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ホームズ捕物帳 ~ロンドンの名探偵、江戸に転生して岡っ引きになる  作者: コナン・綺堂異流


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7/24

第七話:奥女中の依頼 〜 A Scandal in the Inner Chambers 〜

一部AIにより作成


挿絵(By みてみん)


【冒頭:ロンドン時代】


一八九七年の八月、私とホームズはメリルボーンのとある邸宅に呼ばれていた。


依頼人はロンドンでも指折りの名家の当主で、その御仁が直接ベイカー街を訪ねてきたのではなく、中間業者を通じてひそかに連絡してきたというあたりから、事件の性質が知れた。


「これは政治的な色彩を帯びている」とホームズは馬車の中で言った。「名家の当主が自ら足を運ばないのは、目撃されたくないからだ。目撃されたくないとすれば、関わっていることを知られたくない理由がある」


「何の件か聞いているのか」と私は訊いた。


「若い女性の失踪、と聞いている」


邸宅に通されると、当主は五十がらみの恰幅の良い男で、ひどく疲れた顔をしていた。彼が語ったのは、こういうことだった——邸宅で働く若い女中が、定期的に「見知らぬ馬車」に連れ去られ、数日後に無事に戻ってくる。しかし本人は何が起きたかを話さない。そして今度は、その馬車の主と思しき者から、女中を「永久に引き取りたい」という申し出が来た、というのだ。


「金額は」とホームズは訊いた。


「驚くほどの額です」


「つまり、その女中には、相手にとって相当な価値がある」


「しかしなぜ、一介の女中に……」


「それを調べるために、私はいる」とホームズは言い、立ち上がった。


その帰り道、私たちが乗った馬車が橋の上で突然停まった。御者が急病を起こしたのだ。後ろから来た大型の荷馬車が避けきれず、ぶつかってきた。


衝撃。


私は馬車ごと橋の欄干を突き破り——。


テムズへ落ちた。


そして——また、あの江戸へ。




******




【本編:江戸での事件】


——和登三太の語り——


今回の転生は、私にとって最も奇妙な始まりだった。


目が覚めると、私は江戸の夏の夕暮れの中にいた。蝉の声が遠く、どこかの商家の軒先から風鈴ふうりんの音が流れてきた。風鈴とは、夏に軒先に吊るす小さなガラスや金属の鈴で、風が吹くたびに涼やかな音を立てる。ロンドンにはない習慣だが、その音色には確かに涼感がある——目を閉じれば、暑さが少しだけ遠のく気がするのだ。


私と捕霧七が気づいた場所は、神田の裏通りの、ある茶店ちゃみせの前だった。


茶店とは、参道や街道筋に設けられた飲食の店で、疲れた旅人や参拝者が休んでいく。ロンドンのティー・ショップに相当するが、抹茶まっちゃ甘酒あまざけ団子だんごなどを出す。座敷ざしきか縁台(えんだい——屋外の木の台)に腰を下ろして休む、庶民的な憩いの場所だ。


その茶店の縁台に、五十がらみの女が一人、ひどく思い詰めた顔で座っていた。


「旦那方……岡っ引の旦那方ではございませんか」


私たちの姿を見るなり、女は立ち上がって声をかけてきた。


「写楽の旦那でしょうか」と彼女は捕霧七に向かって言った。「この界隈では、お二人のことをお見かけしたことがありまして……折り入ってご相談が……」


捕霧七は煙管を懐に入れたまま、静かに頷いた。


「お聞きしましょう。名前は?」


「おかめと申します。この先で茶店を営んでおります」




******




お亀の話は、聞いているうちに私の背筋がざわめくほど不思議なものだった。


お亀には娘が一人いた。名をおちょうといい、年は十七。器量よしで、母親の茶店を手伝いながら暮らしていた。


事の起こりは四ヶ月ほど前のことだという。


ある夕方、お蝶が買い物の帰りに、武士と奥女中おくじょちゅうに声をかけられた。「少しお伴をしてくれないか」と言われ、そのまま駕籠かごに乗せられてどこかへ連れて行かれた。


駕籠かごとは、竹や木で作った箱状の乗り物を棒で担ぐ輸送手段で、ロンドンのセダン・チェアに相当する。庶民は徒歩が基本だが、急ぎの用事や女性の移動には駕籠が使われた。代金は距離によって異なり、当時の庶民の日当の半分程度が相場だった。


