第20話 俺、古龍に会う
俺は、雲より高い山の頂にいた。
「……で」
足元は岩。目の前には古龍。そして、後ろには――
「…………」
誰もいない。
さっきまで俺の腕を掴んでいた妖精たちは、古龍の姿が見えるなり、あっさり俺を地面へ下ろしていた。
「じゃ、ばいばーい!」
「え?」
「またねー、人間」
「待って待って待って」
妖精たちは羽を光らせながら、次々に空へ舞い上がっていく。
「いや、ちょっと!」
俺の制止なんて聞くはずもなく、妖精たちは楽しそうな笑い声を残して雲の向こうへ消えていった。
「…………」
一気に静かになった。
聞こえるのは、山頂を吹き抜ける風の音だけだ。
俺はゆっくりと前を向いた。
岩場を覆い尽くすように、巨大な黒い龍が横たわっている。黒い鱗は岩みたいに厚く、頭からは何本もの角が伸びていた。
「…………」
帰りたい。
ものすごく帰りたい。
今すぐリュネの膝に帰りたいし、なんなら巨人族の国の広すぎる客室でもいい。
俺は反射的に胸元へ手をやった。
服の下には、小さな白い石がぶら下がっている。それをぎゅっと握ると、少しだけ足の震えがましになった。
「……あの」
震える声で問いかけると、古龍の閉じていた瞼がゆっくり持ち上がった。
荘厳に深く光る金色の目が、俺を捉える。
そして、古龍は口を開いた。
「……お迎えか?」
「え?」
想像の百倍覇気のない声が、弱々しく放たれた。
「ワシももう……いよいよか……」
「……はい?」
古龍は、思っていたよりずっとヨボついていた。
「だって、人間よのう、おぬし」
「人間です」
古龍はしばらく俺を見つめた。
「……え、生きとる? 生きとる人間?」
「生きてます」
「……そうか。もういないもんだと……すまんかった……」
「あの、それって……」
「そうじゃ……」
古龍はゆっくりと目を閉じた。
「かつて、人間は……」
俺は古龍が語り出すのを、固唾を飲んで見守った。
そして。
「……ぐう」
安らかな寝息が聞こえてきた。
「いや待って待って待って! 寝ないで!」
「何じゃ」
「そのヒキで寝ないで!!」
俺が古龍の足をペチペチ叩くと、古龍は再び目を開けた。
金色の瞳が、じっと俺を見る。
「いやあ、百年寝たくらいでは足りんよ……ふおおおおお」
古龍はでっかいあくびをすると、改めて俺を見つめた。
「……誰じゃったかの」
「まだ名乗ってすらないです!」
「そうか」
「佐久間直人です。ナオト。生きてる人間です」
「人間……」
古龍はまた考え込んだ。
「おった気がする」
「気がする」
「小さかった」
「あなたからしたらね」
「そして、力を欲しておった」
「…………」
古龍は空を見上げた。
「そうじゃ。おった」
さっきより少しだけ、声がはっきりしていた。
「お前のような人間が」
「俺みたいな?」
「弱くてのう……すぐ死にそうで」
「はい」
「怖がりで」
「はい」
「そのくせ、強くなりたい強くなりたいと、うるさかった」
「…………」
他人とは思えない。
「その人……強くなったんですか?」
「なった」
「どうやって?」
「神に貰った」
心臓が、どくんと鳴った。
「……神!?」
古龍が顔を伏せる。
俺は思わず、巨大な鼻先の前まで近づいた。
「そ、その人、神の国に行ったんですか!?」
「そういうことじゃ」
「どうやって!?」
「そいつは、そりゃあ、強うなった」
「どうやってって聞いてるの!! ねえ!」
「力も、魔力も、みなぎって」
「どうやって行ったのって! ねえ! おじいちゃん!?」
俺の質問なんて聞こえていないみたいに、古龍は懐かしそうに続けた。
「空を飛び」
「海へ潜り」
「岩を砕き」
「ほとんど、老いもしなかった」
「……」
俺は、ごくりと唾を飲んだ。それは、まさに俺が欲しかったものだった。
「……すげえ」
思わず声が漏れる。
「じゃあ、その人、英雄とかになったんですか?」
「英雄」
古龍は、その言葉を口の中で転がすように繰り返した。
「そう呼ぶ者も、おった」
「じゃあ」
「勇者とも呼ばれておった」
「勇者!」
めちゃくちゃ王道じゃん。俺が本来なるはずだったやつかもしれない。「勇者」という待ち望んだそれっぽい響きに、胸が高鳴った。
「その人、魔王とか倒したんですか!?」
「あー、なんかそんなやつおったな」
「魔王めっちゃ影薄いな」
「とにかく、人間は、よう戦っとった」
「魔物とかいますもんね!?」
「うむ、初めは魔物と」
「はい」
「次は、悪人と」
「……はい」
「その次は、自分に逆らう者と」
「…………」
そこで俺は、口を閉じた。
風が吹き、雲が山の下を流れていく。
ふと、メイランの顔が浮かんだ。俺を見る、切れ長の目。
「あんた、随分勇敢だね」
思えば、何かを確かめるような目だった。
まさかと思いつつ、聞かずにはおれなかった。
「その勇者……妖狐とも会ってました?」
「妖狐?」
「はい、メイランという」
「うーん、知らんなあ」
「そうですよね……」
「妖狐は名前も姿も変えるからのう」
古龍は懐かしむように、遠くの空を見た。
「じゃが、昔、人間にやけに構う狐はおった気がする」
「え?」
「微笑ましかったのう」
古龍は微かに微笑んだ。
「ああ、懐かしい……」
そう言って、また目を閉じる。
「おじいちゃん!? 待って! まだ本題が! あの!」
「……」
「待って、せめて帰り道!!」
「……」
「おじいちゃーーーん!!!」
「……ぐう」
「いや、起きて!!!」
俺は必死に古龍を叩いた。今から万が一、百年寝られては死ぬ。
で、ここで良いニュースが一つ。
古龍は割とすぐに目を覚ました。
「……誰じゃ、無礼者」
そして、悪いニュースが一つ。
その目は、また俺を覚えていなかった。
「我の眠りを妨げるとは……」
「え、あの、ちょ」
さらに悪いニュースが一つ。
今回の寝起きは、凄まじく機嫌が悪そうだった。
「この、蝿が」
古龍は右の爪を振り上げた。
その瞬間、俺ははっきりと死を覚悟した。




