第11話 愛衣 大学2年生 6月その1
八宮先輩と初めて出会ったこの公園はすっかり夏の気配をまとっている。
枝先には濃い緑の葉が生い茂り、風が吹くたびに青々と揺れる。そんな草木の匂いを含んだ爽やかな風が頬を撫でていく。
だが私の心は空に広がる青空のように澄んではいない。昨日までの、曇天のように濁った不安が私の心を支配している。
スマホを取り出し、八宮先輩とのタイムラインの画面を開けば相変わらずため息が溢れる。私の心を支配する不安の根源でもある。
八宮先輩が消息を絶ってから丸一か月が経った。
メッセージに既読がつかなければ、返信すらない。そんな先輩とのタイムラインは私の一方的なメッセージで溢れ返っている。
【原作ストックがなくなりました。漫画打ち切りですか?】
【心配しています。連絡ください】
【通知見てるならすぐ連絡ください】
【先輩のことで頭がいっぱいです。親友にも冷たくしてしまいましたし。ちゃんと謝罪しましたが】
【いい加減、連絡ください】
返信がなければ通話も繋がらないし、大学でも見かけることはない。
居た堪れなくなり、八宮先輩が代表を務めていた漫画研究会に足を運んだ。しかし案の定、ゴールデンウィーク前に来て以来、音沙汰がないと言われた。
──男と女ではあるが僕たちは戦友で、大事を成すための同盟関係なんだ。だろ?
半年前のクリスマス、先輩が言ったあの言葉を否定し、正直に好きだと口にしていれば先輩は黙って私の前から消えることはなかったのだろうか。
考えれば考えるほど、ぽつりぽつりとさらに不安が黒く心に滲んで広がっていく。
嫌になったのなら、どこが嫌か言ってほしかった。
悪いことをしたのなら、指摘してほしかった。
離れたいのなら、せめて理由だけでも教えてほしかった。
そんなことばかりを先輩とのタイムラインを眺めては頭の中で反芻し、挙げ句の果てにはスマホの画面に涙を落とす。
当たり前に思っていた明るいはずの明日は今や真っ暗になった。そんな真っ暗な明日を、私は漫画を描き続けることで八宮先輩との繋がりを確かめて、かろうじて明るく照らしている。
だがそんな漫画もどうするのだろうか。qixivではランキング上位の常連になって、いつ出版社の声がかかってもおかしくはないくらいなのに、先輩からもらった原作は残り一話分しかない。私が作ったストーリーを混ぜるか悩んだが、ストーリーが破綻してしまう気がして自信がない。
そもそも私たちが目指していた大事は、革命はどうするのだろうか。これまでの半年間を共に頑張ってきたというのに。自分たちの恋心を押し殺して戦友として寝る間を惜しんでやってきたのに。
──いや、八宮先輩との繋がりがなくなるのなら、もう悩むだけ無駄なのかもしれない
八宮先輩との唯一の繋がりである漫画も、ストックがなくなれば描けなくなる。会える気配もない。そもそも見限られたのかもしれない。
──先輩と出会う前に戻っただけの話じゃない
私の中の私がそう囁き続ける。結局、絵を描いて私が獲れたものは梅雨と消えにし儚き夢だったのだ。
早く諦めてしまおう。先輩を追いかけることも、絵を描くことも。
思い知ったはずだ。絵を描くことでしか自分という存在を見出せない私にとってこの世界は生きにくいんだと。みんな私から離れていくんだと。
──だからもう終わりにしよう。私の恋も革命も。そして死のう
自己暗示にかかったように身体が動く。
公園のテーブルの上に置いた先輩からもらった液タブを乱雑にカバンに押し込める。
「愛衣」
背後から飛び込んできた声に私は反射的に振り返った。
目前にいる彼がこの一か月間、消息を絶っていた八宮先輩だと理解すると、私の中から怒りや寂しさ、嬉しさ、安心感といろんな感情がごちゃ混ぜになり、一気に涙となって込み上げてきた。
滲んでいく視界に映る八宮先輩はいつも通りの笑顔を浮かべていた。
「なんで昼休みを一人で過ごしてるんだ?親友、できたんじゃなかったっけ?」
本気で殴ってやろうかと思った。本当にこの人は一か月も音信不通になっておいて、革命も放り出して、心配だけさせて。久しぶりに会った言葉がそれなのか。
怒鳴りつけてやりたかった。
泣かせた分だけ困らせてやりたかった。
そんなことを考える私を見て先輩は顔を引きつらせる。
「あれ…怒ってる?」
当然だ。と言わんばかりに涙で濡れた目で睨みつける。
「ごめん。色々立て込んでて学校には出れないし、スマホもぶっ壊れてさ。修理から戻ってきたのもつい一時間前!」
「だから?」
「だからって……あの、嘘じゃないから。ほら未読通知も百件以上あるだろ?ガチなんだって」
そう言って先輩はスマホの画面を見せようとスマホを差し出してきたが、私はスマホごと先輩の手を払った。
「ちょっ!何にすんだよ」
「ばか!あほ!大嫌いっ!」
狼狽える先輩に暴言をぶちまける。
そして私は先輩に鋭い視線をぶつけたまま、先輩へとにじり寄り、腕を伸ばした。
「愛衣?!」
八宮先輩の驚いた声を無視して、私は先輩を強く抱きしめた。
「離さない…絶対……離さないんだからっ」
もう嘘をついて、後悔はしたくない。私はその一心だった。
だからこそ、私は迷うことなくずっと言いたかった言葉をようやく口にした。
「八宮先輩…私と結婚を前提にお付き合いしてください」
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