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異能モノノケ録  作者: 長尾景虎
107/148

第107話 『剣』『斬』

 

 檸梨市、避難所。

 そこは緊急的な措置として、住民たちの避難場所の一つに指定された旧庁舎の敷地内。女子供、年配の人間は建物に詰め込み、それ以外は開けた庭でキャンプをしている状態だ。


 そんな中で突如、街全体に余す事なく伝えられた死へのカウントダウン。40時間後に檸梨市が消滅するという宣告は、その真偽が定かでない段階で既に住民たちを混乱(パニック)へと陥れていた。

 避難所のあちこちで、『ニシナ』、『カンザキ』、『コマイシ』の名前が怒号と共に飛び交っている。

 仁科黎明、神崎紫瞬、独楽石栄太を殺せば街から脱出できる……鳳(おおとり)仙花(せんか)による声明を鵜呑みにした多くの民間人が、その3名が何処かに居ないかと血眼になって探し始めたからだ。


 隣にいる人間を怒鳴りつけ、目当ての名前でないかを確認する光景が避難所を埋め尽くした。

 無理もない。仙花が伝えたのは三人の名前のみ。何処の誰で、どんな容姿をしているか、年齢や性別まで情報が全く無いのだ。

 そうなると最早、見事なまでに仙花の術中である。仁科や神崎などの苗字はそれなりに見られるため、苗字だけでも該当してしまった者に対する暴力、吊し上げが各所で起きていた。悲鳴や嗚咽混じりの命乞いの声も後を絶たない。

 ある程度とは言え安定し始めていた住民たちの精神状態が一足飛びに悪化し、散発的に“凶堕ち”が再発するほどの混沌……地獄絵図だ。

 混乱は坂を転がり落ちるように加速していき、鎮圧に乗り出した“社”の退魔師たちも対応が全く追い付かない有り様であった。


 恐慌が凶行を呼び、極限に追い込まれた人間が“凶堕ち”へと変貌する。

 鳳仙花によって投下された、成功する確率は高く失敗のリスクも殆ど無い会心の策……それは地獄へ向かう負の螺旋そのもの。たかが言葉一つで、自分の首を絞めている事に気付かなくなる程に人間の心は脆いのだと……仙花という“鬼”は理解していた。


 退魔師側としては嫌になる狡猾さ………だが、所詮は急拵えの策。詰めの甘ささすぐに露見する事となる。

 見逃したのだ。完璧に思えた策に相対する反作用が、ただ一つ、この街に存在していた事を。



『全員静まれッッッ!!』



 かつては税金と土地の無駄遣いと揶揄された旧庁舎の広い敷地内に、凛々しくも未だ青さの残る女性の声が響いた。

 と言うより、耳を痛めんばかりの音量をさらに拡声の術式で強く投げつけたと言うべきか。

 争いだか魔女狩りだかを行っていた暴徒たちを問答無用で蹲らせ、声の主に注目させるには十分な音量だ。


 そこには、いったい何時の間に仮設されたのかライブステージの上で堂々たる佇まいを魅せるアイドル(・・・・)。元は華やかだった衣装はボロボロの有り様だが、マイクスタンドを軽快に振り回してステージを打つパフォーマンスと、ふわふわの癖っ毛をツインテールに纏めた姿は間違いない。

 今やこの街では知らぬ者の方が少ないローカルなアイドル……『あやりん』こと久我山絢里だ。


『こんな哀しい行為は止めてくれ。隣の人間を……どうか傷付けないでくれ』


 疑心暗鬼のままに自分以外の誰かを攻撃していた者たちは、マイクを通して届けられるアイドルの悲痛な声音を受けて、一様に静まり返った。


 実を言えばスピーカーなどは“社”からの持ち出しであり、耐術式の加工と術式そのものが施されていた。

 スピーカーを通じて乗せられた通力には鎮静効果と、微弱ではあるが意識を誘導する効果がある。

 以前からこの様な事態を想定して作られていたものの、悪用を防ぐために全国でも規模の大きな“社”にだけ死蔵されていた物だ。

 尤も、この場で大勢の注意を引き、空気を掌握できたのは術式だけが理由ではないが。


『私だけじゃない………この場の皆が哀しいはずだ。人を疑い、傷つけて、誰が一番苦しいと思う? 私はお前たちが自分を苦しめる姿を見たくない』


 絢里をアイドルとして促成栽培するにあたり、黒沼公浩によって開かれた簡単な講座が活きていた。どちらかと言うと、人心掌握術とかマインドコントロールに近い手法を解説されて戸惑ったが、役に立つなら何でも良いだろう。


