第4話 失われた回復薬
王宮の一角にある、回復薬の保管庫。
その日、保管庫の担当者がいつものように回復薬の点検を行っていたところ、異変が見つかった。
「……おかしい」
老人は、手にした回復薬の小瓶を光にかざした。
見た目に変わったところはない。
しかし、効力を確かめるために行った検査では、期待した反応が得られなかった。
別の小瓶を手に取り、同じように確認する。
こちらも、効力が失われていた。
「まさか……」
念のため、保管されている回復薬をいくつか確認してみる。
すると、問題のないものもあれば、効力を失っているものもあった。
一部の回復薬が使えなくなっている。
老人は、しばらく手元の小瓶を見つめていた。
長年、回復薬の管理を任されてきたが、このようなことは初めてだった。
いったい、何が起きたのだろうか。
その日のうちに、異変は王太子フェルシオの耳にも入った。
◇
「……というわけで、少々困ったことになってな」
王宮にある、フェルシオの執務室。
フェルシオはソファに腰掛け、向かいに座るアウラスに説明した。
「回復薬の効力が失われた、ですか」
「ああ。幸い、今のところ実害はない。だが、原因がわからないままでは、今後も同じことが起こりかねない」
「保管状況に問題があったのでしょうか?」
「それが、管理を任せている者は長年この仕事をしているベテランでね。本人も原因がわからず、困り果てているらしい」
フェルシオは少し考え込むようにしてから、アウラスを見た。
「お前も知っているだろう?あの老人だよ」
「ああ……!」
アウラスの表情がわずかに変わった。
幼い頃から王宮に出入りしていた彼にとって、その老人は身近な存在だった。
王太子とともに、何度も世話になった記憶がある。
「第二部隊が調査を担当している。お前も少し力を貸してくれ」
「……承知しました。私も一度、様子を見てきます」
「頼んだ。お前が行ってくれれば、彼も少しは気が楽になるだろう」
「どうでしょうか」
そう答えながらも、アウラスの表情はわずかに和らいでいた。
「まずは原因の究明ですね」
アウラスは静かに答える。
フェルシオは書類を置き、アウラスへと視線を向けた。
「ああ。そこでだ、例の記憶鑑定士には、もう一度協力を頼めそうか?」
「……はい。必要であれば、お願いしてみます」
「頼んだぞ」
「承知しました」
アウラスは一礼すると、執務室を後にした。
◇
ここは、王都東門のすぐ近くにあるルクス診療所。
診療時間外の今、ミエラはゆったりとした時間を過ごしていた。
(今日も記憶鑑定の予約はなしっと……まあ、急な来訪者がなければ……ね)
ここ最近、ミエラの周りは少し変わっていた。
突然訪ねてきて、記憶鑑定を依頼する騎士が現れたからである。
(……今日も、あの人が来ませんようにっと)
ミエラがそんなことを思っていると、診療所のドアがギィッと音を立てて開いた。
ドアの隙間から現れたのは、金色の髪に騎士団の制服をまとった青年だった。
今しがたミエラが考えていた人物である。
「こんにちは」
青年はミエラと目が合うと、さわやかに挨拶をした。
「……シュヴァル様」
ミエラはジト目でアウラスを見た。
「お久しぶりです、ヴェリさん」
アウラスは、にこやかな笑顔を向ける。
その後ろには、年配の男性が立っていた。
「……今回は、何のご用件でしょうか」
ミエラは、ため息交じりに尋ねた。
「本日も、お願いしたいことがありまして」
ミエラの反応を気にした様子もなく、アウラスは笑顔で答える。
「……また、記憶鑑定ですか?」
「はい」
ミエラは、思わず小さく息を吐いた。
(王宮って、よく事件が起きるところね)
今日はゆっくりできると思っていたのに。
もっとも、困っている人がいるのなら、引き受けないという選択肢はない。
ミエラは、アウラスの後ろにいる老人をちらりと見た。
「わかりました。お話を伺います」
ミエラは二人を鑑定室へと案内した。
◇
「一部の回復薬の効力が、失われてしまったのです」
事情を説明し始めたのは、同行してきた老人だった。
「わしは長年、王宮の保管庫で回復薬の管理を任されております。ですが……このようなことは初めてです」
老人は、困ったように眉を下げた。
「不備があってはならないと、日頃から気をつけて仕事をしておりましたが、それでも、今回のようなことが起きてしまいました」
「なるほど……」
ミエラは頷きながら話を聞いていた。
「では、まず、回復薬の異常に気づいたときのことを教えていただけますか?」
「異常に気づいたのは、昨日の点検のときです。月に何度か、回復薬の効力が保たれているか確認をするのです。昨日も、いつものように確認していたのですが、効力が失われているものを見つけました」
老人は肩を落としながら話した。
「その前に、回復薬を点検されたのはいつでしょうか?」
「その前日です。補充作業をしたのです」
