第五話 ごめんなさい
冬の日差しが窓から差し込み、部屋をやわらかく照らしていた。
フェリシアは鏡の前に立ち、小さな木箱をそっと開く。
中には、花の形をした木の髪飾りが入っていた。
少しいびつで、彫り跡も残っている。
それでも、フェリシアにとっては何より大切な宝物だった。
まだ幼かった頃、母エレノアが自ら木を削って作ってくれたものだ。
◇
「お母様が作ったの?」
「はい。」
エレノアは少し恥ずかしそうに笑った。
「実は……三つも失敗してしまいました。」
フェリシアがくすっと笑う。
「でも、この子だけは、ちゃんと咲いてくれました。」
そう言って、髪へ飾る。
「世界で一つだけですよ。」
◇
それ以来、嬉しい日にはいつも身につけていた。今日は、成長祭の日。
帝国では毎年冬になると、十五歳までの子どもたちの成長を家族で祝う。
この日祝われるのは、十三歳のレオヴェイン、十一歳のフェリシア、そして三歳のリューベルだった。
フェリシアは髪飾りをそっと髪へ留める。蜂蜜色の髪に、小さな木の花が優しく咲いた。
鏡へ向かって少し照れくさそうに笑うと、皇后宮の居間へ向かった。
◇
皇后宮の居間には、すでにレオヴェインとリューベルがいた。
レオヴェインは長椅子に腰掛け、本を読んでいる。
「おにいさま。」
「なんだ。」
「ぷれぜんと、なにかなあ。」
「さあな。」
「たのしみ!」
そこへフェリシアが入ってくる。
リューベルが嬉しそうに駆け寄った。
「ふぇーしゃ! みて!」
今日のために用意された礼服を誇らしげに見せる。
「とてもよく似合っていますよ。」
リューベルは得意げに笑った。
その時。
コン。
……コン。
少し間を置いた、控えめなノックが響いた。
「どうぞ。」
扉が開き、ジークハルトが入ってくる。
その手には、三つの包みがあった。
「お父様。」
「ちちうえ!」
リューベルが嬉しそうに駆け寄る。
途中で足をもつれさせると、ジークハルトは無言でその身体を支えた。
それから、持っていた包みを机の上へ置く。
「……お前たちに。」
短く、それだけを告げる。
リューベルの瞳が輝いた。
「ぼくのも?」
ジークハルトは小さくうなずいた。
「やったー!」
その時だった。
廊下から大きな声が響く。
「レオー! フェリー! リュー! 入るぞー!」
ドン、ドン!
返事を待たず、扉が勢いよく開いた。
雪のような白髪を揺らしながら、ヴァルディスが豪快に笑っている。
両手には、抱えきれないほどの贈り物。
「成長祭、おめでとうじゃ!」
「お祖父様!」
「じーじ!」
リューベルが駆け寄る。
ヴァルディスは荷物を侍従へ押しつけると、その小さな身体を抱き上げた。
「また重くなったのう!」
「おおきくなったよ!」
「そうじゃ、そうじゃ!」
ヴァルディスは満面の笑みを浮かべる。
「今日はお前たち三人が主役じゃ!」
部屋の空気が一気に和らぐ。その時、ヴァルディスの目がフェリシアの髪飾りに留まった。
「おお、今日はその髪飾りか!」
「はい。」
「エレノアが一生懸命作っておったものじゃな。」
フェリシアは嬉しそうに髪飾りへ触れた。
「今日は、これを身につけようと思いました。」
「そうかそうか!」
ヴァルディスは楽しそうに笑った。
「エレノアが見たら大喜びじゃ!」
リューベルも姉の髪へ目を向ける。
蜂蜜色の髪に咲く、小さな木の花。
その瞳が輝いた。
「ふぇーしゃ。」
「なに?リューベル。」
「きれい!」
「ありがとう。」
フェリシアは嬉しそうに笑う。
「これは、お母様が作ってくださったものなのですよ。」
「おかあさまがつくったの?」
「はい。」
「さわっていい?」
小さな手が伸びる。
フェリシアは少し迷ったものの、優しくうなずいた。
「そっとだよ。」
「うん!」
リューベルの指が木の花へ触れる。
「きれい……。」
夢中になって見つめる。
小さな手に思わず力が入った。
「リュー──」
ぐいっ。
ぱき。
乾いた音がした。
木の花びらが一枚、床へ落ちた。
部屋が静かになる。
フェリシアは壊れた髪飾りを見つめた。
震える手で拾い上げる。
折れた花びらを合わせてみる。
戻らない。
もう一度。
合わせる。
やっぱり、戻らない。
「……。」
「ふぇーしゃ。」
リューベルが不安そうに呼ぶ。
フェリシアは顔を上げた。
笑わなきゃ。
大丈夫って言わなきゃ。
そう思うのに。
穏やかな青い瞳から、涙が一粒落ちた。
