第三十二話 至高
「本気で参ります。」
その言葉とともに、ジークハルトの剣を包む深い青の星光が大きく揺らめいた。
先ほどまでよりも濃く、より深い。
蒼銀の髪が風にわずかに揺れ、その下の澄んだ青い瞳が父だけを真っ直ぐに捉える。研ぎ澄まされた意志そのもののような光が、刃の上で鋭く燃え上がった。
観客席がどよめく。
「星光が……。」
「まだ濃くなるのか。」
「これが、皇帝陛下の本気……。」
ジークハルトが地を蹴る。
先ほどまでとは、踏み込みから違った。
石床が弾け、瞬く間に距離を詰める。青い刃が、ヴァルディスへ振り下ろされた。
ガキィン!!
二つの剣が激突し、衝撃が空気を震わせる。ヴァルディスの足元が、わずかに沈んだ。
だが、ジークハルトは止まらない。
押し込んだ剣を瞬時に引き戻し、そのまま横薙ぎへつなげる。
ヴァルディスが受け流す。
次の瞬間には鋭い突き。半身になってかわした先へ斬り上げ、さらに踏み込み、肩口へ剣を振り下ろした。
ギィン!
ガキィン!!
カンッ!!
青い軌跡が、幾重にも重なる。
一撃ごとに速く。
一撃ごとに重く。
それでいて、剣筋にはわずかな乱れもない。
力も、速度も、技も。そのすべてが、高い次元で一つになっていた。
ヴァルディスは剣を受け流しながら、思わず口元を緩める。
(ここまで強くなっておるとは。)
帝国最強と呼ばれていることは知っていた。それでも、実際に剣を交えて初めて分かるものがある。
間合いの取り方。
攻撃のつなぎ。
次の一手を悟らせぬ視線。
皇帝として積み重ねてきた年月が、一振りごとに宿っていた。
(恐ろしい剣技じゃ。)
恐怖ではない。
剣士として、息子へ送る最大級の賛辞だった。
ジークハルトの剣が、さらに鋭さを増す。
ヴァルディスは半歩下がり、刃を受け流した。
だが。
今度は、完全には流し切れない。
青い剣が赤い刃を押し込み、肩口へ迫る。ヴァルディスは身体を捻った。
刃先が紙一重で通り過ぎ、白銀の軽鎧の肩口に細い傷を残す。
観客席から、息を呑む音が広がった。
「大帝陛下の鎧に……。」
「皇帝陛下が押している。」
ジークハルトが追撃へ移る。
その瞬間。
ヴァルディスの呼吸が変わった。
深く吸い、静かに吐く。
剣を介して取り込んだ星脈を、全身へ巡らせていく。
腕へ。
脚へ。
胸へ。
背へ。
急がない。
乱さない。
何十年と繰り返してきたように、より多く、より滑らかに。
自身が制御できる、その境界まで。
暖かな赤の星光が、静かに濃さを増していく。
燃え上がるのではない。
光そのものが凝縮され、刃の周囲へ吸い寄せられていく。
長い白髪が赤い光を受けて揺れ、その中で、鋼色の眼差しだけは少しもぶれなかった。
ジークハルトの目が鋭く細められる。
(父上……。)
剣を介して流れ込む星脈の量が、明らかに増している。それほどの力を巡らせながら、乱れも滞りもない。
ひとたび制御を誤れば、すべてが崩れかねない領域。
それでも、ヴァルディスの表情にはわずかな焦りすらなかった。
次の瞬間。
ヴァルディスが動く。
速い。
先ほどまでとは、明らかに違った。
ジークハルトの斬撃をかわし、赤い刃が脇腹へ走る。ジークハルトが剣を滑り込ませた。
ガキィン!!
