第3話 消えた備品の行方
「なあ、俺の剣帯が見当たらないんだけど、誰か知らないか?」
「剣帯?昨日は使ってたのか?」
「ああ。昨日、訓練が終わってから備品庫に戻したはずなんだが……」
「ちょっと待て。俺の革手袋も見当たらないんだが!」
「え? お前もか!って、実は俺のベルトもなくなってんだよな〜!おーい、誰か知らないか〜?」
「おいおい、どういうことだ?」
「俺の手袋は、今朝まで確かにあったぞ!」
「いったい、どこへいったんだ?」
王立騎士団の詰所に、騎士たちの困惑した声が飛び交っていた。
紛失したのは、剣帯や革手袋、ベルトなど、いずれも騎士たちが日常的に使う備品ばかりだった。
しかも、持ち主はそれぞれ違う。
誰かがまとめて持ち出したのか。
それとも、別々の場所で何かが起きたのか。
騎士たちには、さっぱり見当がつかなかった。
◇
フェルシオとの話し合いから数日後。
アウラスは数人の騎士団員を伴い、王都東門近くにあるルクス診療所を訪れた。
診療時間外に。
診療所の外では、一人の女性が掃き掃除をしていた。
「こんにちは」
声をかけられた女性が顔を上げる。
そこに立っていたのは、見覚えのある青年だった。
「……どうも」
女性――ミエラ・ヴェリは、軽く頭を下げた。
この診療所で医師の助手を務めるミエラは、診療時間外に記憶鑑定士として依頼を受けている。
ミエラは、目の前の青年を改めて見た。
紺を基調に、白を織り交ぜた騎士団の制服。
襟や肩には控えめな金の装飾が施され、背に流れる外套には、金糸で王家の紋章が刺繍されている。
(……やっぱり、騎士団員だ)
「……また、来たんですか?」
「はい。また、よろしくお願いします」
「…………」
(……本当に来た)
いや、来るなと言ったわけではないけれど。
ミエラはアウラスの顔を見た。
(……あれ?)
「今日は眼鏡をかけてないんですね」
ミエラは尋ねた。
「ああ。前回は書類仕事が多かったので」
「……そうですか」
前回は眼鏡をかけていたからか、どこか知的で落ち着いた印象だった。
けれど、今日は眼鏡がないせいか、騎士らしい精悍な雰囲気が強く感じられる。
(……眼鏡の有無で、結構印象が変わる)
……まあ、どうでもいいけど。
ミエラは小さく息をつき、彼の後ろに並ぶ騎士たちへと目を向けた。
「今回は、ずいぶん大人数ですね」
「はい。騎士団員の備品がいくつか紛失しておりまして。所有者の記憶を確認していただきたいのです」
「なるほど……」
ミエラが頷いたところで、診療所のドアがゆっくりと開き、隙間からひょこりと男性が顔を出した。
「……どなたですか〜?」
どこか間延びした声に、アウラスは男性へと向き直った。
「初めまして。王立騎士団のアウラス・シュヴァルと申します。以前、こちらで記憶鑑定をお願いしたことがありまして」
アウラスが丁寧に名乗ると、男性はぱっと表情を明るくした。
「ああ、アウラスくん。うんうん、聞いてるよ〜」
男性は何度か頷き、納得したように笑った。
その言葉に、アウラスはわずかに眉を動かした。
(……聞いてるよ、とは?)
