第114話 赤き黒歴史
解・説・回!
ギーネと別れた後、転移の顕術にて遥か遠き“真ノ悪”の拠点に足を踏み入れた聖川輝真。
古いが手入れの行き届いた洋館。士緒は応接室にて山本五郎左衛門を交え、輝真がここに至るまでの経緯をざっくりと説明する。どういう訳か、そこには輝真本人すらも知り得なかった真実の一端が含まれていた。
「ある種の推測になってしまいますが、聖川さんが“三つの異能”を用いた時間遡行を繰り返す現象……それがどれ程に危うい代物かを、出会って初期の段階から過去の私は気付いていたと思います」
「危うい……というのは、通力を永続的に失う以外にですか?」
「そんな癒し系の代償とは訳が違います。事は貴女の命……或いは魂か、存在そのものに影響する話だったかと」
士緒の推測と客観的事実を元に分析した輝真の“三つの異能”……その話が進むにつれて、輝真の顔から血の気が引いていく。
推測によって穿たれた能力の本質。核心に一言で触れるなら……聖川輝真という少女は、既にこの世には存在しないと言うことだった。
「聖川さんは過去から現代に飛ばされ、そこから何度も時間を遡行したと考えているでしょうが、厳密には違う現象が起きているものと思われます」
士緒が輝真の座るソファーに近付き、取り乱さないよう両肩に優しく手を置いた。
重い話の最中でありながら、置かれた側は違う意味でもドキッとしてしまう。輝真の集中を乱す行為なのだが………敢えて口にはしなかった。
「聖川輝真は、過去に存在していた輝という少女とは……全くの別人です」
「………え?」
輝真が両手で持つハーブティーのカップがビクリと揺れる。
おおよその年代としては百年前だ。輝という名の少女は身売り同然で屋敷へ奉公に出されていた。
ある日、唐突に起きた時間跳躍で現代まで来たが、それは違うのだと言う。
その時代の輝は、何らかの拍子に“三つの異能”の一つを使ったのだろう。それこそがタイムトラベルの正体……『ドッペルゲンガー』とでも呼ぶべき能力だ。
「完全に同一……かは定かではありませんが、自分と全く同じ記憶と姿形を持った存在を作り出す能力かと。その由来で聖川さんは通力を失ったのでしょう。それも、オリジナルであれば聖川さんのように通力の絶対量を消費せずに行えた筈です」
それを残り2つの能力のどちらかで、過去か未来へと送る。
最初の一回目は百年後の未来。そこからは、聖川輝真を名乗るドッペルゲンガーが一個の人格として活動した結果、今に至った。
やはり推測になるが、輝真は檸梨市が崩壊する因果に囚われたのではなく、死を引き金にした“三つの異能”の発現が中途半端であったために都度、能力の暴走で過去へと分身を飛ばしていたのだろう。それも、檸梨市の住民を助けたいと、無意識に望んだせいで。
周回の中で死なず、尚且つ檸梨市を見捨てられるだけの非情さがあれば、或いは能力に振り回されずに一生を普通の少女として過ごしたのかも知れないが。
「オラが―――私が作り物だから、作った時点で分けた通力を使い潰すしかなかったんですね………」
「率直に言えば、そうです」
士緒の腕の中で、輝真が目に見えて消沈していく。
当然だ。自分が人間ですらないと告げられているのだから。
輝真は体感にして数年もの間、濃密な体験をして鍛えられてきた。ちょっとやそっとで驚く事はないと思っていたが、それを軽く越えてくる衝撃には成す術が無い。
配慮に欠ける言葉……事実をズバリと述べる士緒に、五郎左は育ての親として苦い顔を浮かべる。
とは言え、やらかしたとは思っていない。妙な所で勿体ぶる悪い癖……秘密主義とサプライズパーティーを足して割ったような性格が、少しだけ疎ましいだけだ。
会って間もない輝真に対して、五郎左は見る者を落ち着かせる穏やかな笑みを向けて「大丈夫だ」と励ましの言葉を掛ける。
次いで士緒に続きを促し、沈んだ気持ちを早く楽にしてやれと暗に伝えていた。
