入れた男子寮には、男子寮とは思えない数の女女女………
幸子らの直前に来た三王山梓、久我山絢里、それよりも早くから待ち人を焦がれていた風紀委員の佐助花真朱。そして今年度より三年のクラスに転入予定の少女……第三校の制服を纏い、この中にあって最も落ち着いた雰囲気で姿勢を正している佐東 市花。
まだコートも脱いでいない梓と絢里、座って顔を突き合わせている真朱と市花……それぞれが、互いを牽制するように険悪な空気を作り出していた。
「男子寮にしては随分と華やかね。お目当ての男子でも?」
悠々と空いている椅子に腰掛けた幸子の鋭い視線は、直感的に女性陣が敵対者であると察した事を物語る。
出会い頭の軽いジャブ……それに最初に反応したのは、意外にも最も冷静な居住まいを見せていた市花であった。丸縁眼鏡の大人しそうな見た目の奥には侍のような気配があり、セミロングの黒髪を飾るシンプルなデザインの髪留めが抜き身の刀の如くキラリと光る。
「ご明察です。何せ私は好きな人を追いかけて転入した口なので、今日はそのご挨拶に」
「ふわ!? す、凄いです佐東さん……臆面もなく言ってしまうなんて。だ、だったら私だって、正式にここへの立ち入り許可を取ってから黒沼くんに―――ひっ!」
黒沼の名前が出た途端、真朱へと刺さる三者の視線。
この姦しいまでの集まりが、とある一人を目的としたものであると解っていなかった真朱だけが気後れした。顔の片側に流れるように掛かっていた前髪がフワッと膨らみ、怯えた目を覗かせる。
佐助花真朱の“三つの異能”を橘花院士緒に齎された術式で安定させて以来、感応能力は制御できている。周りの感情を無差別に拾うことは無くなった……が、基本的な人間関係に関しては些か察しの悪さが出た。
おかげでこの瞬間まで、自分が猛獣たちの檻の中に居るとは思いもしなかったのだ。
「凄まじいわね、さすが黒沼くん。ここにいる子、全員そうなの?」
「私はそうですよ」
「私は先日の礼を言いに来ただけだが………目当て、には違いない」
「………黙秘」
「あ、ウチは全然ちゃいますんで。争うならウチ抜きで頼んますー」
凛子はそそくさと場を後にし、人数分の茶菓子を取りに向かう。
途中、寮では殆ど出くわさない女子に慌てる男子風紀委員を捕まえて子分にしていたのは、恐ろしい事に生徒会の役員であった。
「ふーん……あ、私は真田幸子、第一校の風紀委員長よ。三王山さんは交流戦の時にちらっと会ってるけど、他は初めてよね」
「はひ、佐助花 真朱です。第三校の風紀委員をしています」
「佐東市花。本日付でこちらへ転入、及び風紀委員会の所属となります」
「久我山絢里だ。檸梨市からこちらの“社”へと出向している。皆知っているかもしれないが、大きな事件があの街で起きてな……その時に黒沼の世話になった」
「……三王山梓」
梓は唯一、全員との面識があるため自己紹介は必要ないのだが、何となく女として意地を見せなければと思い、名乗った。
この複雑怪奇な現場は、たった一人の男の存在によって張り詰め、また繋ぎ止められていた。
「酷い状況ね……これが修羅場だったなら、まだ身の置き場があったのに」
「あぅ、確かに。似て非なる状況ですよね、これ」
浮気の渦中でもなく、憎しみ合う因縁もない。
この場の誰かが公浩と付き合っていて、それでも諦めきれない誰かが噛みつくのならば、ある意味では自然だろう。しかし、この場では誰が誰に噛みつく事も出来ず、かと言って仲良く談笑する関係でもなし。手持ちぶさたで、なんとも居心地が悪い沈黙が流れた。
「では、試しに趣味の話でも……してみるか?」
絢里が投げた精一杯の話題。
特別に気の利いたお題でもなく、答えにくいわけでもない。すぐに誰か答えるだろう……という静寂が数秒も続いた。
哀れにも話題を振った絢里が滑った空気である。
そこへ、やれやれと苦笑しつつも絢里の気まずさに救いの手を差し伸べたのは市花だった。まるで天使のような慈愛と可憐さを帯びた雰囲気だ。
「趣味と言って良いのか、剣術を嗜んでいます」
それを皮切りに、話に続こうという空気へと変化していく。
果敢にも最初に続こうとしたのは真朱だった。
「わ、私は読書が好きです! あと、最近は機会が少ないんですけど……黒沼君とお仕事の話をしてる時が、幸せです」
「いいなぁー、私なんか学校違うから全然会えなくて。まぁ、こっちから連絡すれば受けてくれるし、そんなちょっとした会話だけでも佐助花さんの気持ち……よく解るかな」
