第17話 俺、古龍に会いたくなる
東方大書庫は、想像していたよりずっと広かった。
天井まで届く書棚が何列も並び、その間に細い通路が伸びている。古い本や巻物の匂いがして、少し埃っぽい。
俺はその中で、朝からずっと本を読んでいた。
「……読めない」
「だろうねえ」
頭上から声が降ってくる。
メイランが、俺の横に積まれた本を一冊持ち上げた。
「これは古語だよ。今の文字とは違うからねえ」
「先に言ってくださいよ」
「頑張ってたから、もう少し見てようかと思って」
「性格悪いなあ」
「人聞きの悪い、悪戯好きと言っておくれ」
俺はため息をついた。
それっぽい本を片っ端から集めてもらったものの、問題は文字だった。
当然だが、日本語ではない。
そのため、「人間」「転生」「神」あたりの重要そうな文字だけ覚えて、それっぽい箇所や、挿絵でそれっぽい部分を、メイランや他の妖狐たちに読んでもらう方法をとった。
「ナオト、これも見る?」
別の妖狐の女が、本を抱えてやってくる。
「ありがとうございます」
「がんばってね」
頭を撫でられた。
「なんで撫でるんです?」
「なんとなく」
妖狐の国へ来て数日。
最初こそ警戒していたが、俺が書庫へ通っているうちに、周囲の妖狐たちもすっかり慣れてしまったらしい。
気づけば本を運んでくれる。
茶を置いていく。
菓子を渡してくる。
ついでに頭を撫でる。
まあ、なんやかんやで、結局ここでも可愛がられていた。
「俺、この世界だとずっとこの枠なのかな」
「何の話?」
「なんでもないです」
***
「人間」「転生」「神」という文字は、なんとか見分けられるようになった。
それ以外は、模様にしか見えない。イメージ的には、アラビア語に近い。読んでるだけでは、単語も文法もカケラも掴めない。もちろん、日本語対応の辞書なんてない。
一冊開いては首を傾げ、巻物を広げては、近くの妖狐を捕まえて読んでもらうことを繰り返した。
気づけば机の周りには、本と巻物の山ができていた。
メイランは、俺の様子を見にきたり、こなかったりだ。とにかく謎だけは多かった。図書館にいない時は、何をしているかもわからない。
他の女官たちは服装も違うし、誰に対してもタメ口だ。
「ねえ、メイランって、結構偉かったりします?」
通りすがりの女官が配ってくれた菓子を勝手におはばりながら、メイランは答えた。
「さあねえ」
やはり、何を考えているか分からない。
すると、メイランは俺の顔を覗き込んだ。
「……めげないねえ、ろくに寝てないだろ」
「まあ……」
「なんでだい?」
「そりゃ、早く、神の国に行って……」
「急ぐこともないじゃないか。少しは遊んだらどうだい?」
確かに、チートを得るだけならそうだ。焦る必要はない。けれど。
脳裏で、桃色の髪が翻った。
「……誰かが心配性、拗らせてそうなんで」
「……そうかい」
メイランは珍しく、言葉に詰まったようだった。
「メイラン?」
「……何でもないよ。用事を済ませてくる」
メイランはくるり、と踵を返して、遠ざかっていった。
***
昼を過ぎた頃。
俺は気がつくと寝てしまっていたようで、机に突っ伏していた。
寝ぼけながら体を起こすと、自分で借りた覚えのない、古い巻物が机に置いてあった。
何気なくそれを広げた俺は、手が止まった。
「……これ」
龍が、空に向かって飛んでいる。
その上には、雲が書かれていて、神様のような人が、人間に剣を授けていた。
「メイランさん」
「んー?」
「これ、見てもらえます?」
近くで菓子を食べていたメイランが寄ってくる。
絵を見るなり、少しだけ目を細めた。
「古龍だねえ」
「古龍?」
「今いる龍族より、ずっと古い連中さ」
「ここの文字、読めます?」
「どれどれ……」
メイランがぐっと顔を寄せてきた。
香とお白粉の混ざったような匂いが、ふわりと香った。
「えーと……だいぶ擦れていて読めないねぇ……巨大な……にて……祝福を……古龍、雲を裂き、雨を……。ええと、ここはなんだろうね」
メイランがぐっと、巻物に近寄る。
「神の国にて……」
「神の国!?」
「神の国って書いてあるね」
「……あの、この古龍って」
「無理だねえ」
「いや早いて。まだ何も」
「あんたなんか、息吹一つで灰だよ」
もう驚かない。
この世界では、俺より強い生き物の方が圧倒的に多い。……というか、俺より弱いものに、まだ会っていない。
「そもそも、棲家に辿り着けないよ」
「どういうこと……?」
「魔物がわんさか湧く山を、七日七晩進まないとね。まあ、あんたみたいな足手纏いがいたら、どんな猛者でも難しいよ」
「足手纏い……」
「事実を言っただけさ」
メイランが笑った。
「まあ、他に方法がないわけじゃないけどねえ」
「あるんですか?」
俺はすぐに顔を上げた。
「妖精族に気に入られたら、行けるかもしれないねえ」
「妖精?」
聞き覚えがあった。
異世界に来た初日、バルドに「妖精族か?」と間違われたやつだ。
「そんなにすごいの? 妖精って」
「妖精の空間魔法なら、深海の底にも、古龍の住む山にも、どこにでも転移できるだろうよ」
「へえー、じゃあ、その妖精族に頼めば」
「いけるかもね」
「やった!!」
「……ま、あそこも、ある意味じゃ古龍より怖いところだけどねえ」
「どういう意味で?」
「行けば分かるさ」
「その言い方やめてくれません?」
「ふふ」
「まあきっと、あんたなら……」
「え?」
「……なんでもないよ」
メイランはそれ以上何も言わなかった。
***
俺は机の上に本を積んだまま、しばらく考えていた。
古龍。
妖精族。
神の国については、まだ何も分からない。
でも、少なくとも。
最初にガルガンで空を見上げていた時よりは、ずっと近くにいる気がした。
「どうするんだい?」
メイランが隣へ腰を下ろした。
俺は、首飾りをそっと触った。
答えは、決まっていた。
「妖精の国、行けます?」
メイランは、フッと笑った。
「いい目だねえ」
「え?」
メイランがしばらく俺を見た。
それから、いつものようにゆっくり笑う。
「なら、今夜行こうか」
「今夜?」
「善は急げって言うだろう? ……ナオト」
メイランが楽しそうに笑った。
俺は初めて、ちゃんと名前を呼ばれた……気がした。