もう一粒。
止まらない。
「だ、だい……。」
言いたかった。
でも。
涙で声にならなかった。
リューベルは固まった。
フェリシアが泣いている。
いつも笑ってくれる姉が、自分の前で泣いている。
どうして。
どうしたらいい。
小さな胸が苦しくなる。
ヴァルディスは動かなかった。
ジークハルトも、どう声を掛ければよいのか分からず戸惑っている。
レオヴェインは一歩踏み出しかけた。
だが、その足を止めた。
リューベルは壊れた髪飾りを見る。
泣いているフェリシアを見る。
もう一度、髪飾りを見る。
自分が引っ張った。
髪飾りが壊れた。
フェリシアが泣いた。
小さな頭の中で、起きたことが少しずつつながっていく。
どうしたら。
どうしたら、笑ってくれる。
リューベルは一生懸命考えた。
そして。
フェリシアの服を、小さな手で握る。
「……ふぇーしゃ。」
フェリシアが、涙の滲んだ目で弟を見る。
リューベルの顔も、泣きそうに歪んでいた。
小さな口が何度か動く。
うまく言葉にならない。
それでも。
「……ごめなしゃい。」
たどたどしい声だった。
フェリシアは涙を拭う。
目の前には、今にも泣きだしそうな顔のリューベルがいた。
ふと、幼い日の母の笑顔が浮かぶ。
『物は、いつか壊れてしまいます。』
『でも。』
『そこに込めた想いは、なくなりません。』
フェリシアは小さく息を吸った。
壊れた髪飾りを胸へ抱く。
悲しい。
本当に悲しい。
それでも。
目の前で、リューベルも苦しんでいる。
フェリシアは手を伸ばし、リューベルをそっと抱きしめた。
「……うん。」
涙は、まだ止まらない。
「ありがとう。」
「『ごめんなさい』って言ってくれて。」
リューベルも、小さな腕で姉へ抱きついた。
「ごめん、なさい……。」
「うん。」
フェリシアは弟の髪を優しく撫でる。
「今度は一緒に、大切にしようね。」
「うん!」
リューベルは力いっぱい頷いた。
ジークハルトの肩から静かに力が抜け、レオヴェインも安堵したように微笑んだ。
……ヴァルディスだけは、二人を見つめたまま動かなかった。
口元が震える。
目尻には、いつの間にか涙が滲んでいた。
「……まったく。」
ヴァルディスは涙を流しながら笑った。
「お前たちは、本当に……。」
言葉が続かない。
二人をまとめて抱き寄せる。
「いい子じゃ。」
「本当に、いい子じゃ。」
「じーじ、くるしい……。」
「す、すまん!」
ヴァルディスが慌てて腕の力を緩める。
フェリシアは涙を浮かべたまま、くすりと笑った。
その光景を見ていたレオヴェインが尋ねる。
「……お祖父様。」
「なんじゃ?」
「謝ることは、大切なのですね。」
「うむ。」
ヴァルディスは二人を交互に見つめた。
「じゃがの。」
「謝るだけでは足りん。」
「許す者がおるから。」
「ごめんなさいは、届くんじゃ。」
フェリシアはリューベルを抱きしめたまま、静かにうなずいた。
「はい。」
ジークハルトがゆっくりと歩み寄る。
フェリシアを見つめる。
一瞬だけ、その瞳が揺れる。
何かを言いかけて、口を閉じた。
そして、小さくうなずく。
フェリシアは目を潤ませながら微笑んだ。
「ありがとうございます、お父様。」
◇
コン……コン。
相手を気遣うような、優しいノックが響いた。
「失礼します。」
扉が開く。
柔らかな金褐色の髪を肩へ流し、エレノアが焼きたてのお菓子を運んできた。
「お待たせしました。」
甘い香りが、部屋いっぱいに広がる。
リューベルの顔が輝いた。
「おかし!」
「ふふ。もちろん、リューベルの分もありますよ。」
エレノアは三人の子どもたちを見渡し、優しく微笑んだ。
「今年も、健やかに育ってくれてありがとう。」
三人はそれぞれ頷く。
「さあ。」
エレノアはお菓子を机へ並べる。
「冷めないうちにいただきましょう。」
「やったー!」
「今日は成長祭じゃ!」
ヴァルディスも声を上げる。
「三人とも、たくさん食べるんじゃぞ!」
フェリシアは席へ着こうとして、ふと木箱へ目を向けた。
中には、欠けた木の花と一枚の花びら。
元には戻らない。
それでも。
フェリシアは木箱を胸へ抱き、家族を見渡した。
自然と笑みがこぼれる。
冬の日差しが、部屋を優しく包んだ。
家族の笑い声は、いつまでも響いていた。
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