「だからこそ、黙ってはいられなかった。このままでは貴女は通力のみならずを失い、身を滅ぼすと……私には分かっていましたから。そこで一計を案じてみました」
「ぅえ? ちょ――――」
士緒が輝真の顔を、両手でやんわりと挟んで自分の方を向かせる。
直後、士緒の掌の中で輝真が熱を帯びていく。
顔から火が出る……その言葉をこの上なく体現した変容ぶりだ。当然のこと、士緒がそれをどのように解釈するかなど、火を見るより明らか。
結果、輝真の反応から自らの考えに確信を持った士緒の、会心の微笑みと困った顔が同居する不思議な表情となった。
「分の悪い賭けな上、軟派な作戦でしたが………成功して何よりです」
(あ、バレた………好きだってバレた)
士緒の顔には、「俺の事が好きなんだろ?」の意が苦笑の形で表れていた。
いつもは鈍感なのに、この時ばかりその性質が仕事をしていない。狙って自分へ好意を持たせたとするなら、それも当然と言えなくもないが………
輝真は、好意に気付かれたと悟った瞬間からワナワナと唇を震わせ、瞳に涙を溜めていく。
危うく忘れそうになるが、橘花院士緒は輝にとっての玄孫なのだ。そんな間柄にも関わらず、士緒が勝手に行った禁術の副作用とは言え、異性として好きになるなど………気持ち悪がられる。
やり直しの中で、黒沼公浩に接触を始めて何回目だったか。マサキという女が輝の事を知っていた。なんとマサキがデスクから取り出した古びた写真……そこには今より大人っぽくなった輝がいたのだ。
最初は向こうも驚いていたが、話をしていくうちに色々と納得していた。
マサキは橘花院家と何代にも渡って関わりを持ってきたということ。輝が未来へと飛ばされてからの後、橘花院の系譜に名を連ねること。直系の子孫に、士緒がいること。
あまりにも目まぐるしく情報が頭の中を駆け巡り、それ以降はもう一度マサキに会って話をする気にはならなかった。
輝真が何故、自分への好意を否定するのか……その理由を士緒は未だ知らない。しかし、自分の手を振り払って涙を拭う輝真を見て、かつて使ってしまった紛い物の“天道無楽”の術式がどのような呪いを齎したのか……その裏付けにはなった。
ならば少しでも荷を取り除いてやるのが、果たすべき責任である。
いや……是が非でも助けたくなったのだ。
「術式の力と、檸梨を救うという目的によって存在を留めている貴女は、事が終われば消えてしまう……そんな恐れがありました。なので、全てを終わらせてもこの時代に残っていたいと思える確固たる理由を作りたかった。ですので………」
「解決できる問題を先延ばしにして、私に何度も繰り返させた。それで、私が士緒さんの事を好きになるように………」
「その通りです。一回でも多く……世界との繋がりを強化することで、作り物ではない貴女の存在を確立する意味もありました」
「……なんで、そんな余計なこと」
事態を解決できるなら、さっさと終わらせてくれれば良かったのに………
こんな辛い思いが続くくらいなら、もっと早く消えてしまいたかった。それを……いったい何の恨みがあって、引き止めたりするというのだ。
「好きだからですよ。貴女と過ごした時間は、とても心地好いものでした」
「――――――」
好きだから……その言葉の裏に、「人間的に」と但し書きが付くのが透けて見えるようだ。
輝真もしっかり分かっていて、固まってしまった。言葉を失い、開いた口が塞がらず、鳩が豆鉄砲を食らった顔で。
(たち悪い………たち悪すぎるだ!!)
こちらの気持ちに、ほんの二十秒前に気付いたと思ったら………その上でこんなことを言うのだとしたら、手に余る凶悪さだ。
筆舌に尽くし難いドン・ファンっぷりと言わざるを得ない。
「それに………貴女には今後もやってもらいたい事があるので。居なくなられては困ります」
(ふおっ! 何で手を握ってくるだか!?)