「わかりました。では、まず昨日の点検と、その前日の作業の記憶から拝見します。そこで手がかりが見つからなければ、さらに前の記憶を確認させてください」
「承知しました」
老人は、静かに頷いた。
「それでは、まず昨日の点検の記憶を、できるだけ具体的に思い出してください」
老人が記憶をたどり始めたのを確認してから、ミエラはその目を見つめた。
「――メモリア」
その瞬間、二人の意識は、現実の世界から切り離された。
***
目の前に、見慣れない保管庫の光景が広がる。
けれど、その景色には、全体的に薄く白いモヤがかかっていた。
「――クリア」
ミエラは視界を鮮明にすると、老人の視界に沿って周囲を確認した。
老人は木箱の中から回復薬を一本ずつ手に取り、特殊な光を当てて状態を確認していた。
いつもと変わらない、丁寧な作業だった。
ミエラは老人の視点に沿って、その様子を注意深く観察する。
けれど、異変につながるような手がかりは見つからなかった。
(……特に気になることはない、か……)
*
次に、ミエラは一昨日の作業の記憶を探すことにした。
「――アルカイブ」
呪文を唱えた瞬間、周囲の景色が一変した。
視界いっぱいに、巨大な本棚がそびえ立っている。
どこまでも高く伸びる本棚は、見上げても頂上が見えない。
棚には、一冊一冊に日付が記された手帳が整然と並んでいる。
ここは、記憶保持者の脳内にある、すべての記憶が保管された空間。
古い記憶ほど高い位置に、新しい記憶ほど低い位置に並んでいる。
ミエラは手近な棚に目を向けた。
そこには、直近の日付が記された手帳が並んでいる。
一昨日の記憶も、すぐに見つかった。
ミエラはその一冊を手に取り、静かに開いた。
手帳の中から記憶の光が溢れ出す。
ミエラは、その光に包まれた。
光が収まると、目の前には無数のシャボン玉のようなものが浮かんでいた。
一昨日の記憶たちだ。
人と話した記憶。
食事をした記憶。
仕事をした記憶。
その日、老人が経験したさまざまな出来事が、それぞれのシャボン玉の中に収められている。
ミエラは、無数の記憶を見渡した。
この中から、保管庫で作業をしていた記憶を探し出さなければならない。
ひとつずつ確認していては、時間がかかりすぎてしまう。
ミエラは意識を集中させた。
「――ロケイト」
場所を手がかりに、記憶を絞り込む。
すると、無数に浮かんでいたシャボン玉の中から、保管庫に関係する記憶だけが残った。
ミエラは、残ったシャボン玉をひとつずつ見比べた。
やがて、その中のひとつに目を留める。
「……これね」
そっと指先を伸ばし、触れる。
次の瞬間、シャボン玉が弾けるように広がった。
溢れ出した光がミエラの全身を包み込み、周囲の景色を塗り替えていく。
再び目を開けたとき、目の前には保管庫の光景が広がっていた。
ミエラは、まず記憶を鮮明にするために呪文を唱えた。
「――クリア」
薄くかかっていた白いモヤが晴れ、周囲の様子がはっきりと見えるようになった。
老人は棚の前で、大きな木箱を運び出していた。
それをテーブルの上に置く。
木箱を開けると、中にはたくさんの回復薬が保管されていた。
隣には、小さな木箱に入った回復薬もある。
老人は小さな木箱から回復薬を取り出し、大きな木箱へと補充していった。
いつもの補充作業だ。
作業は滞りなく進んでいた。
そのとき、老人を呼ぶ声がした。
老人は手を止め、作業中の木箱の蓋をきちんと閉めた。
そして、保管庫を後にした。
保管庫の外に出ると、一人の男性が待っていた。
老人はその男性と一緒に、別の部屋に入った。
しばらくして、ようやく二人の話し合いが終わった。
老人は男性の部屋を後にすると、急ぐように保管庫へと戻った。
保管庫のドアを開ける。
部屋の中は暗く、老人は少し驚いたように、きょろきょろと周囲を見回した。
老人は壁際にある追加の照明をつけると、壁の時計に目を向けた。
思いのほか時間が経っていたことに気づいたのだろう。
老人は慌てた様子で作業台へと向かった。
すると、部屋全体に、薄い灰色のモヤがゆっくりと広がり始めた。
白いモヤとは違う。
記憶の輪郭を曇らせるような、灰色のモヤ。
(……何かが感情を支配していた……焦り?)
ミエラは、老人の記憶を注意深く観察した。
人は、強い感情に意識を奪われていると、目の前の出来事を十分に記憶できないことがある。
これまでの記憶鑑定でも、強い感情に意識を奪われた記憶には、灰色のモヤが現れていた。
ミエラは、そのことを思い出した。
意識を集中させる。
「――モアクリア」
灰色のモヤが薄れていく。
やがて、保管庫の様子が鮮明になった。
老人は作業を再開しようと、急いで木箱を開けた。
しかし、その手が一瞬だけ止まった。
老人は木箱の蓋を少し見つめたものの、すぐに何事もなかったかのように作業を再開した。
(……今の間は、なに……?)