「……そうですか?」
アウラスが控えめに尋ねると、男性はぴたりと動きを止めた。
「あ、いや、やっぱり聞いてないな。いや、聞いたかな。あれ?そもそも何を聞いたんだ?」
先ほどまで納得した様子だった男性が、今度は首を傾げて考え込み始める。
「…………」
背後では、騎士団員たちが互いに顔を見合わせている。
一人でしばらく自問自答したあと、男性はようやく顔を上げた。
「……えっと、それで、どなたでしたっけ?」
アウラスは一瞬、言葉に詰まった。
しかし、すぐに小さく咳払いをすると、改めて姿勢を正した。
「王立騎士団から参りました、アウラス・シュヴァルと申します」
「おお、そうでした。アウラスくんね。うん、よろしく〜」
男性は納得したように頷き、にこりと笑った。
「あ、私はこの診療所の医師、そして研究者のスコルです。よろしく。ちなみに、この時間は受付もしてます。はい、よろしく〜」
スコルはアウラスに握手を求めた。
「……ご丁寧に、ありがとうございます」
アウラスは差し出された手を取り、礼を返した。
後ろでは、騎士団員たちが笑いをこらえている。
スコルはそんな様子を気にするでもなく、ミエラへと視線を向けた。
「ミエラ、記憶鑑定の依頼だって〜」
「そうみたいね」
ミエラは騎士たちに向き直ると、診療所の中へと案内した。
◇
「では、改めまして。私は記憶鑑定士のミエラ・ヴェリです。よろしくお願いいたします」
ミエラは丁寧に頭を下げた。
「こちらこそ。アウラス・シュヴァルです。本日は、急なお願いを引き受けていただき、ありがとうございます」
アウラスもまた、礼儀正しく頭を下げる。
金色の髪に琥珀色の瞳。
整った顔立ちと、騎士らしい凛とした佇まいが印象的だ。
ミエラは騎士たちを見回した。
「では、お一人ずつ順番にお話を伺います。記憶を拝見する前に、いくつか確認したいことがありますので」
ミエラは騎士たちを椅子に案内し、一人ずつ話を聞いていった。
最後に備品を確認したのはいつか。
どこで使い、どこに戻したのか。
紛失に気づいたのは、いつだったのか。
騎士たちは、それぞれ記憶をたどりながら答えた。
「最後に使ったのは、訓練のときです」
「そのあと、備品庫に戻しました」
「俺のベルトは、訓練場の道具置き場で確認したのが最後です」
「革手袋は、手入れをするために作業台に置いていました」
話を聞く限り、備品をなくした場所も、最後に確認した時間もばらばらだった。
ミエラは一通り話を聞き終えると、手元の記録を確認した。
「ありがとうございます。では、実際に記憶を確認してみましょう」
彼女は最初の騎士に声をかけ、診療所の奥にある一室へと案内した。
◇
「あの……シュヴァル様も一緒にいらっしゃるのですか?」
部屋に入る前に、ミエラが尋ねた。
「私は今回の依頼の責任者ですので、ぜひ同行させてください」
アウラスは至って真面目な表情で答えた。
(記憶を見る人だけがいいんだけど……)
「……あの、記憶鑑定中は意識がなくなるんです」
ミエラは、少し言いにくそうに視線をそらした。
「……なるほど」
アウラスは静かに頷く。
「眠っているような状態になるので……親しくもない方に寝顔を見られるのは、ちょっと……」
言葉を濁すミエラの様子に、アウラスはわずかに考え込んだ。
「……なるほど」
どうやら、彼なりに真剣に考えているらしい。
やがて、真面目な表情で口を開いた。
「では、ヴェリさんのことは、あまり視界に入れないようにします」
「……いや、そういうことでは……」
ミエラは思わず言葉に詰まった。
どうやら、こちらの意図はまったく伝わっていないらしい。
「ねえねえ、ミエラ。診療時間になっちゃうから、早く始めようよ〜。人数も多いし、時間がかかりそうだよ〜」
後ろから、スコルがひょいと顔を出して声をかけた。
ミエラはじろりと彼を睨んだ。
スコルは、にこにこと笑っている。
(……絶対、面白がってる)
「……わかりました!」
ミエラは勢いよく返事をして、部屋のドアを閉めた。
◇
ミエラは、騎士に二人掛けのソファを勧め、自分も正面の一人掛けのソファに深く腰掛けた。
アウラスは入口付近に立ち、スコルは二人の身体を見守れる位置についた。