お蝶が連れて行かれた先は、どこかの武家屋敷だったという。しかし目隠しをされていたので場所はわからない。屋敷に入ると、豪奢ごうしゃな着物を着せられ、きれいに化粧をされ、ただ座らされた。そして奥の部屋の障子越しに、誰かがお蝶の様子を見ている気配があった。


「まるで品物の品定めをされているような……」とお亀は話した。「娘は怖くて泣いてしまったそうで……そうしたらすぐに駕籠に乗せられて、帰されました。十両じゅうりょうのお礼金と一緒に」


十両というのは、当時の庶民の数ヶ月分の収入に相当する大金だ。一両が現代の価値でおよそ数万円とすれば、十両は数十万円規模の金額になる。


「それが四ヶ月前に一度、二ヶ月前にもう一度——同じことがありました。どちらも十両のお礼金と一緒に返してもらいましたが……そして今度は……」


「今度は、二百両で娘を買い取りたいと申し出てきた」と捕霧七は先を読んだ。


お亀は目を見張った。「……おわかりで?」


「続きを話してください」


二百両にひゃくりょう——これは並大抵の金額ではない。旗本の一年分の俸禄を優に超える。一介の茶店の女将にとっては、想像を超えた大金だ。


「昨日の夕方、奥女中の方が一人でいらっしゃいまして……娘を二百両でお譲りくださいと。娘を手放せるわけがないと断りましたら、明日もう一度お返事を聞きに来ると仰って……つまり今夜が期限で……」


「奥女中とはどのような方だったか」


「年は四十前後、大柄でがっしりした体格、着物は深い紫色の地に小さな家紋の入った、大変上等な……」


捕霧七は頷いた。目が細くなった。


「明日、その奥女中が来る前に、私が話を聞きに行く」と彼は言った。「お蝶さんに、今夜、私に直接会わせてもらえるか」




******




お蝶は、母親のお亀に似て、目の大きな、芯の強そうな娘だった。


怖い経験をしているはずだが、しっかりとした口調で話してくれた。


「連れて行かれた屋敷は、大変広いところでした。庭に大きな松の木が見えました。それと——」彼女は少し考えてから言った。「お香の匂いがしました。ものすごく良い香りで、でも普通の香とは少し違う……甘くて重い、独特の匂いでした」


「着せられた着物は?」と捕霧七は訊いた。


「それが……とても豪奢で。薄い紫の地に金糸の刺繍で鶴と松が……あんな着物、見たこともありませんでした」


「見ていた者の気配は?」


「障子の向こうに……女の人の気配でした。声は聞こえませんでした。でも、着物の裾の音と、かすかに鈴の音が……」


「鈴?」


「髪飾りか、帯留めか……小さな鈴の音がしました。二度とも」


捕霧七は煙管を取り出して火をつけ、一服してから言った。


「わかった。三太、少し調べることがある。お亀さん、明日の奥女中が来るまで、どうか何も決めないでください。必ず間に合うようにします」




******




その夜、捕霧七は私を連れて長屋に戻ると、考え込んだ。


「三太、江戸の大奥おおおくについて知っているか」


「少しは。将軍の内宮という話は聞いたが……」


「大奥というのは、江戸城の奥向き——つまり将軍の私的な生活空間——に存在する、女性だけの大きな組織だ。将軍の正室せいしつ側室そくしつ、そしてそれに仕える女中たちで構成され、その数は数百人から千人を超えることもある」


「それはロンドンのバッキンガム宮殿の宮廷女官よりも大規模だ」


「比較にならない規模だ。大奥の奥女中というのは、その組織の中で身分が高く、将軍夫人や側室の身の回りの世話をする女性たちだ。彼女たちは大奥の外に出ることはほとんどないが、将軍や藩主への取次ぎに大きな影響力を持つ。ロンドンで言えば、女王陛下の侍女よりも遥かに政治的な権力を持つ存在だ」


「しかし、なぜ大奥の奥女中が、一介の茶店の娘に関心を持つのか」


「そこが問題の核心だ」と捕霧七は煙管の雁首をゆっくり回した。「お蝶が着せられた着物——薄紫地に金糸の鶴と松——これは大奥でしか使われない装束に近い。そして見せた相手が一人の女性で、声を立てず、鈴の音だけを残して去った……」


