第4話 愛衣 大学1年生 11月その2
「僕は…ずっと…好きでした!」
私はどきりとした。
孤独という言葉が似合う私の今日までの十九年間の人生に、当然、色恋なんて縁があるわけもなかったからだ。耐性がないと言った方が適切だろう。
そんな私は今、顔面が急激に煮え滾って、上昇する心拍が血液の循環を露骨に加速させているように感じていた。
「せ、先輩…急にそんな…困ります」
「僕と描いてください!!」
は?と呆れた言葉が混じった嘆息を漏らしてしまう。
そんな私に八宮先輩はばさっと上半身を起こし、両方の口角をあげたままはっきりと言った。
「君と僕ならできる!」
「何をですか?」
「革命だよ!革命!」
もうなんだこいつは。
「あぁ、先輩は政治家志望か、宗教家の類なんですね。まあ、いずれにしても私はやりません」
「違う!」
「じゃあ革命ってなんですか?」
八宮先輩は胸を張って言った。
「漫画界の革命だよ!」
そんな自信をただの自己満で描いた絵に抱くなんて、この人は途方もないくらいにバカなのか、それとも私がバカにされているだけなのか。
「ともかく私は」
八宮先輩は私の声を遮り、また思い出したように、あっ。と声を漏らした。
「まさか書籍化作家とかじゃないよね?」
私はこの先輩にバカにされているようだ。
──書籍化?は?ばかじゃないの。やはり頭の中は綺麗なお花でいっぱいなのかしら?
それが私の率直な感想だった。
ふと腕時計をみると昼休み明けの講義まであと十五分だった。私は八宮先輩を視界に入れずに、液タブをリュックに押し込む。
「え、ちょっと待ってよ」
呑気な先輩の間抜けた言葉に心底腹が立ち、怒気混じりの言葉を吐いた。
「待ちません。不愉快です」
「いや、僕は君がその域に達している才能を持っていると確信したから真意を訊いたまでで」
「そんなわけないでしょ。バカにするのも大概にしてください」
「バカになんてとんでもない。でも……そっかそっか。いやぁ、よかったあ」
「よかったなら話は終わりでいいですよね。じゃ」
二度と会いたくない。そう思って踵を返した瞬間、背後から肩を掴まれた。
仕方なく振り返るとさっきまでの笑顔とは打って変わって、真面目な表情を浮かべる八宮先輩が視界に映る。
「頼む。君しかいないんだ」
「さっきからなんなんですか?迷惑でしかないです。自己満で描いた独りよがりの絵に戯言をつけないでもらえますか?ますます不愉快なんです」
「本気で言ってるの?」
「えぇ」
はぁ。と小さくため息をついた八宮先輩は手のひらを差し伸べてきた。
「なら単刀直入に言う。要らないならほしい」
「絵ですか?」
「違う。君の才能だ」
「は?」
「僕は真剣だ」
「才能…ね。先輩、私はこの才能とやらを今まで否定されてきたんです。意味もない、生産性もない、夢もないって…だから、これが才能だなんて思わない。意味も、生産性も、夢もない。愚行なんです」
だから私は隠れて描いているのだ。私の自己満足。現実逃避。それで良い。
放っておいてほしいのに、それでも諦めがつかない八宮先輩は、にやっと唇の端を上げた。
「じゃあなぜ描き続ける?」
「だから自己満の一環で」
「否定されていることに、なぜ満足を求める?」
虚をつかれた。八宮先輩はそんな私を見透かしているように真っ直ぐ見つめる。
「だったらなぜ、qixivに投稿しているんだ?」
「へ?」
驚きの声が甲高く弾んでしまい、両手で口を隠すがそれは自白しているようなものだった。
qixivとはイラストや漫画、小説なんかを投稿するサイトで、私は「一生素人」というペンネームで描きあげた漫画やイラストなんかを投稿している。時々、いいねが付くぐらいでフォロワーも十人くらいだし、周りの人には当然バレることはないと思っていた。
「し、知りません。私はただこの液タブに描いて…描いているだけです」
「尽忠報国の士、天晴なり!」
フォロワーの中にいつも『尽忠報国の士、天晴れなり!』と定型文のようなコメントといいねをしてくれる『葱沢カモ』というフォロワーがいることを思い出した。
「まさか…葱沢カモ?」