「記憶鑑定の前に、お伝えしたいことが二つあります」
ミエラは真剣な表情で話し始めた。
「一つ目は、鑑定してほしい場面を、できるだけ具体的に思い出してください。人の記憶は膨大です。日時や場所、そのとき何をしていたかなどを、詳しく思い出していてください」
騎士は真剣な表情で頷いた。
「そして二つ目は、記憶鑑定の間、私と対象者は意識を失います。意識がなくなったときに身体が傾かないよう、背もたれにしっかりと身体を預けてください。身体は無防備になりますので、スコルに見守っていてもらいます。安心してください」
「うん。何かあったらすぐに対応するから、心配しなくていいよ〜」
スコルは部屋の入口近くで、ひらひらと手を振っている。
ミエラは背もたれに身を預け、姿勢を整えた。
「それでは、始めます。私の目をまっすぐに見つめていてください」
ミエラの青紫色の瞳と、目の前の騎士の瞳が交わる。
「――メモリア」
二人の意識が静かに沈んでいった。
***
目を開けると、そこは騎士団の訓練場だった。
土の地面。
並んだ木剣。
飛び交う掛け声。
記憶の持ち主は、訓練を終えたあと、使った装備を片づけていた。
けれど、その景色には全体的に、薄く白いモヤがかかっている。
「――クリア」
ミエラは視界を鮮明にすると、騎士の視界に沿って周囲を確認した。
騎士は剣帯を外し、留め具を確認してから、自分の決められた場所へと戻していく。
その動きに、特に不審なところはない。
やがて騎士は、仲間に声をかけられて顔を上げた。
その瞬間、視界の端を白いエプロン姿の侍女が横切った。
侍女は訓練場の壁際を歩き、手にしていた布を抱え直すと、そのまま通り過ぎていった。
騎士は仲間との会話に意識を向けている。
騎士はその後も、いつもどおり装備を片づけていた。
剣帯を所定の場所へ戻し、ほかの備品を確認する。
記憶の中に、紛失につながるような決定的な場面は見当たらなかった。
ミエラは、もう一度周囲に意識を向けた。
けれど、ほかに気になるものは見つからない。
これ以上は情報が得られないと判断し、ミエラは呪文を唱えた。
「――レディトゥス」
ミエラは現実へと意識を戻した。
***
「お疲れさまでした」
目を開けたミエラは、姿勢を正して言った。
「何か見つかった?」
スコルが声をかける。
「いいえ。装備品を片付ける様子は見えたけれど、紛失につながるような場面はなかったわ」
「そっか。じゃあ、次の人だね〜」
スコルはあっさりと頷いた。
ミエラは記録を確認し、次の騎士を部屋へ案内した。
***
二人目の記憶も、訓練場だった。
騎士は訓練の合間に、腰のベルトを締め直している。
その手が、ふと止まった。
留め具が少し緩んでいる。
騎士が留め具を直し、仲間の方へと顔を向ける。
視界の端に、白いエプロン姿の侍女が映った。
侍女は訓練場の入口付近で、周囲を見回していた。
騎士は目の前の訓練に意識を向けている。
ミエラは、眉をわずかに寄せた。
(……また、侍女?)
先ほどの記憶にも、確かに白いエプロン姿が映っていた。
騎士がその存在を気に留めた様子はない。
その後も記憶を確認したが、ベルトがなくなる瞬間は見当たらなかった。
ミエラは、現実へと意識を戻した。
***
「どうだった〜?」
スコルが尋ねた。
「特に不審な場面はなかったわ。ただ……」
「ただ?」
「……いえ。もう少し確認してみるわ」
ミエラは首を振った。
まだ、何かがおかしいと断言できるほどの確信はない。
「では、次の方、お願いします」
ミエラは小さく息を吐き、次の騎士を迎えた。
***
三人目の記憶は、備品庫の前から始まった。
記憶の持ち主である騎士は、棚に並んだ装備品を確認していた。
剣帯の留め具を確かめ、革手袋の傷み具合を見て、必要なものを所定の位置へ戻していく。
騎士が棚から別の装備品を取り出したとき、備品庫の入口に人影が現れた。
騎士は一瞬振り返る。
白いエプロンを身につけた侍女だった。
侍女は、入口のそばで足を止めた。
騎士はすぐに向き直り、手元の装備品を確認する。
再び騎士が顔を上げたときには、侍女の影はなくなっていた。
ミエラは、静かに意識を巡らせた。
(……この記憶にも、また侍女が現れた……?)
