第15話 水斗 大学2年生 7月その3
「ごめん。水斗くん」
俺が取り乱してしまったせいで、すっかり気を落としてしまった櫻木先輩と二人、大学の講義棟の裏手にあるベンチに並んで座っていた。
先輩は膝の上に乗せた握り拳を見つめたまま、押し黙っている。
「あの……櫻木先輩は、風野るあと知り合いですか?」
俺の質問に櫻木先輩は小さく首を縦に振った。
「うん。同じ学部やし、ゼミの先輩後輩でもあってな。るあ……風野さんと初めてちゃんと話したんは、ゼミの飲み会やった」
櫻木先輩は少し言いづらそうに言葉を選びながら続けた。
「別れるまでの経緯も聞いたで。当然、風野さんの視点やから、水斗くんのことを良くは言ってへんかった。でもな。それでも私は、その話に出てきた元カレさん……水斗くんのこと…その……可哀想やなって思った」
そう言って、櫻木先輩は何もない真っ青な空を見上げる。
「たまたま水斗くんのゼミの先輩と私、知り合いやって、水斗くんって、どんな人って訊いたら、写真まで見せてくれてさ」
櫻木先輩はふふっと小さく笑う。
「その写真、たぶん風野さんに振られた後くらいに撮られたやつやと思う。笑ってたけど、悲しそうな瞳してた。んで思ったんよ。あぁ、この人はきっと辛いことがあっても、それを表には出さんようになんともない風に装う人なんやって。そしたら、なんか私さ、勝手に自分がどうにかしてあげなきゃって燃えちゃって、水斗くんのこと、いっぱい聞いた」
「それで新歓の時、初めて会ったのに俺のこと知ってたのですね」
小さく頷く櫻木先輩。
新歓が始まる前、店の前で友達の七里を待っていた時、初対面の櫻木先輩が俺の名前を呼んだのだ。当然その時は驚いたし、どうして俺の名前を知っていたのか訳がわからなくてもやもやしていたけど、ようやく腑に落ちた。
「ありがとうございます。そんな風に思ってくれて」
「礼言うのはおかしいんちゃう?」
櫻木先輩は困ったように笑う顔をこちらに向ける。
「だって、助けたいとか偉そうなこと思っといて、私がしたんは、水斗くんにちょっかい掛けて、嫌な記憶思い出させて、傷付けて、サイテーな自分を見せただけやもん。そんなんで礼なんか言われたら、虚しいだけよ」
自嘲する櫻木先輩に俺は真っ直ぐ視線を向ける。
「それは俺のことを考えてくれたからでしょ?」
櫻木先輩は即座に首を振った。
「ちゃうな……私のエゴや」
「エゴ?」
「だってほんまに助けたかったら、交際を迫る必要ないやん。つまりさ、ほんまは自分のことだけ見てくれて、愛してくれる……そんな風に水斗くんが私のこと好きになってくれたらいいなって企んでただけよ。水斗くんの傷心した気持ちに漬け込んでな」
「櫻木先輩……」
「改めて口に出してみたら、まあ、卑怯で情け無い女やね、私。そりゃあ塩義さんに勝てんよ」
自嘲するような微笑みを残し、櫻木先輩はさてと…と立ち上がる。
そんな先輩を俺は卑怯で情け無いなんて思ってはいなかった。むしろ俺は自分の存在を認めて、見ようとしてくれたことが嬉しかった。
「櫻木先輩っ」
俺も立ち上がり、櫻木先輩に軽く頭を下げた。
顔を上げると、櫻木先輩はまたくすりと笑う。
「だから礼なんてやめてって。私は卑怯でサイテーな──」
「嬉しかったですっ!」
気付けば櫻木先輩の言葉を割って、口を開いていた。
目を見開く先輩に、本心から言葉を吐き出していく。
「俺、自分はいてもなんの意味もない存在だって思ってました……だから、そんな自分を見ようとしてくれていたことが嬉しかったです」
先輩は呆気にとられながらも、微かに笑みを残しながら俺の言葉を聞くと、じゃあと言って近づいて、手を取ってきた。
「私と付き合って」
「俺が可哀想だからですか?」
悪戯をし返すように笑って訊くと、先輩は首を横に振る。
「水斗くんは可哀想じゃない」
「可哀想じゃないんですか?」
