第二話:石灯籠の符牒 〜 The Sign of the Stone Lantern 〜
一部AIにより作成
【冒頭:ロンドン時代】
一八九二年三月のことである。
ロンドン大学の講堂にて、ある著名な化学者による公開講演が催されていた。演題は「新たな爆薬の合成における可能性」——いかにも穏やかでない内容であったが、私こと、ジョン・H・ワトソンはホームズに半ば強引に連れ出されて、その末席に座っていた。
「ホームズ、なぜ私まで来なければならないんだ。化学の講義など、私の専門ではない」
「化学は万学の基礎だ、ワトソン。おまえの医学的素養があれば、この講義の半分以上は理解できるはずだ」とホームズは言い、プログラムを傲然と膝に置いた。
講義は順調に進んでいた。演壇では白髪の教授が、試験管とビーカーを操りながら何やら熱心に説明している。
問題が起きたのは、その実験デモンストレーションの最中であった。
教授の助手が、ある薬品の瓶を別の瓶と間違えた。二つの液体が混合した瞬間、白い煙が上がり、次の刹那、轟音とともに閃光が走った。
爆発だった。
私が気づいた時には、講堂の天井が崩れ落ちていた。ホームズの声が聞こえた。「ワトソン、伏せろ!」——しかし、その言葉が終わらぬうちに、私たちの上に瓦礫の雨が降り注いだ。
煙の中で、私の意識は途切れた。
そして——目が覚めると、またあの世界にいた。
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【本編:江戸での事件】
——和登三太の語り——
今回の転生は、前回とはいささか趣が違った。
気がつくと私は、荒物屋——ロンドンで言えばよろず雑貨屋のような店——の軒先に横たわっていた。辺りはまだ薄明るく、東の空が鱗雲を朱に染めていた。江戸の夜明けというのは、不思議なほど静かである。ロンドンなら馬車の音、石畳を行く人の足音でとうに賑やかになっている時刻だが、こちらはただ遠くの寺から朝の鐘が聞こえてくるだけだ。
捕霧七はといえば、すでに起き上がって、周囲の地面を観察していた。
「面白い」と彼は言った。「この路地の土には、三種類の足跡が残っている。女の小さな草履の跡、男の大きな雪駄の跡、そしてもう一種——荷を引きずった跡だ」
草履と雪駄は、いずれも江戸の人々が足に履く履き物である。草履は畳表や藁で作られた薄い履き物で、庶民から武士まで広く使われる。雪駄は草履に皮底を貼ったもので、少し格のある男性が用いる。ロンドンの革靴やブーツとは根本的に作りが違い、足の甲を固定するものがなく、鼻緒と呼ばれる紐を親指と人差し指の間に挟んで歩く。
「荷を引きずった跡、というのは?」と私は聞いた。
「また後でわかる」と捕霧七は言い、煙管を一本懐から取り出して、しかし火はつけず、ただ唇に咥えてぼんやりと歩き出した。これはロンドン時代のパイプを咥えてものを考える癖が、そのまま江戸に持ち越されたのである。
その日の昼前、私のもとに訪ねてきた人物がいた。
新助という名の若い男で、神田の方で筆墨を商う店の番頭の倅だと言った。年は二十二、三といったところで、顔の色が蒼く、目の下に隈をつくっている。
「和登の旦那に折り入ってご相談があって参りました」と彼は言った。
江戸では、岡っ引の仕事仲間や縁者が持ち込む相談から事件が始まることが多い。ロンドンのホームズのもとには依頼人が直接ベイカー街を訪れたが、こちらでは口伝えの紹介が多い。江戸は意外なほど狭い社会で、長屋の住人は隣人の食事の内容まで知っているような環境である。
相談というのは、こういうことだった。
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新助の父は、小石川の台地に屋敷を構える旗本、服部家に出入りしている商人だという。先月の二十日過ぎのこと、服部の屋敷の庭で、一人の女の死体が発見された。
「石灯籠の根方に倒れていたというのです」
石灯籠とは、石で作られた燈籠——灯明台——のことで、日本の庭園には欠かすことのできない装飾物である。ロンドンのガス灯とは用途も形も全く異なる。笠と呼ばれる傘状の石の蓋の下に火袋という空洞があり、そこに灯を入れる。江戸の屋敷の庭には大概一つか二つは置かれていて、夜にほのかな光を放つ。
「死んでいた女というのは、誰だったのか」と私は問いかけた。
「それが——お梅という女中だったそうで」と新助は言った。「服部のご家中では、誰かに殺されたのだろうとは思っているらしいのですが、大事にしたくないと、奉行所には届け出ずに、内々に済ませようとしているというのです」