一人目の記憶にも。
二人目の記憶にも。
そして、今の記憶にも。
どの記憶にも、侍女の姿が一瞬だけ映っていた。
ただし、侍女が何かを持ち去る場面を見たわけではない。
これ以上は、記憶の中から得られる情報はなかった。
ミエラは、現実へと意識を戻した。
***
三人目の記憶から戻ったとき、ミエラは目を閉じたまま、しばらく動かなかった。
(頭の奥が重い。)
「……ミエラさん?」
アウラスの声に、彼女はゆっくりと目を開けた。
「大丈夫ですか?」
「はい。少し疲れただけです」
ミエラは小さく息を吐き、ゆっくりと身体を起こした。
「うーん……ちょっと疲れてるね。一旦休む?」
スコルが心配そうにミエラの顔をのぞき込む。
「もう少しだけ、続けたい、です」
ミエラは手元の記録を見た。
まだ確認できていない騎士がいる。
けれど、焦って鑑定を続ければ、かえって細かな部分を見落とすこともある。
ミエラは、ふと思い出したように顔を上げた。
「……あの、シュヴァル様」
「はい」
「騎士の訓練場に、侍女の方がいらっしゃるのは、よくあることなのですか?」
「……え?」
アウラスは、一瞬言葉に詰まった。
「いえ、拝見した記憶の中に、侍女らしき方がいらっしゃったので。少し気になりまして」
「ああ……」
アウラスは思案するように視線を上げた。
「訓練場に侍女が来ること自体は、ないわけではありません。騎士団の施設の清掃や、備品の管理などで出入りすることもありますから」
「なるほど」
「ただ……特定の騎士に、わざわざ会いに来るようなことは、あまりないと思います」
「……?」
ミエラは小さく首を傾げた。
「……?」
アウラスもまた、彼女の反応にわずかに首を傾げた。
どうやら、こちらの意図はまったく伝わっていないらしい。
「……いえっ、何でもありません。余計なことを言いました。……何か、気になることでも?」
「皆さんの記憶に、侍女の方の姿が見られたので」
「……皆さんの?」
アウラスは、ゆっくりと視線を巡らせ、部屋のドアを見つめた。
部屋の外では、記憶鑑定を受けた騎士たちが待機している。
「はい。訓練場の入口や道具置き場、備品庫の近くなど……。皆さん、別々の記憶なのに、どの記憶にも侍女の方が一瞬だけ映っていたんです」
「…………」
アウラスは、しばらく黙って考え込んでいた。
そして、部屋のドアを開けると、廊下で待機している騎士たちへと視線を向けた。
「……おい、お前たち。揃いも揃って侍女が記憶の中に映っていたのに、なぜ一人も覚えていないんだ?」
騎士たちが、一斉に振り向く。
「えっ?」
「侍女、ですか?」
「……侍女が、記憶の中にいましたか?」
騎士たちは互いに顔を見合わせた。
「いや、訓練中は周りを見る余裕なんてありませんでしたし……」
「俺も、誰かいたような気はしますけど、特に気にしていなかったというか……」
「そういえば、備品庫の近くで侍女の姿を見たような……。でも、いつのことだったかまでは」
騎士たちは、それぞれ曖昧な反応を返した。
誰も、侍女がいたことをはっきりとは覚えていない。
嘘をついているようには見えなかった。
彼らは侍女を見ていなかったのではない。
視界には入っていた。
ただ、意識に残るほど気に留めていなかったのだ。
(……視界に入ることと、記憶に残ることは別なのか)
アウラスは、静かに考えた。
記憶の持ち主が見たものすべてを、はっきりと覚えているわけではない。
その事実を、今、改めて実感した。
「……なるほど」
アウラスは、ゆっくりと頷いた。
「ヴェリさん。記憶鑑定では、そうした一瞬の光景も確認できるんですね」
「はい。ただ、記憶の持ち主が見たものに限られます」
ミエラは、落ち着いた声で答えた。
「視界に入っていないものは、私にも見えません。それに、視界に入っていたとしても、見えるのはそのときの範囲だけです。私が自由に周囲を見回せるわけではないんです」
「……なるほど」
アウラスは、もう一度頷いた。
すると、騎士の一人が、興味深そうに部屋の方へと身を乗り出した。
「ヴェリさん」
「はい」
「俺らの記憶って、どんな風に見えてるんですか?」
「……え?」
「いや、ちょっと気になって。俺たちが見たものを、そのまま見ているんですか?」
ミエラは少し考えてから答えた。