「つまり」と私は言いかけた。


「病で声を失った、あるいは声を出すことのできない立場の女性が、若い娘を定期的に見に来ている。なぜか」


私は少し考えてから言った。


「その女性に、似た誰かがいるのではないか——亡くした娘か、妹か……」


「あるいは」と捕霧七は静かに言った。「将軍の後継ぎに関わる問題だ」


場が静まり返った。


江戸時代において、将軍の後継問題は国家の根幹に関わる最重要事項だった。将軍に世継ぎがいない場合、徳川の親藩——つまり徳川家ゆかりの藩——から養子を迎えることになる。この過程では、大奥の女性たちの意向が大きな力を持つことがあった。将軍の寵愛を受ける側室が世継ぎを産むかどうか、あるいは養子の選定に誰の影響力が働くか——これらは大奥の権力闘争と密接に絡み合っていた。


「文久二年(一八六二年)の今の江戸では、将軍家の後継ぎをめぐって様々な動きがある」と捕霧七は続けた。「お蝶が連れて行かれた屋敷の庭の大松——これは江戸城に近い大名屋敷の特徴だ。そして大奥に出入りできる奥女中が動いているとすれば……」


「捕霧七さん、それはかなり危険な話では?」


「極めて危険だ」と彼はあっさりと言った。「しかしだからこそ、放っておけない」




******




翌朝、捕霧七は私を連れてある場所へ行った。


神田の儒者じゅしゃの老人のもとだった。儒者とは、中国の儒教の学問を修めた学者のことで、江戸時代には幕府や大名に仕えて教育や政策に関与した。この老人は出仕を退いた後も、各方面との交流を保っており、江戸の政情に通じていた。


捕霧七は老人に、ここ数ヶ月の大奥の動きと、将軍家の内情について、さりげなく、しかし的確な質問をいくつか向けた。


老人は少し驚いた様子を見せたが、やがて静かに話してくれた。


それによると——現在の将軍家には、ある側室の方が重い病で声を失っており、しかしかつては大奥随一の美しさと聡明さで知られていた。その方には子がなく、もし将軍家の後継問題が浮上した場合、その方を後ろ盾にしようとする一派がいる。しかしその方が「声を失った後も以前の美しさを保っているか」を確認するために、側近の奥女中が秘密裡に動いているという噂があった——。


「確認するために?」と私は聞いた。


「美しさという政治的な資本だ」と捕霧七は帰り道に言った。「大奥において、将軍の寵愛を得た側室の影響力は絶大だ。その方が今も当時の面影を持つかどうか——それを証明するために、よく似た若い娘を探し、見比べていたのではないか。お蝶はその方に似ていたのだろう」


「つまり、お蝶を身請けしようとしたのは……」


「永久にその姿を手元に置いて、比較の対象とするためか——あるいは、お蝶の存在が外に知れれば、その側室と瓜二つの庶民の娘がいることになり、政治的に厄介なことになる。それを封じるためかもしれない」


「どちらにしても、お蝶にとっては危険だ」


「その通り」




******




午後、奥女中が茶店を訪れた。


捕霧七は私に「茶店の奥の座敷で待て」と言い、自分だけが縁台に座ってお亀と一緒に奥女中を迎えた。


奥女中は四十前後、深紫の着物を纏った大柄な女で、立ち振る舞いに長年の宮仕えの品格が滲み出ていた。目には意志の強さと、何か深い疲れが混じっていた。


「お返事は」と彼女は座るなり言った。


「少々お待ちを」とお亀が奥に声をかけると、捕霧七が出てきた。


奥女中の目が一瞬、緊張で細くなった。


「岡っ引の方ですか」


「写楽捕霧七と申します。少しお話を」と捕霧七は静かに言い、向かいに腰を下ろした。「お嬢さんを二百両でお譲り願いたいとのこと——理由をお聞かせいただけますか」


「それは……申し上げられません」


「申し上げられない理由があること自体、承知しています」と捕霧七は言った。「しかし一つだけ確認させてください。お蝶さんに対して、危害を加えるつもりはございませんか」


奥女中はしばらく黙っていた。


「……ありません」と彼女は静かに言った。「それだけは誓います」


「では、もう一つ」と捕霧七は言った。「お蝶さんを手元に置くことで、誰かを守ろうとしているのか、それとも誰かに対抗しようとしているのか」


今度の沈黙は、さらに長かった。


奥女中の目に、かすかに何かが揺れた。


「……守ろうとしています」と彼女は低く言った。「長年、お仕えしてきた方を」


捕霧七は頷いた。


「わかりました」と彼は言った。「一つお願いがあります。お蝶さんを金銭で動かそうとするのではなく、本人の意志に任せてはいただけませんか。お蝶さんに事情を——すべてではなくてよい、必要な範囲で——話し、本人が納得した上でのことであれば、私は止めません」


