第5話 災難に見舞われた騎士団
「うっ……ぐ、ああっ!」
野営地に、苦痛に満ちた声が響いた。
「腹が……っ、何だ、これ……!」
「誰か、水を……うっ!」
つい先ほどまで、賑やかな声に包まれていた野営地は、見る影もなかった。
地面にうずくまる騎士。
口元を押さえて嘔吐する騎士。
突然の腹痛と吐き気に、隊員たちは次々と動けなくなっていた。
「おい、しっかりしろ!誰か、横になれる場所を確保しろ!」
騎士団第一部隊の副隊長、レオン・ヴァルクが声を張り上げる。
しかし、彼自身も顔色が悪い。
額には脂汗が浮かび、腹部を押さえる手に力がこもっていた。
(くそっ……何だこれ……!)
新人騎士の実地研修を兼ねた、今回の討伐訓練。
魔物がよく出没するこの森は、騎士団が実地訓練や野営訓練に利用する場所のひとつだった。
野営での調理も、研修の一環である。
全員で食事を取り始めてから、そう時間は経っていない。
まさか、食事に何か問題があったのか。
レオンがそう考えた、そのときだった。
「ヴァルク副隊長!大変ですっ!」
新人騎士の、切羽詰まった声が響く。
「ま、魔物が!」
「……は?」
レオンは思わず顔を上げた。
木々の向こうから、巨大な影が姿を現す。
地面を踏み鳴らす重い足音。
茂みをなぎ倒しながら、魔物がこちらへ向かってきていた。
(なんで、こんなタイミングで現れるんだよ!)
レオンは歯を食いしばった。
よりにもよって、今。
隊員たちは動けず、自分も剣を振るえる状態ではない。
このままでは、新人騎士たちが危険にさらされる。
――そのとき。
ジャリッと地面を踏みしめる音がした。
「あっ、隊長……!」
新人騎士の顔に、安堵の色が浮かんだ。
レオンが振り向いた先には、一人の男が立っていた。
アウラス・シュヴァル。
王立騎士団第一部隊を率いる隊長は、迫り来る魔物と、苦しむ隊員たちを素早く見渡した。
そして、小さく舌打ちする。
「……最悪だな」
吐き捨てるような声だった。
「レオン、動けるか?」
「見ての通りです……っ。すみません!」
「謝るな。お前は隊員たちを見ていろ。動ける者がいたら、重症者を安全な場所へ移動させろ」
「わかりました……!」
レオンは悔しげに顔を歪めながらも、すぐに周囲へ指示を飛ばした。
アウラスは剣の柄に手をかける。
「全員、よく聞け!」
アウラスの声が森に響いた。
その声に、苦しんでいた騎士たちも顔を上げる。
「無理に動くな。今は自分の身を守ることだけ考えろ。魔物は俺が対処する!」
「ですが、隊長!俺たちも……!」
「動けない状態で無理をしても、足手まといになるだけだ!」
鋭い一喝だった。
新人騎士が、はっと口を閉じる。
アウラスは剣を抜き、魔物へと向き直った。
剣身が、白い光を帯びる。
淡い光は瞬く間に強さを増し、刃全体を包み込んだ。
「お前たちは、ここから一歩も動くなよ!」
言い終わると同時に、アウラスは地面を強く蹴った。
光をまとった剣を手に、迫り来る魔物へと一気に駆け出していった。
◇
診療所に手紙が届いたのは、午前の診察を終えた頃だった。
差出人の名前を見て、ミエラは首を傾げた。
アウラス・シュヴァル。
封を開け、中に入っていた便箋を取り出す。
そこには、騎士団から記憶鑑定の依頼が記されていた。
新人騎士の野営訓練中、食事をした複数の騎士が体調不良を訴えたこと。
食中毒の可能性があること。
そして、原因を突き止めるため、当時の状況を知る騎士たちの記憶を鑑定してほしいという内容だった。
「……食中毒、か」
ミエラは、便箋を見つめた。
複数の騎士が体調を崩したということは、食事のどこかに原因があるだろう。
記憶の中に、何か手がかりが残されているかもしれない。
けれど――。
ミエラは、手紙を持つ指に、そっと力を込めた。
(……診療所以外での、記憶鑑定……)
先日、初めて診療所以外の場所で記憶鑑定を行った。
王宮にある回復薬の保管庫でのことだ。
けれど、今回の依頼場所は騎士団の野営地だ。
大勢の騎士がいるだろう。
落ち着いて鑑定できる環境が整っているとは限らない。
食中毒の原因を探るとなれば、複数人の記憶を続けて鑑定することになるかもしれない。
そう考えると、胸の奥に小さな不安が広がった。
けれど――。
(……困っている人がいるのに、見過ごすわけにはいかない)
ミエラが、どうしたものかと考えていると、窓の外に、迎えの馬車がすでに待機しているのが見えた。
「……準備がいいこと」
ミエラは、困ったように小さく笑った。
ここまで用意されているのなら、行かないわけにもいかないだろう。
それに――。
もう一度、手紙に目を落とす。
差出人の名前は、アウラス・シュヴァル。
ミエラの能力を理解したうえで、記憶鑑定を依頼してくる人だ。
きっと、記憶鑑定を行う場所についても、できる限り配慮してくれるはずだ。
(……大丈夫。きっと、なんとかなる)
ミエラは便箋を机に置くと、鑑定に必要な道具を準備し始めた。
手帳と筆記具を鞄に収め、忘れ物がないかを確認する。
すると、廊下から、この診療所の医師であるスコルがやってきた。
「あれ?ミエラ、どこか出かけるの?」
スコルは、ミエラの手元にあるバッグを見ながら尋ねた。
「あぁ、スコル。ちょうどよかった。急用ができて、悪いんだけど、ちょっと出かけるね」
「ええ〜。また〜?今日はまだ午後の診察が残ってるよ〜」
「記憶鑑定の依頼なの。急を要するかもしれないから。ごめんね!」
準備を終えたミエラは、出入り口のドアを開けた。
「最近、急な依頼、多くない〜?」
スコルのぼやきは聞こえないふりをして、ミエラは診療所をあとにした。
◇
ミエラは野営地へ向かうため、迎えの馬車に乗った。
王都を離れ、街道を進む。
しばらくすると、道の先に木々が生い茂る森林地帯が見えてきた。
王都から馬で三十分ほどの距離にあるこの森は、魔物が出現することがある場所として知られている。
その一方で、騎士団が実地訓練や野営訓練に頻繁に利用する場所でもあった。
森の手前に広がる開けた土地へと進むと、いくつもの天幕が目に入った。
