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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
109/148

第109話 フィジカル&ツーハンド

 

 鳳(おおとり)仙花(せんか)による布告から数時間。


 ある日を境に市民たちは、突如として日常から非日常の世界へと突き落とされた。

 死と隣り合わせの生活を二週間も強いられ、追い詰められた民衆の精神状態が簡単に治まる筈がない。


 久我山絢里……偶像(アイドル)という市民の心の拠り所が行った暴徒鎮圧の計は大いに効果があったと言えよう。“社”が虎の子としてきた心理誘導術式内蔵の音響機材まで使用した結果、殆どの場所で騒ぎは鎮静化した……しかし、これだけ大きな火種を完全に消し去るには時間も必要だ。


 今回、退魔師が心理誘導術式にある程度の耐性を持っている事が災いする。少数の退魔師が仙花の世迷い言を真に受け、自ら進んで市民を煽動し始めるとは、誰も予期していなかった。


 ここ九良名学園第ニ校の校舎でも今まさに、愚かな退魔師が大勢の避難民を引き連れて風紀委員十数名と睨み合いをしている。

 独楽石栄太を引き渡せば自分たちだけは助かると本気で信じた愚物たち。よりにもよって“社”から学園の守りを任されていた退魔師数名が無駄に行動力を発揮し、栄太を守ろうとする風紀委員や他の正気な者たちと一触即発の空気を作り出していた。


「あんたら“社”の退魔師だろ! それが、あんな言葉一つに騙されて恥ずかしくないのか!?」


「嘘だとどうして言える! そこを退けっ、独楽石栄太を差し出せば100人は助かるかもしれないんだ!」


「そうだっ! そいつさえ犠牲になってくれれば……だ、誰かは助かる!」


「全員で死ぬよりはマシなんだよお!!」


 カルネアデスの船板だ。助かりたい一心での行動、それだけならまだ良かったのだが……今この場には大義も信念も無く、おまけにどう考えても正統性が弱い。

 端的に言って彼らは、船が沈むのを恐れるあまり、沈んでしまう前に自ら船を壊して板を確保しようとしている……それと同義なのだから。

 “凶堕ち”という現象については既に周知されており、こんな事を続けていては敵の思うつぼだと、考えれば分かるだろうに。

 更には、独楽石栄太の排斥派は廊下に押し寄せている者以外も合わせると100人ではとても足りない。悪くすれば、栄太を殺した後に定数になるまで殺し合う事だってあり得るだろう。

 まさかそれすら理解できない程のパニックが急激に発生した上に、正規の退魔師がそれを煽るとは、想定外にも程があるというものだ。


「独楽石栄太を渡せば危害は加えない。我々も、この様な仲間割れみたいな事は好ましくないんだ」


「よくもっ、そんなこと言えるな。こんな騒ぎを起こしておいて!」


 風紀委員数名を先頭にして、一般生徒、避難してきた民間の人間までが盾となって行く手を塞いでいる。栄太の人格を慕う者たちが一丸となった結果、力ずくという手段が取りにくい数にまでなっていた。

 とは言え、相手の矢面に立っているのは上一級の退魔師と一級の退魔師が2名。いよいよとなれば風紀委員だけでは押さえておけないだろう。


 事を収拾するには更に上の武力か、さもなければ渦中の人物が自ら仲裁に入るか。

 今回は後者が当てはまった。



「どこかで見たような光景だな」



 人垣を分け、堂々たる姿勢で進み出たのは独楽石栄太だ。

 狭い廊下に現れた190センチの大柄な身体を、誰もが当然のように道を作って通していく。その光景に、負い目を自覚している排斥派が息を呑んで気圧された。


「我々が……仁科亮と同じ事をしているとでも?」


「ん? いいや、アレよりはずっとマシだろ。俺のちっぽけな命だけが目当てなら、まだまだ救いようはある」


「っ………なら………そのちっぽけな命で、100の人命を救ってもらおうか」


「……ああ、いいぜ」


 ――――っっ!?


