第十三話 星脈
稽古が始まってから、二週間。
朝。
まだ冷たい空気が残る皇城の庭で、ヴァルディスは一人、リューベルを待っていた。
もう朝に木剣を振って遊ぶ時間はない。それでも、授業へ向かう孫を見送ることくらいはできる。
しばらくすると、小さな足音が聞こえてきた。
「おじい様!」
クリーム色の髪を揺らし、リューベルが駆けてくる。
だが、以前より少しだけ足取りが重い。
「おはようございます!」
「うむ、おはよう。」
ヴァルディスはいつものように笑った。
リューベルも笑っている。けれど、よく見れば目元にはわずかに疲れが残っていた。
毎日の座学と稽古で、まだ六歳の身体には少しずつ疲れが溜まり始めている。
「ちゃんと眠れたか?」
「はい!」
元気な返事だった。
ヴァルディスはそれ以上聞かなかった。
その時。
「リューベル殿下。」
落ち着いた声が響き、皇族教育を担う教師エドガーが静かに一礼する。
「本日の授業のお時間です。」
「はい!」
リューベルは返事をすると、エドガーのもとへ向かった。
数歩進んでから振り返る。
「おじい様!」
「なんじゃ?」
「行ってきます!」
ヴァルディスは笑って手を振った。
「うむ。行っておいで。」
「はい!」
リューベルも小さく手を振り、エドガーと歩いていく。
ヴァルディスはその場を動かなかった。
少し前まで、その小さな手を引いて二人で庭を歩いていた。木剣を振って、笑って、疲れれば一緒に帰った。
今、その隣を歩いているのは自分ではない。
それでも。
リューベルが振り返った時、いつでも笑って送り出せるように。
ヴァルディスは、小さな背中が見えなくなるまで静かに見送っていた。
◇
教室。
エドガーは一本の剣を机の上へ置いた。
「本日は、『星脈』について学びます。」
リューベルは真剣な表情で剣を見つめる。
エドガーは剣を静かに手に取った。
「この世界には、星脈と呼ばれる星のエネルギーが満ちています。」
「特殊な鉱石を用いた剣は、武器であると同時に、星脈を身体へ導くための媒介でもあります。」
エドガーが剣を構える。
その瞬間。
刀身が淡く輝いた。
「……!」
リューベルは思わず目を見開く。
エドガーは静かに剣を下ろした。
「このように、剣が光を纏った状態を『星光』と呼びます。星脈は目には見えませんが、剣を通して流れた時、その力は星光となって姿を現します。」
リューベルは小さく手を挙げた。
「先生。」
「なんでしょう。」
「どうして体は光らないのに、剣だけ光るんですか?」
エドガーは穏やかに微笑む。
「よい質問です。剣には『星導石』と呼ばれる特殊な鉱石が用いられています。」
「星導石は星脈に反応し、人の身体へ星脈を導く媒介となります。そして、星導石が星脈と共鳴した時、その力は星光となって姿を現すのです。」
「だから光るのは剣だけなんですね。」
「その通りです。」
エドガーは剣を机へ戻した。
「鍛錬を積んだ者だけが、星導石を通して星脈を身体へ取り込むことができます。そして、鍛錬を重ねるほど、より多くの星脈を扱えるようになります。」
リューベルは再び小さく手を挙げた。
「エドガー先生。」
「なんでしょう。」
「星脈をたくさん使える人ほど、強いんですか?」
エドガーは頷く。
「基本的には、その通りです。星脈は、人が本来持つ力を限界まで引き出します。そのため、多くの星脈を扱える者ほど、高い力を発揮できます。」
「先生。」
「なんでしょう。」
「ぼくも、星脈を使えるようになりますか?」
エドガーは穏やかに頷いた。
「いずれ、その日が来ます。ですが、今はまだその時ではありません。」
「殿下が普段お使いになっている木剣には、星導石は用いられていません。そのため、木剣で星脈を扱うことはできません。」
「今学んでいるのは、剣の基礎と身体の使い方です。十分に鍛錬を積み、星導石を用いた剣での修練が許されて初めて、星脈を扱う修練が始まります。」