 どんな方法であれ、このように一度でも注目を集めてしまえば、後は穏やかな口調で主導権を維持すれば良い。

 相手を無意識に安心させる声音の出し方、言葉の間、オーディエンスの呼吸の見極め……絢里は教わった限りの付け焼き刃を駆使して語り掛けていく。


『それに………お前たちが血を流し、悲しみに暮れるとどうなるかは知っているだろう?』


 絢里がおもむろに指を差した方へ、一時の静けさを保っていた暴徒たちの視線が集まる。

 そこには退魔師によって地面に押さえつけられている女。獰猛に牙を剥き、獣のような低い唸り声、大量の唾液を撒き散らしながらジタバタと暴れている。


 とても正気な様子とは思えない。このままの状況を続ければ自分もああなってしまうと、先日、“凶堕ち”という現象について専門家(・・・)たちから説明されていたこともあり、かなりの衝撃があった。


 今の時点が、徒党を組んだ暴徒(ファン)を受け止めた段階なら、次は引いたファンに畳み掛ける番だ。

 自分の末路を見たことで、殆どの暴徒は頭を急激に冷やした。騒げば騒ぐ程アレに近づいていると思うと恐ろしくもなる。

 しかし絢里がこの場の主導権を握ろうとも、恐怖心が長く続くようなら結果は同じ。暴動が落ち着いてきた途端、そこかしこで発生していた“凶堕ち”が取り押さえられている様子が目立ってきた。


 そうすると、この恐怖をどうやって誤魔化すかだが………今ならその手段が無くもない。


『あれは死者と同じだ。だが、お前たちはまだ手遅れになってない………それに、お前たちが怪しげに感じている私たちの組織も、手をこまねいていた訳ではないんだ』


 絢里が腕をスッと挙げ、その細い指先を弾いた小気味良い音が、暴れていた“凶堕ち”たちへと届けられる。

 その音の波が浸透していくと、“凶堕ち”は一斉に身動きを止め、一秒前が嘘のようにおとなしくなった。そこに自分たちを害する意思が無いことは、誰の目にも明らかな程に。


『彼等を大人しくさせる手段を見つけた。変わり果ててしまった者はどうしようもない……しかし、もう隣人を恐れ、疑い、虐げる必要は無くなったんだ!』


 仙花が読み上げた三名を見つけ出そうという行動を、“凶堕ち”という、より明確な脅威を掌握したインパクトで置き換えたのだ。

 誰も好きで他人を傷つけていた訳ではない。それ故に、聴衆はこの結論に飛び付くのが都合が良かった。自分が行った暴力行為を棚上げに出来る新たな希望の出現に、聴衆は大きく沸いていた。


 そこかしこで感嘆の声や安堵の息、喜び合う姿から、跪いて絢里に祈りを向ける者まで。

 最早、暴動の影も形も残ってはいない。その様子に納得いかない被害者も何人か存在していたが、それを除けば今の状況は文句無しだ。

 最悪の事態をひとまずは回避できたのだから。絢里も心の中でグッと拳を握りこんでいた。


『これからは隣にいる相手とも手を取り合える……顔を知らない相手とも助け合える! そして皆っ………ありがとぉおおーーー!!』


 おおおおおっっっ――――!!


 締めくくりでは兎に角『ありがとー』と言っていればいい……などと適当な指導ではあったが、それも馬鹿には出来ない。ドッと上がった歓声が、今回の試みの成功を強く物語っているのだから。

 ものの数分にも満たない演説は各避難所でも放送をしていた。結果はここと同じだ。

 当然ながら、“社”から持ち出した暴徒鎮静用術式(スピーカー)などの機器があってこそだが、予め住民たちの認知するところであるアイドル……『あやりん』が居なければ話にならなかっただろう。


 黒沼公浩という男からアイドルをやれなんて強制された時点で、こんな事態まで想定していたかは知らない。しかし紛れもなく、その行いは大きな貢献と言えた。



 あーーーやーーーりーーーん!!