「そう!君のフォロワーの葱沢カモです!いやあ、まさか一生素人さんと同じ大学の後輩だったとはねえ」
八宮先輩の顔に張り付けられたような笑顔がわざとらしいものに思えた。身の毛がぞわっとして、さっと後ろに引いた。
「ま、まさか…え、ストーカー?」
「は!?」
八宮先輩は目を丸くした。
「待て待て!僕はストーカーじゃない!そもそも塩義さんが一生素人先生だと気づいたのは、以前図書館で君が開いていた液タブに、一生素人先生が連載している『嘘つき女子高校生の末路』のネームが映し出されていたのを偶然見かけたからだし」
「まさかそこからずっと私のことをつけ回してたんですか?」
「あぁ。そりゃ話したかったからな。タイミングは伺っていたさ」
「それをストーカーっていうんですよ」
「いや、僕はストーカーではない!ファンだ!ずっとずっと君の…いや、先生の絵が好きだったんだ」
「好きとか言わないでください」
「いや、だから好きっていうのは、君の描いた絵にだよ!大ファンだ!」
「し、知りませんっ。てかなんですかあの定型文は?」
「尽忠報国の士、天晴なり!国に尽くす武士よ、素晴らしい!って意味だ。『新撰組!』知らない?」
「知りません。てか私、そもそも武士じゃないんですけど」
「比喩だよ!漫画界に尽くす立派な作家よ!素晴らしい!って意味だ」
「そんなのわかるわけないじゃないですか!」
「ニュアンスでわかるだろ?」
「変わり者の先輩と一緒にしないでください」
「あぁ。僕は変わり者だとも!」
そう言って八宮先輩は腰に手を当てて胸を張り、開き直ってみせる。
そんな先輩に、もう何を言っても無意味だと思った。反論の意思を欠いた私に、先輩はまた自慢げに話す。
「変わってなけりゃ、大事は成せん。それが僕のポリシーなんでね」
「大事?あぁ、今から起こそうっていう革命のことですか?」
「そうだ!だから一緒に漫画界に殴り込みに行こう!大丈夫。変わり者同士が組めば革命という大事を成すことは十分に可能だと思うんだ!」
その言葉にだけは不思議と引っかかった。変わり者。確かに私はそうだった。
絵なんて意味がないと否定しながら、結局は描くことをやめられない。
誰にも見られたくないと言いながら、投稿サイトには作品を上げている。
本当はずっと誰かに見つけてほしかった。
本当はずっと誰かに認めてほしかった。
「そうですね」
自嘲気味に笑う。
「絵を描くことを否定しながら描いて、本心では誰かに肯定してほしくて投稿までしてるんですから。確かに私は変わり者です」
八宮先輩は満足そうに頷くと、スマホを取り出した。画面を数回操作し、私へ差し出してくる。
『氷晶恋愛譚』というタイトルの下に続く文章を眺めていると八宮先輩の声が飛び込んできた。
「僕の代表作。投稿サイトの短編ランキングで一位を取ってね。出版社からコミカライズの話も来た」
「すごいですね」
「断ったけど」
「え?」
「僕はこの作品をコミカライズしてもらえるなら、もう一人しかいないと思っていてね。出版社に掛け合ったら拒否されたんだよ」
そして真っ直ぐ私を見る。
「この作品は最初から、一生素人先生に描いてもらいたくて書いたんだ」
意味がわからなかった。
「だから読んでもらうだけでいい。それで先生の気持ちが揺るがないのなら、僕は諦める」
そこまで言うなら。とそんな気持ちで読み始めた。
気づけば最後まで読んでいた。
ロマンチストな男女がすれ違い、理想と現実の間でもがきながら再び向き合う物語。派手な展開はない。
だけど登場人物の感情が生々しくて、胸に刺さる。
苦しくて。切なくて。
読み終わった瞬間には、もっと続きを読みたいと思っていた。
短編であることが恨めしくなるくらいに。
「どう?……つまらない?」
八宮先輩は探るように私を見つめていた。
その視線は妙に真っ直ぐで、まるで私の考えていることを見透かしているみたいだった。
初対面なのに、不思議とこの人はそういう人なのだと思ってしまう。
だから私は何年かぶりに赤の他人に本心を口にした。
「続きは…ないんですか?」
