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愛で人は強くなれますか? -アルディア帝国物語-  作者: ハリネズミぽん助


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第十二話 始まり


朝。


まだ太陽が昇りきらない皇城の庭。


ヴァルディスは木剣を手に、ゆっくりと歩いていた。


「今日はどんな遊びをするかのう。」


今日からリューベルは忙しくなる。


せめて朝くらいは、遊んでやりたいのう。

 

昨日は負けたふりをしてやった。


今日は少し強くしてみるか。


……いや。


また負けてやるのも悪くない。

 

そんなことを考えながら笑う。



遠くから、小さな足音が聞こえた。


「おじい様!」


クリーム色の髪を揺らし、木剣を抱えたリューベルが嬉しそうに駆けてくる。

 

「おはようございます!」


「うむ、おはよう!」


ヴァルディスは両手を広げる。


リューベルも笑顔で駆け寄ろうとした。


その時だった。


「リューベル殿下。」


落ち着いた声が庭に響く。


二人が振り向く。


そこには、皇族教育を担う教師エドガーが立っていた。

 

「本日より授業が始まります。」

 

リューベルはヴァルディスを見た。


「おじい様……。」


ヴァルディスは一瞬だけ黙る。


だが、すぐに笑った。


「そうか。」


「今日は先生と勉強じゃな。」


リューベルは少し残念そうに俯く。


「……うん。」


「何をしておる。」


ヴァルディスは孫の頭を軽く撫でる。


「お父様が考えてくださったことじゃ。」


「一生懸命やってくるんじゃぞ。」


「はい。」


木剣を抱え直し、エドガーのもとへ向かう。


ふと振り返った。

 

「おじい様!」


「なんじゃ?」


「終わったら、今日も遊ぼうね!」


「もちろんじゃ。」


「絶対?」


「絶対じゃ。」


「約束!」


「約束じゃ。」


リューベルは安心したように笑い、エドガーと歩いていった。


その小さな背中を、ヴァルディスは静かに見送る。


「さて。」


木剣へ目を落とす。


「少し待つとするかのう。」


「今日は長くなりそうじゃ。」

 


教室へ入る。


エドガーは静かに口を開いた。


「本日は、皇族について学びます。」


「殿下。」


「第一皇子レオヴェイン殿下は、どのようなお方ですか。」


リューベルは嬉しそうに笑う。


「ぼくの大好きなお兄様です!」


「強くて、優しくて、とてもすごい方です!」


エドガーは頷いた。


「その通りです。」


「ですが、それだけではありません。」


「第一皇子レオヴェイン殿下は、殿下の兄であると同時に、皇帝候補でもあります。」


リューベルは首を傾げた。


「皇帝候補……?」


「はい。」


「そして、殿下もまた皇帝候補です。」


「アルディア帝国では、皇后の子だけでなく、側室の子にも皇帝となる資格が与えられています。」


「大帝ヴァルディス陛下も、側室の子としてお生まれになりました。」


「そのため、殿下はレオヴェイン殿下だけでなく、側室の皇子たちとも競うことになります。」

 

リューベルは少しうつむき、それからゆっくりと顔を上げた。


「でも……。」

 

「お兄様です。」

 

「ええ。」


「兄です。」


「ですが、皇帝候補です。」


リューベルは静かに頷く。


「……はい。」


それでも、リューベルの胸の奥には、小さな違和感が残っていた。

 


エドガーは教室の扉を開いた。


「ここからは剣術です。」


「剣術師範ギュンターがお待ちです。」


教室を出ると、一人の壮年の男が静かに待っていた。


皇族専属の剣術師範、ギュンター。


白髪混じりの髪を後ろへ流し、深々と一礼する。


「本日より剣術をご指導いたします。」


「よろしくお願いします!」


「まずは稽古場へ参りましょう。」


ギュンターと並んで廊下を歩く。


翠色の瞳をまっすぐ前へ向け、レオヴェインが歩いてきた。

 

「お兄様!」


リューベルが嬉しそうに頭を下げる。


レオヴェインは立ち止まり、小さく頷いた。


「授業か。」


「はい!」


「……頑張れ。」


それだけだった。


だが、その声は穏やかだった。


リューベルは笑顔で頷く。


「はい!」

 

レオヴェインは静かに歩き去っていく。


リューベルは、その背中をしばらく見つめていた。


『皇帝候補は、互いに競い合います。』


(お兄様とも……競うの?)