 …………気恥ずかしさは受け流すとして。

 今日までは「なんで自分が」と、疑問と恨み言が時おり頭を過ることもあった。しかし今は『あやりん』なるものに対し、ほんの少しだけ誇らしさを覚えていた。


(………来たか)


 ………ドォ―――ドドドドッ――――


 絢里が居る避難所に向けて近付いて来る振動を、周囲の一般人も感じ始める。


 このステージに立つ前に打ち合わせた通りだ。

 絢里が避難所の人間を落ち着かせたら、慌てた敵の妨害が必ず入るだろうと、イグナシオという退治屋が予測している。

 先程の少年が退魔師協会会長の仁科黎明だった事に絢里も少なからず驚いたものだが……成る程、納得のカリスマ性が垣間見えた。イグナシオのような実力者や“賢しき金細工師(ワイズ・ゴールドスミス)”が従っている事実からして説得力が違う。


 この場に迫る脅威に先んじて一般人の避難誘導を行っている祓魔師の少女……ケイトの慕い様を見ても分かる。自分より市民を優先しろと通信符で声を送ったあの少年は、信用できると。


 絢里はマイクスタンドからマイクを外し、スタンドの三脚部分に蹴りを入れて壊す。残ったのは使い慣れた得物の九節棍だ。


 絢里の背後からビリビリと感じる巨大な威圧感(プレッシャー)。

 街中を、建物を破壊して移動する存在が広場の端に差し掛かる。そこで一瞬、騒がしい振動がピタリと止んだ。


 ………――――ッゴォオンッッッ!!!


 跳躍の後、絢里の真後ろに着地した異形の化け物……眼と鼻は無く、数メートルに渡って牙が並ぶ口と、6本の人間の腕が蜘蛛に近い生えかたをしている蜥蜴(とかげ)。

 全長がジェット機に等しい大きさで、歪さを無視すれば生き物の様にも見える。その実、生き物を冒涜する凶悪な存在であるそれは、起動に膨大な通力を要する最高位の術装……“前鬼”だ。黎明が交戦中の“後鬼”と対をなす術装で、二体を間を置かずに倒さなければ無力化できない。


 そんな厄介な代物が無防備に立つ絢里を口内までビッシリと並んだ牙で噛み砕こうと、ぐぱぁっと大きな口を開いた。


「ふんっ」


 絢里が振り向く事なく棍捌きだけで操って見せた先端部分が、怪物の頭部を横殴りにするように叩きつけられる。


 Gyiiiッッッ――――!!


 想像するに恐竜の鳴き声もこうなのだろうと、生物が本能で恐れる音が前鬼から迸る。

 死角からの一撃(ふいうち)―――視界があるかは不明だが―――を受けてバランスを崩し、その巨体が傾いた。

 胴体から蜘蛛の脚のような生え方をしている人の腕が持ち上がり、ジタバタと宙をもがく様は強い生理的な嫌悪を抱かせるに十分だ。


 そんな気持ち悪い怪物が体勢を立て直す前に、絢里は振り向いて毅然と対峙する。


「死にたくなるような恥を我慢してきたんだ。ここで無駄にしてたまるか」


 GYiaAAAAーーーッッッ!!!


 絢里の気迫に前鬼は雄叫びを返す。

 生物らしさを演じているだけの単なる自律機動兵器はしかし、かなりの難敵だ。絢里一人ではとても太刀打ち出来ない。


 尤も、誰も絢里を一人で戦わせるつもりなど無いのだが。


 ――――ッ!?