輝真が役に立てるのは、あくまでも三週間の間、それも檸梨市においてのみ。
繰り返しによる、極めて限定された知識と記憶があったればこそなのだ。今となっては過ぎ去った栄光でしかない。
戦いに至ってはもっての他。数少ない経験として、“賢しき金細工師”が戦闘の最中、どさくさに紛れて“神託”を拾得。それを用いてジェーン・スミスと三王山阿斗州を援護したくらい。
それも離れた所から照準をあわせて、『タイラント1』と唱えただけ。それ以外は“凶堕ち”が少々で、殆どが逃げの一手だった程。
もはや“三つの異能”の残り滓でしかない自分に、一体どんな利用価値があると言うのか。
「ここに居てください。居場所も、不自由無い生活も提供しますから………ご自分には何も無いと思わず、生きたいと願ってください」
「…………」
「貴女は自覚していないでしょうけど、通力と同時に魂も磨り減らしています。恐らく貴女でもご存知ではないはず……それが私にとっても他人事ではないのだと」
「え………?」
魂を磨り減らす……その部分に言い知れぬ重みを感じ、輝真はそれ以上を紡ぐ事ができない。輝真の現状が危ういと気付けた理由が、そこにあると分かるのに。
未だ自分が知らない士緒の真実に、興味を持たされた。
「私は貴女を助けました……今度は貴女が私を助けてください。借りを返してくれるまで、放してあげませんから」
ニッコリと普段の笑顔で、剣呑な空気を無理矢理に切る。
さらには輝真に反応が無いのを良いことに、ここまでの話に納得したものと解釈。気を取り直して次の話題へと移行した。
「ところで、親父殿? ギーネさんの件でお話が」
「おう、臙脂から報告があった。随分と勝手な真似したらしいな。臙脂の奴は可哀想に……何も悪くないのに泣きそうなくらい怯えてたぞ?」
つい先程に阿刀田で起きた出来事……士緒の独断専行によって五郎左の思惑を成し遂げられなかった事に言及する。
ゲオルギーネと山本五郎左衛門の諍いの歴史はそれなりに長い。
どういった確執なのか、事の詳細を聞いてもはぐらかすばかり。出来た息子を自称する士緒としては、これまでは父親の言いたくない事を無理に問いただそうとはしなかった。
察するに、“真ノ悪”においてある種、最もデリケートな題目……ヘルメス案件なのだろう、と。
「臙脂には謝罪しておきます。ですが親父殿……ギーネさんの事は暫く触れないようにと、お願いしたと思いますが? 貴方も納得し、それは臙脂にも伝えてあったはず。勝手な真似をしたのはどちらですか」
仁科賢十郎が“白面金毛”の謀で死んだ一件……そのペナルティとしてギーネから手を引くと決まった。
ギーネは強力無比な強さだが、高山虎太郎という縛りが付いたことで与し易い相手となったのは間違いない。
いつでも排除できる相手なら、代わりの戦力が阿刀田にある神野悪五郎の封印に置かれないよう残しておくべき……そのように判断したのだ。
「親父殿……貴方に疑いなんて物を持ちたくないのです。話を聞くまで引きませんよ?」
「……分かった。正直、恥ずかしい話なもんで言わなかったんだが……お前がそう言うなら、一つ黒歴史を紐解いてみるか」
「……やれやれです。親父殿が約束を破ってまでギーネさんにちょっかいを出すものですから、一体どんな理由が飛び出すかと思えば、エロ本を隠す類いの秘密ですって? 貴方の息子は今、とても複雑です」
「俺の方こそ、エロ本一冊隠し持っていない息子は複雑だよ」
滅多に行えない家族のやり取り。数秒前にあった険悪さを忘れて、二人は楽しそうに言葉を交わす。
正に男同士の会話が始まろうという場面で、身の置き場が無くなりそうな輝真による咳払いが部屋に響いた。
「……あのぉ、エロ本の話するなら私は居ない方がいいですよね?」
「貴女はギーネさんの友人でもあるのですから、聞く権利があると思います。それに……これから我々の側に腰を据えるのですし、親父殿の恥ずかしい秘密を握っておけば、何かと便利ですよ」
「何て性格の悪い愚息だ。お前の秘密も暴露してやろうか」
「私には恥ずかしい秘密などありませんよ。特に親父殿には」
「……あのぉ?」
またしても置いてきぼりの空気になりかけた所を輝真が引き戻す。
