第110話 泥の街 十四日目
檸梨市消滅の宣告から十数時間が経過した。
相変わらずドーム状の汚泥に覆われた街では時間の感覚を失いそうだが、電波ではない時計によると現在の時刻は18時。元旦から始まり、今日までの2週間がどのように収拾されるのか、誰もが一様に不安を拭えていない。
こうなっては仁科黎明という最強の退魔師をもってしても焦りを覚える段階だ。
実のところ、手間と凄まじい労力を必要とする代わりに黎明には街を覆う結界……『火坑』の基点となる何者かを探し出す手段がある。『火坑』の仕組み自体は、“白面金毛”と交流があった時に聞き出した事があったため、それと同じ代物なら基点を壊す方法で結界を消せるだろう。
黎明の“三つの異能”の一つ……千里眼に近い能力を備える『星の眼』。そして“白面金毛”の『天眼』とほぼ同質の能力である『天の眼』……遠くの未来は見えないが、最大で30秒先の事象の可能性を探れる能力だ。それらを同時に使う事で、恐らく基点となる人物は特定できる。
『星の眼』で人を捉え、『天の眼』でその人物を殺害した後の30秒先を見る事で、結界消滅の未来に繋がるか探れば良い。
とは言え、街の人間を一人一人視ていくのは時間の掛かる流れ作業で、時間との勝負。残り24時間でそれを行えるか微妙な時だと言うのに……現在、目の前で起きているトラブルは作業続きの黎明にとって、眉間へ盛大に皺が寄る事態であった。
「ガキかお前は……それで? 黒沼、今回は一体何がしたいんだ?」
「この男の身柄ですよ、理事長先生」
旧仁科邸跡地。怪我の治療もそこそこに拘束された状態の仁科亮を跪かせ、突然その首に黒沼公浩が『光剣』を突き付けるなど、誰も想像できまい。
上空に縫い留められた汚泥の巨人の残骸……そこから脱出して後、公浩がイグナシオ他数名の“社”所属の退魔師と衝突した事は、黎明がこの街で経験した中で最も驚愕の出来事だった。
メリザンドの新型“神託”、『命の樹』。先刻、仁科邸を覆う範囲で使用した結界の“神託”で、今なお柔らかく暖かな光の粒子が舞う空間である。
黎明がその場所にて、『火坑』という街の異常を解決すべく動こうとした矢先。仁科亮の身柄を捕らえようとした“社”の退魔師を公浩が突っぱねた。
その騒ぎに反応したイグナシオを先頭に、殺伐とした睨み合いとなってしまったのだ。
「な、何してるお前ら! さっさとコイツを何とかしろよ!!」
今にも泣きだしそうな声で慌てた様子の仁科亮。イグナシオは無情にも一言、「黙れ」とだけ。
そもそも、この場に発生している対立は仁科亮の身を案じてのものではない。罪人の引き渡しに際し、公浩が身柄の譲渡を拒否したために起きた事だ。
その行動だけ見れば、敵対と取られても仕方ないだろう。あまつさえ、公浩は正真正銘、特一級の凄腕退魔師……だからこそ張り詰めた空気は真剣そのものだった。
「何とかするとして僕なら……貴方をぶん殴って静かにさせますね」
「お、お前は終わりだぞっ! 退魔師資格の剥奪だけじゃ済まなぶほっ!!?」
仁科亮の後頭部を『光剣』の腹で殴打し、言葉を途切れさせる。それに関しては誰からも文句が出る事は無かった。
「失礼しました、理事長先生、それに“猟犬”殿も。騒がせた事は謝ります……ですが、仁科亮の身柄だけは私に譲って頂きたい」
「理由を言え。返答次第では、お前を敵として拘束する」
「おい黒沼。イグナシオが問答無用で噛み付かないなんて滅多に無いんだからな。コイツの大人げがなくなる前に話しとけ」
息を呑む……と言える程の緊張感には至っていないが、黒沼公浩という少年にある種の不気味さを覚え始めた退魔師もいる。人質にもならないような男を捕え、黎明やイグナシオらと対峙しても顔色を変えないなんて、どうかしているのか……と。
「やれやれ、そんなにピリピリしなくても説明はしますよ。まずは、これをご覧ください」