「基本的には、そうですね。記憶の持ち主が見たものを、私も見ています」
「へえ……。じゃあ、俺の後ろで誰かが何かをしていても、俺がそっちを見ていなかったら、わからないってことですか?」
「はい。視界に入っていなければ、私にも見えません」
「なるほど……。じゃあ、後ろから近づいてくる敵とかは?」
「記憶の持ち主が気づいていなければ、私も気づけないと思います」
「うわ、それは不便ですね」
「……?そうですね」
ミエラは、少し困ったように笑った。
「……それにしても、ちょっと疲れてるね。少し休んでからにしよう」
スコルが、改めてミエラの顔をのぞき込んだ。
「……うん」
ミエラは椅子に深く座り直し、背もたれに身体を預けた。
アウラスは、そんなミエラの様子を静かに見守っていた。
記憶鑑定が、これほど負担のかかるものだとは思っていなかった。
他人の記憶に入り込み、そこから手掛かりを探す。
簡単な作業であるはずがない。
「……ヴェリさん」
アウラスが、ミエラのそばへと近づいた。
「少し、失礼します」
そう言うと、ミエラのそばに跪き、手をかざした。
淡い光が生まれる。
眩しく周囲を照らすような光ではない。
柔らかく、温かな光が、ミエラを包むように広がった。
しばらくして、光が消えた。
「いかがでしょうか?」
アウラスが尋ねた。
ミエラは瞬きをして、ゆっくりと身体の感覚を確かめた。
頭の重さが、少し和らいでいる。
ミエラは驚きを隠せない表情で尋ねた。
「……光魔法ですか?」
「はい。少しでも良くなればと光魔法をかけさせていただきました」
「驚きました。光魔法で、こんなに楽になったのは初めてです。……ありがとうございます」
ミエラは、どこか不思議そうにアウラスを見つめた。
「それならよかったです」
アウラスは、ほっとしたように頷き、元いた位置へと戻っていった。
その様子を見ていたスコルが、小さく首を傾げた。
「……あれぇ〜?」
「スコル?」
ミエラは振り向いた。
「ん?ああ、いや」
スコルは眼鏡の位置を直し、アウラスへと視線を向けた。
「何度か試したよねぇ。僕の光魔法じゃ、あまり効果がなかったのに……」
スコルはぶつぶつと呟きながら、考え込んでいる。
「……魔法の使い方の違い?いや、でも、それだけで説明できるかなぁ……」
声は小さく、独り言に近い。
「うーん……ちょっと気になるなぁ」
やがてスコルは、考えを整理するように顎に手を当てて、完全に研究者の顔になっていた。
「スコル、考えるのはあとにしてね」
ミエラが苦笑する。
「うんうん。わかってるよ。いや、でもね〜……」
返事をしながらも、スコルの視線はまだアウラスの手を見ており、光魔法について考えているようだった。
アウラス自身は、特に何かを意識している様子もない。
ただ、ミエラの疲労が少しでも和らいだのなら、それでよかった。
「少し休めば、続けられそうですか?」
アウラスが尋ねる。
「はい。もう少しだけなら」
「……では、あと一人だけお願いします」
「え?でも、まだ数名、確認できていない方が……」
「残りの確認は、こちらでも進められます。今日はあと一人で終わりにしましょう」
その言い方は、押しつけがましいものではなかった。
ミエラは少しだけ、アウラスを見た。
(……優しい人、なのかな)
そういえばこの前だって、非番だったのに、わざわざ幼い子どもを助けるために動いてくれていた。
あのときは、ただ少し変わった人だと思ったけれど。
もしかしたら、正義感が強くて、困っている人を放っておけない人なのかもしれない。
「……ありがとうございます。そうさせていただきます」
ミエラは小さく頭を下げた。
◇
最後の騎士が椅子に腰掛けた。
ミエラは、もう一度、事前に聞いた話を確認する。
「装備品を最後に見たのは、訓練が終わったあとですね?」
「はい。片づけをしているときです」
「わかりました。では、その場面を中心に、できるだけ具体的に思い出してください。確認します」
ミエラは背もたれに身体を預け、姿勢を整えた。
まだ疲れは残っている。
けれど、先ほどよりは頭がすっきりしていた。
ミエラは騎士の目を見つめる。
「――メモリア」
ミエラの意識が、記憶の中へと沈んでいく。
***
目の前に広がったのは、訓練を終えたあとの光景だった。
ミエラは、まず記憶を鮮明にするために呪文を唱えた。
