第四話 ありがとう
秋の風が庭を優しく吹き抜ける。
木々は少しずつ色づき始め、花壇では秋の花々が静かに揺れている。
庭の一角に小さな机が置かれ、その上には焼きたての小さなお菓子が並び、甘い香りが庭へ広がっていた。
風に柔らかな感褐色の髪を揺らしたエレノアが優しく微笑んだ。
「フェリシア。上手にできましたね。」
水晶のような青い瞳を輝かせ、フェリシアは嬉しそうに笑う。
「お母様が教えてくださったからです。」
「いいえ。」
エレノアは首を横に振る。
「フェリシアが一生懸命作ってくれたからですよ。」
そこへ、ヴァルディスがやって来た。
「おお!」
「うまそうじゃのう!」
フェリシアは焼き菓子を一つ持ち上げ、ヴァルディスへ差し出した。
「お祖父様。どうぞ。」
「おお!」
ヴァルディスは嬉しそうに受け取ると、一口食べた。
「うまい!」
「世界一じゃ!」
フェリシアは照れくさそうに笑った。
その隣ではまだ二歳のリューベルが、小さな口を一生懸命動かして焼き菓子を頬張っていた。
「もぐ。」
「もぐ。」
エレノアは、少し離れた場所で木剣の手入れをしているレオヴェインへ目を向けた。
「レオヴェイン。」
「あなたもどうですか。」
レオヴェインは顔を上げる。
「よろしいのですか。」
「もちろん。」
フェリシアが焼き菓子を持って駆け寄った。
「お兄様。」
「はい。」
レオヴェインは受け取って一口食べると、少し驚いたように翠色の瞳を見開いた。
「……美味しい。」
フェリシアの顔がぱっと明るくなる。
「本当ですか!」
「ああ。」
「上手にできたな。」
フェリシアは嬉しそうにエレノアを見つめ、エレノアも優しく微笑んだ。
その時だった。
リューベルは食べ終えると、そのまま遊びに行こうとした。
「リューベル。」
エレノアが優しく呼び止める。
「何か忘れていませんか?」
リューベルは首をかしげた。
「?」
分からない。
ヴァルディスがしゃがみ込む。
「リュー。」
「そのお菓子。」
「誰が作ってくれたんじゃ?」
リューベルはフェリシアを見る。
エレノアを見る。
「あー。」
ヴァルディスは笑った。
「そうじゃ。」
「母上と。」
「フェリじゃ。」
「嬉しかったか?」
「う!」
「美味しかったか?」
「う!」
「なら。」
「何と言う?」
リューベルは考える。
考える。
分からない。
フェリシアがゆっくり微笑んだ。
「ありがとう。」
リューベルは姉を見る。
「あり……。」
もう一度。
「ありがとう。」
「あるあと。」
少し違う。
でも、一生懸命だった。
エレノアもフェリシアも笑い、レオヴェインも静かに口を開いた。
「ありがとうございました。」
エレノアは優しくうなずく。
「どういたしまして。」
フェリシアも嬉しそうに笑った。
ヴァルディスは満足そうにうなずく。
「ほれ。」
「嬉しそうじゃろ。」
その時だった。
レオヴェインが静かに口を開く。
「お祖父様。」
「先生は、皇族は民を導く者だとおっしゃいました。」
「仕える者へ、ありがとうと言う必要はあるのでしょうか。」
庭が静かになる。
ヴァルディスはレオヴェインを見つめ、少しだけ笑った。
「なるほどのう。」
「先生らしい。」
レオヴェインは首をかしげる。
ヴァルディスは穏やかな声で言う。
「身分は違う。皇族は民を導く者じゃ。」
「先生の言うことは間違っておらん。」
レオヴェインは静かにうなずいた。
ヴァルディスは続ける。
「じゃがな。」
「誰かがレオのために、自分の時間を使ってくれた。」
「その想いは、身分では測れん。」
ヴァルディスはエレノアを見た。
フェリシアを見た。
リューベルを見た。
そして最後に、レオヴェインを見つめる。
穏やかに笑った。
「身分は違う。」
「じゃが。」
「嬉しいと思う心は同じじゃ。」
レオヴェインが静かに考え込む中、ヴァルディスは三人の孫を見渡した。
「その優しさは、いつか『ありがとう』になって返ってくる。」
色づいた葉が風に乗ってゆっくりと舞う。その景色を眺めながら、ヴァルディスは小さくつぶやく。
「エル……。」
「お前は、いつも『ありがとう』と言ってくれたのう。」
秋の風が白髪を静かに揺らした。
「今になって、その一言の大きさがよう分かる。」
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