取り出したのは宇宙空間じみた奥行きのある特殊加工が施された黒いカード……公浩の特一級退魔師資格証だ。
一見して普通の、黎明にもお馴染みの資格証だが、その中に『特殊資格 A―1適用』という見慣れない文言が記されている。
それは黎明が外国での活動中、協会とも満足に連絡が付かない時期……五行家と“日計の毒”による対立が終結した直後に公浩が受けた公式の肩書き。試験的な施行として与えられた、全く新しい制度の先駆けである。
「正式な協会所属を示すIDです。ただし例外的に、報酬の発生する依頼を個人で受ける事を認めた資格でして。今回は、その依頼達成に仁科亮の身柄が関係している……とだけ」
「おー、アレか。俺が日本に居た頃はまだ宙に浮いていた議題だったんだが、よりにもよってお前に与えちまうとは……ははは、吉と出る気がしないな」
「笑い事じゃないぞ、レイ。どうせ、この男が依頼について行儀良く話すとも思えない。どうする……取り押さえるだけなら、難しくないが?」
今にも公浩に向けて飛び掛からんと物騒な気配を放つイグナシオを、黎明は必要無いと言って宥める。
子供が駄々をこねるのを大人が笑って許すような、そんな包容力を感じさせた。
見た目は旧日本軍のコスプレをした隙の多い少年にしか見えないが、流石に100年を生きる老齢の男。時折見せる実年齢相応の落ち着いた雰囲気……ギャップが、人を惹き付ける魅力の一端であった。
「いいだろう、その馬鹿はくれてやる。あんま煮たり焼いたりし過ぎるなよ?」
「ありがとうございます。ですが、借りとは思いませんからね?」
「うわ、かわいくねー」
出会った時から公浩の態度は、黎明に対しては当たりが強い。敵意に近いとも思える。
イグナシオはそこが引っ掛かっていた。親しい関係の気兼ね無い会話と呼ぶには、公浩から受ける刺すような険悪さ……押し隠した強い何かが。
当然、黎明もその事には気付いている筈なのだ。
黎明がその目で何を見ているにせよ、公浩に対する寛容さがイグナシオには腑に落ちないものとなった。
「何だよ、こっちはまた平和な争いしてんだな。外はハルマゲドンだっつーのに」
ここに来て新顔の男の声。街を覆う結界が来るものを拒まないとは言え、黎明としてはホイホイと入って来てほしくはないのが正直なところだ。
現れた男はサングラスに、ガチガチに固めた髪、真冬だという事実を思い出させる毛襟のコート、コートの内から覗く全身を取り巻くチェーンなど、雰囲気からして柄の悪さが目立つ。
そして獣が牙を剥き出すのにも似た凶悪な笑みを浮かべ、黎明へと視線を定めた。
「よお、ジジイ。国外でおっ死んだって噂になってたぜ?」
陸道石刀。陸道本家の第二子であり、九良名学園第一校学園長を勤める鏡の弟。外見に反して、退魔師協会では若手の幹部でもある実力者。
………その実、山本五郎左衛門の協力者として、“真ノ悪”に与している。故に、この場において石刀は表立って親しく出来ないが、数少ない公浩の……橘花院士緒の側に付く人間であった。
「石刀……お前、そのキャラまだやってたの?」
「テメェコラッッ!? キャラとか言ってんな!」
「だってお前、葉ちゃんが悪い男がタイプって聞いてからずっとそれ――――」
「ジジイ黙れ!!」
黎明にかかれば石刀もタジタジである。それこそ産まれる前から面倒を見てきた仲でもあるのだ。二人の間には覆る事が無い上下関係が構築されていた。
「覚えてろよジジイ」
石刀はそれだけ吐き捨ててから公浩と、その足元で御白州よろしく跪いている仁科亮へ意識を向ける。そのまま無造作に二人へと近づき、正面に立った。
「ご苦労さん。そのクズ寄越せ」
「随分と早いお迎えでしたね。知ってるでしょうけど、街からは出られませんよ?」
石刀と公浩のやり取りを聞き、黎明は大体の事情を察する事ができた。
仁科亮の身柄を欲した公浩の依頼人とは陸道石刀だったのだろうと分かる。ただ、イグナシオにはそこに至るまでの経緯が、どうにも想像できない。