ミエラは、わずかな引っかかりを覚えながらも、その理由を見つけられずにいた。
老人の作業を最後まで見届けてから、ミエラは意識を現実へと戻す。
「――レディトゥス」
***
ミエラはゆっくりと目を開けた。
老人もまた、ゆっくりと意識を取り戻す。
「……何か、わかりましたか?」
アウラスが二人の様子をうかがいながら尋ねた。
「一昨日の作業中に、どなたかに呼ばれて、保管庫を空けていますよね?」
ミエラは老人に視線を向けた。
「ええ、そうです。なかなか話が終わらず、ようやく保管庫に戻れた頃には、すっかり日が傾いておりました」
老人は、困ったように眉を下げた。
「早くその日の作業を終わらせなければと思い、急いで作業に戻ったのです」
「保管庫に戻られたとき、何か気になることはありませんでしたか?」
「気になること、ですか……?」
老人は、思い当たることがないか考えるように、視線を落とした。
「……作業を再開しようと蓋を開けた直後、一瞬だけ手が止まっていたんです。何か違和感を覚えて、蓋を見つめたように見えたのですが……」
「…………」
老人は記憶をたどるように、きつく目を閉じた。
「回復薬の木箱に、何か異常があったのでしょうか?」
アウラスがミエラに尋ねた。
「いえ、まだわかりません。私の勘違いかもしれませんし……」
ミエラも考え込んだ。
「……申し訳ありません。なにぶん、あのときは急いでおりまして。戻ってきたときのことは、あまり覚えていないのです」
老人は申し訳なさそうに答えた。
「そうですか……」
ミエラは、しばらく考え込んでいた。
老人が保管庫を出るとき、木箱の蓋は確かに閉じられていた。
戻ってきたときも、蓋は閉じられていた。
(……でも、老人は何か違和感を覚えた……?)
だから、一瞬だけ手が止まったのではないか。
そして、蓋を見つめた。
(……蓋に、何か異常があったのだろうか)
考えてみても、今の段階では答えが出ない。
ミエラは一度顔を上げ、気持ちを切り替えた。
「……では、一昨日よりも前の管理状況にも問題がないか、確認させてください。三日前にも作業はされていますか?」
「はい、しております。在庫の確認作業をいたしました」
「そのときの記憶も、拝見してよろしいでしょうか?」
「もちろんです。お役に立てるのであれば、いくらでも」
「ありがとうございます。では、三日前に在庫を確認されたときのことを思い出していただけますか?」
老人は静かに目を閉じ、記憶をたどった。
老人が目を開け、準備が整ったのを確認してから、ミエラは再び老人の目を見つめる。
「――メモリア」
意識が、再び老人の記憶へと沈んでいく。
***
目の前に、三日前の保管庫の光景が広がった。
ミエラは、記憶を鮮明にするために呪文を唱える。
「――クリア」
全体的にかかっていた薄い白いモヤが晴れ、周囲の様子がはっきりと見えるようになった。
老人は棚から大きな木箱を運び出し、中に並ぶ回復薬の数を一本ずつ確認していた。
残りの本数を確かめ、帳簿に記録していく。
補充が必要だと判断すれば、申請書を作成する。
その手つきに迷いはなく、長年この仕事を続けてきたことがうかがえた。
ミエラは作業の様子を観察しながら、保管庫の中にも目を向けた。
棚は整然と並び、回復薬の入った木箱も、決められた場所に収められている。
特に異常は見当たらなかった。
老人は在庫の確認を終えると、申請書を手に保管庫を後にした。
少なくとも、この記憶からは、異変につながるような手がかりは見つからない。
「――レディトゥス」
ミエラは、静かに意識を現実へと引き戻した。
***
「……今のところ、はっきりとした手がかりは見つかりませんでした」
ミエラは目を開けると、向かいに座る老人へ告げた。
「そうですか……」
老人は、残念そうに息を吐いた。
昨日の点検にも、一昨日の作業にも、そして三日前の在庫管理にも、決定的な手がかりは見つからなかった。
ただ、一昨日の記憶には、気になる点が残っている。
老人が戻ってきたとき、木箱の蓋を見つめて手を止めたこと。
(……あれは、何だったのだろう)
ミエラは、もう一度その場面を思い返した。
実際の保管庫を確認できれば、何か手がかりが見つかるかもしれない。
そう考えたものの、ミエラはすぐには口を開けなかった。