「――クリア」
薄くかかっていた白いモヤが晴れ、周囲の様子がはっきりと見えるようになった。
騎士は木剣を棚に戻し、手袋を外し、腰のベルトを確認している。
その動きを追いながら、ミエラは周囲にも意識を向けた。
道具置き場。
棚の影。
訓練場の端。
そのとき、視界の隅に、白いエプロン姿の侍女が映った。
侍女は棚の近くを通り過ぎ、何かを抱え直すと、そのまま奥へと歩いていった。
ほんの一瞬のことだった。
騎士は手元の装備品を確認しており、侍女の姿に注意を向けることはなかった。
ミエラは、その姿を追おうとした。
しかし、記憶の持ち主の視線は、すでに手元へと戻っている。
侍女が何をしていたのかまでは、わからなかった。
その後も記憶を確認したが、備品を持ち去る瞬間は見つからない。
ミエラは、静かに意識を巡らせた。
これまでの記憶と同じだった。
騎士たちの記憶には、侍女の姿が一瞬だけ映っている。
けれど、それ以上のことはわからない。
「――レディトゥス」
ミエラは、現実へと意識を戻した。
***
ゆっくりと目を開ける。
スコルが、すぐそばから声をかけた。
「おかえり。大丈夫?」
「うん……」
ミエラは小さく息を吐いた。
「……侍女の方の姿が見えました」
ミエラがぽつりと呟くと、アウラスの表情が引き締まった。
「また、侍女ですか?」
「はい。今回も、装備品を片づけているときに、侍女の方が視界の端を通り過ぎました。ただ、それ以上のことはわかりませんでした」
「わかりました」
アウラスは落ち着いた声で答えた。
「十分な手掛かりです。あとは騎士団で調べてみます」
ミエラは頷いた。
「お願いします」
「本日はありがとうございました。どうか、ゆっくり休んでください」
「はい。皆さんも、お気をつけて」
アウラスは一礼し、騎士たちとともに診療所を後にした。
◇
翌日。
騎士団での調査は、思いのほか早く進んだ。
前日の記憶鑑定で、複数の騎士の記憶に、複数の侍女が映り込んでいたことがわかった。
騎士団は、その特徴をもとに該当する侍女を絞り込み、一人ずつ話を聞くことにした。
すると、複数の侍女が、騎士たちの備品を無断で持ち出していたことが明らかになった。
一人は革手袋を。
もう一人は剣帯を。
そして、別の侍女はベルトを。
いずれも、持ち主は違っていた。
詳しく事情を聞くと、彼女たちはそれぞれ、ある若い騎士に密かに想いを寄せていた。
訓練で備品が傷んでいるのを見かけ、何とかしてあげたいと思ったのだという。
けれど、直接声をかける勇気はなかった。
そこで、誰もいない隙に備品を持ち出し、自分で修繕して返そうとしていたのだ。
事情を聞かれた侍女たちは、真っ赤な顔で深く頭を下げた。
「申し訳ございません!盗むつもりはありませんでした。ただ、少しでもお役に立ちたくて……」
アウラスは静かに頷いた。
「事情はわかりました。ですが、許可なく備品を持ち出すことは認められません。今後は、必ず担当者に相談してください」
「はい。本当に申し訳ございませんでした」
侍女たちは何度も頭を下げた。
しかし、調査を進めるうちに、もう一つの共通点が明らかになった。
彼女たちは、全員が同じおまじないを信じていたのだ。
――誰にも知られずに、想い人の備品を直し、元の場所に戻すことができたら、その恋は叶う。
王城内の侍女たちの間で、ひそかに流行していた恋のおまじないだった。
彼女たちは、訓練で傷んだ備品を見つけるたび、これなら自分にもできるかもしれないと考えた。
想い人の役に立ちたい。
少しでも自分の気持ちが届いてほしい。
けれど、本人に知られるのは恥ずかしい。
そんな気持ちから、誰にも見つからないように備品を持ち出し、修繕して返そうとしていたのだ。
もちろん、持ち出された騎士たちにとっては、たまったものではない。
「……気持ちはありがたいけど、次からは先に言ってくれ。備品がなくなったら、こっちも困るから」
事情を聞いた青年騎士は、困ったように頭をかいた。
「はい……!」
侍女は、耳まで真っ赤にして頷いた。
アウラスは、ほかの侍女たちにも同様に注意をした。
善意であろうと、恋心からであろうと、許可なく備品を持ち出していい理由にはならない。
幸い、備品はすべて無事に戻り、修繕が必要なものも適切に処置されることになった。