 前鬼が傾きかけていた体勢から持ち直し、絢里へと向き直ろうとした所で動きをピタリと止める。

 戦闘に際して通力を全身に通す退魔師だからこそ薄らと視認できる糸……イグナシオが使用した“神託(オラクル)”によって全身を絡め取られた状態となっていた。


「長くは持たないっ、一気に仕留めろ!」


 街の上空にて汚泥の巨人を拘束している物と同じ“神託”だが、そちらに数を割いているため手元には多く残っていない。前鬼ほどの怪物なら破るのは時間の問題である。


 イグナシオが飛ばした指示に異を唱える者など、この場に集った戦力の中にはいなかった。


「神崎風音、突貫します!」


 前鬼を目掛けて風音が躍り出る。

 閃く日本刀を前鬼の脳天に向けて、両の手で突き立てた。


「っ――――硬い!」


 すぐさま刀を押し込もうと力を乗せるが、さすがに前鬼も黙ってはいない。激しく身を捩り、拘束する“神託”への消耗の蓄積と、風音を振り落とす事に成功した。


「住民たちの安全確保まで範囲のデカイ攻撃は控えろ。お前に言ってるぞメリザンド!」


 風音の攻撃で片が付くなんて楽観はしていなかった。当然、二の矢、三の矢となる人員がいる。

 イグナシオの後方でズラリと並べられた迫撃砲の形をした“神託”……それらを設置し終えたメリザンドだ。


「Ha―Ha―Ha―! ワタシを誰だと思ってますカー。三大魔法使いだゾー? 『ワンダーランド 全射(ファイア)』!」


 轟音の後、前鬼へと向けられた迫撃砲から砲弾が一斉に射出される。半数は目標に対し鋭角で放たれ、半数は大きく山なりの弧を描いて。

 前者は着弾するなり色鮮やかな爆発を起こし、後者は上方で弾けると細長い槍となって降り注いだ。

 爆発は狭い範囲に威力を凝縮さたもので前鬼の硬い体表を抉り取り、槍の雨は戦闘機から機関銃で集中砲火されているような光景を出現させた。

 6本の腕をばたつかせる蜥蜴の化け物は側面を穴だらけにし、背面にあたる部位は針鼠である。


「HeyHey! 見たかイグナシオ(ドロシー)! オズの世界にようこそネー」


「……お前はオズの魔法使いを何だと思ってるんだ。そもそもワンダーランドだろ、神託(それ)」


 メリザンドによる砲火は一点集中で最大効率のダメージを与えている。高い攻撃力に反して周囲への不要な破壊は無く、避難中の住民たちには余波の一つも通さずにだ。


 だが肝心の前鬼に痛打があったとも言い難い。生物でないだけに肉が抉れようとお構い無しに暴れ続けていた。

 出来ることなら前鬼の足が止まっている内に仕留めたいところ。後鬼の方は黎明ならいくらでもタイミングを合わせられるだろうから、こちらは早く倒す事に専念すればいい。


 拘束用の“神託”が機能している間に畳み掛けるのが最善だった。


「仕掛けろ神崎、久我山っ!」


 イグナシオの掛け声と同時に飛び出したのは風音と絢里。そして二本のダガーを逆手に握るイグナシオだ。

 風音とイグナシオはいまだ暴れている頭部に一息で到達する。


 イグナシオは長身に似合わない軽業師のような動きで前鬼の脳天……先ほどに風音が付けた浅い刺し傷に二本のダガーを挿し込み、傷口を強引に割り開くように切り裂いた。

 風音は己の剣の技量だけで前鬼に損害を与えるのは困難と判断し、先と同様に浅くとも切っ先を突き立てる。その状態のまま得意の脚力を活かして前鬼の頭部を駆け抜け、一文字の刀傷を刻んだ。


 Giiiッッッ――――


 二人の攻撃により十字に開かれた蜥蜴の頭。危険を察した前鬼の暴れ方が激しくなるが、それを大人しくさせるように何処からか包帯型の“神託”が伸び、大きく裂けた口にグルグルと巻き付く。

 メリザンドと同じく後方での支援に徹していた祓魔師……兼シスターのルカだ。


 動きが鈍くなった前鬼の頭部に向けて、棍を構えた絢里が急降下していき、その勢いで渾身の一撃を十字傷の中心に突き立てた。


「殺(と)った!」


「っ!? まだだ!!」


 イグナシオが絢里に警告の声を発するが、深々と挿し込まれた棍を引き抜くのに手間取り、硬直の瞬間に背後から襲う凄まじい衝撃に備えられなかった。


「ごふっ――――!!?」


 “神託”の拘束を力ずくで破った前鬼の尾が鞭のように撓(しな)り、絢里を直撃した。骨が折れ、血を吐き、身体を叩きつけながら地面を滑っていく。


「ルカっ、治療だ! メリザンドっ、援護しろ!」


 既にシスター・ルカはボロボロの状態でぐったりしている絢里を治療するために走りだしている。メリザンドは僅かに遅れたタイミングで『大部屋』の術式と同じ効果を持つ“神託”で空間に腕を突っ込み、中からバズーカ砲らしき武器を取り出して担いだ。


「『タイラント1(ワン)』」


 鉄の筒から発射されたのは球状に固められた空気弾のようなもの。拘束を完全に振りほどいた前鬼が蜥蜴の胴体から生やした腕で、狂ったとしか思えない暴走を始めた直後、空気弾が顔の無い化け物の眼前に現れて鼻先に触れた。


 ブオンッッッ!!!