王宮の一角にある保管庫だ。
依頼を受けているとはいえ、ミエラは騎士団の人間でも、王宮に仕える者でもない。
簡単に立ち入れる場所ではないことくらい、わかっていた。
それでも、ここで調査を終えるわけにはいかない。
「あの……」
ミエラは、少しためらいながら口を開いた。
「可能であれば、実際の保管庫を見せていただきたいのですが……」
言い終えてから、ミエラはアウラスの反応をうかがった。
無理なお願いかもしれない。
そう思っていたミエラに、アウラスは静かに頷いた。
「わかりました。私が手配します」
「……よろしいのですか?」
「もちろんです。原因を探るために必要なことですから」
迷いのない返答に、ミエラは少しだけ目を見開いた。
「ありがとうございます」
「いえ。こちらこそ、引き続きご協力をお願いいたします」
そう答えたアウラスは、老人へと視線を向けた。
「保管庫の確認にあたり、ご協力をお願いします」
「もちろんでございます」
老人は、深々と頭を下げた。
◇
翌日。
王宮にある回復薬の保管庫。
アウラスの手配により、ミエラたちは内部を確認できることになった。
保管庫の中は、随分と薄暗かった。
老人が部屋の明かりをつける。
「ここで、回復薬の管理を行っております」
老人は、室内を案内しながら説明を始めた。
「回復薬は、このように大きな木箱に入れて保管しております。点検の際には、一本ずつ取り出して状態を確認しているのです」
「箱に付いている絵柄は何ですか?」
種類を見分けるためのものだろうか。
ミエラは、木箱の側面に描かれた小さな絵柄を指した。
木箱には、それぞれ異なる絵柄が描かれている。
蓋と本体が正しい位置で合わさると、一つの絵柄が完成する仕組みになっていた。
「これは、蓋がどの木箱のものか、迷わないための目印です」
老人が説明する。
「ずいぶん昔のことになりますが、あるとき、作業中に木箱の蓋をたくさん開けすぎて、どの木箱の蓋かわからなくなり、大変な思いをしたことがありましてな」
「木箱の大きさは、どれもほとんど同じなのですが、手作りのものゆえ、別の蓋をはめようとしても、うまくはまらないのです」
「どの木箱の蓋なのか、また、蓋の上下左右の向きも、この目印があれば一目でわかるのです」
老人は、少し懐かしそうに笑った。
「なるほど」
ミエラは、もう一度、棚に並ぶ木箱の絵柄を見た。
「もうずいぶん長い間、この仕事をさせていただいております。仕事にも慣れておりますし、どこに何があるのかは、ほとんど把握しております」
老人は、少し誇らしげに話した。
ミエラは、室内をゆっくりと見回した。
棚の配置。
箱の位置。
窓の場所。
そして――。
「……あそこだけ、日が当たっているんですね」
床の一角に、細長い光が差し込んでいた。
保管庫の中で、そこだけが明るく照らされている。
「ずいぶんと暗い場所だと感じたのは、日光がほとんど入らない部屋だからなんですね」
ミエラが周囲を観察しながら呟いた。
「回復薬は日光に弱く、数分間でも日光にさらされると、効力が失われてしまうのです。ですので、この保管庫は日光が入りにくい造りになっております。唯一、あの窓から日光が入るのですが、作業中は必ずカーテンを閉め、陽の光が入らないように気をつけて管理をしております」
老人が説明した。
「……ここは、わしのお気に入りの場所でしてな」
老人は、暖かみのある木目調のテーブルを手でなぞりながら、穏やかに笑った。
「ここに日が差す時間があるのですが、それがわしのささやかな楽しみなのです」
「そうなんですね」
「わしは、あえてこの場所で作業をすることが多いのです。あ、もちろん、カーテンは閉めておりますし、回復薬に陽の光が当たることは絶対にありません。陽の光が差し込む場所の温もりを感じながら作業をするのが好きなのです」
ミエラは、陽の光が差し込んでいる場所を見つめた。
「このテーブルに陽の光が差し込むのは、毎日何時ごろなのですか?」
ミエラは老人に尋ねた。
「何時と言われますと……そうですな。日が傾いてからですので、午後から夕方前にかけてでしょうな」
老人は考え込みながら答えた。
――日光に弱い回復薬。
――陽の光が入る窓。
――木箱の絵柄。
(……あれ?)