野営地に到着したミエラを出迎えたのは、張り詰めた空気だった。
天幕の周囲には、苦しそうに横たわる騎士たちの姿があった。
木陰に敷かれた毛布の上で腹部を押さえている者。
吐き気に耐えながら、口元を押さえてうずくまっている者。
顔色を失い、ぐったりと目を閉じている者。
その傍らでは、医療担当者たちが忙しなく動き回っていた。
「こちらは水を少しずつ飲ませてください。無理に飲ませないように」
「腹痛はまだ続いていますか?」
「はい。先ほどよりは落ち着きましたが、まだ吐き気が……」
あちこちから、そんな声が聞こえてくる。
ミエラは思わず足を止めた。
「……こんなに」
参加していた騎士たちは、誰もが食中毒の症状に苦しんでいた。
その中で、ただ一人。
アウラスだけが、普段と変わらない様子で立っていた。
「ヴェリさん!」
ミエラに気づいたアウラスが、足早に近づいてくる。
「急なお願いをしてしまい、申し訳ありません。来ていただけて助かりました」
「いえ。手紙を読んで、驚きました。皆さん、大丈夫ですか?」
ミエラの視線が、苦しそうに横たわる騎士たちへ向けられる。
「今のところ、命に別状のある者はいません。ただ、原因がわからないので、適切な処置を判断しきれません」
アウラスの声は、落ち着いていた。
けれど、その表情には隠しきれない緊張があった。
「できるだけ早く、原因を突き止めたいのです」
「わかりました。私にできることなら協力させてください」
ミエラは、アウラスを見つめるとしっかりと頷いた。
アウラスは、そんなミエラの姿を頼もしく思った。
「今のところわかっているのは、騎士たちが皆、同じ大鍋で作られた食事を口にしていたということです。食事に何らかの問題があったのではないかと考えています」
アウラスは説明をしながら、野営地の一角に目を向けた。
そこには、食事を作るための炊事場が設けられていた。
焚き木の上には大きな鍋が置かれ、その周囲には調理に使われた道具が残されていた。
「調理をしていた場所を、近くで見せていただけますか?」
ミエラが尋ねると、アウラスはすぐに頷いた。
「もちろんです。こちらへ」
アウラスに案内され、ミエラは炊事場へと向かった。
近づくにつれ、その様子がはっきりと見えてくる。
(……ずいぶん開けた場所ね)
ミエラは足を止め、炊事場の周囲を見回した。
「それで、記憶鑑定を行う場所ですが……」
アウラスが、野営地の一角へ視線を向けた。
周囲から少し離れた場所に、小さな天幕が用意されていた。
「こちらに準備しました。中には椅子を二脚置いてあります。なるべく静かで、安全に記憶を見れる場所が必要かと思いまして」
天幕の入り口をくぐり、中を見回したミエラは、ほっとしたように微笑んだ。
「ありがとうございます。助かります」
ミエラはすっと背筋を伸ばし、アウラスへと向き直った。
「それでは、まずは調理を担当していた方から、順番に確認していきましょう」
「はい。すでに何人かには話を聞いています。最初はレオンに頼めるでしょう」
アウラスが振り返ると、少し離れた場所にいた青年がこちらに気づき、天幕へと入ってきた。
「ミエラさん!」
レオンは、顔色こそ悪いものの、いつもの人懐っこい笑顔を浮かべた。
「今回も、よろしくお願いします!」
レオンはミエラの前まで来ると、元気よく頭を下げた。
「……あ!」
ミエラは、思わず声を上げた。
「以前、備品紛失事件のときに、記憶を見せていただいた方……ですよね?」
「覚えていてくださったんですね!」
レオンの顔が、ぱっと明るくなった。
……が、その直後、わずかに顔をしかめて腹部を押さえた。
「うっ……すみません。ちょっと、まだ腹が……」
「大丈夫ですか?」
「はい!大丈夫です!」
即座に返事をしたものの、額にはうっすらと汗が滲んでいる。
どう見ても、無理をしているようにしか見えなかった。
ミエラは、レオンに椅子へ座るよう促した。
「レオン、無理をするな。少しでも具合が悪くなったら、すぐに言え」
アウラスが念を押す。
「はい、隊長!」
レオンは座りながらも、背筋を伸ばした。
しかし、すぐに腹部を押さえて、ため息をついた。
「……それにしても、本当に今日は災難ですよ。食中毒になるわ、まさかのタイミングで魔物まで出てくるわ、まったく。うっ、いてててて……」
レオンが、顔を歪ませながらぼやいた。
「……え、魔物、ですか?」
ミエラは、思わず聞き返した。
「あれ、ご存じなかったですか?食中毒でみんな動けないっていうのに、魔物まで現れたんですよ!」
レオンは、大げさに肩をすくめた。
「いやあ、さすがに今回はどうなることかと思いましたね。俺もこの状態でしたし、新人たちも動けないし……」
レオンは顔を上げて、目を輝かせた。
「でも、そこはさすが我らが隊長ですよ!」
途端に、レオンの声に力がこもる。
「一人で魔物を倒して、俺たちを守ってくれたんですよ! いやあ、本当にかっこよかったです!」
「……レオン」
アウラスが、少し呆れたように声をかける。
「落ち着け、静かに休んでいろ」
「ええっ、隊長!俺、ちゃんと休んでますよ!」
「その割には、ずいぶん賑やかだな」
「いやいや、こういうときこそ、気持ちだけでも明るく元気でいないと!」
レオンは得意げに笑った。
けれど、次の瞬間には腹部を押さえ、顔をしかめる。
「うっ……やっぱり、まだ痛い……」
「だから言っただろう」
アウラスがため息をつく。
そのやり取りを見て、ミエラは思わず小さく笑った。
そして、改めてアウラスへ視線を向ける。
「……一人で、魔物を?」
「ええ。幸い、対処できる相手でしたから」
アウラスは、それ以上、詳しく語ろうとはしなかった。
ミエラは、そんなアウラスを少しだけ意外そうに見つめた。
これだけの騒ぎの中でも、彼は自分の活躍を誇る様子もなく、ただ目の前の問題を解決しようとしている。
ミエラは、彼が騎士団の隊長である理由を、少しだけ理解した気がした。
「……えっと、それでは、レオンさん。今回の訓練で、食事の準備をしていたときのことを思い出してください」
ミエラは、目の前に座るレオンに視線を向けた。