「続きはないよ。だって短編だし」
「なら絶対長編にするべきです」
先輩はぽかんと口を開けたあと、見る見るうちに顔を綻ばせた。
「わかった!長編は書く!……けど」
「けど?」
「先生…どうかこの作品の長編を漫画にしてくれないか?」
「私なんかじゃ無理です。然るべき人に描いてもらうべきです」
反射的に首を横に振ると、八宮先輩は頭を勢いよく下げた。
「頼むっ!いや、お願いします!先生!」
「やめてください。頭を上げてください」
「時間がないんだ。だから頼む。僕のこの大事を、革命を、タイムリミットまでに成すには先生の力が必要なんだ」
「タイムリミットって、若い人が何を言ってるんですか?あと先生じゃないですってば」
それでも頑なに顔をあげようとしない八宮先輩に私は呆れ半分、困惑半分でため息を吐いた。
「はぁ……わかりました」
ぴくり、と先輩の肩が震える。
「その代わり期待はしないでください」
「うん」
「細かい注文も嫌です」
「うん」
「私は私の描きたいように描きます」
「うん」
「真面目には描きますけど、あくまで趣味の範囲です。それで良ければ」
最後まで言わせてもらえなかった。
八宮先輩が勢いよく顔を上げたかと思うと、私の両手を握り締めた。
「ありがとうっ!」
そのまま上下にぶんぶん振られる。
「わ、わかりましたから。手放してください」
「ごめん。いやぁ、ようやく活路がひらけたので嬉しくて」
さっと手を離して、八宮先輩が私に見せた笑顔は、さっきまでの胡散臭さも大袈裟さもなかった。ただ純粋に喜んでいる顔だった。
「そんなに期待しないでください」
「あぁ、期待してる」
「やめてください。まあ善処しますが」
ふと自分の口角が上がっていることに気づき、ひそかに口を右手で覆う。
──愛衣の絵は賑やかだね。お母さん好きだな
──愛衣ちゃんは将来は絶対すごい絵描きさんになるよ!あたしが保障する
──塩義さん、いつもよく描けてるわね
絵を描けば、周りの人たちが私に笑顔を向けて、私の存在を確かに認めていた。奥底に眠っていた記憶が気泡のように水面におぼろげに浮かんでは消えた。
記憶の中にあるあの人たちと同じ笑顔を八宮先輩は向けてくれている。
これを希望というのだろうか。春風のような心地よい温かさが身体の中から湧き上がる。
私は口を覆っていた手をほどき、八宮先輩を真っ直ぐ見つめ返した。
「八宮先輩」
「ん?」
「漫画を描くことで、私という存在が確かにあって、それでいいんだと証明できるのなら、私も大事を、革命を成したい」
後で思い出したら顔から火が出るほど恥ずかしいことを、今日対面したばかりの二つ上の男性に向かって言っている。
でも、たとえそうだとしても、私が八宮先輩に聞いて欲しかったことで、願いでもあった。
そんな私の声を聞いた八宮先輩は、ありがとう。ありがとう。と言いながら、私の両手を握った。
「そうだ。先生は『斜陽』って小説読んだことある?太宰治大先生の」
「いえ、タイトルくらいしか知らないわ」
「そうか。ならぜひ機会があれば読んでみてほしいのだけれど、太宰大先生はその『斜陽』の中でこう言った。『人間は恋と革命のために生まれてきたのだ』と」
「へえ。先輩、まさか、『恋もしようか』とか言わないですよね?先に断っておきますが、恋をする気はありません」
「僕もだ。今は革命を成すために時間が惜しい」
「それならその引用はおかしくないですか?」
「たしかに」
八宮先輩は豪快に笑った。
その笑顔が妙に頼もしく見えた。この人なら私の世界を変えてくれるかもしれないと、そう思った。
でも恋はしない。あくまで先輩後輩の関係、もしくは対等な同盟関係どまりだろうと思っていた。
そんな八宮先輩の笑顔を、これから何度も見たいと思うようになることに、八宮先輩を好きになっていくことに、この時の私は知る由もなかった。
まだまだ未熟者で勉強中ですので、おかしい点や不明な点、また誤植、誤字、脱字があればぜひ教えてください!
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