ミエラは、何かに気づきそうだった。
けれど、それが何なのかは、まだはっきりしない。
ミエラは考え込んだ。
(……もう一度、あのときの記憶を確認できれば)
実際の保管庫と記憶とを照らし合わせることで、昨日は見つけられなかった手がかりが見つかるかもしれない。
「あの……シュヴァル様」
意を決して、ミエラは口を開いた。
「はい」
「こちらでもう一度、記憶鑑定をさせていただいてもよろしいでしょうか」
「……え? 今、ここで、ですか……?」
アウラスは、急な提案に驚いた。
「はい」
ミエラは、真剣な眼差しでアウラスを見つめた。
その瞳は、青紫色に光り輝いていた。
「…………」
アウラスは考え込んだ。
「……こちらとしては問題ありませんが、ミエラさんとしては大丈夫なのでしょうか?」
アウラスはミエラを見つめた。
ミエラはそんなアウラスの視線を感じて、少しだけ顔を逸らした。
「……もしかしたら、お気づきかもしれませんが、私は基本的に、記憶鑑定は診療所でしか行っていません。診療所以外で記憶鑑定をするのは、今回が初めてになります」
アウラスは黙ってミエラを見つめる。
「なので……」
ミエラは、再びアウラスに向き直り、言葉を続けた。
「……私が記憶鑑定をしている間、シュヴァル様が私たちを、見守っていてくれませんか?」
「……!」
アウラスは、一瞬言葉を失った。
無防備になる自分たちを守ってほしいと、ミエラは自分を頼ってくれた。
アウラスは、ミエラが自分を信頼してくれたことが素直に嬉しかった。
「……もちろんです」
アウラスは、静かに頷いた。
「私が責任を持って、お二人を見守ります」
アウラスの瞳が、かすかに輝いた。
「ありがとうございます」
ミエラは、ほっとしたように微笑んだ。
そして、老人へと向き直る。
「もう一度、お願いできますか?」
「ええ。わしにできることなら、何でもいたします」
老人は、迷いなく答えた。
ミエラは、保管庫の中に置かれた椅子を確認した。
老人と自分が向かい合って腰掛けられるよう、位置を整える。
二人が腰を下ろすと、アウラスはすぐそばで見守る位置についた。
「それでは、もう一度、記憶の中へ入ります」
ミエラは、老人の目を見つめた。
「――メモリア」
***
老人は、小さな木箱を抱えて歩いていた。
ミエラは、記憶を鮮明にするために呪文を唱えた。
「――クリア」
視界全体がはっきりと見えるようになった。
老人は保管庫に着くと、薄暗い室内に入り、まず部屋の明かりをつけた。
そして、持ってきた木箱をテーブルの上に置いた。
慣れた手つきでカーテンをしっかりと閉める。
老人は、小さな木箱から回復薬を取り出すと、大きな木箱への補充作業を始めた。
小瓶を一本ずつ点検し、記録をつけながら補充していく。
その手つきに、迷いはない。
そのとき、外から声がかかった。
『すみません、少しよろしいでしょうか』
老人は顔を上げた。
『はい、今参ります』
老人は、回復薬の入った木箱の向きを確かめ、蓋をしっかりと閉めた。
(……絵柄は……合わさっている)
ミエラは、蓋と木箱の側面に描かれた目印を確認した。
絵柄は、きちんと一つにつながっていた。
老人は、保管庫を出ていった。
男性との話が終わると、老人は急ぎ足で保管庫へと戻った。
老人が扉を開ける。
室内は、思っていた以上に暗くなっていた。
部屋の中は暗く、老人は少し驚いたように、きょろきょろと周囲を見回した。
そのときだった。
視界の端に、窓が映った。
カーテンが開いている。
ミエラは、思わず目を見開いた。
(……カーテンが、開いている?)
日はすでに傾き、窓からは光が差し込んでいなかった。
けれど、カーテンは確かに開いていた。
老人が保管庫を出る前には、カーテンは閉まっていたはずだ。
それなのに、戻ってきたときには開いていた。
(私としたことが……!)
どうして先ほどは気づかなかったのだろう。
ミエラは動揺した。
(……落ち着こう……悔やんでも仕方ない。)
気持ちを落ち着かせ、老人の記憶に意識を集中させる。
老人は、壁際にある追加の照明をつけると、壁の時計に目を向けた。
『……もう、こんな時間か』
思いのほか時間が経っていたことに気づいたのだろう。
『いかん、早く今日の分を終わらせなければ』
老人は慌てた様子で作業台へと向かった。
(確かこのあたりから、焦りが生じて記憶が曖昧になるのよね)
ミエラがそう思ったと同時に、記憶全体に灰色のモヤがかかり始めた。
ミエラは意識を集中させた。
「――モアクリア」
視界が鮮明になる。
老人は木箱を開けるため、視線を木箱へと向けた。
その瞬間、ミエラはあることに気づいた。
(……絵柄が、合わさっていない……!)