 その場の全員が、栄太の言葉をまともに呑み込めていない。

 本気で口にしたと直感で理解する者も、どうせこの場限りの出鱈目だと信じない者も、その瞬間だけは言葉を失っている。

 それを目当てに押し掛けた筈なのに、そんな愚行すらも栄太の気概はあっさりと受け止めた。まるで、馬鹿みたいに巨大な樹に突撃したかの様。

 どっしりとして動じない威容に、多くの者が身を縮めていく。


「俺を殺した所でどうにもならないって解れば、もうこんな事も起きないだろ? もし実際に、それで100人助かるなら儲けもんだしな。ただ……仁科黎明と神崎紫瞬は誰も殺せないだろうから、そっちは諦めな」


「ば、馬鹿にしてるのか!? 我々は本気だぞっ、お前を殺して――――」


 先頭の退魔師が『光剣』を顕し、栄太に突き付ける。

 ところが栄太は、間髪入れずにその『光剣』を素手のまま掴み……己の胸元まで先端を導いた。


「ほら、殺れよ。勇気が出るまで待ってやるから」


 思い切りが良いどころではない栄太の行動に、後ろから見守っている風紀委員たちに動揺が走る。

 何人かが声を上げて栄太に止めるよう騒ぎだしていた。


「見てて分かったが、アンタ人を殺した事ねぇだろ? 生き残るために俺を殺す……それが出来るなら、そうしろよ。だがな……初めて誰かを殺す事と、その後も生き続ける事には全く別の覚悟が必要だぞ。罪悪感なんて持って生き続けるってのは………結構キツイぜ?」


「……………」


 上一級の退魔師であろうと人間だ。自分より一回りも年下の少年から、重みも説得力も違う言葉を掛けられれば、ある種の怒りや悔しさが湧く。腐った人間なら迷わず感情に従うだろう。

 だが栄太に『光剣』を向けている男は、そんな感情よりも自分に対する情けなさや恥ずかしさが先に出ている。こんな煽動騒ぎの首謀者だが、その善良さを栄太は見抜き、引き出したのだ。

 それを意図せずやってのける所が、栄太が第ニ校の人間関係で培った最大の武器であった。


「たまに何の覚悟も無く誰かを殺すイカれた奴がいる。俺がそうだったから分かる……アンタはそこまでイカれた目をしてない」


 そこで栄太が掴んでいる『光剣』をぐっと引き寄せ、先端が僅かに胸へと刺さる。

 着崩した冬用の学生服……白を基調とした布地に血がじわりと広がった。その行動に最も狼狽えたのが退魔師の男というのは可笑しな話だが。


「だからアンタには覚悟してもらうぜ」


「…………っ」


「俺はアンタを恨まず死んでいく。アンタが助けようとしている100人も、俺の後ろにいる皆も、アンタを恨まないだろう」


「い、いや……もう俺は――――」


 ずぶっ


 栄太がさらに『光剣』を引き寄せ、男の手首に自分の手を添える。すると、戦意を失っていた男はどういう訳か『光剣』を消す事が出来なくなっていた。

 それはかつて、九良名市で公浩に切断された右側の腕。独楽石家から勘当を受ける際、最後の情けとして与えられた義手である。

 独楽石の人形技術によって作られ、それら人形の製作において補助的な機能を備えるも、用途が限られている代物だ。


 技術者でもない栄太には無用の長物だったが、今、補助機能の一つにある通力の一時的な固定化を使い、男の『光剣』を短時間だけ消せなくしていた。


「半端な事はすんな。100人だけでも助かるかもしれない道を進むか、ここにいる全員で助かる道を信じるか……あと35時間以内に誰かが俺を殺す前に決めておけよ。殺されてやるから」


「……………」


 栄太が手を離すと、『光剣』はあっさりと消え去った。

 退魔師の男は呆然と、気の抜けたような足取りで来た道を戻る。煽動された者たちの多くは、情けなく引き返して来た上一級の退魔師に非難の言葉を浴びせるが、聞こえているのかいないのか、全く堪えた様子がない。

 栄太の気概に当てられた今となっては、こんな喚き散らすだけの雑音などに応える価値もない。


 最低限の責任として解散を宣言した後、大人しく持ち場へと戻って行った。


「くっそ………! あんな臆病者なんて放っとけ! 俺が独楽石をぶっ殺す!!」


 通力の強化を得た肉体で狭い廊下を突っ走って来るのは一級の退魔師。

 感情的になっていて、こうなると殺す覚悟がどうとか以前の問題だ。

 栄太は変わらずどっしりと構えているが、流石にこれ以上は見過ごせないと、風紀委員たちが急いで駆けつける。


 ただしそれよりも早く、二人の男が栄太との間に身を滑らせ、新たに立ち塞がっていた。


「廊下は走るな!」


 素人目にも辛うじて認識できたのは、現れた人影がトンファーで退魔師の脚を打った後、ふらついた所で後頭部を殴り昏倒させた瞬間だけ。

 しかし刹那の間に、九良名学園の制服を着た少年が3倍の打撃を与えたのを風紀委員たちは見ていた。少年……磯野が特一級の実力者であると認めるには十分だ。

 退魔師ではない一般の人間たちも突然の戦闘行為に驚き、脅えの混じった顔つきで一歩後退る。


「まだそっちに退魔師いるだろ? 出てこいや恥知らずー!」


「今すぐお縄につけば協会からの除名と監獄送りは大目に見るよう、支部長代理(オヤジ)に言っても良いんだぞー」


 磯野の横には久我山(くがやま)竜胆(りんどう)。若者らしいラフな服装で、腰にはシンプルなデザインのポーチをさげ、髪は仁科邸を出た後にしっかりセットし直しての登場である。

