第2話 愛衣 大学3年生 7月
「ごめん。俺には、もう…………一緒にいる資格がない……です」
そう言葉にした水斗くんの目尻から夏の夕陽に染められたオレンジ色に輝く涙が頬を伝っていく。
彼がどんな気持ちで私の隣にいてくれたのか。どんな気持ちで笑い、家に通い、何も求めないでくれていたのか。
そんなことを一度も真剣に考えようとしなかった私は、水斗くんの言葉でこの一年間自分がどれだけ身勝手だったのかを思い知らされていた。
アパートの前で立ち尽くしていた水斗くんに一緒に部屋に入ろうと差し出した手を引っ込め、震える唇をなんとか動かしながら、私は声を絞り出した。
「どういう…意味?」
本当は訊かなくてもわかっているのに、私はとことん狡くて、卑怯なやつだと思った。
狡さと卑怯さが露呈した私に水斗くんは何も言ってくれるはずもなく、ただ俯いたままゆっくりと右手を差し出してきた。その手の中には、私の部屋の合鍵が握られていた。
「水斗君?」
彼の名前を呼んでも、俯いたままで何も話さない。
きっと彼との関係はいよいよ終わるのだと自覚した瞬間、私は戦慄した。つい少し前までは、いつそうなってもいいとさえ思っていたくせに、私は水斗くんを失うのが怖くてたまらなかった。
なんとか回避しなければと、そのためにどう言葉をかければ水斗くんを失わずに済むか模索する。だが、結局言葉が見つからず口を小さく開いたり、閉じたりしていると、いよいよ水斗くんは私の手を取り、強引にその合鍵を握らせた。
早く言わなければと、口を開くが言葉がでない。たった一言でもいい。失いたくない。
「わ、わた…」
小さく震わせながらも声が出た瞬間、水斗くんは私の言葉を遮り頭を下げた。
「ごめんなさい……俺は……嘘つきだ」
私は面を食らった。
──嘘つきなのは私だけのはずなのに。
頭を上げた水斗くんは涙で濡れた顔を隠すように逸らした。そしてすぐさま踵を返して走り去って行った。
呼び止めなければ。追いかけなければ。そう思うのに、足は一歩も動かなかった。
そのうち茹だるような七月末の暑さもさほど感じなくなり、騒がしく鳴いていた蝉の鳴き声も遠ざかっていく。結局、彼の背中が完全に消えても、私は自分のアパート前で立ち尽くしていた。
そして視界に残った走り去っていく彼の虚像に小さく呟いた。
「私には…水斗くんしかいなかったんだよ」
どうにもならない私の言葉は、本人届くことなく二十一回目の誕生日のオレンジ色を飲み込む淡い群青の夏空に消える。
だが妥当で必然的な末路だと思った。
──私はほんの一時間前まで、水斗くんの彼女でありながら、別の男性の彼女だったのだから。
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