蓋に描かれた目印と、木箱の側面に描かれた目印。
本来なら一つにつながるはずの絵柄が、ずれていた。
蓋は閉じられている。
けれど、正しい向きではなかった。
老人は、木箱の蓋を開けた。
その手が、一瞬だけ止まる。
老人は蓋を見つめたものの、すぐに作業を再開した。
(……そうか。蓋の向きが、いつもと違っていたから……)
だから、一瞬だけ手が止まったのだろう。
ミエラは、確信した。
老人が保管庫を離れる前と、戻ってきたときとでは、木箱の状態が変わっていた。
(……カーテンが開いていた)
そして、木箱の蓋も、正しい向きではなくなっていた。
どちらも、老人が保管庫を離れている間に起きたことだ。
(……手がかりになるかもしれない)
「――レディトゥス」
ミエラは、意識を現実へと戻した。
***
「……ヴェリさん?」
すぐそばから、アウラスの声が聞こえた。
ミエラは一度瞬きをしてから、二人を見た。
「……保管庫に戻られたとき、窓のカーテンが開いていました」
「なんですと!」
老人が、驚いたように声を上げた。
「わしが戻ったときには、すっかり暗くなっておりましてな。急いで作業を再開したことは覚えておるのですが……」
老人は、思い返すように眉を寄せた。
「カーテンが開いていたとは……気づきませんでした」
老人は、がっくりと肩を落とした。
「……それと」
ミエラは、少しためらいながら口を開いた。
「蓋が、本来の向きとは違う状態で閉められていました」
「どういうことですか?」
アウラスが、思わず尋ねた。
「先ほど教えていただいた、木箱の絵柄です。部屋を出る前はきちんと合わさっていたのですが、戻ってきたときには、ずれていたんです」
老人は、ヒュッと小さく息を吸い込んだ。
「……なんと……なんてことじゃ……」
老人は、そのまま頭を抱えてしまった。
ミエラは、改めて窓を見た。
もし、老人が保管庫を離れている間にカーテンが開いていたのなら。
そして、木箱の蓋の向きも変わっていたのなら。
「……回復薬が、日光にさらされた可能性がある、か」
アウラスが静かに呟いた。
「ただ、誰かが故意にカーテンを開けたのか、それとも不慮の事故なのか。それは断定できませんね」
「はい。私が確認できたのは、あくまで、ご老人が戻られたときの記憶だけですから」
ミエラは、慎重に言葉を選んだ。
老人は、やがて小さく息を吐いた。
「……そうですか。わしが保管庫を留守にしている間に……」
「まだ、可能性の段階です」
アウラスが、静かな声で言った。
ミエラは、二人のやり取りを見つめていた。
手がかりは見つかった。
けれど、まだ真相には届いていない。
誰かが故意にカーテンを開け、木箱の蓋も開けたのか。
それとも、事故だったのか。
今の段階では、判断できなかった。
◇
保管庫を出ようとしたとき、廊下の向こうから声が聞こえた。
「……まだ調査を続けていたのですか」
振り向くと、騎士の制服を着た男が立っていた。
この事件の調査を担当する、騎士団第二部隊の隊長、セドリック・モンフォールである。
ミエラは、保管庫のドアの陰に隠れるように、少し身を引いた。
セドリックは、老人へと視線を向けた。
「管理を任されていた以上、責任を問われるのは当然でしょう。……長年務めてこられたとはいえ、そろそろ後進に道を譲る時期だったのではありませんか」
口調は丁寧だった。
しかし、その言葉には、老人を気遣う様子が感じられなかった。
「……申し訳ございません」
老人は、深く頭を下げた。
「おい、セドリック」
アウラスが口を開いた。
「原因も判明していない段階で、そこまで言う必要はないだろう」
セドリックは、アウラスへと向き直った。
「これは第二部隊が担当している案件です。第一部隊の隊長であるあなたが、そこまで口を挟む必要はないと思いますが」
「担当がどちらの部隊であろうと、原因を調べることに変わりはありません」
アウラスは、落ち着いた声で答えた。
「管理責任については、調査の結果を踏まえて判断すべきでしょう。今は、原因を明らかにすることが先決です」
「……なるほど。おっしゃりたいことは理解しました」
セドリックは、薄く笑った。
「では、調査の進展を期待しております」
そう言い残すと、彼は一瞬ミエラに視線を向けたが、足を止めることなく廊下の向こうへと去っていった。
(……高慢な感じの人……)
ミエラは、その背中を見送りながら小さく息をはいた。
そして、隣に立つアウラスへと視線を向けた。
(……それに比べると……)
ふと、思ったことが口をついて出た。
「……シュヴァル様は、見た目と中身にギャップがありますよね」
「……え?」
アウラスが、意外そうに瞬きをした。
二人の視線がぶつかる。
「……それは、いい意味ですか?」
「いい意味で言っているつもりですけど……」
(……あれ?伝わっていない?)
ミエラは、小さく咳払いをした。
「ええと……シュヴァル様は、端正なお顔立ちですし、背も高くて、鍛え抜かれた体格をされていますよね。自信に満ちた、近寄りがたい印象を受ける方もいると思います」
「……」
アウラスは何も言わず、ミエラの言葉に耳を傾けていた。
「でも、初めてお会いしたときも、今回も……困っている人がいたら放っておけない、でしょう?」
ミエラは、少しだけ表情を和らげた。
「自分に利益がなくても、誰かが困っていたら、どうにかして助けようとする。相手の気持ちもきちんと考える。……そういう、優しい方だと思います」
ミエラは少し頷きながら話す。
「だから、見た目と中身にギャップがある方だな、と」
言い終えてから、ミエラは少し気恥ずかしくなった。
(……いや、私、何をこんなに力説してるの……!?)