「わかりました。大鍋の近くで作業をしていたときの記憶を、思い出せばいいんですよね」
「はい。できるだけ、そのときの光景を強く思い浮かべてください」
「はい。オッケーです」
レオンは、真剣な表情で頷いた。
ミエラはレオンの目を見つめる。
「――メモリア」
二人の意識が記憶へと沈んでいった。
***
ミエラの目の前に広がったのは、野営地の炊事場だった。
薪の燃える音。
鍋の中で煮立つ食材。
立ち上る湯気。
周囲では、騎士たちが食事の準備に追われている。
ミエラは、レオンの視界を通して周囲を観察した。
レオンは鍋のそばで、別の騎士と一緒に食材を運んでいた。
時折、鍋を覗き込み、中の様子を確認している。
その間にも、何人もの騎士が彼の前を通り過ぎていった。
ミエラは、食材の状態や調理の様子に注意を向けた。
しかし、特に気になる点は見当たらない。
レオンは副隊長として、騎士たちへ指示出しや状況の確認など、さまざまな仕事をこなしていた。
そのため、調理の様子を確認できない時間も多かった。
その間に何か問題が起きていたとしても、不思議ではない。
ミエラは、鍋の周辺を注意深く観察した。
けれど、これといった手がかりは見つからなかった。
やがて、レオンが食事の準備を終えた。
「――レディトゥス」
ミエラは記憶を離れ、現実へと意識を戻した。
***
「……ありがとうございました」
目を開けたミエラは、小さく息を吐いた。
向かいのレオンも、ゆっくりと目を開ける。
「何か、わかりましたか?」
「残念ながら、今の記憶からは、食中毒の原因につながるような手がかりは見つかりませんでした」
「そうですか……」
レオンは悔しそうに眉を下げた。
「すみません。もっと、ちゃんと見ていれば……」
「いいえ。食事の準備をしながら、周囲のすべてに注意を払うのは難しいことです。レオンさんが悪いわけではありません」
ミエラがそう答えると、レオンは少しだけ表情を和らげた。
「ありがとうございます」
その声には、まだ弱々しさが残っていた。
「レオンさんは、少し休んでいてください」
「はい。ミエラさんも、無理しないでください!」
レオンは最後まで人懐っこい笑顔を浮かべていたが、天幕を出た途端、近くの木に手をついて深く息を吐いた。
「……レオン、大丈夫か?」
アウラスが声をかけた。
「だ、大丈夫です……。ちょっと、気持ち悪いだけで……」
「医療担当者のところへ戻れ」
「はい……」
レオンは肩を落とし、医療担当者のもとへ向かった。
ミエラは、その後ろ姿を心配そうに見送った。
◇
続いて、食事の準備に関わっていた二人の騎士の記憶がやってきた。
一人目は、鍋に入れる食材を切っていた騎士だった。
彼の記憶には、まな板の上で野菜を切る光景や、隣で作業する仲間の姿が映っていた。
けれど、特に気になる点は見つからなかった。
二人目は、鍋のそばで火加減を調整したり、鍋をかき混ぜたりしていた騎士だった。
彼の視界には、煮立つ鍋や燃え上がる火、薪を取りに行く途中ですれ違う人々の姿が映っていた。
しかし、こちらも決定的な手がかりはなかった。
二人とも、食事の準備に追われていたのだ。
炊事場から目を離す瞬間は何度もあり、その間に何が起きたのかまでは確認できなかった。
記憶の確認を終えたミエラは、外の空気を吸いたいと言い、天幕の外へ出た。
その瞬間、どっと疲労が押し寄せてくる。
「……っ」
思わず、額に手を当て、その場にしゃがみ込んだ。
短時間で三人の記憶を鑑定したのだ。
疲労が溜まるのも当然だった。
「ヴェリさん」
背後からアウラスの声が聞こえた。
ミエラのあとを追ってきたらしい。
「少し休みますか?」
アウラスはミエラのそばに寄ると、顔色を確かめるように尋ねた。
「いえ……」
「焦る気持ちはわかりますが、あなたまで倒れてしまっては意味がありません」
アウラスの声は穏やかだった。
「少しだけ、失礼します」
そう言うと、アウラスはミエラの肩の近くにそっと手を添えた。
琥珀色の瞳が、淡く輝く。
次の瞬間、アウラスの手から柔らかな光が溢れ、ミエラを包み込んだ。
温かな光が、疲れた身体に染み渡っていく。
張り詰めていた神経が、少しずつ緩んでいくようだった。
「……はぁ」
ミエラは、ゆっくりと顔を上げた。
「身体が、楽になりました」
「完全に疲労が消えたわけではありません。無理は禁物です」
アウラスは、真剣な表情でミエラを見つめた。
まだ疲れの残る顔。
それでも、その瞳には、再び前を向こうとする意志が宿っていた。
(……無理をさせたくない)
アウラスは、なぜかそう思った。
「ありがとうございます、シュヴァル様」
ミエラは、先ほどよりもはっきりとした目でアウラスを見つめ返した。
そして、ふと考え込むように視線を落とした。
「……鍋の近くにいた方たちは、皆さん、作業のために何度も鍋から目を離していました」
「ええ」
「調理中の様子を、ずっと確認できていたわけではないですよね」
ミエラは、野営地の周囲を見回した。
「でも……もし、少し離れたところからでも、炊事場をずっと視界に入れている人がいたら、どうでしょうか?」
アウラスの目が、わずかに細められた。
「なるほど。見張りを担当していた騎士で、常に炊事場が見える位置にいた者ということですね」
ミエラは、こくりと頷いた。
「はい。料理をしていた人たちとは違って、ずっと同じ場所から炊事場が視界に入っていたはずです」
ミエラは、記憶の中で見た炊事場の光景を思い返した。
「本人が意識していなかった光景でも、記憶に残ってさえいれば。私なら鮮明にして確認することができます。何か手がかりが見つかるかもしれません」
そう言うと、ミエラは自分の手のひらを見つめてから、ぎゅっと拳を握りしめた。
「炊事場で何か変わったことがなかったか、確認できるかもしれません」
「……なるほど」
アウラスは天幕を出ると、周囲に集まっていた騎士たちへ視線を向けた。
「訓練中、炊事場が見える位置で見張りをしていた者を確認してくれ」
指示を受けた騎士たちは、一斉に駆け出していった。
◇