 仙花による例の宣言の後だ。独楽石栄太が暴徒に襲われる事は想像に難くない。

 その警護役として、磯野と竜胆が送り込まれた。

 前鬼のような難敵を相手にするならともかく、想定される敵は一般の人間か格下の退魔師ぐらい。故に、火力が心許ない磯野と、器用貧乏のきらいがある竜胆が選ばれたわけだ。

 それに竜胆は正式な“社”の退魔師で、ある程度の裁量も持っているため、適材適所と言えた。


「おい、久我山」


「独楽石……うわ、痛そうだなぁ、それ」


 竜胆と栄太が顔見知りなのも、ここに来た理由の一つである。少なくとも初対面よりは信頼を得やすい程度の交流はあった。

 その点、磯野も顔見知りに該当するが……第三校での交友関係は鬼門だ。今となっては恥ずかしい過去でもある諍いの記憶しかない。

 栄太も気まずそうに磯野を一瞥した。


「んあ……ちょっと脅かすだけのつもりが、やり過ぎちまった。ふん、誰が本気で殺されてやるかよ」


 白い制服に残る血痕。血がどくどくと流れ、染みを更に広げていく。

 気付いた風紀委員の一人が慌てて止血に入っていた。


「ははは、そういう事にしとくか」


「ツ~ンッデレ! ツ~ンッデレ!」


「ああ゛!?」


 栄太の憎まれ口に説得力が無いことは、様子を見ていた全員が分かっている。

 ヨイショっと冷やかしてくる磯野に今さらキレたところで、照れ隠し以外の何物でもない。


「っ~~………っなんでもいいが久我山っ、俺の事で誰かを処分する必要は無ぇよ。そこの連中も、必死だっただけだ」


 退魔師に煽られて雪崩れ込んで来た一般の人間たち。栄太に水を向けられて、甘言に乗ってのこのこ付いて来た挙げ句置き去りにされた群衆がたじろいだ。

 栄太の後ろから飛んでくる冷ややかな視線から逃れようと、顔を逸らし身をよじらせる者もいる。中には負い目と今後の不安から泣きだす者も。


「こんなの、京都弁の女と大阪弁の女でいがみ合ってるようなもんだろ? お袋がよくこんな風にやり合ってたから……げふんっ。まぁそんなだから、目くじら立てんなよ」


 仕切っていた者があっさり手を引くという衝撃が、その他の者たちから反抗の意気を奪っていた。最早、誰も逆らおうなどと考えてもいない。

 この場にいない者たちにも、いずれこの空気が伝染してくれるだろう。


 だが、下手に罰を与えようものなら、反抗の芽は確実に増す。“凶堕ち”が発生するのも時間の問題だ。

 そんな事になるくらいなら、全て無かった事にした方がいい。


 栄太が言うまでもなく、竜胆もそれを承知している。大袈裟な対応を取るつもりはなかった。

 竜胆が「分かってる」と頷きを返すのを見て、ひとまずの安堵の空気が漂う。栄太を挟んでいる両側の群衆は、何事も起こらなかったことを喜んだ。


「………? おいツンデレ……じゃなくて独楽石。どこ行こうってんだ?」


 何も言わずに立ち去ろうとした栄太を磯野が呼び止める。

 今後は同じことが起こらないとは思えない。護衛として来た以上、勝手な行動をされると磯野も竜胆も困るのだ。


「ただの散歩だ。中を見回ってくる」


「はあ!? お前正気か! たった今騒ぎが落ち着いたばかりだってのに………またツンデレで撃退でもしようってのか?」


「独楽石、全員とは解り合えないって。どうしても、さっきみたいな奴が一人二人は出てくるんだぞ?」


 磯野が沈めた退魔師の男のように、聞く耳を持たない人間というのは集団の中に一定数はいるものだ。

 声がデカく、間の悪い行動力があり、周りを巻き込むような扇情的な言葉を並べ立てる。

 そんな迷惑極まりない存在全てから、栄太を守り切れるかは自信がない。仮に出来たとしても、一般の人間を力ずくで押さえたなんて話になれば、それこそ“凶堕ち”の発生事案だ。