思いのほか熱心に語ってしまったことに、ミエラは内心、頭を抱えた。
「…………」
アウラスは、ふいに視線を落とした。
唇をきゅっと結び、気恥ずかしそうに首の後ろを人差し指で掻く。
耳の先が、ほんのり赤くなっていた。
普段なら、相手の言葉の意図をすぐに読み取り返答するアウラスが、今は何も返せずにいる。
ミエラは、そんなアウラスの様子を不思議に思い、首を傾げた。
「……シュヴァル様?」
「……昔、ある人に言われたことがあるんです」
アウラスが、ぽつりと口を開いた。
「ある人、ですか?」
「ええ。十歳の頃に出会った人なのですが」
その声は、先ほどまでよりも少し柔らかかった。
アウラスは懐かしむように目を細めた。
「家柄を自慢するのではなく、自分自身の努力で認められる人間になれ、と言われました」
ミエラは、黙って耳を傾けた。
「困っている人がいたら、手を差し伸べること。相手の気持ちを考えられる人間であること……。十歳の子どもには、ずいぶんと厳しいことを言う人でした」
そう言って、アウラスは小さく笑った。
「今思えば、あの人の言葉にずいぶん影響を受けたのだと思います」
「……素敵な方ですね」
ミエラがそう答えると、アウラスはわずかに目を伏せた。
「ええ。素敵な……忘れられない人です」
(……忘れられない人……)
その言い方が、妙に心に引っかかった。
(……もしかして、女の人?)
ミエラがそんなことを考えていると、アウラスはふと、照れくさそうに笑みをこぼした。
「この話をすると、友人にはよく初恋の人だと、からかわれるんですがね」
「……えっ!?」
思いもよらない言葉に、ミエラは目を丸くした。
初恋。
つまり、アウラスが初めて好きになった人、ということだろうか。
そんな大切な話を聞いてしまって、自分はいったい何と答えればいいのだろう。
ミエラが返す言葉を探していると、アウラスは懐かしむように視線を落とした。
「もう十六年ほど前のことですので、細かなことは忘れてしまった部分もありますが……」
その声には、どこか懐かしさが滲んでいた。
「とても不思議な人でした」
アウラスは、少し照れくさそうに笑った。
(……えっ、というか待って……十六年前?)
ミエラは、頭の中で素早く計算した。
(十歳のときに出会ったんだから……シュヴァル様、現在二十六歳!?)
そういえば、少し年上だろうとは思っていた。
けれど、改めて考えると、自分より四つも年上だったのだ。
(……私より、四つも年上だったのね……!)
そんなことを考えているうちに、アウラスは、さらに何かを思い出したらしい。
「……そういえば、あの人は――」
そこまで口にして、ふと止まった。
数秒の沈黙。
自分が今、何を話していたのか。
誰に向かって、どこまで話してしまったのか。
ようやくそれを自覚した瞬間、アウラスの頬が熱くなった。
(……俺は、何を話しているんだ……!?)
よりによって、こんな話を。
しかも、こんなに詳しく!
「……すみません。つい、余計な話をしてしまいました」
アウラスは、わずかに視線を逸らした。
「い、いえ……!」
ミエラは慌てて微笑んだ。
けれど、何を言えばいいのか、まるでわからない。
初恋の人の話を聞いて、いったいどんな顔をしていればいいのだろう。
(やめてー!!どうしたらいいの、これ……!)
心の中で悲鳴を上げながら、ミエラはなんとか笑顔を保っていた。
◇
その後、騎士団では、日光が当たった可能性のある木箱を特定し、その中に保管されていた回復薬を中心に、一本ずつ状態を確認する作業が進められた。
誰がカーテンを開け、木箱の蓋を動かしたのか。
事件だったのか、事故だったのか。
それを裏付ける証拠は見つからなかった。
それでも、異常が起きた可能性のある木箱は絞り込めた。
すべての回復薬を調べる必要はなくなり、調査の範囲を絞り込むことができたのだ。
何もわからなかったわけではない。
けれど――。
真相までは、たどり着けなかった。
ミエラは、自分にできることはしたのだと思う一方で、あと一歩のところで何かを取りこぼしてしまったような、すっきりしない思いを抱えていた。
◇
数日後。
王宮の一室に、フェルシオとアウラス、そして老人の姿があった。
「……本当に、辞職するのだな」
フェルシオが尋ねた。
「はい、殿下」
老人は、静かに頭を下げた。
「今回の件、原因を特定するには至りませんでした。ですが、管理を任されていた以上、わしにも責任がございます」
「しかし、故意に何かをされた可能性もある。お前だけの責任とは言い切れないだろう」
フェルシオが言った。
「ありがとうございます、殿下。ですが、わしは以前から、自分の限界を感じておりました」
老人は、穏やかに笑った。
「本当は、もう少し早く決断するべきだったのでしょうな」
「そんなこと……!」
アウラスは、思わず口を開きかけた。
しかし、老人は静かに首を振った。