しばらくして、アウラスのもとへ報告が入った。
「隊長。炊事場が見える位置で見張りをしていた騎士を確認しましたが……その者が見当たりません」
「何?」
アウラスの表情が険しくなる。
「訓練の途中までは姿を見かけたという者がいるのですが、その後、どこへ行ったのか誰も把握していないようです」
「名前は?」
「それが……」
報告に来た騎士は、困惑した様子で続けた。
「直前になって参加が決まった者らしく、所属や詳しい経歴を知っている者がおりません」
アウラスは、わずかに眉を寄せた。
「参加者名簿を確認しろ。手続きの経緯も含めて調べるんだ」
「はっ!」
騎士たちが再び走り去る。
ミエラは、アウラスの横で静かに考え込んだ。
炊事場が見える位置で見張りをしていた人物が、事件のあとに姿を消した。
偶然と片づけるには、あまりにも不自然だった。
「その人物を見かけた方の記憶を、確認させていただけませんか?」
ミエラが尋ねると、アウラスはすぐに頷いた。
「わかりました。お願いします」
本人がすでに姿を消している以上、直接その記憶を見ることはできない。
ならば、その行方不明の男を目撃した者の記憶から、何か手がかりを探すしかなかった。
やがて、数人の新人騎士がやってきた。
彼らもまた、食中毒の症状に苦しんでいた。
一人は顔面蒼白で、医療担当者に水分を取るよう促されている。
別の一人は、時折、苦しそうに腹部を押さえていた。
それでも、事件の手がかりを見つけるため、短時間なら協力できると来てくれた。
医療担当者に状態を確認してもらいながら、ミエラは一人ずつ話を聞くことにした。
◇
ミエラは、一人目の新人騎士と向き合った。
行方不明の男と、訓練の合間に話をしたらしい。
「その男性に、何か不審な様子はありませんでしたか?」
ミエラが尋ねると、新人騎士は少し考えるように視線を落とした。
「……俺、あいつに聞いたんです。『あれ?お前、名前は?どこの部隊?』って」
新人騎士は、当時のやり取りを思い返すように、ゆっくりと話し始めた。
「でも、それが、なんだかはぐらかされて……。名前も、所属も、結局よくわからなかったんです」
そう言って、騎士は困ったように頭をかいた。
「そのときは、緊張してるのかなと思って、あまり深く考えなかったんですけど……」
新人騎士は、そこで言葉を切った。
今になって考えれば、確かに不自然だった。
「そのときのことを、できるだけ詳しく思い出していてください」
「はい」
ミエラは、新人騎士の目をまっすぐに見つめた。
「――メモリア」
意識が、記憶の中へと沈んでいった。
***
目の前には、気だるそうにしている騎士がいた。
記憶の持ち主が、何気ない様子で尋ねる。
『あれ?そういえばお前、名前は?どこの部隊?』
すると、その男は、一瞬だけ表情をこわばらせた。
『ああ、いや……俺は、まあ、その……』
視線を逸らし、曖昧な笑みを浮かべる。
『あとで話すよ』
それ以上、詳しく話すつもりはないようだった。
記憶の持ち主も、それ以上は追及しなかった。
「――レディトゥス」
ミエラは、記憶を離れた。
◇
二人目の新人騎士は、訓練の場所についての話を、男としたという。
「魔物が出る可能性について、話していたんです」
新人騎士は、青白い顔をしながらも、なんとか言葉を続けた。
「この辺りは、訓練中に魔物が現れることもあるから、注意しろって教官に言われていて……。それで、あいつにも知っているか聞いたんです」
「男性は、何と?」
「それが……」
騎士は記憶をたどるように、眉間に皺を寄せた。
「すごく驚いていたんです」
「驚いていた……」
「はい。しかも、そのあと、小さな声で……」
騎士は、少し考えてから口を開いた。
「聞いてた話と違うじゃねえか……って言ってた気がします」
アウラスの表情が、わずかに変わった。
「聞いていた話、か……」
「はい。俺も、何のことだろうとは思ったんですけど……」
その場では、それ以上気に留めなかったらしい。
「そのときの会話を、思い出していてください」
ミエラは、目の前の騎士の目を見つめた。
「――メモリア」
***
記憶の中では、男が露骨に顔をしかめていた。
『は!?魔物!?まじかよ、そんな話聞いてないぜ!?』
その声には、驚きだけでなく、苛立ちも混じっていた。
そして、吐き捨てるように呟いた。
『くそっ、聞いてた話と違うじゃねえか……!』
ミエラは、その表情を目に焼きつけた。
魔物の出現は、男にとって予想外の出来事だったように見えた。
「――レディトゥス」
ミエラは、記憶を離れた。
◇
三人目の新人騎士は、荷物置き場で男を見かけたという。
「戦闘訓練が終わって、食事の準備をする前だったと思います。荷物を置いているところで、あの男が何かを探していたんです」
「何を探していたのか、わかりますか?」
「そこまでは……。俺が『おい、お前。そんなところで何してる?』って聞いたら、探し物って答えたんです」
騎士は、少し眉を寄せた。
「そのとき、なんか変だなとは思ったんですけど……」
「何か、気になることが?」
「ええ。そいつ、俺に話しかけられたとき、妙に慌てていたんです。それで、手に持っていたものを、さっとポケットにしまったような気がして……」
アウラスが尋ねた。
「それは、どんなものだった?」
「すみません。そこまでは、はっきり覚えていなくて……。小さかったとは思うんですが」
ミエラは頷いた。
「大丈夫です。そのときの記憶を、確認させてください」
ミエラは新人騎士と向かい合い、静かに目を見つめた。
「――メモリア」
***
記憶の中には、荷物置き場の光景が広がっていた。
男は、積み重ねられた荷物の間を探るように動いている。
記憶の持ち主が声をかけた。
『おい、お前。そんなところで何してる?』
男は、びくりと肩を揺らした。
『いや、探し物をしててさ』
そう答えながら、男は手元を隠すように動かした。
そして、何か小さなものをポケットへ滑り込ませた。
それは男の手にすっぽりと隠れており、はっきりとは見えなかった。
――そのとき。
(……ガラスの小瓶……?)