陸道石刀とは初見だが、その感じからして公浩と円満に繋がりが持てるタイプには到底思えなかった。
「その気になりゃこの場でも聞きたい事は聞ける。このイカれた結界の中も、大分落ち着いてるみたいだしよ。『呪』の解き方を聞き出すくらいはな」
凶悪で嗜虐的な笑み……それが仁科亮の眼前へぬるりと差し出される。その瞬間の恐怖で、仁科亮の呼吸が数秒は止まったことだろう。
「腐敗野郎を使って五行葉に汚ねえ『呪い』を運ばせたこと、一樹のおっさんは許さねえとさ。お友達の五行樫木がどうなったか、向こうでじっくり聞かせてやるよ」
石刀は会話もそこそこに仁科亮の髪をガッと鷲掴み、痛みと屈辱で呻く罪人を引き摺ってその場を去ろうとする。
だが折角やって来た新鮮な情報源だ。先程も言っていた外の様子についてを聞こうと、黎明が石刀を呼び止めた。
「待て石刀。もう制御が利くようになってはいるが、ここに来るまで大量の死人の群れと遭遇したろ。あれを見ても外の方がハルマゲドンなのか?」
「んあ? まぁ、ややこしい事態なのは確かだ。“六家”の当主がぞろぞろと結界の近くに陣取るは、予想外の客が押し掛けてるは、上じゃあ杖持った髭ジジイととち狂った“鬼”がド派手に殺しあってるはで居心地悪くてな。こっちに逃げて来たんだよ」
「ここは逃げ場所に適してない……と言いたいところだが、お前が言うならよっぽどだな。“陸道の修羅”と呼ばれたお前が修羅場から逃げ出す程だ」
「カカッ、まぁ、そういうこった。それに美浜の姐さんが連れて来た客が言うにはよぉ、上に居るガキみたいな形の“鬼”を殺れば結界……『火坑』だっけか? それが消えるんだと。敵は外に居るとは限らないって言うが、今回はあてになんなかったな」
事もなげに笑って述べる石刀。それとは反対に、黎明の顔の筋肉には緊張と驚きが半々で浮かんでいる。
まず幾つかの聞き捨てならない単語と、ガキみたいな形の“鬼”が結び付く。更には『火坑』を消し去る手段が講じられている事など、断片的な情報の処理に手間取っていた。
「玉藻の奴が居たのか? 外に?」
「おう。結界を維持する核だとか言ってたが………そう言えば伝言があったな。仁科黎明は『火坑』の仕組みを知ってる筈だから、内部で結界の基盤を探してるようなら止めるよう忠告しておけ……とさ」
「客とやらか……何者だ?」
気紛れで飄々とした立ち姿の、どこか適当な構えで話をしていた石刀だったが、その質問で僅かに空気が変わった。
若干の考える素振りをした後、茶化すでもなくサングラスの奥に真剣な光を湛えて、黎明の質問に対して首を横に振って見せる。
「悪ぃが、俺の口からはその質問に答えらんねぇ。美浜の姐さんに聞きな」
「………!」
退魔師協会会長……その立場は要するに、正式に退魔師と認められた者なら絶対に逆らえない権力を意味する。それも、末端の退魔師よりは幹部などの立場の人間の方が、権力への理解は深い。石刀は反逆児のきらいがあるが、黎明を含め、認めた者へは比較的従順だった。
その石刀が、命令ではなかったとは言え、黎明に明確な拒否を突き付けたのだ。驚きと同時に、背景に余程の理由があるのだと推察する。
何かが起きている……檸梨市を襲った『火坑』の脅威も問題にならない何かが。そう直感させる出来事と言えた。
「クク、そう気負うなよ。ややこしい事態には違いねえが、あんたにとっても悪いばかりじゃねぇんだからな」
話は終わったと、今度こそ踵を返そうとした石刀の去り際の視線が公浩を掠める。
目が合ったとも言い難い刹那の交わりから、黎明は何事かを感じ取った。
何かを見落としている、何かを間違えている。何か、何か、何か………
肌が粟立つ不安感に駆られ、黎明が咄嗟に『地の眼』……感応強化で石刀の心を覗こうとした。まさにその時だ。
ッッッ――――――!!!