受け止めた腕に、重い衝撃が走る。
間を置かず、二撃目。
横薙ぎ。
切り返し。
突き。
三つの斬撃が、一つにつながって見えた。
ジークハルトは受け、流し、身を引く。
だが。
ヴァルディスの剣は逃がさない。
生まれたわずかな間へ、正確に次の一撃を差し込んでくる。
「速くなった!」
若い騎士が、思わず叫んだ。
老騎士も静かに頷く。
「ああ。じゃが、恐ろしいのは速さだけではない。」
「……え?」
「見てみい。あれほど力を引き上げながら、足運びも、手首も、刃の角度も一つとして乱れておらん。」
老騎士の目が、ヴァルディスを捉える。
「増した力のすべてを、剣へ変えておる。」
若い騎士は言葉を失った。
ヴァルディスの動きは速くなっているが、荒くはない。むしろ余分なものが消え、必要な動きだけがさらに鋭くなっていた。
ジークハルトの剣が振り下ろされる。
ヴァルディスは半歩、前へ。
刃が振り切られる前に懐へ入り、剣の根元で受け止める。そのまま手首を返し、青い剣を外へ弾いた。
ジークハルトの胴が空く。
赤い刃が迫る。
ジークハルトは身を捻り、かろうじてかわした。
観客席が大きく揺れる。
「今のをかわすのか……!」
「いや、大帝陛下も、あの一瞬で間合いへ入ったぞ!」
「どちらも、どうなっている……。」
赤と青の星光が交差する。
一方が攻めれば、一方が返す。一方が間合いを詰めれば、もう一方がその先を読む。
優勢は、一瞬ごとに入れ替わった。
剣がぶつかるたび、光が弾ける。
やがて観客席から、声が消えていった。
誰も瞬きをしない。
ただ、目の前で繰り広げられる剣の応酬を見つめている。
その静寂の中。
小さな声が漏れた。
「……至高だ。」
誰が呟いたのかは分からない。
だが、その言葉は、そこにいたすべての者の胸に落ちた。
帝国の長い歴史の中で、これほどまでに高みに達した二人の剣が、ぶつかり合ったことがあっただろうか。
ジークハルトは剣を交えながら、父を見つめていた。
大量の星脈を全身へ巡らせながら、剣の精度は少しも落ちていない。
いや。
力を増すほど、さらに研ぎ澄まされている。
(どれほど積み重ねれば……。)
そうでなければ、この域には辿り着けない。
戦場を離れても、皇帝の座を譲っても、父は剣を捨ててはいなかった。
青い星光が激しく揺れる。
超えたい。
今、改めて心の底からそう思った。
ジークハルトは大きく踏み込み、全身の力を剣へ乗せる。ヴァルディスも正面から迎え撃った。
赤と青。
二つの刃が激突する。
轟音。
星光が弾け、決闘場を震わせた。
二人は同時に剣を引き、再び踏み込む。
一撃。
二撃。
三撃。
剣戟は止まらない。
だが。
その中で。
ヴァルディスの胸が、ほんのわずかに大きく上下した。
呼吸を整えるまでに一瞬だけ時間がかかり、汗に濡れた白髪が額に一筋張りつく。その横を、汗が頬へ伝っていった。
それでも、鋼色の瞳から鋭さは消えていない。
星脈によって身体能力を限界近くまで引き上げても、今ある肉体そのものが若返るわけではない。
七十年を生きた身体は、かつてとは違う。
ヴァルディス自身が、誰よりもそれを理解していた。
(やはり……。)
心の中で、小さく笑う。
(歳は、ごまかせんか。)
それでも、剣は止めない。
むしろさらに鋭く、ジークハルトへ斬り込んでいく。
剣筋は、少しも鈍っていない。
だからこそ、その小さな変化に気づく者は、ほとんどいなかった。
ただ一人。
リューベルだけが、じっと祖父を見つめていた。
ヴァルディスの呼吸。
額に張りついた白髪。
剣を構え直すまでの、ごくわずかな間。
誰も気に留めないほど小さな変化を、その瞳だけは見逃さない。
(……お祖父様。)
リューベルの胸に、初めて不安が芽生えた。
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