↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
愛で人は強くなれますか? -アルディア帝国物語-  作者: ハリネズミぽん助


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
21/36

第二十話 はじまり


朝日が、皇后宮の窓から静かに差し込んでいた。


ヴァルディスは目を覚ました。


いつの間にか、椅子にもたれたまま眠っていたらしい。


手を見ると、細く白い手をずっと握ったままだった。


「……。」


少し慌てて力を緩める。


起こしてしまっただろうか。


そう思った時だった。


「おはようございます。」


穏やかな声が聞こえた。


エルフリーデが微笑んでいた。


朝の光を受けた蒼銀の髪が、枕の上に柔らかく広がっている。まだ顔色は白かったが、その青い瞳は穏やかにヴァルディスを見つめていた。


「……起こしてしまったか。」


「いいえ。」


「手は痛くないか。」


「温かかったですよ。」


エルフリーデの細い指が、ヴァルディスの大きな手の中に収まっている。


剣を握り続けて硬くなった、傷の残る手だった。


その一言だけで、ヴァルディスは返す言葉を失った。


戦場では、どんな相手にも言葉で負けたことはない。だが、この人だけは違う。


「……腹は減っておらんか。」


ようやく出た言葉だった。


エルフリーデは少し笑う。


「少しだけ。」


「そうか。」


ヴァルディスは勢いよく立ち上がった。


「何でも持ってこさせよう。果物でも、肉でも魚でも――」


「そんなに食べられませんよ。」


「……そうか。」


また黙る。


部屋が静かになった。


気まずい。


戦場では静寂など恐れたことはない。なのに、この静けさだけは落ち着かなかった。


しばらくして、侍女がお茶を運んできた。


「失礼いたします。」


静かに盆を置くと、エルフリーデは微笑んだ。


「ありがとう。」


侍女も笑顔で頭を下げる。


「もったいないお言葉です。」


侍女が部屋を出ていくと、ヴァルディスは閉まった扉をしばらく見つめていた。


「……エルフリーデ。」


「はい。」


「皇后が礼を言う必要があるのか。」


エルフリーデは少し首を傾げた。


「どうしてですか?」


「礼を言うのは、何かをしてもらった者じゃろう。」


「お茶を運んでくださいました。」


「それは仕事じゃ。」


「仕事でも、私のためにしてくださいました。」


ヴァルディスは黙った。


そんなふうに考えたことはなかった。


「ありがとう、と言われて嫌な人は、あまりいませんよ。」


エルフリーデはお茶を一口飲み、少し笑った。


「それに、私は嬉しかったんです。」


「……何がじゃ。」


「あなたと一緒に、お茶を飲めることが。」


ヴァルディスは思わず湯飲みを見る。


ただのお茶だった。


昨日までなら、飲む時間すら惜しいと思っていた。


それなのに。


今日は違って見えた。


「……そういうものか。」


「そういうものですよ。」


また静かになる。


けれど、昨日ほど苦しくはなかった。


窓の外で小鳥が鳴き、エルフリーデがその声に耳を傾ける。


「今日は良いお天気ですね。」


ヴァルディスも外を見る。


青い空。庭の木々。風に揺れる花。


「……そうじゃな。」


それだけだった。


それだけなのに、エルフリーデは嬉しそうだった。


「あなた。」


「なんじゃ。」


「今日は政務へ行かれるのですか。」


ヴァルディスは少し考えた。


昨日なら迷わなかった。


今日も迷うはずだった。


机には山のような書類がある。将軍たちも待っている。報告もある。決めることも山ほどある。


だが。


目の前には、エルフリーデがいた。


「……今日は、ここにおる。」


自然と口から言葉が出た。


「お前と一緒におる。」


エルフリーデは目を丸くした。


そして。


花が咲くように笑った。


白かった頬に、ほんの少しだけ温かな色が戻る。


「嬉しいです。」


その笑顔を見た瞬間、ヴァルディスは思った。


国を一つ落とした時よりも。


強敵を討ち取った時よりも。


その一言のほうが。


なぜか胸を満たしていた。


部屋には、静かな時間が流れていた。


何を話せばいいのか、まだ分からない。


どう過ごせばいいのか。それも分からない。


それでも。


ヴァルディスは初めて思った。


――分からないなら。


これから知ればいい。


ヴァルディスは、そっとエルフリーデの手を握り直した。


その温もりを。


もう二度と、明日に預けないために。


そして。


その日から、ヴァルディスは毎日、皇后宮へ足を運ぶようになった。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。