第三十話 決闘
決闘場は、異様な空気に包まれていた。
帝国中から集まった騎士たちをはじめ、武官、文官、皇族までが観客席を埋めている。
誰もが、この決闘がただ事ではないことだけは理解していた。
現役最強と称される現皇帝ジークハルト。
そして。
大帝と語り継がれる先代皇帝ヴァルディス。
帝国史に残るであろう一戦を前に、胸を熱くする者がいれば、固唾を飲み、息を潜める者もいた。
突然の決闘に戸惑い、どうすればよいのか分からず顔を見合わせる者さえいる。
それでも、誰一人としてその場を離れようとはしなかった。
その瞬間を、この目で見届けたい。
ただ、その一心だった。
観客席のあちこちから、小さな囁きが聞こえる。
「……大帝陛下。」
「戦場を離れて、もう何年になる?」
「十年以上だ。」
「相手は現役最強のジークハルト陛下だぞ。」
「本当に戦えるのだろうか……。」
「七十歳だ。」
「いくら大帝とはいえ、さすがに厳しいのではないか。」
そんな声が、静かに広がっていく。
やがて、重厚な扉が開いた。
先に姿を現したのは、現皇帝ジークハルト。
鈍い銀色の中軽鎧に深紅の皇帝マントを纏い、蒼銀の髪を揺らしながら、澄んだ青い瞳を真っ直ぐ前へ向けて歩いてくる。
その姿には一切の隙も、歩みの迷いもない。
静かな威圧感だけが、決闘場を支配していく。
続いて、反対側の扉が開いた。
姿を現したのは、ヴァルディス。
長い白髪を後ろで束ね、白銀の軽鎧に純白のマントを纏っている。
七十という歳を迎えてなお、その背筋は真っ直ぐだった。
その姿を見た瞬間、観客席がざわめく。
「……軽鎧?」
「大帝陛下が?」
「そんな装備で、現役最強のジークハルト陛下と……。」
「本当に勝てるのか?」
その時だった。
一人の老騎士が、小さく笑う。
「若いな。」
周囲の視線が集まった。
「戦場ではな。歳や体格だけで、勝敗は決まらん。」
老騎士は静かにヴァルディスを見つめる。
「……わしは、あのお方が負ける姿を、一度も見たことがない。」
その一言だけで、周囲は再び静まり返った。
やがて二人は決闘場の中央へ歩み寄り、互いに視線を交わしたまま、ゆっくりとマントを外した。
それぞれの従者が受け取り、一歩後ろへ下がる。
帝国決闘裁定官レオポルトが中央へ進み出た。
長年、帝国の正式決闘を裁いてきた男であり、その裁定に異を唱える者は誰一人いない。
レオポルトは厳かに宣言する。
「これより、正式決闘を執り行う。」
決闘場から物音が消えた。
「決闘者。」
「先代皇帝ヴァルディス殿。」
「現皇帝ジークハルト陛下。」
「前へ。」
二人は同時に一歩踏み出し、十歩ほどの距離を隔てて向かい合う。
蒼銀の髪の皇帝と、長い白髪の先代皇帝。
青い瞳と、鋼色の瞳が真っ直ぐにぶつかった。
その時、ジークハルトの視線がヴァルディスの腰へ向く。
「……片手剣ですか。」
そこにあったのは、若き日に戦場を震わせた大剣ではない。
一本の片手剣だった。
華美な飾りはなく、細身の刀身に簡素な鍔と柄だけが備わっている。
余計なものをすべて削ぎ落としたような、無駄のない剣だった。
ヴァルディスは口元を緩める。
「ああ。年寄りには、こっちの方が楽での。」
ジークハルトは表情一つ変えない。
「そのような冗談は結構です。」
ヴァルディスは肩をすくめた。
「ちっ、ばれたか。」
張り詰めていた空気が、一瞬だけ和らぐ。
しかし。
次の瞬間には、二人の表情から笑みが消えていた。
ヴァルディスが静かに口を開く。
「ジーク。」
「はい。」
「わしが七十だからと、手加減など考えるな。」
鋼色の瞳が、真っ直ぐ息子を射抜く。
「全力で来い。」
ジークハルトは即座に答えた。
「言われなくとも、そのつもりです。」
ヴァルディスは満足そうに頷く。
「そうか。ならばよい。」
ジークハルトは父を真っ直ぐ見据えた。
「父上。後悔はなさいませんな。」
「せぬ。」
ヴァルディスは迷うことなく答える。
「むしろ、お前が後悔するなよ。」
ジークハルトは静かに笑った。
「勝つのは、私です。」
ヴァルディスも笑う。
「言うようになった。」
二人は同時に剣の柄へ手を添えた。
その姿を、リューベルは息をすることも忘れて見つめていた。
なぜ二人がここまでして戦わなければならないのか、まだ分からない。
ただ、どちらにも傷ついてほしくなかった。
フェリシアは祈るように両手を握り締め、レオヴェインは微動だにせず、祖父と父を見据えている。
レオポルトは二人を見比べ、ゆっくりと右手を上げた。
風が吹く。
誰も動かない。
誰も息をしない。
そして――
「始め。」
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