街全体がグワンッと揺れる。
エレベーターを急に落とされた瞬間に近いだろうか。しっかり立っているのに体幹を奪われる浮遊感、続いて自分を取り巻く世界そのものが途轍もない早さで入れ替わっていく不思議な感覚。
今度は一体何だと騒ぐ者や、不安そうにしつつも嫌な感じはしないと気づく者まで。全員が一様に推移を見守り、身を任せていた。
「糸浦の時と同じなら……これで」
『火坑』が消え去る。
檸梨市を包む汚泥の膜が剥がれ落ちる音は、元旦から始まる地獄のような二週間に幕が降りる音でもあった。
世界を穿つ災禍
337時間50分を以て消失
★
『なーなー、イグナシオー。ワタシの『タイラント』が一個見当たらないデース。壊れたのも含めて探したケド……知らんカー?』
『知らん。あの戦闘の激しさだ……粉々になったか噛み砕かれたかしたんだろ』
イグナシオとメリザンド。二人は“社”の高層階にある眺めの良い一室にて、それぞれ寛いでいた。
メリザンドは先の前鬼との戦闘で破損、紛失した“神託”のメンテナンスと確認。イグナシオは朝方の白む街並みを、見晴らしの良い窓から眺めて複雑そうに溢している。
数時間前、街から汚泥が消えた。
空を見上げれば冬の綺麗な星々が、灯りの無い街の上空に輝く光景……それを見て、『火坑』という災禍を乗り越えた市民たちの惜しみない喝采が街を満たした夜。
そこから夜が明けて今に至るまで、目まぐるしくも迅速な人の動きが一種の喧騒を生み出していた。
結界の消失とほぼ同時、まずは外周で待機していた退魔師協会の諜報部……五行家の工作部隊が軍団規模で雪崩れこんだ。
素早く関係者への接触と聞き取りを済ませて状況を把握。顕術による一帯の安全確保と、全ての交通機関、公道私道を問わない街の隔離封鎖が、あれよあれよと言う間に完成してしまった。
当然、新たな不満が爆発する場面もあったが、完璧に態勢を整えた退魔師協会の管理を突破する猛者は現れず、事が完全に終息するまでは改めて監禁生活である。それでも、“凶堕ち”という現象が無くなったこと、家に帰れること、家が壊れている者はそれら私財の補償等々……アフターケアに抜かりは無い。不満の爆発は最小限に留められただろう。
何より……殺伐とした世界から太陽のある世界に戻れた事実こそ、不満を未だ表面化させないで済んでいる要因なのだ。
皆が喜びと感謝に溢れる優しい世界……それに酔うことで怒りと悲しみ、今後の生活に対する不安などが一時的に麻痺していると言っても良い。
この分なら、協会が可能な限りの隠蔽と世間への言い訳をでっち上げるまで、多少は時間稼ぎの足しになる。
街の人間全員に記憶の改竄を施すという頭のおかしな仕事にも、幾らかは現実味が出てくるというもの。市民の二割以上が死亡、ないし行方不明である事も、取り繕う側としては幸か不幸かと言ったところだ。
“凶堕ち”となった人間を含めれば更に酷い数字が出てくるだろうが、そちらに関しては久我山絢里が入手した通力の波長で使役が可能であり、閉じ込めるにしろ活用するにせよ扱いには困らない。
“凶堕ち”は鬼と同じく不可逆の存在……既に死んだ人間である。言うなれば死体だが、それを利用するのを憚る程度には、協会の退魔師も倫理感が壊れてはいなかった。
イグナシオの目から見て、退魔師協会は人道的な組織……それでいて“大聖堂”や他のどんな組織よりも優れた人材、柔軟さ、末端まで徹底した対応力の高さ、経験の豊かさを持ち合わせている。
流石、たった100年の新興でありながら世界随一に登り詰めた怪物組織だと、感嘆を覚えるところだ。
『だからこそ、俺には恐ろしく映るがな』
これほどの力を持った組織だ。少し天秤が傾いただけで、どれ程の災いとなるかは想像もつかない。
それ故に黎明が、悪しき身内の一掃を決意して帰国した矢先。悪逆に過ぎる陰謀に巻き込まれた訳だが。
しかしながら、結果的には本来の目的は果たせたと言える。仁科亮、仁科千豊の魔窟を滅ぼし、黎明の敵対派閥の一角を切除できたのだから。
おまけに、メリザンドの新型“神託”……『命の樹』が実用に耐える事も、あの場で証明された。黎明曰く、今回一番の収穫である。
★
数時間前、結界消失後の旧仁科邸跡地。
そこには『命の樹』による光の粒子が漂い、夜とは思えない明るさが広がっているが、漸くそれを使う時が来た。
『よっし! レイ、計器の設置はおーけーデース』
