第六話 約束
初夏の朝。
やわらかな陽射しが庭へ降り注いでいた。
花の甘い香りを乗せた風が、そっと頬をなでる。
五歳になったリューベルは、花壇で一輪ずつ花へ水をあげるエレノアを見つめていた。
じゃあ。
じゃあ。
静かな庭に、水の音だけが響く。
花壇は広く、色とりどりの花がたくさん咲いている。
朝日に照らされた金褐色の髪が、風にやさしく揺れていた。
リューベルはぐるりと見回した。
「おかあさま。」
「はい?」
「これ、ぜんぶ?」
エレノアは微笑む。
「はい。」
「今日は全部のお花に、お水をあげます。」
リューベルはもう一度花壇を見る。
一人じゃ大変だ。
少し考えて。
ぱっと顔を輝かせた。
「おかあさま!」
「ぼくもやる!」
エレノアは目を丸くし、やがて嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。」
小さなじょうろを手渡した。
「では。」
「最後まで、一緒ですよ。」
リューベルは大きくうなずく。
「うん!」
小指を差し出した。
「やくそく!」
エレノアも優しく小指を重ねる。
「約束です。」
少し離れた場所では、ヴァルディスが小さな木剣を削っていた。
リューベルは嬉しそうに水をあげる。
じゃあ。
じゃあ。
花は嬉しそうに水を飲んでいく。
エレノアは優しく微笑んだ。
「上手ですね。」
その時。
花から花へ遊ぶように舞っていた青い蝶が、ふわりと目の前を横切った。
「ちょうちょだ!」
リューベルの目が輝く。
リューベルは小さなじょうろをその場へ置く。
クリーム色の髪を揺らしながら、ぱたぱたと蝶を追いかけていった。
エレノアはその背中を見送った。
少し笑って。
静かに水をあげ続ける。
◇
蝶を追いかけていたリューベルが戻ってくる。
花壇を見る。
「あ……。」
花は朝日を浴びて嬉しそうに揺れている。
けれど。
水やりは、もう終わっていた。
地面には、自分の小さなじょうろ。
リューベルはうつむく。
「やくそく……。」
「まもれなかった……。」
エレノアは静かにしゃがみ込み、優しい緑の瞳でリューベルを見つめた。
「リューベル。」
「どうして、お手伝いをしたいと思ってくれたのですか?」
リューベルは少し考える。
「かあさま、ひとりじゃたいへんだとおもったから。」
エレノアは嬉しそうに微笑んだ。
「そうでしたね。」
「お母様は。」
「リューベルがお手伝いしたいと言ってくれて。」
「とても嬉しかったですよ。」
リューベルは青灰色の目を丸くする。
約束をした時。
母様は笑っていた。
自分も嬉しかった。
その笑顔を思い出した。
ヴァルディスは木剣を置き、ゆっくり近づいてきた。
「リュー。」
リューベルは顔を上げた。
ヴァルディスは穏やかに笑う。
「約束を交わした時、嬉しかったじゃろう。」
リューベルは静かにうなずく。
「その気持ちを。」
「忘れんことじゃ。」
「……うん。」
エレノアは立ち上がる。
そして庭の奥を指差した。
「でも。」
「まだ終わっていませんよ。」
リューベルが顔を上げる。
庭の隅には、小さな花壇が残っていた。
エレノアは小さなじょうろを差し出す。
「最後まで。」
「一緒です。」
リューベルの表情がぱっと明るくなる。
「うん!」
じょうろを受け取り、走り出した。
エレノアもその隣へ並ぶ。
じゃあ。
じゃあ。
小さな花壇へ、水が注がれていく。
ヴァルディスは二人の背中を見つめる。
穏やかに笑った。
「約束も。」
少し笑う。
「ラブじゃよ。」
リューベルは振り返り、嬉しそうに笑った。
「らぶ!」
エレノアは笑う。
「ふふふっ。」
ヴァルディスは空を見上げる。
初夏の風が白髪を静かに揺らし、青空の向こうでは小さな雲がゆっくり流れていた。
「エル……。」
「あの日の想いは。」
「今も忘れておらん。」
鋼色の瞳に、穏やかな笑みが宿る。
「まだまだ……じゃがな。」
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