 空気弾が割れ、前鬼が構わず進もうとしたところで突如、重圧が胴体の前面にのし掛かった。後ろ半分から生えていた腕は醜くのたうち回っている。


 圧縮した空気の塊に下への指向性を持たせたものだ。前鬼の周りを浮遊していた拘束用の“神託”が壊された事で、メリザンドも気兼ねが無くなった。

 一般人の避難も完了しており、ここからは制限を解除して“神託”も投入できる。

 これぞ“聖堂騎士(パラディン)”序列5位、メリザンドの真骨頂。全世界の“神託(オラクル)”の供給を大部分で占める女の戦い方だ。


「オワッ!? イグナシオっ、てーへんダー!」


「分かってる!」


『タイラント1』で足を止める事は出来たが、損傷を与えるには至らない。おまけに前鬼はその足止めさえも眼中に無い様子で、行おうとしているのは遮二無二に走り抜ける事だけ。

 尻尾でバンバンと地面を叩き、『タイラント1』の圧力を障害物競争よろしく潜り抜け、その一点へ突進しようとしている………一般の避難者が収容された旧庁舎へと。


「あくまで市民の絶望がお望みか……メリザンドっ、頭部に火力を集中させろ!」


「『タイラント』が効かないんじゃ、アレを削り切るまで時間掛かるヨー!?」


「いいからヤれ! 撃ち続けろ!」


 指示を残し、イグナシオは再度の突撃を行う。前鬼の正面に立ち、通力を練っていく。

 イグナシオは元“聖堂騎士”で、“大聖堂(カテドラル)”の中でも対退魔師の技能に精通する稀有な人材だった。自身でも通力を使用し、対人レベルでなら世界でもトップクラスだが、図体のデカい相手にも有効打となる攻撃手段には乏しい。

 踏み留まって押さえる事は可能だが、いつかは突破される。

 何か決定打がなければ、いずれは先刻の蟲顔の男が目的を果たす結果となってしまう。


 市民たちの対応に追われた“社”から応援が来るとも思えない。

 イグナシオの手札は少しずつ、確実に失われていた。


「はぁああっ!」


 爆発を伴うメリザンドの“神託”が前鬼の頭部に炸裂している中、圧力空間の後ろで暴れている尻尾の先端に程近い箇所に、風音が神速の踏み込みで刺突を繰り出す。

 会心の威力での刺突は前鬼の体表を突き破り、刀の鍔まで深々と差し込んだ。


 Kigiiiiーーーッッッ――――!!!


 防衛反応なのか、前鬼は甲高い悲鳴を上げながら、刀を握る風音ごと尻尾を大きく振り回し始めた。しかもその悲鳴はこれまでの、ただ煩いだけの音とは全くの別物である。


「がっ――――ああっ!?」


「ンギャアアア!!? イタタタタ――――アタマが割れるデース!?」


 イグナシオは堪らず膝を折り、メリザンドが地面を転げ回る。


 それは先程に現れた蟲顔の男が鳴らした超音波と比べても、数段は暴力的な音だ。その苦痛はイグナシオの通力による強化と、メリザンドが防御用に着込んである“神託”を持ってしても耐え難い。

 辛うじて前鬼を縫い止めていた圧力空間は散らされ、メリザンドが設置した迫撃砲(ワンダーランド)や大小様々な遠距離武器……火器類、弓、魔法使いが持っていそうな杖に至るまで、メリザンドが取り出していた“神託”が悉く破損していた。


「ぐっ――――っっあああこんなものーーっ!!」


 風音が暴れる尻尾に突き立てた愛刀を更に強く握りこむ。

 暴れ馬が可愛く思える激しさで振り回されながら風音は『虚空踏破』で空中を踏み締め、刀が刺さったまま前鬼の尾を遡って行った。


 Zeiiiyーーー!!!