『救護班の準備も完了よ。レイ、これが成功したら私と結婚しましょ?』
『ちょっとリサ!? 止めなさいよこの淫乱女っ、ふざける場面じゃないでしょうが!』
ツナギと金の三つ編みの上に、全身を覆い尽くしそうな配線や古い漫画で見るようなアンテナだらけの金属帽子を着用したメリザンドが、タブレット端末をポチポチし終えて声を上げる。
続いて救護班の配置を指揮していたリサ・ハロルドがお約束の冗談を口にし、顔を真っ赤にしたケイト・グローセから怒鳴られる恒例行事。
“聖堂騎士”序列10位、リサ・ハロルド。ふんわりと肩まで垂れる髪、トップモデルすら隣に立つ事を躊躇う際立ったスタイル。常ならそれらを遺憾なく見せつけるところだが、この時はそれらを隠す聖堂騎士としての衣装に身を包み、見た目だけなら普段には無い清らかな雰囲気だ。
白い祭服を基調として法衣らしい特徴を散りばめた、霊験を感じさせる衣服。本来の物よりも全体的にほっそりしたシルエットは、なるほど女性に配慮したデザインであった。
『…………』
『………? 何よケイト、じろじろ見たりして』
『いや、何かね………ムカつくなーって』
いつもはもっと露出の多い服装で、加えて道を歩けば誰もが振り返る美貌の持ち主。それこそ呼吸一つで男を幻惑する色香を放つ程の。
しかし、今のリサはそんな艶っぽさとは縁遠い清楚な見た目。可視化するような色気も徒に扇情的な振る舞いもない……言動以外は至って淑やかだ。
正反対の魅力をそれぞれ突出させたリサの理不尽さに、ケイトは納得いかない怒りを覚えていた。
自分の格好を見下ろせば、初日にボロボロになった服の代わりで手に入れた間に合わせのシャツとデニム。持ち主を失った服飾店から適当に調達しただけあって、ケイトが好むセンスではない。ネコがガオーッてしてるシャツとか………リサとの差を見せつけられて沸々と沸き立つ衝動が限界に達した。
『脱いで』
『………へ?』
『脱ぎなさいよ!』
『ひゃ!? ちょ、な、何なにナニッ―――何!?』
『いつも裸みたいなもんなんだからっ、今さらでしょ!?』
『やめ―――引っ張んないで! ほ、ほんとに脱げ―――!?』
ズンッッ――――!
地面を踏みつけた振動が、高校生みたいな絡み合いをしていたケイトとリサをポンと跳ねさせる。
二人のキョトンとした顔がイグナシオに向いた。
『イチャイチャするな。さっさと持ち場に付け』
『『…………』』
二人はトコトコと救護班の列に戻っていった。
やれやれと肩を竦めるイグナシオとは対照的に、黎明は二人のやり取りを見て愉しそうに笑っている。
こんな和やかな日常を少しでも守れる力……その可能性に、軍服を着た少年は向き直った。
『始めるぞメリザンド。コードを教えろ』
製作者のいない所で勝手に使われないための措置として、黎明は直前まで『命の樹』の本格作動に必要なコードを教えられていない。“神託”のデータ収集はメリザンドが提示した条件でもあるのだから、本人からしたら念には念をの精神だ。
『命の樹』はその特異性から、言葉による段階的な起動というプロテクトを掛けてある。その最終にあたる言葉を黎明は聞き、その場で口に出した。
『『救世主』最終ロック解除、コード………『我が物と欲す』』
直後、場に満ちていた光の粒子が刹那の静止を見せる。
次の瞬間、それらが黎明の目の前に収束し、形を成していった。
『すごい………』
『聖堂騎士序列5位……“賢しき金細工師”の面目躍如ね、メリザンド』
『言うこと無し、だろうな』
ケイト、リサ、イグナシオが口々に感想を述べていくなか、黎明は眼前の光景に無言で拳をギュッと握り締める。
旧仁科邸跡地。見渡せば、汚泥の巨人の出現で土が掘り返された更地……そこへ、視界一杯に横たわる意識の無い人間の集団が出現していた。
その全員が仁科邸内で命を落とした筈の使用人や、退魔師ら数十人である。
『セイ! コウ!! デーーースッッ!!! 生命の情報を記録、投影、完・全・復・元!! 誰が何と言おうと、正真正銘っ、これは死者の蘇生に相違無しだゼーーイ!!』
『命の樹』……仁科黎明がメリザンドに作成を依頼したのは人智を越えた神への反逆の狼煙。
死した者を神から奪い返す……そんな意味合いの要望を黎明がダメ元で伝え、メリザンドが叶えた。『命の樹』の起動後、範囲内で死亡した人間の情報を、死亡前の状態で復元する力。
