第10話 水斗 大学2年生 4月その3
「俺は……塩義さんとが、いいです」
言った瞬間、自分で何を口走ったのかわからなくなった。ただ初対面同然の相手に言う言葉では絶対になかったことだけはかろうじて理解できた。
「あっ、いや、その……」
慌てて取り繕おうとするも言葉が続かず、口だけが開いては閉じ、開いては閉じる。
そんな俺に塩義さんはくすりと笑った。
俺が初めて見た塩義さんの笑顔だった。
感情を隠すような切れ長の瞳も、いつもどこか遠くを見ている横顔も、今だけは柔らかくほどけていた。そしてそれは間違いなく俺だけに向けられている。
身振り手振りも、声を出すことすら忘れた俺に塩義さんは微笑を残しながら口を開いた。
「あなたも変わり者なの?」
「へ?」
塩義さんは呆けた俺の返事に微笑を引っ込め、残っていたウーロン茶を飲み干し、グラスに残った氷を水滴がついたガラス越しに見つめた。
「変わり者じゃなきゃ、私と一緒にいてもつまらないから」
「か、変わり者……です」
「へぇー。じゃあどういうところが?」
「どういうところ?」
「変わり者なんでしょ?」
普段は表情を変えない塩義さんがまた微笑んだ。
本当はよく笑う人なのだろうか?それとも……いやいや、驕るなと自分を一蹴する。
都合のいい勘違いを打ち消しながら、変わり者と思われるようなエピソードを絞り出した。
「え、えと……俺はその…カレーがめちゃくちゃ好きで…」
「私も好きだわ」
塩義さんが身体をこちらに向けて相槌を打ってくれた。それだけで意識が飛びそうになった。合間合間にバレないように呼吸を整えつつ、なんとか声を振り絞る。
「なんでもカレーをかけるのですが、こないだライスを塩サバにしてカレー塩サバを食べました……ライスなしで。それくらいカレーが好きな変わり者……っていう」
塩義さんの顔から笑顔が消えた。
終わったと思った。
「変わってるね」
乾いたような声に恥ずかしくなり顔を伏せる。あぁ、帰りたい。
「私は高校の自分が自殺未遂をする漫画を描いたわ」
面を食らった。顔を上げると塩義さんは小首を傾げながらこちらに視線を向けていた。
「ねえ、私も変わり者よね?」
反射的に答えるしかない。
「そうですね…変わってますね」
その返事に塩義さんはなぜか表情を柔らかくした。安心した感じもする。
「変わり者がいいんですか?」
「まあね」
「どうして?」
「当たり前のありふれた考えなんてつまらないじゃない」
迷わず答えた塩義さんは伏し目がちに小さく微笑み続けて口にした。
「それに変わり者なら大事を成せるもの」
「大事?」
「そう。大事」
「大事とは、つまり具体的にはどういうことを?」
「具体的には答えられない。けど、ある分野でね、私は尊敬してる人と今一緒に大事を成すために革命を起こそうとしているの」
革命。それはあまりにも大きな言葉だった。
なのに塩義さんは、それをまるで自慢の宝石でも見せるみたいに少し身を乗り出し、初対面同然の俺へ堂々と言ってのけた。
俺はただ呆気に取られるしかない。
「まあ、私とその人の話だもの。そういう顔になるのも無理がないわ。だから今の話は忘れて」
その言葉ではっとした。せっかくできた接点を自分から切り捨てるところだった。
愚かしいことをするところだったと、ひやりとして、急いで言葉を出した。
「詳しくはわからないけど、俺は応援します!大事を成すか……うん、変わり者の俺でもびっくりしましたよ。いいなあ。すごいなぁ」
上手く言葉にならない。けれど本心だった。何をしようとしているのかはわからないけど、それでも塩義さんと彼女が尊敬するその人なら本当に何かを成し遂げてしまいそうな気がした。
ただそれをうまく口にできなくて、大袈裟なリアクションになってしまった。そんな俺を塩義さんは無表情のまま、じっと見つめてきた。
「ねえ」
「は、はい」
「私、そもそも君の名前を知らないんだけど。てか同学年……よね?どうして敬語なの?」
その一言が地味に胸へ刺さった。