奥女中は静かに、深く頭を下げた。


「……それが筋というもの。承知いたしました」




******




その夜、捕霧七はお亀とお蝶に向かい合い、事情の概要を——大奥の名は伏せながら——話した。


「お蝶さんが求められているのは、ある高貴な方に容貌が似ているからです。その方の身近にいてほしいという依頼で、危害を加えることは一切ない——私はそう判断しています。ただし、それを受け入れるかどうかは、お蝶さん自身が決めることです」


お蝶は黙って聞いていた。そして最後にこう言った。


「その方が、本当に私の顔を見て何かを感じてくださるなら……私でお役に立てることがあるなら、行ってみてもいいと思います。ただし、いつでも帰れることを条件に」


捕霧七は翌日、奥女中にその返答を伝えた。


奥女中は「それで充分です」と言い、深く礼をして去った。


お蝶は後日、自分の意志で短い期間だけ、その屋敷を訪ねたと私は後に聞いた。そしてその後は自分の家へ戻り、普通の暮らしを続けた。大奥の方がどうなったかは、私には知る術がなかった。


「捕霧七さん」と私はその日の夜、長屋の縁側で言った。「今回は珍しく、あなたが決め手となる推理よりも、人と人を繋ぐ役割をしたように見えた」


「推理と調停は、時として同じ仕事だ」と彼は言った。「事実を明らかにして、当事者に選択肢を示す。それが探偵の役割だ——必ずしも犯人を縛り上げることだけが仕事ではない」


「それは、ロンドン時代より少し丸くなった発言だ」


「江戸に来て、人の機微きびというものを、改めて学んでいる」と彼は静かに言った。「この国の人々は、言葉に出さないことで多くを伝える。言葉の外に真実がある——それは推理において、最も重要な教訓の一つだ」


夏の夜風が吹き、風鈴が静かに鳴った。


お蝶という若い娘が、誰かの孤独を慰めに行ったかもしれない夜——大奥の奥深くで声を失った女性が、窓の向こうから江戸の夜空を見上げていたかもしれない夜——私は医師として、そして人間として、この事件の結末を「悪くなかった」と感じていた。


理由は、うまく説明できない。しかし捕霧七もきっと、同じように感じていたと思う。


彼は風鈴の音に耳を傾けながら、一言だけ言った。


「涼しい音だ」




******




【結末:ロンドン時代】


気づくと、私はベイカー街の居間にいた。


夏の夕暮れの光が窓から差し込み、ホームズはバイオリンを膝に置いて、窓の外を眺めていた。


「ホームズ、あの件はどうなった」と私は言った。「メリルボーンの名家の女中の話だ」


「解決した」とホームズは言った。振り返らずに。「依頼してきた当主の姪に当たる女性が、ある政治家の庶子しょしを密かに産んでいた。その子供の行方を隠すために、女中が定期的に使われていた。女中本人には当初、事情は知らせていなかった。しかし知らせてから、彼女は自分の意志でその仕事を続けることを選んだ」


「女中の意志を尊重したのか」


「私が尊重させた」とホームズは静かに言った。「人を道具として使う者は、使われる者の意志を軽視する。しかし意志を持った人間は、道具ではない。そこに線引きがある」


彼は窓から離れて、椅子に腰を下ろした。


「ワトソン、日本の大奥というものを聞いたことがあるか。将軍の後宮だ」


「多少は。なぜ?」


「権力の中枢に近い場所ほど、表に出せない人間の感情が渦巻いている」とホームズは言った。「政治と感情は、いつも互いに利用し合う。そしてその間で、何も知らない普通の人間が翻弄される。これはロンドンでも江戸でも変わらない」


「今回は翻弄された人間が、自分で道を選んだ」


「それが最善の結末だ」とホームズは言い、バイオリンを手に取った。


静かな、しかしどこか哀愁を帯びた旋律が流れ始めた。


窓の外に、ロンドンの夏の夕暮れが広がっていた。




******




本作は、アーサー・コナン・ドイル著『シャーロック・ホームズの冒険』および岡本綺堂著『半七捕物帳』への敬意と感謝を込めて執筆しています。




著:コナン・綺堂異流(Conan Kidoyle)

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