 そんな渦中に栄太を送り出すなど、護衛する身としては最悪に近かった。


「知ったことかよ。何処を見て回ろうと俺の勝手だろうが。けど、磯野先輩……さっきの茶番で事が収まるなら、そうするだけだ」


 ……………………


「――――っちくしょー、先輩とか言いやがって! 俺が後輩の頼みを断らないって知ってやがったな?」


「……ったく、家を追い出されてもワガママは変わんないか。行っても良いけど……但し、さっきみたいな無茶は許さねーから。もっと穏便な説得をしてもらうかんな」


 何だかんだと言いつつ、磯野も竜胆も嬉しそうに栄太の後に続く。

 栄太も小さく礼を言い、暫く二人を引き連れて学園内を練り歩いた。


 そして……某アイドルに引けを取らない栄太の人誑しっぷりの成せる業か、九良名学園第二校を避難所とした者で、栄太を害する意思のある輩は現れる事はなくなった。

 それと引き換えに、非公式の舎弟が三桁に至るまで列を成したという。



           ★



 檸梨市の一区画。

 住宅街から商業区画にかけて多くの建物が建ち並んでいたが、今や蛇が這いずったような破壊の跡が痛々しく刻まれている。

 住民が避難した後なのを知っていたとは言え、それをいい事に遠慮の欠片も感じさせない戦闘の爪跡だ。

 そして爪跡が行き着いた先は、以前に工藤たち生徒会が“凶堕ち”の男と交戦した工業地区。

 そして街並と同様、通り道に存在する工場を爆音を轟かせて解体する事にも遠慮が無い女……金髪でスポーツウェアを着たジェーン・スミスの鬼気迫る形相には、逃げる鳳(おおとり)仙花(せんか)も虫顔なりに冷や汗が噴き出していた。


「ちぃっ………お互い決定打に欠けるか」


 仙花は一見して、複眼と二本の触角以外はありふれた背格好の男。しかし、内包する暴威は災害級の“鬼”として恥じないものだ。

 そんな男を追い詰めるジェーンの戦い方は単純明解。


 殴る、蹴る、ぶち当たる


 人間離れしたフィジカルと、爆弾を至近で爆発させても虫に刺された程の傷すら付かない皮膚。

 ここに至るまでの建物を倒壊させてきた要因は九割以上が、ジェーン・スミスという名の人間重戦車(チャリオット)が暴れた結果であった。


「一緒にされるのは心外です。私と持久戦で戦う事がどれだけ愚かな事か、思い知りなさいっ!」


 ――――ッッガン!!!


 仙花が紙一重で躱したジェーンのパンチ……あまりにも拙い、技もくそも無い大振りな一撃が、無数のパイプが走る工場の一角をぶち抜いた。

 拳圧で建物の内部はぐちゃぐちゃに潰れ、押し出された金属の壁が十メートル以上も先まで貫通している。単純な肉弾戦の出力なら四宮の『色装』をも凌ぐ威力だ。

 無論、災害級の“鬼”であってもただでは済まない……否、特別に堅固な防御手段が無ければひとたまりも無かっただろう。

 ジェーンの攻撃は一撃一撃がこの威力。牽制で繰り出す腕の一振りから蚊一匹を払う動作一つまで、全てが必殺技の域。

 ティラノサウルスは武術を使わなくても鼠を殺せる……その体現だ。


「突進するしか脳が無い猪め……楽には死なせないぞ!」


 仙花が両腕を広げた直後、袖口から夥しい数の翅虫がどす黒い雲霞の如く噴出した。

 それらは余すことなく一直線にジェーンを目指し、その細い体躯を瞬く間に覆い尽くす。


 指先ほどの大きさの蟲の群れ。そんな不快な軍勢に隙間も無く埋め尽くされれば身動きはおろか呼吸さえ儘ならない空間になる。

 例え口を閉ざしても、それ以外の場所から体内に侵入するのは避けられない。

 こうなると、戦闘の方法が肉弾一本のジェーンには成す術が無い状況だが………


「迂闊ですよ、スミス女史」


 パンパンパンッと、続け様に響く発砲音。

 ジェーンを包む蟲のドームに着弾した手応えの直後、内部が炎に巻かれる。三つの銃弾が纏う炎を引きながら、ぐるぐると螺旋を描いて蟲の群れを焼き払った。


「っぷはぁ………ふぅ、申し訳ありません阿斗州様。ですが、私はこの程度でどうにかなる程か弱くはないです」


「全身の穴という穴から蟲が侵入してきた後でも、同じことを言えましたか?」


「………助かりました。ホントに」


 都会のど真ん中では意味を成さない迷彩服に二丁拳銃を携えた三王山(さんのうざん)阿斗州(あとす)。グリップの底で眼鏡を直す仕草は、流石のインテリジェンスな雰囲気だ。


「新手か。檸梨市内にこれ程の退魔師が居るとは聞いていなかったが………後から街に入った者たちか」


「……………」


 パンパンッ!!