俺は毎日彼女を目で追っていたけれど、彼女からすればゼミで一度挨拶しただけの男に過ぎない。当然だ。
勝手に親しくなった気でいた自分が急に恥ずかしくなる。
「ご、ごめんなさい」
「いや、謝らなくていいから。あ、私は塩義愛衣」
「お、俺は速水水斗」
「そう。速水くんね」
そう言うと塩義さんは目を細めて、シルクのように透き通った白い華奢な手を目の前に差し出した。
「ん?…え?」
「握手しましょ。速水くん」
握手を強要するように腕を伸ばす塩義さんに、俺はついに思考回路をショートさせ、目を白黒させながら手の先を握る。
すると塩義さんは眉をひそめた。
「私の手を不潔に感じているのかしら」
慌てて白い華奢な手を包み込むように握ると、塩義さんはいたずらに笑った。
「冗談よ」
「あ、あの…ごめんなさい」
「さっきから謝りすぎじゃない?速水くん」
「え…と……」
塩義さんは握られた手を上下にゆっくり振りながら、俺に囁きかける。
「ねえ、速水くん」
アイスクリームのように甘く、とろけそうな声に俺の意識は再び捕らわれた。
「はい…」
「私と友達になってほしいの」
突飛しもないお願いに思わず呆気に取られてしまう。
「友達?」
「友達。できれば親友」
「それは…」
「嫌?」
「嫌じゃない嫌じゃない!」
願ってもないことだ。そうか、こういうことを千載一遇のチャンスと世間は言っているのか。ならばこのチャンス、何がなんでも掴むしかない。
とはいえ、あまりに都合が良すぎると思ったので、少しだけ冷静になって訊ねた。
「あの…なんで俺なんかと?」
「速水くん、変わり者なんでしょ?」
「え…まあ。そう…だね。変わり者だ、俺は」
「だからよ。私と価値観を合わせるには私と同じように変わってなければ無理だもの」
「な、なるほど」
「それにね、私は友達がいないの」
それは何となく予想できていた。
ゼミでもいつも一人だし、誰かと群れている姿を見たことがない。
そんなことを思い出していると今度ははジト目でこちらを睨んできた。
「『知ってる。だってお前、友達できないような雰囲気かもしてるもんな。ぐへへへ…』とか思ってる?」
「思ってない思ってない」
「速水くん、さっきの『嫌じゃない嫌じゃない』みたいにリピートして強調すれば誤魔化せると思ってる?」
「神に誓って思ってない!いや、針千本だって飲めるくらいに嘘はついてない!」
「そっ。じゃあ嘘ついてたら、死んでもらうから」
「針千本よりも重くなってない!?」
「冗談よ。友達が死んでいなくなったら、私の尊敬する人がまた私を心配するから」
「塩義さんが尊敬するその人が、塩義さんに友達をいないことを心配してるの?」
「そうね。なんでも私が一人で塞ぎ込んでる風なのが心配みたい」
「だから俺と友達に?」
「そうよ。ひょっとして薄情な理由で不満?」
「いや、そんなことはない。むしろ嬉しいよ。塩義さんと友達になれて」
「私も嬉しいわ。そう言ってくれて」
そう言うと塩義さんはぴしっと人差し指を指してきた。
「ただし、私たちの友達ってのは、あくまでも大学内でくっちゃべるくらいの関係ね。私のプライベートまでに関係を侵食させるのは嫌。それでもいいかしら?速水くん」
期待した展開に牽制をされたが、それでもいい。大学内だけでも今みたいに塩義さんの普段誰にも見せない笑顔とか、不機嫌な顔とか、そういう特別な塩義さんを一番近くで見られるのなら、彼女の言う友達になれるだけで光栄だ。
「わかった。俺たちの友達としての関係はあくまで学校内限定ってことだよね」
「そうね。理解が早くて助かるわ」
そう言うと塩義さんはQRコードが画面に表示されたスマホを差し出してきた。
「じゃあ今日から私たちは友達ね。改めてよろしく。速水くん」
こうして今日、四月二十四日金曜日。俺は憧れだった塩義さんと友達になっただけでなく、連絡先も交換した。
これだけで満足だった。少なくともこの時は。
だが三ヶ月後、俺は──。
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