 前鬼は風音を優先すべき危機と認識し、音による攻撃を中断して対処を図る。

 風音が尾を根元まで向けて切り裂き、一息で走破したところで、胴から生えた巨大な人の腕が風音へと伸びた。


「『虚影の太刀』!」


 尾に刺さった状態を鞘に見立て、刀を居合いの要領で抜き放つ。迫る巨腕に一閃を見舞った。


 戦場の空気を斬ったと錯覚するほどに鮮やかな一刀。風音の斬撃は見事、巨腕を中程で両断して見せた。


「神崎に続けメリザンド!」


「ッダアアッッ、人使い荒イー!」


 新たに大量に取り出した“神託”の中からロケットランチャーを掴み、大急ぎでクリスタル結晶のような弾を先端に装填する。


「『タイラント4』」


 ランチャーから射出された結晶はその形状からは想像も出来ない速度で前鬼へと接近し、しかし胴体に着弾する前に真ん中の巨腕にて阻まれる。地面に揺れが起こる勢いで結晶を巨腕で踏みつけた。


「甘いデース!」


 踏みつけた腕の下から、ガリガリと削る音が漏れだす。

 直後、巨腕の肘にあたる部位から柱の形をしたクリスタルが物凄い速さで飛び出した。

『タイラント4』は内部にある本命の貫通弾を、周りを覆う結晶が守って送り出す仕掛けである。

 着弾によるダメージと、その後の貫通弾によるダメージ。この二段構えは回避以外の選択肢が無いのだ。


 これで、6本あった脚(うで)は残り4本。

 風音が右側後方の脚(うで)を、メリザンドが左側中央の脚(うで)を、それぞれ崩した。

 僅かではあるが、前鬼の動きは目に見えて鈍っている。


「ヌアッ!? こっち来ター!!」


 前鬼の排除対象が一般人から切り替わったのは良いが、その竜巻のような暴威の目に留まったのは後衛のメリザンドだった。

 動きが鈍ったと言っても、大型トラックを素手で止められるレベルの壁役は不在だ。メリザンドは慌てて杖型の“神託”を取り、迎撃を行う。


「『エクスプロージョン』!」


 前鬼の正面で爆炎が咲き誇る。

 だが前鬼は持ち前のタフさと、後鬼と間を置かずに倒さなければ復活するという特性を活かした捨て身の突進を続け、勢いが弱まる気配は無い。損傷を恐れない暴力装置を止めるのはかなり難しいのだ。


「神崎っ、左側面の脚だ!」


「了解!」


 風音とイグナシオが初撃で見せたコンビネーションを、今度は巨腕の一つに向けて叩き込まんと走る。

 まずイグナシオが前鬼とすれ違い様に巨腕の付け根部分を高速で滅多斬りにする。刃渡りの短いダガーのため傷そのものは浅いが、そこに絶妙に息を合わせたのは風音だ。


「『衝波』!」


 打撃時に通常よりも強い衝撃を浸透させる顕術。風音は敢えて刀の峰(みね)側を打ち当て、付け根が脆くなっていた巨腕をブチブチと音を立てて引きちぎった。


 左側の前脚と真ん中の脚を失い、前鬼の突進が更に鈍る。左後部に残った巨腕が風音を捕まえようと伸ばされるが、あっさりと空を切った。

 残った1本を使うのだから、右側の脚(うで)2本で全体を支えている状態だ。犬が電柱に小便をかける体勢に近い。


 風音の油断は、前鬼を通常の生物を相手にする感覚で相対したこと。相手が捨て身で、さらには怪物と理解していながら、身体の支えを無視して右側の巨腕を差し向けてくると想定していなかった事だ。


「あっぐ――――!!」


 前鬼の巨体が支えを失い、轟音を上げて地面に身体を打ち付ける。

 風音は右側面からグニャリと関節を曲げて背中に回してきた巨腕二つに捕まり、がっしりと組んだ掌から尋常でない圧迫を受けていた。


「『タイラント4』!!」


 メリザンドが新たに装填した結晶が『タイラント4』から打ち出される。

 風音を握り潰そうとしている巨腕の1本に着弾した。


 GyiGyaaAAAA!!


 防ぐよりも風音の破壊を優先したのだろう。回避も防御の動きすらも見せない。

『タイラント4』の外縁部が頑丈な体表を螺旋状に押し広げ、巨腕の内側に到達したところで射出された貫通弾(クリスタル)が、右前部の脚(うで)に大きな風穴を空けた。


「4本目え!!」


 皮一枚で繋ぎ止めていた巨腕に、イグナシオがだめ押しで前蹴りを叩きこむ。

 ブチリと筋繊維が引きちぎれる音と共に巨腕が中程で二つに別たれた。


「しまっ――――!?」


 イグナシオの背後から鯨の体当たりにも勝る迫力を放つ尾への対処が間に合わない。

 風音に斬り裂かれたせいか尾のしなりもキレも落ちているのに、まだこれだけ動けるとは思わなかった。


 イグナシオは回避行動を取りながらも、衝撃に備えて歯を食いしばる。


 ――――ガンッ!!