小瓶の表面に、光がかすかに反射した。
ミエラは、目を凝らした。
しかし、記憶の持ち主の視線は、男の顔に向けられた。
手元が見えたのは一瞬だけで、何をしまったのかまでは、はっきりとわからなかった。
男は、そのまま何事もなかったかのように立ち去った。
「――レディトゥス」
ミエラは、記憶を離れた。
***
ミエラは、記憶の中の光景を思い返しながら、静かに口を開いた。
「……小さなものを、ポケットにしまっていました」
「それが何だったのかは?」
アウラスの問いに、ミエラは首を横に振った。
「残念ながら、はっきりとは確認できませんでした。ガラスの反射が一瞬見えた気もするのですが……」
「わかりました。ありがとうございます」
アウラスは、三人の騎士に労いの言葉をかけた。
新人騎士たちは、疲れた様子で頷き、医療担当者に付き添われて休息場所へと戻っていった。
◇
「ヴェリさん、少し休みましょう」
そう言うと、アウラスは椅子のそばに跪き、ミエラにそっと手をかざした。
淡い琥珀色の光が、ミエラを包む。
温かな光が身体に染み込むように広がり、記憶をたどるたびに重くなっていた頭が、少しずつ軽くなっていった。
やがて光が消えると、ミエラの顔色もいくらか良くなった。
「ありがとうございます。なんだか、私ばかり助けられてますね」
ミエラが苦笑する。
「ヴェリさんは、ここに着いたときに言ってくれました。自分にできることなら、手伝いますと」
アウラスは、静かに目を伏せた。
「私も同じです。今、自分にできることは、ヴェリさんの負担を少しでも減らすこと。そのためなら、手伝わせてください」
アウラスは、まっすぐにミエラを見つめていた。
その眼差しには、彼女の力になろうとする意志が感じられた。
「ふふっ。ありがとうございます。私たち同じ気持ちってことですね」
「そうですね」
アウラスの表情がゆるむ。
「同志ですね」
ミエラは拳を作り、アウラスに向けて片腕を突き出した。
アウラスは一瞬、その手に目を留めた。
それから、自分も拳を握ると、コツンとミエラの手に軽く触れた。
「……まさか、シュヴァル様が応じてくださるとは思いませんでした」
ミエラが少し意外そうに言うと、アウラスは面白そうに眉を上げた。
「……ヴェリさんから始めたんですよね?」
ミエラは、思わず小さく笑った。
◇
四人目の新人騎士は、これまでの三人とは少し様子が違っていた。
彼は、木陰に置かれた椅子に腰かけていた。
顔色はひどく悪く、額には汗が滲んでいる。
少し前まで吐いていたらしく、口元を押さえながら、ぐったりと背もたれに身体を預けていた。
医療担当者がそばについており、今は落ち着いているものの、まだ無理はできない状態だった。
「本当に大丈夫か?」
アウラスが声をかける。
新人騎士は、力なく頷いた。
「は、はい……。さっきよりは、少し……」
声にも張りがない。
手も震えていた。
その様子を見て、ミエラは心配そうに眉を下げた。
「無理をしないでくださいね」
「……はい」
新人騎士は、かすれた声で答えた。
立ち上がろうとした騎士の身体が、わずかによろめく。
「すみません……足が痺れて、うまく歩けなくて……」
医療担当者がすぐに支え、ゆっくりとした速度で天幕の中へと移動した。
◇
「それでは、訓練中に見かけたという人物について、覚えていることを教えていただけますか?」
向かいの椅子に座る新人騎士に、ミエラが尋ねた。
「ええと……」
新人騎士は、ぼんやりと視線を上げた。
「実は、訓練中に、物陰に隠れているやつを見かけたんです」
「物陰に?」
「はい。なんか、訓練をサボってるみたいで……」
新人騎士は、少しだけ気まずそうに視線を逸らした。
「いいなー、俺も休みたいなー、なんて思いながら、ぼんやり見てたんです」
アウラスは、思わず小さく息を吐いた。
「……訓練中に、そんなことを考えていたのか」
「す、すみません……」
新人騎士は、青白い顔が余計白くなった。
「いや、責めているわけではない。続きを話してくれ」
「はい……」
騎士は、少し考え込むように目を伏せた。
「そいつ、何か手に持っていた気がするんです。でも、何を持っていたのかまでは……。俺も、ぼんやり見ていただけなので」
「わかりました」
ミエラは、穏やかな声で答えた。
「そのときの記憶を、確認させてください」
新人騎士は、ゆっくりと頷いた。
「――メモリア」
二人の意識が、記憶の中へと沈んでいった。
***
目の前に広がったのは、訓練中の光景だった。
訓練に励む騎士たちの背中が並んでいる。
記憶の持ち主は、少し離れた木陰へと視線を向けた。
そこに、一人の男が隠れているのが見えた。
(……あの男だ。)
けれど、徐々に視界全体が灰色のモヤで覆われ始めた。
(……そういえば、サボる男を見て、いいなと思ったと言っていたっけ……)
訓練による疲労に加え、休んでいる男を羨ましいと思う強い感情。
それによって、記憶がぼやけているのだ。
見えてはいる。
しかし、男が何をしているのかは、はっきりと分からない。
ミエラは、意識を集中させる。
「――モアクリア」
灰色のモヤが、ゆっくりと消えていく。
視界が少しずつ、鮮明になった。
男は、周囲を警戒するように辺りを見回していた。
そして、手元に視線を落とした。
何かを持っている。
けれど――。
(……遠くてよく見えない)
ミエラは、呪文を唱えた。
「――ハレリオ」
(もっと近くで見たい)
そう意識すると、男の手元が少しずつ大きく見えるようになった。
指先。
小さな瓶。
そして、瓶の口にかけられたコルク栓。
(……小瓶?)
ミエラは、目を細めた。
男は、周囲をもう一度確認すると、瓶の栓を抜いた。
瓶の中には、ほんの数センチほど、深い緑色の液体が入っていた。
男は、それをじっと見つめた。
すると――。
液体の色が、変わった。
空気に触れた瞬間、緑色だった液体が、ゆっくりと透明になっていく。
ミエラは、目を見開いた。
(……色が変わった?)