「だから、今の木剣を使った稽古も大事なんですね。」
「その通りです。基礎を疎かにした者に、星脈は扱えません。」
「そうなんですね。」
リューベルは静かに頷いた。
(早く、本当の剣士になりたい。)
(もっと頑張らなきゃ。)
◇
「もう一度。」
カン。
木剣が鳴る。
「姿勢を崩さない。」
「はい!」
「もう一度。」
カン。
「足を止めない。」
「はい!」
同じ動きを何度も繰り返す。
腕が重く、息も苦しい。昨日の疲れも、まだ身体に残っていた。
それでも、リューベルは木剣を止めない。
止まりたくなかった。
もっと強くなりたい。
お父様のように。
お兄様のように。
ギュンターはその動きを静かに見つめていた。
「よく努力しています。」
リューベルの表情が少し明るくなる。
「ですが。」
その一言に、背筋を伸ばした。
「まだ足りません。」
「はい!」
リューベルは木剣を握り直す。
腕は重い。それでも、もう一度構えた。
(早く星脈を扱えるように、もっと頑張ろう。)
(もっと強くならなきゃ。)
◇
稽古場の外。
エレノアとフェリシアは、汗を流しながら木剣を振るリューベルを静かに見つめていた。
しばらくして、フェリシアがぽつりと呟く。
「……最近のリューベル、少し無理してる。」
エレノアは息子から目を離さないまま、小さく頷いた。
「ええ。」
「お父様に褒めてもらいたくて、一生懸命なのは分かるんだけど……なんだか、頑張りすぎてる気がするわ。」
フェリシアは胸の前で手を重ねる。
「前は、お祖父様と遊ぶ日は朝から嬉しそうだったのに。最近は……笑っていても、どこか無理してる。」
エレノアは静かに目を細めた。
「私も、そう感じていたわ。」
少しの沈黙が流れる。
稽古場には、木剣の音だけが響いていた。
カン。
カン。
その音を聞きながら、エレノアが穏やかな口調で言う。
「今夜、陛下と話してみるわね。」
フェリシアが母を見る。
「お父様と?」
「ええ。リューベルは本当によく頑張っている。だからこそ、一度きちんと話したいの。」
フェリシアは安心したように微笑んだ。
「うん。」
少し離れた木陰に、ヴァルディスは静かに立っていた。
二人の会話は、風に乗って自然と耳に届いていた。
何も言わない。
ただ、木剣を振り続ける孫を見つめていた。
◇
夕暮れ。
庭に長く影が伸びる。
ヴァルディスは、いつものように庭の片隅でリューベルを待っていた。
やがて、回廊の向こうから小さな足音が聞こえてくる。
「おじい様。」
リューベルだった。
クリーム色の髪は汗で濡れ、足取りも朝よりずっと重い。
ヴァルディスは穏やかに笑った。
「お帰り。」
「ただいま。」
リューベルも笑う。けれど、その笑顔には疲れが滲んでいた。
ヴァルディスは何も言わず、ただ大きな手で孫の頭をそっと撫でる。
「……おじい様?」
「なんじゃ?」
「今日はね、昨日よりいっぱいできたよ。」
「そうか。」
「ギュンター先生にも、よく努力してるって言われた。」
「そうかそうか。」
リューベルは嬉しそうに笑う。
だが、ヴァルディスはそれ以上何も聞かなかった。
「帰るかの。」
「うん。」
二人は並んで歩き出した。
◇
夜。
執務室。
ジークハルトは書類へ目を通していた。
扉が静かに叩かれる。
「入れ。」
「失礼いたします。」
エレノアが静かに部屋へ入ってくる。
ジークハルトは書類から目を上げた。
蒼銀の髪の下、澄んだ青い瞳が妻へ向けられる。
「何かあったか。」
エレノアは少し間を置いてから口を開いた。
「リューベルのことです。」
ジークハルトの手が止まる。
「……そうか。」
「あの子は笑っています。」
エレノアは、綺麗な薄緑の瞳で夫をまっすぐに見つめる。
「ですが、その笑顔が……少し無理をしているように見えるのです。」
部屋に、静かな沈黙が流れた。
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