 迫る尾の軌道を、殴り付けて上にずらしたのは九節棍の先端。

 跳ね返るように九節棍が元の長さまで戻った場所には、未だ治療が済んでいない久我山絢里がいた。

 痛々しい傷と血の跡が全身に窺えるまま、苦痛を堪えて援護に入ったのだ。


 それに状況の悪化はまだ止まらない。

 時間を掛けすぎたのか、最初に風音が斬り落とした右側面、後部の巨腕がその瞬間に再生してしまった。憎たらしいまでのしぶとさである。

 丁度、イグナシオの目の前でズルリと生え、そのままイグナシオを掴もうと壁と見紛う掌が肉薄してきた。


 ザシュッ!!


 イグナシオの眼前を埋めつくしていた巨腕を上から地面に縫い付けたのは日本刀。それを驚愕の目で確認し、続けて風音の方を見る。

 2本の巨腕による圧殺から逃れた風音が、全身の骨を折られた状態で力を振り絞り、愛刀を投擲したらしい。

 イグナシオは直ぐ様、落下する風音を地面の手前でキャッチ。態勢を立て直そうと一旦、前鬼から距離を取った。


「ワーッ、ワーワーッ!! イグナシオっ、やっぱこっちに来マース!!」


「何とか対処しろ!」


 重傷の風音を旧庁舎前に居たシスター・ルカに預け、急いでメリザンドの救援に向かう。

 ただどうしても、数秒の差で間に合わない。その間だけでも、何とか持ちこたえてもらわなければ。

 あれでも“聖堂騎士”だ。それくらいの手段は持ち合わせている筈だ。


「ムリィーーーー!!」


 直前までメリザンドが居た場所まで、蛇を彷彿とさせる這いずりかたで到達した前鬼が大口を開けたまま通過した。

 散らばっていた“神託”は半数が口内で噛み砕かれ、幾つかは衝撃で弾き飛ばされた。

 左右に生えている3本の巨腕は足の役目を放棄したのか海藻の如く揺れ、空に向かって伸びている状態。足は遅くなったが、巨腕が攻撃に集中する分、これまで以上にどんな動きをするのか予想がつかない。


「Help――――、ヘーーールプ!!」


 メリザンドのすぐ後ろに凶悪極まる牙の群れが迫る。前鬼は身体を横に倒し、割れ目が縦になった巨大な口腔は計り知れない恐怖の権化となった。

 これに捕まれば、敷き詰められた様々な大きさの牙に両側から串刺しにされ、そのまま身動ぎでもしようものなら中の人間は挽き肉と変わるだろう。


 そしてそれは、遂にメリザンドを口内へと収めた。


「メリザンドっ――――」


 イグナシオが、たった一歩の踏み込みの差で届かない。

 間に合わない……息を呑んだその瞬間に現れたのは、喉から手が出るほどに欲した天の助けだった。


 横に倒れた前鬼の脳天……真横から何者かが体当たりを加えて、その巨体がグルンと回転してメリザンドから逸れた。

 頭を抱えてピタンと地面に伏せていたメリザンドが恐る恐る振り返ると、そこに居たのはヒーローのお面を被った少年。先程、汚泥の巨人と交戦した際の消耗が回復しきっていないにも関わらず、それでもボロボロの制服を着たまま駆け付けた……“規格外(オーバーフレーム)”こと犬塚戌孝だ。


「長くは押さえておけませんっ、早く退がって!」


 先程も、全く同じ事があった。汚泥の巨人がメリザンドを襲った時に、やはり戌孝が身を呈して防ごうとした。

 その時は仁科黎明が近くに居たことで、実はかなりの安全地帯だった場所へ知らずに飛び込んで来た戌孝。だが、今ここは安全とは程遠い死地である。メリザンドも先と同様に微笑ましく戌孝を見るよりも、ヒーローを見るようなキラキラとした目で戌孝の背中に視線を注いでいた。