男は、再び栓をして、瓶を隠した。
ミエラは、その光景を目に焼きつけた。
(……これは……)
事件の手がかりを見つけたと確信すると、ミエラは小さく唱えた。
「――リバート」
大きく見えていた男の手元が、ゆっくりと遠ざかっていく。
やがて、訓練場の光景が再び視界全体に広がった。
「――レディトゥス」
ミエラは意識を現実へと戻した。
***
現実に戻ったミエラは、ゆっくりと目を開けた。
向かいの新人騎士も、力なく息を吐いている。
「大丈夫ですか?」
ミエラが声をかけると、新人騎士は小さく頷いた。
「は、はい……。ちょっと、疲れましたけど……」
言葉の途中で、彼は口元を押さえた。
「……すみません。まだ、気持ち悪くて……」
「謝らないでください。協力してくださって、ありがとうございます」
ミエラは、新人騎士の顔を見て、優しく微笑んだ。
「あなたの記憶のおかげで、大きな手がかりが見つかりました」
騎士は、ぽかんとミエラを見つめた。
「きっと解決に近づけると思います。どうか、今は無理をしないで、ゆっくり休んでください」
「……っ」
新人騎士の頬が、ほんのりと赤く染まった。
(……自分はただ、訓練をサボっていた男を、ぼんやり眺めていただけだ。)
それなのに。
こんな自分の記憶が、役に立った……!
しかも、目の前の女性は、それを心から喜んでくれているようだった。
「は、はいっ!ありがとうございます!」
先ほどまで青白かった顔に、わずかに生気が戻る。
「僕、これからも頑張ります!」
あまりにも勢いのある返事に、ミエラは目を丸くした。
「えっ?」
けれど、すぐにくすりと笑った。
「ふふっ。頑張るのは素敵なことですけど、まずは体調を治してください」
「は、はいっ!」
新人騎士は、今度こそ勢いよく返事をした。
……とはいえ、顔色はまだ悪い。
頬だけが、妙に赤かった。
アウラスは、そんな二人のやり取りを少し離れた場所から眺めていた。
(…………急に元気になったな)
さっきまで吐いていた男が、今は顔を赤らめて返事をしている。
(……いや、気持ちはわからなくもないが)
そこまで考えて、アウラスは小さく息を吐いた。
(……まったく)
ミエラは、先ほど見た記憶を頭の中で整理していた。
「シュヴァル様」
「はい」
「今の記憶で、小さなガラス瓶を確認しました。男がコルク栓を抜くと、中の液体の色が変わりました」
アウラスの表情が、一気に引き締まった。
「液体の色が変わった……?」
「はい。ただ、あれが何なのか、私にはわかりません」
ミエラは、視線を落とした。
「毒物の可能性もある、ということか……」
アウラスは眉間に皺を寄せ、考え込んだ。
「わかりません。ですが、何かを隠し持っていたことは確かです」
そう告げてから、ミエラはアウラスに向き直った。
「わかりました。医療担当者に、毒物に詳しい者がいないか確認します。必要なら、王都から専門家を呼びましょう」
アウラスは、すぐに近くの騎士へ指示を出した。
「それと、あの男の身元を徹底的に調べろ。参加手続きに関わった者も確認するんだ」
「はっ!」
騎士が駆け出していく。
ミエラは、もう一度、森の奥へと視線を向けた。
木々の間には、訓練に使われた場所が広がっている。
そこに、あの男が隠れていた。
小瓶を手にして。
(……あなたは、一体何をしていたの?)
答えは、まだ見つかっていない。
けれど、ようやく掴んだ手がかりは、事件の核心へと繋がっているように思えた。
ミエラは、胸の奥に残る緊張を感じながら、静かに息を吐いた。
「……まずは、その小瓶の中身を特定する必要がありますね」
アウラスは、険しい表情で呟いた。
「そうですね」
ミエラは、記憶の中で見た光景を思い返した。
男が手にしていた小瓶は、手のひらに収まるほどの大きさだった。
中に入っていた液体は、ほんのわずか。
十センチほどの小瓶の底から、二センチほどの高さまでしか入っていなかった。
けれど、その少量の液体には、明らかに不自然な特徴があった。
コルク栓を抜く前は、濃い緑色をしていた。
それが、栓を開けて少し経つと、液体の色が変わり始めたのだ。
男は、数秒ほどその様子を見つめていた。
すると、濃い緑色は跡形もなく消え、透明な液体へと変わっていった。
(……あの液体は、一体何だったのだろう)
ミエラが考え込んでいると、医療担当者の一人が足早に近づいてきた。
「シュヴァル隊長、少しよろしいでしょうか」
「どうしました?」
「小瓶についてのお話、詳しく聞かせていただけますか。液体の色が変わったというのは、どのような変化だったのでしょう」
ミエラは、記憶の中で見た液体の特徴を、できるだけ正確に説明した。
説明を聞くうちに、医療担当者の表情が変わっていった。
「……まさか」
「何か、心当たりがあるのですか?」
アウラスが尋ねる。
医療担当者は、すぐには答えなかった。
しばらく考え込んでから、慎重に口を開いた。
「その特徴に当てはまる毒物が、ひとつあります」
「毒物……!」
ミエラは、思わず声を上げた。
「はい、非常に珍しい毒物です。実物を目にしたことのある者は、ほとんどいないでしょう」
医療担当者は、周囲を見回してから続けた。
「通常の毒物とは違い、空気に触れることで色が失われ、見た目だけでは発見が難しい性質を持っています。しかも、ごく少量で強い毒性を示すとされています」
「今回の食事にその毒が混入された可能性があるのですか?」
「その可能性が高いです。ですが、その特徴だけで断定することはできません。専門家に確認を取り、症状とも照らし合わせる必要があります」
アウラスは、すぐに頷いた。
「わかりました。可能な限り早く確認してください」
「承知しました」
医療担当者は一礼すると、急いでその場を離れた。
ミエラは、その背中を見送りながら、胸の奥に不安が広がるのを感じていた。
あの小さな瓶に入っていた液体が、本当にそんな恐ろしい毒なのだろうか。
もし、そうだとしたら。
(……早く、あれが何なのか判明してほしい)
今も、野営地のあちこちで騎士たちが苦しんでいる。
一刻も早く、彼らを救いたいと思った。
◇
それから、しばらくして。
医療担当者が、急ぎ足で戻ってきた。