こうして、騎士団を騒がせた備品紛失事件は、無事に解決した。
◇
数日後。
アウラスは今回の事件に関する報告書をすべて書き終えてから、再び診療所を訪れた。
そして、ミエラに事件の顛末を報告した。
「恋のおまじない……ですか?」
ミエラは、思わず聞き返した。
「はい。まさか王城内で、そんなものが流行っていたとは……」
アウラスは、どこか呆れたように、眼鏡を押さえながら苦笑した。
「誰にも知られずに、想い人の備品を直して戻せたら、恋が叶う。そういうおまじないだったようです」
「な、なるほど……」
ミエラは曖昧に頷いた。
「備品を持ち出してまで試すようなものでもないと思うのですが……まったく」
「そ、そうですね……」
(恋のおまじない……。私には、無縁の世界だわ……)
自分とはまるで関係のない世界の話。
そう思うと、ミエラは呆れるよりも先に、ある意味で感心してしまった。
恋を叶えるために、そこまで一生懸命になれるものなのだろうか。
ミエラがそんなことを考えていると、ふいにアウラスがこちらを向いた。
「ヴェリさんは、恋のおまじないをしたことはありますか?」
「へっ!?」
思いもよらない質問に、ミエラは素っ頓狂な声を上げた。
「な、何ですか、急に……!」
「いえ。少し気になっただけです」
アウラスは、いつもの落ち着いた顔で答える。
その表情からは、本当にただの好奇心なのか、それとも別の意図があるのか、いまひとつ読み取れない。
「シュ、シュヴァル様こそ、どうなんですか?」
思わず問い返す。
すると、アウラスは少し考えるように視線を上げた。
「私ですか?おまじないと言っていいのかはわかりませんが……似たようなことなら、ありますよ」
「……あるんですか!?」
思わず声が大きくなった。
(あるんだ!)
いつも冷静で、何事にも動じないように見えるアウラスが。
恋のおまじないを。
ミエラは、目の前の騎士をまじまじと見つめた。
「昔、ある人に言われたことを、今でも守っています。願掛けに近いかもしれませんが」
アウラスは、昔を懐かしむような優しい表情で言った。
その言葉に、ミエラは少しだけ首を傾げた。
(いったい、どんなことを言われたんだろう)
けれど、それ以上を尋ねる前に、アウラスが口を開いた。
「それで?」
「……え?」
「ヴェリさんは?どうなんですか?」
気づけば、アウラスが少し身を乗り出していた。
口元には、楽しそうな笑みが浮かんでいる。
「な、何で近づいてくるんですか」
「いえ。特に理由はありませんが」
「ありますよね、絶対……!」
「そうですか?」
悪びれる様子もなく、アウラスはさらに笑みを深めた。
普段は礼儀正しく、紳士的な人なのに。
こういうときだけ、妙に意地が悪い。
ミエラは視線を泳がせた。
「……私は……」
「はい」
眼鏡の奥で、琥珀色の瞳が楽しげにミエラを見つめている。
「特に……おまじないとかは……ないです……その……恋とかは……」
最後のほうは、ほとんど聞こえないほど小さな声になっていた。
アウラスは、しばらくミエラの顔を見つめていた。
やがて、ふっと笑う。
「なるほど。では、何かあったときは、私に相談してください」
その顔には、なぜか妙な自信が満ちている。
「……なっ!なんでですか!」
思わず声を上げたミエラに対し、アウラスは涼しい顔をしていた。
「この件に関しては、私のほうが優位に立てそうなので」
「……何ですか、それ!」
ミエラが眉を寄せる。
けれど、アウラスは少しも動じることなく、穏やかな笑みを浮かべていた。
「ヴェリさんには、いつもお世話になっていますから。何かしらの形で、お礼ができればと思いまして」
「……っ!そんなお礼はいりません!」
思わず声を張り上げたミエラを見て、アウラスはとうとう堪えきれなくなった。
「はははっ!」
アウラスの楽しそうな笑い声が響く。
「んなっ……!」
ミエラは何か言い返そうと口を開きかけたが、結局、何も言わずに口を閉じた。
(……もう、なんなの、この人!)
ミエラは小さくため息をつき、視線をそらした。
一方のアウラスは、まだ口元に笑みを残してミエラを見つめていた。
恋のおまじないに興味があるのか。
それとも、ミエラの反応が面白かっただけなのか。
その答えを、アウラスは教えてくれそうになかった。