「ちゃう。水斗くんを追いかけてわかったけど、水斗くんは強いんよ。強くて、優しい」
「俺はそんないいものではないです。可哀想なだけが妥当です……でも、それでもごめんなさい。俺はやっぱり塩義さんが好きです」
そう言うと櫻木先輩はわざとっぽく頬を膨らませる。
「あーあ。学内公認で一番可愛い先輩の告白断るの、水斗くんぐらいやで」
「それでも俺は塩義さんが一番好きです。それに、その気持ちを押し殺して、中途半端な気持ちで先輩と付き合っても良い結末ではないと思います」
「ふーん。まあ、そういうことにしといたろ……いやっ!しといたるけどやな……」
そう言うと先輩は目を閉じて、唇に先輩の唇を軽く押し当ててきた。甘い先輩の匂いが遠ざかっていくとともに顔の熱が上がっていき、意識がはっきりしなくなる。
そんな俺に先輩も頬を染めながら、ベーっと舌を出して笑う。
「ムカつくからしたった」
「そんな理由で!?」
「そうや。だって悔しいもん。私、それくらい水斗くんのこと好きやもん。って、あーあ、声に出したら余計諦めれんくなってきた」
「えー」
「皆まで言うな。わかってる。今回は引く。まあ一時撤退ってやつやな」
「頑なですね」
「それは水斗くんもやん。いや、愛衣ちゃんもか」
そこでなぜ塩義さんの名前が出てきたかわからなかった。えらく親しげなのも理解できなかった。
「塩義さんのこと、えらく知った風に言うんですね」
「そりゃね。だって私、こないだ愛衣ちゃんと二人で飲みに行ったしな」
ドヤ顔を披露する櫻木先輩に呆れてしまう。この先輩のコミュ力の高さときたら。
「本当、コミュ力高いですよね」
「まあな」
そう言ってウインクを披露してきた先輩は、あっ、そや!と何か思い出し、俺に満面の笑みを浮かべた。
「なんですかその笑顔。怖いんですけど」
「いやいや、今回困らしちゃったから、お詫びにいいこと教えてあげようと思ってさ」
「いいこと?」
首を傾げる俺の横に回り込み、わざわざ耳打ちで伝えてきた。先輩の吐息にどきりとしながら耳をすませる。
「実は今月の三十一日な、愛衣ちゃん誕生日なんやで」
塩義さんと友人になり二か月強になるが、誕生日のことは聞いたことがなかった。いや、一度そう言う話をしたことはあるが、その時は濁されたのだ。
それを鑑みれば、やはり自分の存在は塩義さんにとってはまだまだ取るに足りないものらしい。
──何かを望む権利なんてないんだよ?
風野るあの言葉が頭の中をよぎり、心臓を掴まれたように苦しくなった。
でも俺は塩義さんにだって愛してほしいと望んでいない。彼女の隣に、近くにいるだけで充分だ。それだけ。それだけなら望む内には入らないと今日も自分に言い聞かせた。
「叶わない恋やけど、誕生日くらいは祝ったりや。あ、ちなみに私の誕生日はあ」
「先輩」
櫻木先輩の言葉を遮りながらも俺は真っ直ぐ櫻木先輩に視線を向けて言った。
「塩義さんとの恋が叶わない恋だとしても構わないくらいに俺は塩義さんが好きなんです。側にいられるだけで十分なんです」
「へえ。言うやん」
「ええ。だから誕生日だって、友達としてちゃんと祝いますよ」
「がつがつしていけよ。男やろ?」
「先輩は少し引いた方がいいと思いますが」
「えー、水斗くん知らんのお?がつがつくる系女子は意外と男子に需要あるんやでえ」
「だとしても俺は違いますけどね」
「ちなみにがつがつ系女子の私は水斗くんの誕生日を祝うつもりでいまあす」
「へえー、俺の誕生日知ってるんですか?」
「八月三十一日」
正解であった。
呆気にとられていると、先輩はくすくすと笑いながらピースをして喜んでいた。
だが、その年の八月三十一日、俺が櫻木先輩と過ごすことはなかった。
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