それは記録から情報を取り出しての再構築であり、厳密に死者の蘇生と呼べないかも知れないが、その真偽は蘇った本人か……それこそ神のみぞ知る、だ。
身体のあちこちに絡んだ計器を捨て去り、初めて見るテンションで歓喜を叫ぶメリザンド。その様子は新作の成功を確信したもので、実用試験の結果を物語っている。
その事実だけあれば、今のところ黎明にとっては大満足であった。
「救護班、全員の体調を調べてから“社”へ運べ。それから支部長代理の久我山に聞き取りを行うようにと。仁科邸に居た連中だからな……扱いは留置程度が妥当だろう」
出せる指示をサクッと済ませ、黎明は生き返った者たちの中に目当ての人物を探す。
仁科千豊……穴熊よろしく屋敷の奥へと引き込もっている筈の男。
この場に現れないという事は、最初から屋敷に居なかったか、どさくさに紛れて逃げおおせたか。あるいは………
「既に亡くなっていたのでは?」
黎明の背中にポツリと投げ掛けられた言葉。
新型“神託”の実験に立ち会いたいと留まっていた公浩が、普段からの人を食ったような笑みを浮かべ、何の気は無いとばかりに述べた。
まさか心を読んだ訳ではないだろう。黎明が誰かを探している雰囲気を公浩が察し、しかし目当てが見つからなかった様子から当たりを付けた、簡単な推理に過ぎない。
冷静に考えてみれば別段、驚くに値する出来事ではないのだ。
だとしたら、どうしてなのか………
黎明の背中に冷たい何かが触れたような、奇妙な違和感を覚えたのは。
「『命の樹』……でしたか。あれの展開前に死んでいた場合は生き返らないのでしょう? それに死体があったとしても………」
徐に指差して見せるのは冬の星空。ほんの少し前まで、檸梨市を襲っていた災禍の名残とも言える汚泥の巨人が縫い付けられていた位置だ。
それも先程、黎明の特大の『光剣』にて微塵斬りの後、炎の顕術で破片を根こそぎ焼却してある。
結界が消えた以上、いつまでも空に残してはおけない。
異界化した内部に生き残りが居ない事を確認し、今後の混乱を避けるため早々に消し去ってしまった。
「亡くして惜しい人物でも居らしたのですか?」
「………いや、仁科家の寄生虫が見つからないだけだ。それはいいんだけどな、問題は残ってる」
「ふむ……? なぜ僕を見詰めるんでしょう」
ジトッとした黎明の目が語るのは、ヤンチャな子供の悪戯を問い詰める意思だ。
公浩は仁科邸内部で、神崎風音の身代わりで捕まった女性を探していたと言う。丁度その頃に屋敷の核……黎明が知る所の“白面金毛”の欠片が暴走し、汚泥の巨人となって出現した。
タイミング的に公浩が早計な行動を取ったのでは、と考えるのもやむ無しではある。
尤も、目の前の男は確かにエキセントリックを極めたような奴だが、流石に故意に惨事を引き起こした訳でもないだろう。
本当に何もしておらず、全てが不運な事故だったという事もあり得る……しかし、黎明にはどうしても引っ掛かるものがあった。
(第三校の生徒……亜笠が受け入れたなら調べは十分だったはず。なのに、俺にはコイツが黒沼公浩とは思えない、のか? 何だ……俺は何が見えていないって言うんだ)
これが深刻な事態とは今のところ考えていない。ただし、黎明の心には拭いきれない不快感がこびり付いた。
心理戦……と呼ぶには一方通行だが、内心で気持ち悪さに耐えている黎明を読み取った士緒は、自身の他愛ないハラスメント行為が効いている事にほくそ笑んだ。
「これから他所にも顔を出すが、まだ付いて来るか?」
「見せ場は終わりましたし、僕はこれで失礼します。ですが、“白面金毛”と貴方の関係については色々とお聞きしたいので……その時までに、言い訳を考えておいてください」
公浩の笑みがすっと消える。
そこには常らしからぬ激しい敵意が窺えた。糸浦の町に居た頃、“白面金毛”と余程の出来事があったのだろうか?
これまでの黎明に対する尖った態度は、その敵意のとばっちりが来ているのだと思いたいが………
「んじゃ、その時にな」
あるいはこの時に、時間を作ってでも公浩と話をしておくべきだったのかも知れない。先送りにしなければ、世界はこのまま事も無しに進んでいたのかも知れない。
後に仁科黎明がこの日を思い返し、想う。人の心を読むよりも、遠くの景色を見るよりも、未来の道筋を捉えるよりも……過去をやり直せたらどんなに良いか、と。
黎明の心が後悔に沈む日まで
あと--日