 相手の立ち姿から戦闘の中に存在する呼吸を読み取り、それを出し抜くタイミングで阿斗州が奇襲を仕掛ける。

 しかし、蟲が盾となって間に入り、パチュンという力の無い音を残して相殺された。


「ふ、所詮は安い不意打ちしか出来ない雑魚か。蝸牛(かたつむり)と芋虫ごとき、すぐに始末して―――がっ!?」


 背中から服を破って飛び出した四枚の翅で、今まさに空へと飛び上がろうとした仙花を、二発の弾丸が襲う。

 一発は翅の一枚に、もう一発は背中へ中(あた)り、飛行は中断せざるを得ない。敢えて音を消さずにいた発砲と、顕術で音を消した発砲を使い分けた阿斗州の、安上がり(・・・・)な不意打ちが決まった形だ。

 背中を貫通した弾丸が胸部へと抜け、飛び散った緑色の体液が地面に落ちるよりも早く、ジェーンが間合いを詰める。

 そして振り上げられた拳が次の瞬間、半分を複眼が占める顔面に深々と埋まった。


「―――――」


 仙花の頭部は抵抗も無く粉砕、消し飛んだ。

 気持ちの悪い体液が地面を汚し、拳の余波で建物の一部が派手に崩壊する中、ジェーンは残心を取って息を吐く。


「また、つまらぬ物を殴ってしまった」


「スミス女史、ふざけている余裕はありません。まだ調伏できてないですよ?」


 ブゥーンという耳障りな翅音を伴い、失われた頭部に翅虫の大群が寄り集まっていく。

 それがどの様な結果に至るのかは察するに難くない。ジェーンは憎々しげに表情を歪めて距離を取った。


「一筋縄ではいきませんか」


「特一級……いえ、空で発した音響攻撃の範囲を見るに、災害級でもおかしくはないでしょう」


 肉体強度に絶対の自信があるため、ジェーンは必要以上に間合いを外れない位置で余裕の立ち姿だ。挑発的と言い換えても良い。

 そして不機嫌そうな顔で、頭を再生させた仙花を睨みつける。


「お察しの通り、私の力は災害級のそれだと自負している。そこの女がどんなに頑丈で怪力な女だとしても、私を殺すには至らないだろう」


 “鬼”が固有で持ち得る能力というものは珍しくない。

 “千影”が用いる影の軍勢や、“恐慌獣王”の『獣軍』、通力に依らないで飛行を行うための翼なども広義には当てはまる。

 それらの能力は人間で言うところの固有秘術に近いが、人間と違うのは“鬼核”と呼ばれる物に由来する事だ。

 それ自体に固有秘術ほどの希少性は無いが、調伏の後に鬼核を残す鬼や、死なない内から鬼核を破壊される鬼は“三つの異能”よりも少ない。


 故に、想像しうる最悪の事態だと、阿斗州の内心では警鐘が鳴り響いていた。


 目の前の災害級は蟲を操る能力、或いは通力などを蟲の形態に変化させて放つ能力を持っている。

 “千影”のような軍勢系の力を使う災害級……もし広範囲の殲滅なんて事を考えたら、現状、市民の直接的な犠牲や“凶堕ち”を防ぐ手段が無い。

 万に一つ、鬼核の破壊が叶えば阻止できるだろうが……それは比喩的表現でもなく、希望的観測を加味した言葉だとしても、万に一つの可能性なのだ。喩え全身を粉々にしても、鬼核を破壊できていない事例もあるのだから。


(成る程、敵が送り込む最後の駒としては最適ですね)


 災害級なら、『火坑』内部の無力な人間を半数は殺せるだろう。そうなれば十中八九、残り半数は“凶堕ち”となる。

 黎明の説明によると、結界の目的は中身をまるごと“裏返り”に追い込む事。“凶堕ち”の末にその結果が生まれるのだとしたら、それこそ人死にによって効果は半減……満足な目的達成とはいかない可能性すらあった。