確かに、士緒としてはそろそろ真面目に話を進めたい。この後に外せない用事が控えていて、長々と話を聞いていられないのが実情だ。
最悪、五郎左のちょっとした独白程度の内容であれば切り上げてでも向かわなければ………
ピピピ―――ピピピ―――
そこで、アラームによる電子音が応接間に満ちる。
これからという時に水を差す音の主は、士緒のポケットにある携帯だった。
「失礼、時間ですのでこれにて。本当に申し訳ありません、親父殿。話はまた後日にでも」
「なに? せっかく俺が意を決して語りだそうって時に………」
「その決意は取っておいてください。心配しなくても、ちゃんと聞いてあげますから」
「何処に行こうってんだ?」
「ふむ………秘密、ですかね」
「……有るじゃないかよ、秘密」
士緒はニコリと笑い、輝真にお詫びの挨拶を残して部屋を後にした。
何とも言えない静寂に包まれた応接間に残される輝真と五郎左。互いに居心地が悪い訳ではないが、どちらからともなく苦笑が零れる。
予想だにせず置き去りにされた二人の、不思議な連帯感が生まれた。
咄嗟に浮かんだ妄想ではあるが、輝真はこの状況が、実家の親に紹介された恋人のような気分で楽しくもある。
そして五郎左も、それに近い認識を得ていた。あながち、そんな状況も有り得るのではないか、と。
そんな心持ちで五郎左は、楽しい想像で沈痛な面持ちを必死に押し隠している輝真へと声を掛けた。
「アイツが俺の所に来て、かれこれ10年だ」
「…………」
「奴の隠し事など山のように知っている。輝真、と呼んでいいか? 愚息の恥ずかしい秘密を肴に、1杯付き合え」
「――――! ええ、何かと便利そうですし」
一瞬きょとんとした輝真だったが、すぐに五郎左同様に意地悪な顔が浮かぶ。
初対面でありながら二人は今後の良好な関係を確信していた。そして一晩、一人の男に関する愚痴やら自慢やらで盛り上がる事になる。
途中、不満顔と不審顔を湛えて飲み会に参加した梢と焔をぶっちぎって飲み明かした。
★
そこは大手のテーマパーク。
子供を連れた親子、カップル、友達グループ、様々な人の集まりが行き交う夢の国。
そこかしこに陽気でファンタジーな音楽が流れ、幾つもの世界観に沿ったアトラクションに人が列を成しては呑み込まれていく。
その日は生憎の曇り空。全体に活気はあれど、天候の怪しさが少なからず人々の足を遠ざけている。
しかし、そんな時こそパークのキャラクターは天候の不利をカバーすべく、数割増しのテンションで仕事に臨む。
中でも一人の……灰色のクマだかネズミか分からないような、ふっくらとしたキャラクターの着ぐるみは、頭一つは抜けた熱心さとキレのある動きを披露していた。
「バイバイ『ベアトリチュー』! ふうせんアリガトー」
お父さんとお母さんに挟まれた小さな女の子に風船を渡す『ベアトリチュー』。軽やかなステップで、空模様の不機嫌さに負けないご機嫌なダンスをガッツリと踊り、陽の光を思わせる笑顔を風船と一緒に女の子へとプレゼントしてから見送る。
その鬼迫さえ感じさせるプロ根性は、ひとえに中の人の趣味嗜好が暴走した結果と言えた。
ベアトリチューの中の人はすなわち……子供が大好きなのだ。私財を投じてテーマパークを造り、自ら子供に笑顔を届ける仕事を行う程に………
「ねぇベアトリチュー! 私にも風船ちょうだい」
あどけない声音を後ろから掛けられ、パークの主任マスコットは嬉々として振り向いた。
とてつもなく愛らしい気配。振り向く前からおおよその身長、年齢、さらに美少女的ビジュアル(※イメージ)までをも声だけで見極めたベアトリチューは、推定10歳前後の妖精さんへ向けて愛想の良い身振り手振りで風船を差し出し――――
そこに悪夢を見た。
長い赤毛の少女。北欧の雪景色を思わせる白い肌と容姿、そして黒いゴシックロリータの衣服は中の人への皮肉をこれでもかと伝えている。
少女の後ろに立つ、これまた西洋風の美人が中の人に向ける軽蔑と嫌悪と憎悪の目もあってか、ベアトリチューは着ぐるみの外まで見える程にガタガタと振動し始めた。
「ベアトリチューぅ、抱っこぉ」
そして自らが対峙している状況を漸く受け止めたベアトリチューが、プロとは思えない取り乱し様で叫んだ。
「スカーレット!!!?」