「“規格外”っ、やれるか!?」


 イグナシオから藁にも縋る思いで掛けられた問い掛けに、差し迫った窮地を感じ取る。


 それに対して、重々しく首を横に振らなければならない戌孝もまたツラい。


 十全に戦える程度に回復するまでは動くなと言われていたのだが、まだまだ二割強といったところ。とても前鬼と対峙できる状態ではなかった。

 命が懸かっていては流石に見過ごせないため、無謀にもヒーローを気取ってしまった訳だが。


 これだけの面子が集まっていて未だに決定打に欠けている。そんな歯痒さを押し殺し、イグナシオは着々と損傷した巨腕を再生させていく前鬼を睨んだ。


「こっちは神崎が抜けて、久我山が手負いだ。援軍も期待できない…………それでも戦ってくれるか?」


「………ええ。そのために出てきたんですから」


 わざわざ死地に飛び出して来たのだ。その時点で覚悟は決めていたのだろう。

 この若さにしては大した肝の据わり様である。肩を並べて戦う相手として不足は無い。

 仲間の誰よりも疑り深いイグナシオが、“規格外”を直感的に信用する……付き合いのある人間からしたら、割と驚愕の事態であった。


「これまでと同じで行く。お前が回復すれば、前鬼を仕留められるだろう。それまで、何時間でも時間を稼いでやる」


 それまでは何があっても、今度こそ、絶対に飛び出すな。その言葉はイグナシオの頼みであり、覚悟であり、責任。

 そんな無茶な作戦が、今は頼もしくも聞こえる。

 この人は本当にやってのけるだろう……戌孝も信じて頷いた。




「折角の所にゴメンね。邪魔をするよ」




 イグナシオと戌孝の決死の意気を挫くような、あまりにも穏やかな男の声がポツリと戦場に伝播する。

 誰かが男の位置を認識する前に、それまでの死闘を嘲笑う幕切れが静かに、淡々と、呆気なく訪れていた。


 ジェット機かビル程の巨体を持つ異形染みた蜥蜴……前鬼が真っ二つに裂けた。紙を裂くよりも滑らかに。頭の先から尾の先まで、文字通りの真っ二つに。


 イグナシオに戌孝、絢里にメリザンド……全員、その光景を前に絶句するしか出来なかった。


「ふぅ………済んだよ。いきなり出てきて横取りしたみたいで、ほんとにゴメンね」


 それが味方の退魔師だと認識できるまでの数秒が、どれだけ長く感じただろう。

 何処となく腰が低い、人の良さそうな笑みで謝る眼鏡の男。背広を脇に抱え、顔つきと同様に少しだけ草臥れたワイシャツの袖は肘まで捲られている。

 営業で疲れ気味のお父さん、と言った感じの男と面識があったメリザンドが満面の笑顔で声を掛けた。


「ムラマサ! 痺れるタイミングで登場したデース!」


「お久しぶりです、メリザンドさん」


 糸浦市、“社”支部長……赤坂村正。

 日本でも数少ない、災害級でさえも単騎で調伏しうる最強クラスの退魔師の登場に、ここは檸梨でも特に安全な場所へと変わった。






・黒沼流『アイドル帝王学』講座 その一


公「大勢の愚民……こほん。民衆(ファン)を相手に話す時は、出来るだけ命令(・・)は避けてください。貴女(アイドル)はお願いする立場……儚げな表情と声で媚びを売っていれば、後は向こうが都合よく解釈してくれます」


絢「……お前は民衆までも不幸にする気か」


公「富めないファン(ブタ)はタダのブタです」


絢「バカァッ」


―――――――――――


・黒沼流『アイドル帝王学』講座 その二


公「駆け引きの基本はバスケと同じです。相手が右に動けば左、左に動けば右から相手を抜く。迫ってくれば受け止め、引けばこちらから押し込む。ファンが徒党を組んで迫って来る事はそうありませんし、大抵はピョンピョン跳び跳ねるか、パフォーマンスで押していけばいいですよ。こんな感じに」


絢「ひあっ!? 近付くな触るな!!」


―――――――――――


・黒沼流『アイドル帝王学』講座 その三


公「一瞬でも相手の弱い心を掴めばこちらのものです。後はひたすら煽るのも良し、媚びた声で脳を蕩かすのも良し、聞こえの良い言葉を並べ立てて信者の量産まで思うがまま! これで貴女もハイル『あやりん』!」


絢「お前は人(ファン)を何だと思ってるんだ……」


公「そりゃ勿論、奴隷ですよ………貴女の」


絢「私のかい」





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