「なぜ奉行所に届け出ないのか」
「それが……お梅と、屋敷の若党の半次郎という男が、以前から良い仲だったというので……」
新助はそこで言葉を濁した。
私は事情が飲み込めた。武家屋敷の女中と下男が密かに交際し、それが何らかの悶着を生んで死人が出た——そういう内輪の醜聞を、旗本の家として公に出したくない、ということだろう。
ロンドンでも、貴族の家の恥をスコットランド・ヤードに持ち込むことを嫌う傾向はある。しかしこちらでは、武家の体面というものが、庶民には想像を絶するほど重んじられる。
「新助さん、なぜそれを私たちに話す気になった」と私は訊いた。
「実は……わたしの父は服部の家と長い付き合いがあります。それで屋敷の内情をある程度知っているのですが——父は、半次郎が殺したのではないと信じているのです。しかし奉行所を通さずに済ませようとすれば、半次郎が下手人ということにされてしまいかねない。それで……」
その時、奥から捕霧七が出てきた。いつの間に来たのか、入り口の格子戸に背をもたせかけて、腕を組んで聞いていた。
「面白い」と彼は静かに言った。
私はこの男が「面白い」と言う時の声の調子を、よく知っている。ロンドン時代、ホームズが複雑な事件に興味を引かれた時と、全く同じ音程だ。
「石灯籠の根方で発見されたと言ったな。女の死体はどのような状態だったか」
「それが……絞め殺された様子で、首に痣があったと」
「絞殺か」捕霧七はそこでようやく煙管に火をつけた。「服部の屋敷に入れてもらえるか」
「父から口を利いてもらえば、あるいは……」
「明日、案内してくれ」
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翌朝、私たちは新助の案内で小石川の服部屋敷を訪れた。
小石川の台地は、江戸でも比較的高台にあって、木々に囲まれた武家屋敷が静かに連なっている。武家地というのは、基本的に部外者が気軽に立ち入れる場所ではない。ロンドンで言えば、ゲートで守られた貴族の私有地に近い感覚だ。
服部家は五千石取りの旗本で、江戸の旗本としては中堅以上の格式を持つ。五千石の石高というのは、一年間に収穫できる米の量を石という単位で表したもので、一石はおよそ成人一人が一年間に食べる米の量——すなわち百八十リットル程度に相当する。ロンドンで言えば年収に換算しなければピンとこないが、要するに裕福な旗本だということである。
屋敷の主は服部左衛門太夫という五十がらみの武士で、顔色が悪く、目の下に力がなかった。出迎えに出てきた時から、明らかに何かに怯えている様子だった。
「お梅の一件は……内々に済ませたいと思っておるのだが」と彼は言った。
「ご事情はわかります」と捕霧七は静かに答えた。「しかし、内々に済ませようとすること自体が、かえって禍根を残すことになりかねません。私は真相を明らかにするだけです。それをどう処置するかは、あなた方がお決めになれば良い」
服部は長い沈黙の後、うなずいた。
「では……庭を見ていただこう」
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庭は広かった。
武家屋敷の庭というのは、ロンドンの英国式庭園のように花壇や噴水があるわけではなく、松、梅、南天といった常緑の木々と、砂利を敷いた庭石の配置が、静謐な美しさを作り出している。その奥に、一抱えもある立派な石灯籠が立っていた。
「ここで……お梅は発見されました」と、案内してきた家臣の一人が言った。「明け方に庭師が気づいて……」
捕霧七は石灯籠の周囲を、丁寧に調べ始めた。
まず地面の状態を観察した。次に石灯籠の笠の下に顔を近づけて、内側を覗き込んだ。さらに庭の縁を伝って、母屋の縁側の方へ歩いていった。
「半次郎はどこにいる」と、突然、彼は訊いた。
「は……半次郎は、こちらに」
呼ばれて出てきた半次郎は、三十前後の、いかにも実直そうな男だった。広い肩と節くれだった手から、力仕事をする若党らしいたくましさが感じられた。しかし顔は蒼白で、目が落ち着かなかった。
「お梅とはいつから懇意だったのか」と捕霧七は聞いた。
「……二年ほど前から」
「最後に会ったのは?」
「お梅が……亡くなる三日前です」
「その夜のことを話してくれ。お梅が死んだ夜、お前はどこにいた」
「長屋で寝ておりました。証人は……おりません」
捕霧七はそれ以上は問わなかった。