ベアトリチューが跳ね返るように背中側に倒れ、半身を起こしてズリズリと後退しながら少女に向けて肉球の先を突きつける。
「な、なん、何でお前がここに!? 百年は会わない約束だ!!」
少女の正体は千年単位で生きる“悪魔”……ランクSSSに指定された最強の一角。“吸血貴族”の盟主にして“遠き赤”の異名を持つ、悪魔を従える女主人……カーミラその人である。
「ご挨拶ね。20年ぶりくらいに会った妻に対して言う言葉?」
腰を抜かして戦慄しているベアトリチューの中の人こと、東雲達也。“鬼”であった父と人間の母の間に産まれた混血。凄腕の退治屋と恐れられ、現在は細々とした退治依頼と、主に趣味に生きる男。
種咲市の“社”にて、五行一樹の扱きを受けながら学生退魔師の仕事をしている東雲未来夜の………実の父親だ。
未来夜の母親がカーミラという事実を踏まえて現状を見てみると、二人はつまりそういう関係である。
「黒歴史が追い付いてきやがったか……色即是空 空即是色 元妻退散! 俺は幼女とはヤってないヤッテナイヤッテナイヤッテナイヤッテナイ――――」
「おかしな自己暗示で現実逃避しないの。無駄な抵抗は止めて、合法な若妻を抱きしめてくれない?」
「なあ俺ら距離を置こうって言ったよね!? お前のことを嫁ですって紹介したら通報されたんだよ俺! 合法だとしても悪魔のお前じゃ証明できないし下手に関係を続けてたら今度こそ逮捕されて臭いメシ食って出てきたらやっぱりお前は幼女で手を出したら娑婆から永久追放されてあああああ!!」
往来のど真ん中で、クマともネズミともつかない着ぐるみが頭を抱えて悶えている姿は非常に目立つ。
カーミラの付き添い……表向きの母親役を勤めるアリシアが、唾でも吐きかけんばかりの形相で、東雲達也に近付き声を掛けた。
「ここでは人目を引きます。我々は別に構いませんが、貴方は社会的な窮地に立たされる事をお忘れなく」
「――――ハッ!? まだ娑婆だったか。二人とも何してる、ここじゃ人目につくだろうが早く来い!」
「……いつか殺す(社会的に)」
アリシアからの殺意(社会的な)を背に受け、関係者以外立ち入り禁止のエリアへと駆け込む。
せっかくここまで育てた大手テーマパークの信用を、あらぬ噂で失墜させる訳にはいかない。今はとにかく保身に走る時であった。
「ベアトリチューぅ、抱っこしてー」
カーミラが溶けそうに甘ったるい声で、着ぐるみの腰に飛び付いた勢いでクルリと正面に回る。
上目遣いに自分を見上げるのは紛うことなき少女のソレ。
トスッ――――
心臓に矢が突き刺さる音を、確かに聞いた。
或いは着ぐるみが無ければ、その感触であっという間に昇天していたかも知れない。
中身は正真正銘のロリババアという事で激しい葛藤に苛まれながらも、辛うじて幸せな気分になるだけで留まれた。
応接用の部屋までたどり着く頃には達也の自制心をかなり消耗したが、とにかく人払いを済ませて静かな部屋を確保。置いてきたはずの過去と再会を果たす。
「はぁ……“吸血貴族”が国を興せば、そこで堂々と一緒になれる。そう言ったのはお前だろ。それまでは俺も我慢するって話だったのに、なんで俺を誘惑する?」
「えへへ、ごめんごめん。息子に会いたくなっちゃって、つい」
「……おい、未来夜には暫く近づくなと言ったろ。せめてアイツが、もう少し成長して安定するまでは」
達也の低音を効かせた声がテーブルを挟んで座るカーミラに届く。ただし、威圧的な声音や険しさはベアトリチューの着ぐるみによって大きく減衰しているのだが、本人は気付いていないらしい。
「過保護すぎは良くないよタツヤ。あの子、タツヤが考えてるほど弱くない。力も使いこなしてるみたいだし、もう立派な男の子なんだから」
「っ――――!」
外見の幼さが消し飛ぶ妖艶な微笑みが、先程とは違う意味で達也の心臓を締めつける。
これこそが、自分が道を踏み外した理由だ。
10歳そこそこの見てくれを補って余りある、突き抜けた魅了の視線。テーブルに軽く肘を立て、滑らかに頬を撫でる仕草も、大の男を惑わすのに十分な色香を放つ。
千年の時を重ねたと言われても納得の、容赦無く本能を刺激する術を身に付けた女の姿だった。
「これに殺られちまったか、俺は………」