その表情は、先ほどよりも険しい。
「シュヴァル隊長。王都の専門家に確認したところ、毒物の特徴と、騎士たちの症状が一致しました」
「……つまり?」
「今回の食事に混入されたのは、極めて希少な猛毒である可能性が高いとのことです」
ミエラは、息を呑んだ。
「この毒は、摂取すると短時間のうちに嘔吐や下痢、腹痛などの症状が現れます。初期症状だけを見れば、一般的な食中毒と見分けるのは困難です」
医療担当者は、一度言葉を切った。
「しかし、恐ろしいのはその後です」
周囲の空気が、張り詰めた。
「解毒薬を服用せずにいると、徐々に手足の痺れや痒みが現れ、次第に力が入らなくなります。歩行が困難になったり、物を持てなくなったりすることもあります」
医療担当者は、一度言葉を切ると表情を引き締めた。
「そして、二十四時間以上が経過すると、身体の末端から組織の壊死が始まります。皮膚が黒く変色し、症状が進行すれば、命にも関わります」
「……そんな」
ミエラの顔から、さっと血の気が引いた。
(……そういえば、さっきの騎士も足が痺れてうまく歩けないと言ってた……)
もし、毒の正体がわからないまま、時間だけが過ぎていたら。
取り返しのつかない事態に陥っていたかもしれない。
「解毒薬は、すぐに用意できますか?」
アウラスが尋ねた。
「はい。王都の医療施設に保管されているものを、至急こちらへ運ばせます。それまでの間は、症状に応じた処置を続けます」
「わかった。急いでくれ」
「はっ!」
医療担当者が走り去る。
アウラスは、その背中へ視線を向けた。
「……間に合ってくれ」
その声は、いつになく低かった。
ミエラは、ぎゅっと両手を握りしめた。
◇
解毒薬が届いたのは、それから間もなくのことだった。
医療担当者たちは、騎士たちの症状を確認しながら、一人ずつ解毒薬を服用させていった。
「ゆっくり飲んでください。気分が悪くなったら、すぐに知らせるように」
「……はい」
顔を歪めながらも、騎士たちは薬を飲み込んでいく。
すぐに元気になるわけではない。
吐き気や腹痛が残っている者も多く、引き続き、慎重な経過観察が必要だった。
それでも、毒の正体が判明し、解毒薬を服用できたことで、最悪の事態は避けられる見込みとなった。
「これで、ひとまず安心ですね……」
ミエラが呟くと、アウラスは小さく頷いた。
「ええ。ですが、まだ油断はできません。全員の容体が落ち着くまで、医療担当者に任せましょう」
「はい」
ミエラは、改めて周囲を見渡した。
今も苦しんでいる騎士はいるものの、医療担当者たちの動きには、わずかながら落ち着きが戻っていた。
そのとき。
「隊長!」
聞き慣れた声がした。
振り向くと、レオンがこちらへ歩いてくるところだった。
顔色はまだ悪く、足取りにも力がない。
「レオン。まだ休んでいろと言っただろう」
アウラスが眉を寄せる。
「すみません。でも、どうしても確認しておきたいことがありまして……」
レオンは、アウラスの顔をじっと見つめた。
「隊長も、ちゃんと解毒薬を飲んでください」
「……もちろん飲む」
アウラスは、あっさりと答えた。
しかし、レオンは納得しなかった。
「本当ですよ?症状が出ていなくても、隊長だって俺たちと同じで、毒を摂取したんですから」
「わかっている」
「絶対ですよ!」
「……わかったと言っているだろう」
念を押すレオンに、アウラスは少し呆れたように息を吐いた。
そのやり取りを聞いていたミエラは、ふと疑問に思った。
「……え?」
二人を交互に見る。
「シュヴァル様も、毒を摂取していたんですか?」
「ええ」
アウラスは、何でもないことのように頷いた。
「食事は皆と一緒に取っていましたから」
「えっ、でも……」
ミエラは、改めてアウラスを見つめた。
アウラスは、野営地に到着したときから、普段とほとんど変わらない様子だった。
顔色も悪くない。
腹痛や吐き気に苦しんでいる様子もなかった。
「……どうして、シュヴァル様だけ平気なんですか?」
思わず、率直な疑問が口からこぼれた。
アウラスは一瞬、きょとんとした顔をした。
それから、少し考えるように視線を上げる。
「……そうですね。昔から、少し毒に強いところがありまして……」
「毒に強い……?」
「ええ」
アウラスは、言葉を選びながら話し始めた。
「幼少期のことですが、フェルシオ殿下が、毒に慣れるための訓練を受けていたことがありまして。私も、時々それに付き合っていたんです」
「王太子殿下の訓練に、ですか?」
「はい。あの頃は、まさか自分が毒に強いとは思っていませんでしたが」
アウラスは小さく笑った。
「同じものを摂取しても、私のほうが影響を受けにくいことがわかったんです。もちろん、どんな毒でも平気というわけではありません」
「今回、皆さんがあれほど苦しんでいた、猛毒も……?」
ミエラは、まだ信じられないというようにアウラスを見つめた。
「そうですね。私自身も、ここまで差が出るとは思っていませんでした」
そう答えるアウラスの表情には、驚きよりも、どこか考え込むような色があった。
「ただ、昔から毒に強かったというだけでは、今の状況は説明しきれないかもしれませんね」
「……どういうことですか?」
「私は、自分なりに光魔法を探究してきたんです」
アウラスは、自分の手を見下ろした。
「光魔法は、戦闘には向かないと言われています。昔はよく、火や雷、氷のような攻撃魔法に憧れていました。もっと強力な攻撃魔法が使えたらと思っていたものです」
ミエラは、意外そうに目を瞬いた。
「シュヴァル様でも、そんなことを思っていたんですか?」
「もちろんです」
アウラスは、苦笑した。
「ですが、使えない魔法を羨んでいても仕方がありません。自分が使える光魔法に、どんな可能性があるのか。そう考えて、独学で試行錯誤を重ねてきました」
アウラスは、腰につけた剣へ視線を落とした。
「今では、剣に光魔法をまとわせて強化したり、光の膜を張り、そこに防水や防音の効果を持たせたりできます。まだ、攻撃魔法はうまくいきませんが」
「……すごいですね」
ミエラは、素直に感嘆の声を漏らした。
与えられた魔法を使うだけではなく、その性質を理解し、自分なりに工夫してきたのだ。
