第三十四話 ラブ
「承知しました。」
その一言から、ジークハルトは一切の迷いを捨てた。
父の覚悟を踏みにじることはできない。
剣士として。
そして、息子として。
決して許されないことだった。
剣を包む青の星光が強くなる。蒼銀の髪が風に揺れ、その下の澄んだ青い瞳には、もう迷いがなかった。
ジークハルトは踏み込んだ。
速い。
いや。
今まで以上に、剣が鋭い。
ジークハルトの剣が、次々とヴァルディスへ襲い掛かる。
ガキィン!!
ギィン!!
カンッ!!
ヴァルディスは受け、流し、かわす。
しかし。
反撃する余裕は、もうなかった。
一歩、また一歩と押されていく。
七十年を生きた肉体が、少しずつ限界を見せ始めていた。星脈によって身体能力は引き上げられている。それでも、肉体そのものの限界だけは覆せない。
ジークハルトは父の覚悟を受け止めたからこそ、一切の手加減なく攻め続ける。
全力で。
ガキィン!!
ヴァルディスの剣が大きく弾かれ、青い刃が肩を掠める。
血が舞った。
続けて、腕、脇腹、太腿へと浅い傷が一つ、また一つと刻まれていく。
決定打ではない。
だが。
確実にヴァルディスを追い詰めていた。
観客席から悲鳴が上がる。
「やめてください!」
「このままでは……!」
「本当に大帝陛下が!」
リューベルも立ち上がった。
涙が止まらない。
「お祖父様ぁ!!」
その声が決闘場へ響く。
しかし。
二人には届かない。
互いの世界には、もう互いしか存在していなかった。
ヴァルディスは静かに笑う。
強くなったのう。
本当に。
立派になった。
ジークハルトの剣が迫る。
受ける。
腕が重い。
脚も重い。
呼吸が苦しい。
汗に濡れた長い白髪が、頬に張りつく。
ここまで……か。
不思議と恐怖はなかった。
静かだった。
人生が終わる。
ただ、そう思うだけだった。
その瞬間。
大切な者たちの笑顔が、次々と胸をよぎった。
そして。
一人の女性。
春の日。
花畑で笑っていた。
『……そんなあなたを、私は誇りに思っています。』
……エル、わしは皆を愛した。
愛そうと、生きてきた。
お前との約束通りじゃ……。
そうしたら、世界はこんなにも明るく、こんなにも色づいておった。
ヴァルディスは小さく笑った。
……エル。
やっぱり、大事なのは……ラブじゃな。
その瞬間だった。
ヴァルディスの剣を包む赤い星光が揺らぐ。その奥で、小さな金色の光が灯った。
一つ。
また一つ。
暖かな赤に寄り添うように、金色の輝きが静かに広がっていく。
やがて、決闘場全体に黄金の粒子が舞った。
誰もが息を呑む。
「何だ……この光は。」
「金色……。」
「そんな星光、見たことがない……。」
驚きと混乱が広がる中、リューベルだけは涙を流したまま黄金の光を見つめていた。さっきまで震えていた肩が、少しずつ静まっていく。
涙を拭うことも忘れ、ただ祖父を見つめる。
やがて、小さく微笑みながら呟いた。
「……お祖父様の光。」
「綺麗だな……。」
そのとき。
黄金の光に包まれたヴァルディスの姿が、ゆっくりと変わり始めた。
頬に刻まれていた皺が薄くなり、白かった長い髪は根元から黒へと色を取り戻していく。老いによって少し細くなっていた輪郭にも、かつての力強さが戻っていた。
そして何より。
鋼色の瞳だけは変わらない。
若き日のような鋭さと、今のヴァルディスが得た穏やかさ。
その両方を宿していた。
まるで。
時間そのものが巻き戻っているかのようだった。
今までで一番大きなどよめきが、決闘場を揺らした。
若い騎士が呆然と呟く。
「これは……。」
隣の老騎士は答えなかった。
目を見開き、決闘場だけを見つめている。
やがて、その頬を一筋の涙が伝った。
震える声で、ゆっくりと呟く。
「あの姿は……。」
若い騎士が振り向く。
「ご存じなのですか。」
老騎士は涙を拭わなかった。
「あの姿は、若い頃の大帝陛下のものじゃ……。」
「誰よりも速く。」
「誰よりも強く。」
「戦場を駆け抜けておられた頃の……。」
一度、息を詰まらせる。
「帝国最強の、大帝陛下じゃ……。」
その声は震えていた。
ジークハルトが息を呑む。
(父上……。)
圧が違う。
先ほどまでとは、まるで別人だった。
そして。
目を見開く。
(お姿が……。)
間近で見れば、なおさら分かる。
目の前に立っているのは、自分が幼い頃に追い続けていた、若き日の父そのものだった。
ヴァルディスは自分の身体を見下ろし、拳を握る。
軽い。
驚くほど軽い。
腕も脚も、思い通りに動く。
まるで、若かった頃の身体だった。
白銀の軽鎧が、先ほどより少し窮屈になっている。
「ほう……。」
思わず笑みがこぼれる。
「この力は、なんじゃろうかのう。」
自分の身体を確かめるように見回す。
「身長も、少し伸びたか?」
首を傾げた。
「まあ。」
豪快に笑う。
「今はいい。」
剣を構える。
金色を帯びた赤い星光が、静かに揺れた。
ヴァルディスは、少年のように笑う。
「ジーク。」
「行くぞ!!」
その言葉。
その笑顔。
その声。
すべてが。
若き日の父、そのものだった。
ジークハルトの口元にも、笑みが浮かぶ。
「……はい。」
父上。
今こそ。
あなたを超えてみせます。
ジークハルトの星光が燃え上がる。
黄金が宿る赤。
どこまでも真っ直ぐな青。
二つの星光が、再び激突した。
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