「………? タツヤ、聞いてる?」
「あ、ああ……未来夜の話な。まぁ、お前がそう言うなら正しいんだろ。確かに戦いだけなら、だいぶ混血の力を物にしてるみたいだし……けどアイツ、母親のこと何一つ知らないんだぞ? お前が母親だよーなんて名乗り出たら、ショックで立ち直れないかもだ」
「うん、だから正体は隠して近づいたよ。私はアリスの娘で、ミリーって女の子だと思ってる」
「賢明だな。その調子で暫くそっとしといてくれ。遠距離恋愛中で只でさえ弱ってんだから。下手に接触してややこしくするなよ? と・く・に! 血を吸おうなんて言語道断だ! 母親とは言え、紗枝ちゃんが嫉妬しちまう」
「未来夜の恋人……サエちゃんって言うんだ。んー……未来夜が無垢なうちに味見しておきたかったんだけどなー」
「正気か!? 息子だぞ!」
「私に欲情するタツヤには言われたくないなー」
「人聞きの悪いこと言うな! 年端もいかない女の子は見て楽しむに決まってるだろ。あの時は………お前だったから(ぼそり)」
「………ふふ」
思いもかけず、達也が溢した愛の囁き。
まだまだシチュエーション作りが甘くはあれど、カーミラにとっては中々に気の利いた言葉だ。
憂いを含んだ照れた顔をプイと背けるタツヤ。惜しむらくは、今もって全身を着ぐるみが覆っていることか。そこだけは手放しで喜べない。
後ろに控えるアリシアが達也の一言に舌打ちをするが、カーミラが苦笑しながらそれを宥める。そして少しだけ気分が良くなった所で、話の本題について語り出した。
「可愛いタツヤが見れたから、お礼しないとね。特別な情報と、大口の依頼をしてあげる」
「いやいや、待てよ。最初っからそれを頼む気で来たんだろ」
「ふふふ、バレた?」
全く悪びれないカーミラがアリシアに視線で合図を送ると、美人秘書よろしく書類を取り出し、タツヤの前に置いた。
とある人間の調査報告書。それも、ざっと流し見ただけでも相当ヤバい類だと分かる人物の。
「写真は無しか……クルーオル・グラシャ=ラボラス? また派手な偽名だな」
「“大聖堂”に潜んでる小ネズミちゃんってとこかな。最近まで私のことを探し出すために躍起になってたんだけど、急に影を追えなくなったのよ。どうせ碌な事じゃなさそうだし、始末しときたくて………ね? お願い、タツヤぁ」
「…………」
達也は着ぐるみの指先で器用に書類をめくり、読み進めていく。カーミラの声が届かないくらい集中して、読めば読むほど見えてくる残忍で冷酷な政治犯の顔を睨む。
目的のためなら手段を選ばず、街レベルの虐殺を裏から命令するタイプの外道だ。特に目に付いたのは、子供でも平気で手に掛けている事実。
達也としても決して見過ごせない、吐き気を覚える凶悪犯だった。
「“聖堂騎士”や祓魔師、それから飛びきり悪質な“悪魔”ばかりを手駒にしてるな。しかも、今は日本を中心に誰かを探してるのか………なるほど、だから俺に手伝えと」
“吸血貴族”という巨大な組織のトップで、否応にも目立つ風貌のカーミラである。あまり大きな活動が出来るはずもなし。
加えて、ウィットーリオと空丸に九良名市を偵察させた際に、“真ノ悪”から脅しを受けている。万が一にも衝突が起きてはマズイ。
そこで、国内で信用が置けて実力も申し分ない人材……東雲達也に白羽の矢が立った訳だ。
「そうなの! 出来れば片付けてくれると、すっごーーーく助かるなー」
「……この情報はバラ蒔いてもいいんだな?」
「タツヤが必要と思うなら」
「………なら、何とかなるか。確かに有益な情報だった。“退魔師協会”も、これほどの危険人物の情報を無視はしないだろう。後はコイツの出所だが………」
「私たちが“大聖堂”に送り込んだスパイがいるから、彼からの内部告発って形にして」
「うわ……油断も隙もない女だな。まぁ有り難く使わせてもらうが」
東雲達也という退治屋は退魔師の世界においても、どちらかと言えば嫌われ者の部類だ。
“鬼”と人間の混血とは一昔前なら迫害の対象であり、協会内部でも古い人間には、今なお厭われ続けている。鬼の血が人間よりも濃い未来夜に至っては言わずもがなと言ったところ。
