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愛で人は強くなれますか? -アルディア帝国物語-  作者: ハリネズミぽん助


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第七話 勇気


レオヴェインは朝の支度を終えると、庭へ向かった。


「母様。」


「何か手伝えることはありますか。」


エレノアは風に揺れる金褐色の髪を耳へかけながら、優しく微笑んだ。

 

「それでは。」


「森の浅いところの薬草を、少しお願いできますか。」

 

「今日は薬草茶を淹れようと思うのです。」

 

レオヴェインはうなずく。


「分かりました。」


そのやり取りを聞いていたリューベルが駆け寄ってきた。


「ぼくも!」


「ぼくもいく!」


レオヴェインは口元をわずかに緩めた。


「森の奥へは行かない。」


「約束だ。」


リューベルは元気よくうなずいた。


「うん!」



兄弟は並んで歩き始めた。


朝の森は静かで、木漏れ日が揺れ、鳥のさえずりが心地よく響いていた。

 

リューベルは花を見つけるたびに立ち止まる。


「にいさま!」


「みて!」


レオヴェインは振り返る。


「遠くへ行くな。」


「うん!」


リューベルは嬉しそうに笑った。


やがて、一人の女性が駆け寄ってきた。


髪は乱れ、肩で息をしている。


顔は青ざめ、今にも泣き崩れそうだった。

 

「すみません!」


「息子を見ませんでしたか?」


「五歳の子なんです!」

 

レオヴェインは首を横に振る。


「その子の名前は?」


「ルカです。」


「目を離した隙に……。」


「森へ入ってしまって……。」


女性は震えていた。


「探しましょう。」

 

女性は何度も頭を下げた。


「ありがとうございます……!」


レオヴェインは辺りを見回した。


このまま一緒に探すより、手分けをした方が早い。


「別れて探しましょう。」

 

「見つけたら、呼んでください。」


女性はうなずく。


「はい!」


レオヴェインとリューベルは女性と別れた。


リューベルは兄の後ろをついて歩く。


辺りを見渡しながらしばらく進む。


レオヴェインは足を止めた。


地面を見る。


小さな足跡。


踏み荒らされた草。


折れた細い枝。


その痕跡は。


森の奥へ続いていた。


レオヴェインは静かに息を吐き、少し考えた。

 

その先は、ヴァルディスに固く禁じられている場所。


魔物が住む森の奥。


祖父の言葉が頭をよぎる。


――実戦は、まだ早い。


――魔物は、人とは違う。


レオヴェインは拳を握る。


だが。


あの子は、一人だ。


レオヴェインはリューベルへ向き直る。


「リューベル。」


「ここで待っていろ。」

 

「でも……。」


「絶対に動くな。」


「すぐ戻る。」


リューベルは不安そうな顔で兄を見つめた。


「……うん。」


レオヴェインは小さくうなずく。


剣の柄へ手を添えた。


そして。


その背中は、少しずつ森の奥へ消えていった。



レオヴェインは慎重に森の奥を進んだ。


耳を澄ませる。


風が木々を揺らす音。


鳥の鳴き声。


どこだ。


どこにいる。


その時だった。


「ママー!」


「たすけてー!」


幼い悲鳴が森に響いた。


レオヴェインは顔を上げると、声のした方へ駆け出し、茂みを抜けた。

 

その先で、一人の男の子が追い詰められ尻もちをついていた。


目の前にいたのはファングウルフ。


普通のウルフより一回り大きな体。


長く伸びた牙からは唾液が滴り落ち、黄金色の瞳が獲物を鋭く見据えていた。

 

男の子は震えながら後ずさる。


逃げられない。


レオヴェインの足が止まった。


鼓動が速くなる。


手に汗がにじむ。


剣を握る手が、小さく震えた。


目の前にいるのは、本物の魔物。


訓練ではない。


模擬戦でもない。


命を奪い、命を奪われる戦い。


初めての実戦だった。


その一瞬。


頭をよぎる。


――勝てるだろうか。


――もし負けたら。


その時だった。


男の子と目が合った。


涙でいっぱいの瞳。


助けを求める瞳。


レオヴェインは深く息を吸った。


澄んだ翠色の瞳から、迷いがゆっくりと消えていく。

 