 だが、いざとなれば敵が実行に移さない理由は無い。

 失敗するくらいなら半分でも刈り取にりにくる……阿斗州はそう確信していた。


「さて、スミス女史……彼をここで逃がす選択肢はあり得ません。気合い(・・・)を入れてください」


「………! 分かりました。もう5分くらいで暖まると思います」


 阿斗州からそれとなくジェーンに振った言葉は、短期決戦のために力を溜めろというもの。

 通常、鬼と退魔師の戦いは顕術の応酬だ。当然のこと、通力の量は趨勢に大きく影響する。

 その点、鬼が内包する通力の絶対量は退魔師のそれより多く、戦闘が長引けば退魔師の方が不利なのは間違いない。

 ジェーンの切り札発動までの5分という数字は短期決戦と呼ぶには長いが、阿斗州一人で災害級を足止めする時間としては致命的と言える。阿斗州が如何にやり手であろうと、それには奇跡が必要だった。


 尤も、二人とも阿斗州一人で災害級を足止めするとは考えてもいないわけだが。


「援護に回ります。スミス女史、頼りっきりで申し訳ない」


「お気になさらず。ただ、蟲から私の貞操は守ってくださいね?」


「ええ、勿論」


 軽いやり取りの意味するところは、ジェーンが溜めに入るのにじっとしている必要が無いということ。

 激しく動き回りながら災害級を倒せるだけの切り札を用意できる……紛う事なき戦車(チャリオット)が突貫して来る光景には仙花も、虫顔を大いにひきつらせた。


「無駄なんだよ! 私は『蟲軍(こぐん)』が一定数でも残る限り――――」


 ブシュッ――――


 肉を貫き、臓腑を潰し、骨を砕く音。ジェーンの拳が仙花の胴体に風穴を開けて緑の液体を撒き散らしても、堪えていない。

 先程と同様、『蟲軍』とやらの力で傷が塞がっていく。


「私は死なない」


「………!」


 仙花の胴体から溢れ出す特大の蟲の群れ。

 通常サイズの甲虫から、身の丈を超える蟷螂(カマキリ)まで、ジェーンが腕を引き抜いて後退る直前の位置に殺到した。

 飛び交う翅虫は一匹一匹が大口径の銃弾に匹敵する威力だ。生き物の形を取るだけに、それらが生きているような(・・・・・・・・)生々しさと執拗さでジェーンを追尾する。


「こんなものっ!」


 多種多様な蟲の軍勢は岩に弾かれる水の如く玉砕し、ジェーンの理不尽な肉体強度を突破するに至らない。

 重戦車はそれらを歯牙にも掛けずに再度の突撃を行った。


「鬱陶しいな」


 ここまで仙花を追撃してきたジェーンの破壊力と頑強さは凄まじいの一言だ。しかし、仙花ほどの“鬼”なら見逃さないような欠点も確実に存在していた。


「お前に欠けているのは、柔軟な(・・・)機動力だよ」


 ジェーンが振り下ろした地を砕く鉄拳を、仙花は高く飛び上がって回避する。

 撃ち抜かれた翅もとっくに元通りとなっており、ブゥンと音を鳴らして高所からジェーンを見下ろしている。

 駄目元で阿斗州が数回の発砲を行うも蟲軍の壁に阻まれ、しかも今回は撃ち落とすどころか十倍以上の蟲の弾丸となって返ってきた。

 ジェーンが涼しい顔で受け止めているため勘違いしそうになるが、本来なら死にもの狂いで逃げ出す暴力だ。阿斗州も例外ではなく、攻撃範囲外へと駆けるその形相には僅かな余裕も見てとれない。