「いや、よいのです。わしも、そろそろ潮時だと思っておりました」
老人は、少し寂しそうに笑った。
「本当は、お二人が立派に成長していく姿を、もう少し近くで見ていたかったのですが」
幼い頃から見守ってきた二人が、今では国を支える存在へと成長した。
その活躍を間近で感じながら働けることが、老人にとって何よりの楽しみだった。
自分はもう若くない。
以前のようには働けない。
それでも、二人のそばにいられることが嬉しかった。
だからこそ、引退を考えていても、なかなか決断できずにいたのだ。
「……そうか」
フェルシオが、静かに口を開いた。
「長年、世話になったな。欲を言えば、まだまだ私の成長を側で見ていてほしかったぞ」
「ありがたきお言葉です、殿下」
老人は深々と頭を下げた。
その声は、いつもと変わらず穏やかだった。
けれど、顔を上げたとき、その目元にはわずかな寂しさが滲んでいた。
「殿下も、アウラス坊ちゃんも、もう立派になられました。わしが側におらずとも、大丈夫でございましょう」
「……そういう問題ではないのだがな」
フェルシオは小さく息を吐き、苦笑した。
アウラスは、何も言えずに老人を見つめていた。
引き止めたい気持ちはある。
けれど、老人が自分なりに考え、決めたことなのだ。
それを、簡単に覆すことはできなかった。
「……今まで、本当にありがとうございました」
アウラスは、静かに頭を下げた。
「これからも、しっかり励んでくだされ」
老人は、いつものように笑った。
しんみりした空気を払拭するように、老人は、何かを思い出した顔でアウラスを見た。
「そういえば、アウラス坊ちゃん」
「なんですか?」
「あのお嬢さんは、大切になさいませ」
「……はい?」
突然の言葉に、アウラスは首を傾げた。
「突然、自分の初恋の話をなさるあたり。坊ちゃんは、相当あのお嬢さんに気を許していると、わしは見ておりましたぞ」
「なに!?なんの話だ!?」
フェルシオが、興味深そうに身を乗り出した。
「殿下、落ち着いてください」
アウラスはフェルシオをなだめた。
「いや、これは気になるだろう!お前が女性にその手の話をするなんてな!」
「別に、深い意味はありませんよ。昔の話をしただけです」
アウラスは、呆れたように息を吐いた。
「それよりも、見ていたのですか?」
アウラスは、老人へ視線を向けた。
「見ていたもなにも。その場にわしもおりましたではありませんか」
老人は、アウラスの視線を気にする様子もなく、すました顔で続けた。
「まあ、完全に二人の世界に入られてしまい、わしの存在は忘れ去られておりましたがな。わしは空気と化しておりましたよ」
「……それは、失礼しました」
アウラスは、肩をすくめた。
「いやいや、よいのですよ。無粋な真似はいたしませんとも。わしも、もういい歳ですからな」
老人は、こくこくと頷いた。
「わしは、アウラス坊ちゃんの結婚式で、またあのお嬢さんに会いたいと思っておりますぞ」
「……はい?」
アウラスは、思わず声を上げた。
「お!それはいいな!」
フェルシオが、さらに身を乗り出した。
「なら、わたしは祝福の儀でも唱えようか!」
「殿下まで……」
アウラスは、深いため息をついた。
「ですから、そういう話ではありません。そもそも、彼女とは、まだ何度か仕事を共にしただけです」
「おやおや。未来がどうなるかなんてのは、誰にもわかりませんぞ」
「……もう結構です」
アウラスは、これ以上付き合っていられないとばかりに立ち上がった。
「ヴェリさんに、調査結果を報告してきます」
「おお、そうですか。では、よろしく伝えてくだされ」
「……伝えませんよ」
アウラスは呆れたように返し、部屋を後にした。
その背中を、フェルシオと老人は楽しそうに見送った。
◇
診療所へ向かう道すがら、アウラスは先ほどのやり取りを思い返していた。
――相当あのお嬢さんに気を許していると、わしは見ておりましたぞ。
「……気を許している、か」
アウラスは、ぽつりと呟く。
老人に言われたときは、何を大げさな、と思った。
けれど、ミエラ・ヴェリという女性は、話していて楽しい相手だし、反応が面白いと思うこともある。
だが、それだけだ。
なのに、気づけば幼い頃の思い出を語り、初恋の話までしていた。
(……俺は、何をあんなに話していたんだ?)
普段なら、あそこまで自分のことを話すことはないはずだ。
まして、出会ってからまだ間もない相手に。
「……不思議だ」
アウラスは、自分の理解しがたい行動を考えてみるが、答えは出ない。
それでも、ふとした拍子に、ミエラの姿が頭に浮かんだ。
長い髪。
青紫色の瞳。
真剣に考え込む横顔。
時々見せる、不貞腐れたような表情。
そして、自分を見上げ、ほっとしたように笑う顔。
「……」
アウラスは小さく息を吐いた。
「……早く、報告を済ませよう」
そう呟いて、足を速めた。
診療所の扉が、もうすぐそこに見えていた。