胸の奥が、小さく痛んだ。


「殿下。」


ギュンターが歩き出す。


リューベルは慌てて後を追った。



「もう一度。」


カン。


乾いた音が稽古場に響く。


「足が止まっています。」


「はい!」


「身体全体を使いなさい。」


「はい!」


リューベルは何度も木剣を振る。


腕が重い。


息が上がる。


それでも止まらない。

 

ギュンターは静かに頷く。


「休憩。」

 

リューベルはその場へ座り込む。


ギュンターは黙って水を差し出した。


「才能がある者ほど、基礎を疎かにしてはいけません。」


リューベルには、その意味はよく分からなかった。


それでも頷く。


「はい。」


その時だった。


「陛下。」


ギュンターが深く頭を下げる。


リューベルが振り向く。


ジークハルトが稽古場へ姿を現した。


澄んだ青い瞳が、静かに息子を見つめる。


「ここからは私が見る。」


「はっ。」


ギュンターは一歩下がった。


皇帝自ら稽古をつける。


その意味を、誰より理解していた。


ジークハルトは一本の木剣を手に取る。


「構えろ。」


「はい!」


リューベルは木剣を構えた。


「目線を下げるな。」


「はい。」


「剣先がぶれている。」


「はい。」


「構えを崩すな。」


「はい。」

 

構え直す。


「もう一度。」


「はい!」


リューベルは何度も構えを直した。


ようやくジークハルトが頷く。


「振れ。」


ぶん。


「違う。」


「身体で振れ。」


「はい!」


もう一度。


ぶん。


「肘が浮いている。」


「はい!」


また最初から。


構える。


振る。


直される。


構え直す。


振る。


直される。


何度も。


何度も。

 

腕が震え始める。


それでもリューベルは木剣を握り続けた。


ジークハルトは表情一つ変えない。


「まだだ。」


「はい!」


「続けろ。」


「はい!」



「今日はここまでだ。」


リューベルは大きく息を吐く。


「ありがとうございました!」


深く頭を下げる。


木剣を握り直そうとする。


指が思うように動かない。


コトン。

 

リューベルは少し驚いたように自分の指を見つめる。


ジークハルトは静かに口を開いた。


「基礎を怠るな。」


「はい!」


「これからも続けよ。」


「はい!」


その言葉だけで、リューベルには十分だった。


お父様が、自分のために剣を握ってくれた。


そのことが嬉しくて、疲れていたはずの身体に力が戻る。

 

ジークハルトは小さく頷き、その場を後にした。


政務が待っている。


皇帝に、立ち止まる時間はない。

 

その背中を、リューベルはずっと見送っていた。

 


夕暮れ。


庭に長く影が伸びる。


ヴァルディスは木剣を持ったまま、一人石に腰掛けていた。

 

「遅いのう。」


誰に言うでもなく呟く。


しばらくして、小さな足音が聞こえた。


「おじい様!」


リューベルだった。


髪は汗で濡れ、肩で息をしている。


「終わったか!」


「うん!」


ヴァルディスは立ち上がる。


「では、一勝負――」


言いかけたところで、リューベルが苦笑いした。


「ごめんなさい。」


「遊びたいんだけど……。」


「もう腕が動かないや。」


ヴァルディスはリューベルを見る。


ほんの一瞬だけ黙った。


やがて、にっと笑う。


「そうか。」


「ちゃんと来てくれたのう。」


「今日は勝負はお預けじゃ。」


「わしには、それで十分じゃ。」

 

リューベルはほっとしたように笑う。


「ごめんね、おじい様。」


「気にするでない。」


「今度遊ぼうね。」


「もちろんじゃ。」


リューベルは嬉しそうに笑った。


二人は並んで歩き始める。


その歩幅は、いつもより少しだけ遅い。


ヴァルディスは、鋼色の瞳で疲れ切った小さな背中を静かに見つめる。


リューベルの腕は、歩くたびに小さく揺れていた。


二人の長い影だけが、静かな庭に並ぶ。


昨日まで当たり前だった朝の遊びは、この日を境に少しずつ減っていく。


それでもヴァルディスは、何も言わず、その小さな背中が笑って歩けるよう隣を歩き続けた。




挿絵(By みてみん)



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

とても嬉しいです。

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