「んー……やはりと言うか、アイツと知り合ったのは私が一番遅いらしい。だがアレだ……黒沼の欲望を最も受け止めたのが私なのは間違いないな」
あず「……ドM?」
ましゅ「ドMさんなんですか?」
サチ「うっそ、ドM?」
イチ「黒沼くんの欲望を受け止めるなんて、ドMでしかあり得ない………」
アヤ「私も黒沼もどんな目で見られてるんだ!? 私はただっ、誰よりもアイツの為に身を削ったと言っているだけだ!」
絢里は故郷にて消えない傷痕を負った。
結界騒ぎが収束したにも関わらず、絢里はまともに外を出歩けない事態に陥っているのだ。それは言うまでもなく、アイドル活動の後遺症とでも呼ぶべきもの。
協会による記憶改竄や隠蔽が進む中、誰が望んだか『あやりん』というアイドルの存在は消えなかった。
自らが街に付けた爪痕が己の肌にマルっと跳ね返り、絢里を苛む。それもあってか、絢里は檸梨を遠く離れた九良名へと逃げてきた訳だ。
「黒沼には、私の身体を良いように弄んだ責任を取ってもらわなければ」
あず「……妄想だった」
ましゅ「よかったぁ、妄想みたいですね」
サチ「なんだ妄想かー。久我山さん可哀想な人だったの?」
イチ「久我山さんのスタイルは立派ですが、それでもあの黒沼くんが女性に身体を求めるとは思えません。いい歳なのに妄想で人生を消費してたら、現実を見失いますよ?」
アヤ「あんまりだ!?」
この面子を前に、弄られ体質を持つ絢里に抗う術は無かった。
気は強い方だが押しに弱く、威圧感はあれど心は小動物並みに余裕が無い。身体の大きなイジメられっ子なのだ。
「あ、あの……久我山さんは“社”への出向でいらしたんですよね。檸梨市の騒動で黒沼君と一緒に行動してた、とかですか?」
「ん………ああ、向こうではアイツに利用されるだけ利用されたよ。癪だったんで、見返してやろうと九良名への異動を願い出た」
「……黒沼と足並みを揃えられる退魔師は、そう居ない。ましてや、身を削るほどに役立てるレベルは殊更に少ない」
「役に立たないとなれば退かしちゃうタイプよね、彼。付いて行けるのは結構な実力者ぐらい……まさか本当に性的な要求をされたわけでもないでしょ?」
「けど、そのような実力者なら名が売れています。私は関西圏の退魔師ですが、その手の情報はそれなりに集めていますから……少なくとも久我山絢里という退魔師の話は知りません」
「………? 当然だろう。私は先日に正式な退魔師になったばかりだ。私程度の学生の名前が、それほど売れている筈は――――」
「「「学生?」」」
梓を除く三名の疑問符が重なる。
それは道すがら話を聞いた梓以外の三者が、絢里に対して間違った認識を得ていた事を示していた。
「ぇ、え? 久我山さんって、おいくつ………」
「おいくつって………私はそこの三王山梓と同い年だが」
真朱の率直な質問が戸惑い気味にこぼれ、絢里は何とも納得いかない返答を余儀なくされる。
皆が自分をどう見ていたのか、察しがついた。
「うそぉ! 私の一個上!?」
「ちょっと大人っぽすぎますね………」
確かに人より発育が進んでいる自覚はあったし、だからこそ公浩が利用すべく目を付けたとも分かるが………殆ど同年代の女子たちに改めて老けて見えると言われたら、少しばかり堪える。
絢里とて、叶うなら視界に入っている四人のように可愛らしい容姿で、手頃な大きさが良かったのだ。
「……………やすり」
「はわわわっ、会長が不条理を前にして病んできました!」
梓のピクリとも揺らがない表情の後ろからどす黒いオーラが漂い始める。
真朱がそれを慌てて宥め、研磨機を取りに行こうとする梓をソファーに押し留めた。
「お茶入ったでー………あー、会長ぉ病んでますやん。誰やー? 会長にオッパイ近付けたんは」
キッチンから戻って来た凛子が運んでいるのは人数分の紅茶とマカロン。男子寮のお茶請けにしては女子力高めの物が出てきた。
「佐助花と、えー……丸メガネのあんた。ちょっとだけ会長の側に居たってや。少しは落ち着くはずやから」
「……あれ? 佐東さん、私たち罵倒されましたよ」
「80センチ以下は0と同じって聴こえましたね………」
幸子などは絢里や凛子ほどの大きさは無いが、服の上からでもはっきりと明確な膨らみが見てとれる。真朱と市花は……さすがに全国平均には至っているが、服の下から主張できるだけの存在感は無い。