達也は謂れの無い誹謗を蹴散らすだけの実力を持っていたが、居場所は少なく生き難かったのは間違いない。そんな達也が退魔師協会にアレをしろコレをしろなどと、言える筈もなかった。
それを知った上で、切り札を消費してまで達也の事情に気を回す……カーミラ曰く、これは内助の功である。
「はぁ………また一樹に借りを作るのか。未来夜が娘を盗ったからって根に持ちやがって」
「へぇ、五行一樹の娘なんだ………」
「まさか会おうなんて考えてないよな?」
「えー、だって息子の彼女だよ? 私が食べる予定の未来夜をつまみ食いしたんだから、少しくらいイジメたって良いでしょ」
「遠距離恋愛だから、まだつまみ食いはないと思うが……って違えーよ! なに実の息子を性的に食おうとしてるんだよ!? お前どうせ血だけじゃ済まないんだろ、知ってるぞ経験上!」
「なになに、親子丼がいいの? 私は寧ろその方が燃えるけど」
「灰に返してやろーか!?」
そんな気心の知れた掛け合いの横で、アリシアが達也に向ける敵意が天井知らずに伸びていく。
アリシアにしてみれば、東雲達也という男は敬愛する主を誑して逃げたクズだ。子供である未来夜も、カーミラが自分から身を引いたからこそ人間の側にいる。本来ならそんな事をする必要はなく、ただ男と息子の為を思って。
そんな主の寛大さを忘れて調子に乗るなと、鋭い眼光が物語っていた。
それを達也も感じとり、着ぐるみをブルリと震わせてから、とにかく場を仕切り直す。
「こほん。それでスカーレット……本当に依頼のためだけに国を離れたのか? アリシアもウィットーリオも、よく許したな」
「別の大きな用事もあったから。IRを知ってるでしょ? 橘花院士緒って名前らしいけど、その子に会いにね」
「IR………2年前だったか。“死神”からお前の命を救った」
「本人は気付いてないし、私も殺される一歩手前だったから、何が起きたのか漠然としか分かってないけど。まったく“死神”って連中はさ……たまに現れては死を振り撒いてく、正に神出鬼没。鬼や悪魔なんかより、アレの方がよっぽど災害だよ」
「それで? お前が立ち塞がって返り討ちにされそうな所を助けられた……その時の礼でも言うのか」
「うん、お礼にイイことしてあげようと思って」
「……IRもお気の毒に」
カーミラの言うイイこととは、決して言葉通りではない。恐らくIRにとって、かなりノーサンキューな礼を押し付けられるのは目に見えている。
最悪を想像するなら、カプッと一噛みで不死身にされる等だが………
と、これまで会話に参加せず控えていたアリシアの気配に、若干の動揺が浮かんだ。
どうやら魔術による遠距離通信の類を受けていると分かり、カーミラと達也の空気も神妙なものとなる。何せ、従者としての教育が行き届いたアリシアにしては珍しく、驚きの色を隠しきれていないのだから。
「失礼致します、カーミラ様。たった今、“ドゥンケル・ハイト”を用いたルートからメッセージが入りました………ゲオルギーネが場を設けて欲しいそうです」
「……あの娘から連絡してくるなんて正直、意外かな。それで……妹分は何て?」
「信じ難い事に、謝罪の言葉が届いております。ワサビ風呂が日本の流行りだと嘘をついて悪かった、と」
「おっと、これは一大事だね。家出した妹分を怒るのは、また今度にしようか」
達也には分かったが、その様子には常のカーミラよりも喜びの感情が滲み出ていた。
連絡を受けてすぐに帰ろうとするカーミラを見て、ホッとするような惜しいような、背中を見送る時の達也は不思議な気分である。
そして去り際、カーミラが思い出したと言わんばかりに達也へと駆け寄ると、着ぐるみの上から頬にキスをしてみせた。ついでに、首筋に甘噛みの痕も残して。
達也は着ぐるみを付けている事実が、やはりホッとしたような惜しかったような、という具合だった。
★
所変わって、カーミラたちが訪れたテーマパークの一角。
「はい先輩、あーん」
「ははは、流石に拒否しようかな。キャラメル味は苦手なんだ」
「じゃあ、私にください。あーん………」
「……僕が舐めた直後のロリポップしか持ってないけど」
「それをください」
「……却下で」
五郎左との話を切り上げて向かった約束の地……そこで黒沼公浩は後輩からデート攻撃を受けていたそうな。