その瞬間。


鮮やかな翠の光が、静かに刀身を包んだ。


レオヴェインは震える足を、一歩前へ出した。


男の子の前へ立つ。


「大丈夫だ。」


「私が守る。」

 

ファングウルフが低く唸る。


黄金色の瞳が、ルカを狙っていた。


ファングウルフが飛びかかる。


レオヴェインは一歩前へ踏み出し、剣で牙を受け止めた。

 

重い。


腕がしびれる。


だが、押し返す。


「動くな。」


「後ろにいろ。」


ルカは震えながらうなずいた。


ファングウルフは距離を取る。


円を描くように歩く。


獲物を狙う目。


狙っているのは自分ではない。


後ろの子どもだ。


レオヴェインは動かない。


動けば隙が生まれる。


守れなくなる。


再び飛びかかる。


速い。


今度は横から。


レオヴェインは身体を滑らせるようにして割って入る。


鋭い爪が腕を裂き、熱い痛みが走る。


それでも目は逸らさない。

 

(焦るな。)


(まだだ。)


ファングウルフは獲物を狙っている。


ならば。


必ずもう一度、ルカを狙う。


その瞬間が来る。


レオヴェインは息を整えた。


震える手を強く握る。


(……何を震えている。)


祖父の言葉が脳裏によみがえる。


――じゃが、大切な者がおる時、人は思っておる以上に強くなれる。

 

(この子は、リューベルと同じ五歳だ。)


(この程度、乗り越えられなくて。)


(どうやってリューベルを守る。)


その瞬間。


ファングウルフが一直線にルカへ飛び込んだ。


ここだ。


レオヴェインは強く一歩踏み込む。


翠の光をまとった剣が、一閃する。

 

ファングウルフの首を深く斬り裂いた。


巨体は地面へ崩れ落ち、一度立ち上がろうとしたが、そのまま動かなくなった。

 

静寂が戻る。


レオヴェインは大きく息を吐いた。


剣を納めようとして。


ようやく気づく。


手が、まだ震えていた。


初めての実戦。


それでも。


守ることができた。

 

その時。


茂みの向こうから、小さな足音が聞こえた。

 

「……にいさま。」


レオヴェインは振り返る。


そこには、青ざめた顔のリューベルが立っていた。

 

「リューベル!」


「なぜ来た!」


リューベルは肩を震わせる。


「だって……。」


「にいさまが……。」


言葉にならない。


涙があふれる。


レオヴェインは目を閉じ、小さく息をついた。


しゃがみ込む。


そっとリューベルの頭を撫でた。

 

「約束は守れ。」


リューベルは涙をぬぐいながら、小さくうなずいた。


「……うん。」


その返事を聞くと、レオヴェインは立ち上がった。


「帰ろう。」

 

そう言ってルカを抱き上げた。


その時だった。


「ルカー!」


森の奥から必死な叫び声が響く。


「お母さん!」


ルカが大きな声で叫ぶ。


草をかき分ける音が近づく。


次の瞬間。


母親が飛び出してきた。


息を切らし、顔には涙が浮かんでいる。


ルカの姿を見るなり駆け寄り、強く抱きしめた。


「よかった……!」


「本当によかった……!」


何度も何度も頭を撫でる。


ルカも母親にしがみつき、大粒の涙をこぼした。


しばらくして母親は顔を上げる。


レオヴェインへ深く頭を下げた。


「本当に……ありがとうございました。」


レオヴェインは静かに首を振る。


「無事でよかったです。」


艶のある黒髪が風に揺れる。


傷ついた腕からは血が流れている。


それでも背筋は真っすぐだった。


リューベルは、その背中を見つめていた。


兄は震えていた。


怖かったはずなのに。


前へ出た。


この気持ちは、まだ分からない。


だけど。


兄は、かっこよかった。


(ぼくも……。)


(兄様みたいになりたい。)


リューベルは、兄の大きな背中を見つめ続けていた。



挿絵(By みてみん)

画像はイメージです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

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