「災害級なんてっ――――私の領分に勝ちすぎですよ!」


 全力疾走の跡に『蟲軍』が雨のように降り注ぐ。

 阿斗州は逃げるのに必死で振り向く余裕も無い……かと思いきや、走りながらも銃口を後方に向けて撃ちまくっていた。


「おっと! 追尾する攻撃はお互い様か。飛べない(・・・・)タンクよりはお前の方が厄介かもな」


 仙花が気づいたジェーンの欠点……それは空中戦が出来ない事だ。

 街中からの鬼ごっこでジェーンは暴虐の限りを見せつけたが、全て地上での立ち回りに仙花が付き合っていたに過ぎない。

 何らかの理由で空中戦闘はおろか、まともな顕術すら使わなかった。通力の出力を肉体強度のみに回したからと考えるには、少しばかり不自然な行動である。


 とは言え欠点を抱えたままで、あくまでも戦車に徹するというのなら仙花でなくても、そこを突くのは当然である。

 まさか高所恐怖症ではなかろうが、追って来れないなら遠慮なく逃げさせてもらうだけ。

 仙花はジェーンを倒す決定打を欠いているが、ひょっとしたらジェーンが仙花を殺す手段はあるかも知れないのだ。

 災害級の“鬼”が取る戦術とは思えない堅実さに、対する二人の退魔師は苛立ちを禁じえなかった。


「探りはもう充分だ。そろそろ仕事に入らせてもらう……ああ、安心しろ。今から殺すのは街の半数だけだ」


『蟲軍』


 先程から二人を――主に阿斗州を――苦しめている蟲の大群を、今から街全体に放とうと言うのだ。

 分かってはいたが、それだけの事を行えるという事実は阿斗州を大いに焦らせる。通力で貫通力を高めた弾丸を乱れ撃ち、仙花を囲うように全方位から襲わせた。


 だが、桁が三つほど違う物量差は簡単には覆らない。蟲に守られた仙花に阿斗州の攻撃は届く事はなかった。


 弾倉を取り替え、二丁拳銃の背を合わせて引くことで薬室に弾を装填。そして再び銃を乱れ撃つ。

 結果は一秒前と変わらない。出来たのは精々、牽制程度の時間稼ぎだ。

 数秒も時間が経っていない刹那の間に阿斗州が行ったのは間違いなく人間離れしたスーパーアクションである。ただし裏を返せば、数秒しか時間を稼げなかったとも。

 阿斗州は縋る思いでジェーンを見た。


 もう少し……ジェーンの表情はそんな必死さを伝えてくる。

 切り札の使用に伴い、身体から漏れだす熱によって周囲の空気が揺らめいている事からも理解できた。

 まだ熱が足りない……ジェーンがその技を使うためには、身体を動かして限界まで熱を溜めなければならないのだ。人間が耐えられる筈がない熱量に、仙花も不可解そうな目を向けている。


「はぁあ!!」


 直後、ジェーンが足を振り上げたかと思えば、巨人の足踏みと見紛う迫力で地面を踏み抜いた。


「今さら何をしようと――――」


 ジェーンが砕いた地面が特大の岩塊となり、腕を突っ込んだそれを軽々と持ち上げて見せる。

 そのまま一軒家ほどの質量を、持ち前の強肩で仙花に投げつけた。


「『衝破爆砕・弾』」


 阿斗州が後追いで撃った弾丸……『衝破爆砕』を銃弾で行うという高等技術で、空中の岩塊を爆散させる。

 仙花が今まさに、広範囲へ放とうとしていた『蟲軍』を飛び散った無数の礫(つぶて)で殆どを撃ち落とす事に成功した。


「ふはははっ! 所詮は悪足掻きだな!」


 稼げた時間は、やはり数秒だ。

 戦略的勝利を前に仙花が高笑いをしたくなるのも当然だろう。

 ところが……戦略的勝利はたった一つの戦術的支援により、脆くも崩れ去った。



「『タイラント1』」



 その瞬間……ジェーンも、阿斗州も予想していなかった事態が起きる。

 苦し紛れの連携攻撃から間を置かず、何処からか飛来したのは圧縮された空気の塊。それが仙花の頭上で炸裂した。


「ぐぅおおおっ――――」


 下方へ向けた空気の奔流が、まとわり付いていた『蟲軍』を僅かに残して仙花を引き剥がし、地上へと叩きつける。

 攻撃の出所が気になり、阿斗州は周囲の気配を探るが、這いつくばる虫顔の男を一目散に潰しに掛かるジェーンから目を離すわけにも行かない。

 つまるところ、『タイラント1』で身動きすら困難な空間では援護も限られるため、平然と男にマウントを取ったジェーンを黙って見守っていた。


「飛んで火に入るとはこれですね。何だか分かりませんけど、この気流による負荷は私には都合が良い」


「ば、かなっ……私が、こんな――――」


 オーバーヒートした機器にも似た煙がジェーンの全身から一瞬だけ立ち上り、気流によってすぐさま散っていく。

 運動後や風呂上がりでしっとりとした湯気ならともかく、そんな艶っぽいものでない事は明らかだ。

 それが、虫顔の男を仰向けにさせて馬乗りの状態から首を押さえ付けるブロンドの美女であっても。殺気と蒸気にまみれていては下手な気が起きるわけもない。


「阿斗州様、尋問するなら今のうちです」


「……いいえ、お気になさらず。どうぞ始末を」


 阿斗州の返答に頷き、ジェーンは首を鷲掴みにしている方の袖を捲る。

 一点物で、荒っぽい戦闘に耐える頑丈なスポーツウェア。それを壊さないための配慮だ。


「無名の退魔師風情がっ………お前ではっ、私を殺せないぞ!」


 気流に押し潰される仙花の最後の足掻き。ジェーンに向けて必死に腕を伸ばす。

 顔の半分を複眼が占める異形の顔は、凄まじい憎悪の形相を湛えている。尤も、ジェーンに蟲の表情など見分けられる筈もないが。


「勘違いを正しましょうか……まず私は、退魔師ではないのです」


 ガシャン ギチチ――――


 それはロボットが変形のギミックを作動させた時のような音。いや……事実、仙花の目に映るのはそれだ。


 ジェーン・スミスの、白く透き通りそうな細腕……それがガチャガチャと音を鳴らして姿を変えていく。肌が割れ、内側から表れた金属の骨格が皮膚と入れ替わり、さながら未来的な超科学が指先までを覆った。