「毒への耐性についても、体内に入った異物をどうやって光魔法で無効化していくか。まだ、詳しい仕組みを完全に解明できているわけではありませんが、自分なりに毒への耐性を高めてきました」
「そうだったんですね……」
ミエラは、改めてアウラスを見つめた。
剣術に優れ、冷静な判断力を持ち、周囲への気配りも忘れない。
そのうえ、自分の魔法を独学で磨き続けてきたのだ。
(……努力家)
そんな思いが、胸の中に静かに広がった。
「なら、シュヴァル様も、絶対に解毒薬は飲んでおくべきですね」
ミエラは、きっぱりと言い切った。
その隣で、レオンが勢いよく頷く。
「そうです! だから俺も同じことを言ったんです!」
「……わかったから」
「隊長が解毒薬を飲んだら、休みます!」
「……まったく」
アウラスは、困ったように息を吐いた。
「大丈夫だ。きちんと服用する」
そう答えると、ミエラは安心したように微笑んだ。
「よかったです」
その笑顔を見て、アウラスは小さく頷いた。
「ご心配をおかけしました」
「いえ。皆さんが無事で、本当によかったです」
ミエラは、改めて野営地を見渡した。
まだ、すべてが終わったわけではない。
毒を混入した男の行方もわかっていない。
けれど、少なくとも、騎士たちの命を脅かす危機は回避できた。
ミエラは、胸の奥に残っていた緊張を、ゆっくりと吐き出した。
誰が、何のために、どうやって、これほど希少な毒を用意したのか。
その答えは、まだ闇の中だった。
「引き続き、捜査を進めます。今回の件は、必ず明らかにします」
アウラスの言葉に、ミエラは静かに頷いた。
「私にできることがあれば、また協力します」
「ありがとうございます。そのときは、よろしくお願いします」
そう言って微笑むアウラスに、ミエラも微笑み返した。
◇
ミエラが帰り支度を終えて、天幕を出たときだった。
「ミエラさん!」
前から、明るい声が飛んできた。
顔を向けると、まだ顔色こそ万全ではないものの、先ほどよりは元気を取り戻したレオンが駆け寄ってきた。
「今回は、本当にありがとうございました!おかげで助かりました!いや、今回も、か!」
レオンは笑いながら言った。
「いえ。皆さんが無事で、本当によかったです」
「はい、俺もそう思います!」
レオンはにこにこと笑ったあと、ふと思い出したように手を打った。
「そうだ。よかったら今度、お礼に一杯奢らせてください!」
「えっ?」
思いがけない申し出に、ミエラは目を瞬かせた。
「そんな、お礼なんて。私は仕事をしただけですから」
「いやいや、俺たちとしては命を救ってもらったようなもんですから!ぜひ!」
勢いよく言い切るレオンに、ミエラは困ったように笑った。
「……では、機会があれば」
「もちろんです!」
レオンは嬉しそうに頷いた。
そして、何気ない様子で尋ねる。
「ところで、ミエラさんって普段、どの辺りのお店に飲みに行くんですか?」
「私ですか?そうですね……。王都の東門の近くにある『女神のほほえみ』というお店に行くことが多いです」
「へえ!どんなお店ですか?」
「そんなに大きなお店ではないんですけど、お料理もおいしいですし、女性の店主さんが良い方で、落ち着いて飲めるんですよ」
「なるほど……!」
レオンは、ふんふんと頷きながら、店の名前と場所をしっかり頭に刻み込んだ。
――よし。今度、隊長を誘ってみよう!
ミエラさんの行きつけなら、きっと隊長も来てくれるはず。
そうすれば、普段は仕事ばかりの隊長だって、少しくらい息抜きになるだろう。
うん。我ながら、いい考えだ。
レオンは、心の中でひとり満足げに頷いた。
アウラスは、ミエラとレオンが話しているのに気づくと、二人のもとへ歩み寄った。
「王都までお送りします。歩いて帰るには遠すぎますから」
アウラスの言葉に、ミエラは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます。助かります」
「馬車を用意しました。こちらへ」
アウラスは、ミエラを馬車まで案内した。
「それでは、失礼します。皆さん、お大事になさってください」
ミエラは騎士たちに挨拶をすると、馬車へと乗り込んだ。
馬車がゆっくりと走り出す。
その姿が見えなくなると、アウラスは天幕へ戻ろうとした。
「隊長!」
「……何だ?」
レオンが突然、声をかけてきた。
「今度、飲みに行きませんか?」
「急だな」
「たまにはいいじゃないですか!ほら、最近ずっと忙しかったですし!」
あれこれと理由をつけるレオンに、アウラスは目を細めた。
「……考えておく」
「ありがとうございます!」
即答ではなかったものの、断られなかった。
レオンは内心で、ひそかに拳を握った。
――よし。第一段階は突破だ!
あとは、隊長をあの店に連れていくだけ。
その先のことは……まあ、行ってから考えればいいや。
レオンは満面の笑みを浮かべた。
◇
王都の一角にある、とある男の執務室。
ダンッ!!
テーブルを叩く音が、室内に響き渡った。
「結局、あやつの株を上げることになったではないか!」
「みたいですね。騎士団内では、たった一人で魔物を討伐し、新人騎士たちを守り抜いたとして、すっかり『憧れの騎士』扱いされているようですよ」
相手の男は、面白がるように肩をすくめた。
「うるさい!誰のせいでこうなったと思っている!」
「いやいや、俺のせいじゃないですよ。俺は指示された通りに、薬を鍋に入れましたし」
「うるさいと言っている!」
男の顔が怒りに歪む。
「それに、俺だってびっくりしたんですよ。魔物だなんて、一切聞いてなかったですし」
相手の男は不満げに眉を寄せた。
「あ、約束の金は払ってくださいよ。こっちは仕事をしたんですから。魔物の分の危険手当も、ちゃんと入れてくださいね」
「……っ!」
男は忌々しげに引き出しを開け、取り出した札束をテーブルに叩きつけた。
「ほら、持っていけ!」
「あいよ、毎度あり〜」
報酬を受け取った男は札束を懐にしまうと、鼻歌交じりに執務室を出ていった。
扉が閉まる。
残された男は、しばらく無言でその扉を睨みつけていた。
「忌々しい……シュヴァルの小僧が」
拳を、ぎりりと握りしめた。
「次こそは……」