コンプレックスに感じる程ではなくても、この場で絢里に次ぐ大きさを湛える凛子の言葉は別の意味を持つ……結果、闇が広がった。
「Bカップは人間じゃないとも言われたような?」
「貧乳は邪魔だから隅で固まってろ、とも」
殺気
「ひぇっ―――ほ、ほんの冗談やん。そんな怖い顔で睨まんといてぇ」
紅茶とお菓子を恐々と配り終えた凛子が慌てて二人から距離を取る。
そのまま、媚びる笑みを浮かべながら壁際にポツンと一つ置かれた共用の薄型パソコンへと近付いた。
「そ、それより聞いて! あんた、そこのお姉さん……どっかで見たことある思うたら、ようやっと思いだしたわ」
キーボードをカタカタと打ち込み、検索を開始。
どうやら絢里についての情報という事で、全員がパソコンの画面へと注目する。
もしやの予想から絢里は、一人だけ顔面蒼白で冷や汗を垂らしていた。
「これこれ! ちぃと前に突如としてネット世界に現れた謎の新星。大人な雰囲気なのに衣装はこれでもかとキラキラ……アクロバットなパフォーマンスと派手な戦闘CGによる動画……その正体も撮影方法も一切不明。現在、踏んでほしい女性ランキング急上昇中の、戦って踊れるミストレス……その名も、あや――――」
バキッッ――――
弾丸の速度で飛来したマカロンが液晶を砕き、めり込んだ。
画面に映し出されていたルンルン跳び跳ねる口調つよい系のポップなアイドル……それが憎い敵とばかりに。
全員の視線がマカロンの発射元へと注がれる。
「違うんだ……私が望んだ事ではないんだ……黒沼がヤレって言うからっ」
掌で顔を覆い、殺人の告白かと見間違う姿。
あまりの悲壮感に、誰もが同情を禁じ得なかった。
絢里の言っていた通り……最も黒沼公浩の欲望を受け止め、身を粉にして尽くしたのかも知れない。
それを肯定するように、再び訪れた静寂……憐憫の沈黙が、その場の心を一つにしたのは皮肉と言えよう。
一人の男を取り巻く状況にあって、小さな優しさが芽生えていた。
「………こほん。今日はアレね……日が悪そうだし、ひとまず帰るわ」
「……久我山も、今日のところは帰った方がいい」
「そ、そうしましょう久我山さん! 黒沼君には伝えておきますので」
「送ります。肩を貸しましょうか?」
打ちひしがれる絢里の近くに集まり、暖かく声を掛ける一同。唯一、凛子だけは頬を掠めたマカロンの恐怖で動けなかったが。
「続投なんて無理だよぉ~………なぜ皆して私にそんな服を着させようとするんだぁ~………」
思考とストレスの世界に入り込んでしまった絢里は市花に背中をさすられ、幸子と共に寮を後にした。
こうなっては梓も留まる意味はなく、紅茶を何口か飲んでから席を立つ。
「あ、会長さん」
「……もう会長じゃない。次の生徒会長は鶫」
「はい……黒沼君の恋人(仮)さんですよね」
「………できれば私情を抜きにして、力を貸してあげて」
「は、はい、勿論です。それで、その……さっきは言いそびれましたけど、黒沼君と四宮さんは今晩中の到着になるだろうと、風紀委員会の方に連絡が入ってます。良ければ待っていかれては?」
「……そうする」
「分かりました。寮の私の部屋を開けておきますので、自由に使っててください」
「……一緒に待たないの?」
「これから夜番なんです。以前は後方支援と作戦立案しかやってませんでしたが、ここ数ヶ月で戦いに駆り出されるようになってしまって……そのせいか、ちょっと筋肉が付いてきちゃいました」
「……“三つの異能”を安定して使えるようになったから。もう、夏までの佐助花とは別人」
夏に行われた橘花院士緒との取引。前風紀委員長の斑鳩縁が亜笠と結託して進めた案件。
佐助花真朱の置かれた状況や術式を使っての“鬼”への変生……梓がそれらを知ったのは、全てが済んでからの事後承諾という形でだった。
何か力になれた訳でもないが、せめて教えておいて欲しかったと、縁と亜笠を大いに恨んだ。
「……あの時は力になれなくてゴメン」
「へ!? いいえそんなっ、隠し事してたのはこっちなんですから!」
「……“三つの異能”のせいで寿命が縮まってるとは知らなかった。生きるために佐助花がした選択は正しい……“鬼”に変わろうが何だろうが、貴女には生きる資格がある」
「………ありがとございます、会長さん」
「……梓でいい」
「はい、梓さん………それでは、私は夜の街に繰り出す準備をしてきます」
「……気をつけて」
黒沼公浩を取り巻く少女たち……その日、思わぬ形で交流が深まる邂逅となった。