「通力は使えませんし、退魔師の皆さんみたいに空を飛ぶなんてファンタジーは理解に苦しみます」


「――――お前はっ」


 やはり表情に変化は無いが、愕然としているのは間違いない。

 仙花がその知識から、目の前の女の正体に行き着いた。


「ヘルメスの……“聖魔の鍛治師(ケイオス・ブラックスミス)”の作か!!」


「ええ、そうらしいです………と、一つ聞きたいのですが。“死神”に連なる者の殺し方をご存知ではありませんか?」


 ジェーンの掌に全身の熱が収束していく。それは身体への負荷を蓄積させ、熱暴走を敢えて兵器として使用する仕掛け……持ち得る最大火力の切り札だ。


「……連中は殺せない。我が母上と同じ、世界の法則そのものだ。お前に焼却できるのは、精々が私程度だろう………くふ、くはははは!!」


「………お時間を取らせました」


 シュボッ――――


 超高温による目も眩む閃光。その直後、ジェーンの腕の延長線上にあった仙花が欠片も残さず蒸発した。

 それだけに留まらず、地面には直径数メートル程の、底の見えない大穴が穿たれている。どこまで深いかは分からないが、熱の触れた箇所が硝子化している事を思えば、少なくとも進んで覗き込みたくはない破壊跡が生まれていた。

 『蟲軍』とやらも、再生を阻止するのに必要な数を巻き込んでおり、見事、調伏は成ったと思って良いだろう。


「ふぅ………これをやると、毎回暑くてかないません」


「……私はこれを見るたび、背筋が凍りそうですよ」


 災害級の脅威は、終わってみれば呆気ない幕引きだった。

 阿斗州はしまっていた眼鏡をかけ直し、ホッと息を撫で下ろす。


「………流石に、いつまでも留まってはいませんね」


 先程の、仙花を撃ち落とした一撃。

 何処から撃たれたものかは察しがつく。一流の狙撃手である阿斗州の見立てであり、方向も位置取りも逆算は容易い。

 しかし、その場所の気配を探ってみても、何者かは既に立ち去った後だった。


「少し、調べてみますか」


 勝利の余韻もそこそこに、三王山阿斗州は慎重な調査へと歩き出した。









「ええ……こほん。どうも独楽石美浜です、よろしゅう。なんや関西圏の方言について言及とかあったらしいから、少ぉしだけメスいれてみよか。これは殆どが偏見みたいなもんやけど、京都弁の女は優しくて上品で、大阪くんだりの女は品が無ぃゆう風潮なんやと。ウチはどちらかと言えば関西女の勢力やんねぇ。そんなウチに言わせればやなぁ、気品と風格さえあれば、もう普通の大阪弁も京都弁もよう変わらんわぁ。やのに、京女ときたらウチらのこと下品だなんだと見下して……あー腹立つぅ。そりゃぁ、大阪の女は明け透けに物を言うさかい、粗野に聞こえるかも知れんけどな? ウチみたいにおっとり、優雅に、柔っこく喋ればやねぇ、東のお兄さんには違いなんて分からへん分からへん。それにぃ、京都の女はお高くとまってるばかりで話にならんわぁ。何がそんなに得意なんやろなぁ? 京都がそんなに偉いんかっちゅう話やん。『お越しやすぅ』とか『おいでやすぅ』なんて、媚び売っててキモいだけやんな? 語尾ちっちゃくするだけでええならウチも似たようなもんやろ。やのにあのハゲ(・・・・)、あっちゅう間に京女に色目使いくさって………なんや思い出したらムカついてきたわ。兎に角や、言葉一つ取ってもこんな確執があるんやよ………あれまぁ、ウチとしたことが。長々話し込んでしもて。文字数嵩んでしもうて堪忍な? 面倒やさかい、全部読まんでもええよ。まぁ遅いかもしれんけど」


Q、纏めると………美浜さんはいい歳をしたぶりっ子(笑)ということで――――(ぷち)


「おほほ、ごめんやすぅ(・・・・・・)。虫を潰しただけやさかい、気にせんといて」




※なお、上記で述べた京都人に関する見解は作者個人によるものではありません。


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