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庭から戻る道すがら、私は捕霧七に小声で訊いた。
「どう見る?」
「半次郎ではない」と、彼はあっさりと言った。
「なぜそう言い切れる」
「石灯籠の火袋の内側に、蝋燭の跡がある。最近のものだ。お梅はあの石灯籠を目印に、誰かと密かに会っていた。半次郎以外の誰かと、だ」
「しかし、それだけでは——」
「石灯籠の根方の地面に、草履の跡が二種類ある。小さい女の足と、もう一足——こちらは歯の高い下駄の跡だ」
下駄とは、木製の一枚板に二つの歯(突起)をつけた履き物で、草履より高い。雨の日や格の高い場所ではなく、むしろ気軽な外出に使われるが、武家の者はあまり用いない。下駄を履くのは、基本的に町人か、あるいは武家の中でも格の低い者——
「若党の半次郎なら、草履か雪駄を履く。下駄を履いていたのは、別の誰かだ」
「では誰が——」
「まだわからない。しかしもう一つ気になることがある」
捕霧七は立ち止まり、屋敷の植え込みを一か所指さした。
「あの低木の枝が、一か所だけ折れている。折れてから日が浅い。そして折れた枝の先には……これだ」
彼は枝の先に引っかかっていた、小さな布切れを摘んだ。深い紫色の、上等な紬の端切れだった。
「これは、女中が着るような代物ではない」と捕霧七は言った。
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その夜、私は捕霧七の推理を聞いた。
長屋の行灯の灯の前で、彼は煙管の煙を吐きながら、組んだ腕の上に顎を乗せていた。
「お梅という女は、二股をかけていたのではないと思う」と彼は静かに言った。「おそらく半次郎との仲は本物だったが、別の誰かに言い寄られていた。相手は石灯籠を目印に夜中に屋敷の庭に忍び込める者——つまり屋敷の内情に詳しい者だ」
「屋敷の者か?」
「もしくは出入りの者だ。紬の切れ端が気になる。あれは武家が着物に使う上質の布だ」
私はそこで思い当たった。
「服部左衛門太夫……あの御主人自身か?」
「まだ断言はしない。しかし、奉行所に届け出たくないという理由が、単なる内輪の醜聞を隠すためではなく、もっと直接的な理由——自分自身が関わっているからだとすれば、説明がつく」
「しかし、真相を確かめる手立ては?」
「一つある」と捕霧七は言った。「石灯籠の蝋燭だ。あの灯籠に蝋燭を立てる習慣が誰にあったかを調べれば、密会の相手が絞れる。三太、明日もう一度、新助に頼んで屋敷の女中頭に話を聞かせてもらえるか」
「わかった」
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翌日の夜、すべての答えが出た。
女中頭のお竹という六十がらみの老女は、はじめは口を割らなかったが、捕霧七が「お梅を見殺しにするおつもりか」と静かに言うと、堰を切ったように話し始めた。
「旦那様が……悪いのです」と彼女は言った。
服部左衛門太夫は、若く器量の良いお梅に目をかけていた。お梅はそれを迷惑に思いながらも、主の意向には逆らえず、石灯籠のある庭で夜中に呼び出されるようになっていた。しかしお梅は半次郎との仲を諦める気にもなれず、板挟みになっていた。
ある夜、それが半次郎に知られた。
しかし半次郎が怒ったのは、お梅にではなかった。
半次郎は服部左衛門太夫に直接迫ったのだ——「お梅を放っておいてください」と。
旗本の屋敷で、下男が主に向かって直言するのは、江戸の封建社会においては到底許されることではない。半次郎はその場で厳しく咎められ、左衛門太夫の怒りは頂点に達した。その怒りの矛先が、告げ口したとみなされたお梅に向かった——。
石灯籠の根方でお梅が絞め殺されたのは、その三日後の夜のことだった。
捕霧七は顔色一つ変えずに聞いていた。
しかし、お竹が話し終えた後、彼は長い沈黙の末に口を開いた。
「その紬の切れ端は、服部の羽織の袖のものだったと、あなたは確認できるか」
お竹は目を伏せてうなずいた。
「わかりました」と捕霧七は言った。「後は私が考えます」
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この一件の後始末は、私の予想とはやや異なる形で進んだ。
捕霧七はすぐに奉行所に届け出ることをしなかった。代わりに、服部左衛門太夫と二人で向き合い、長い時間をかけて話をした。私はその場には呼ばれなかった。
後で捕霧七が言うには、
「左衛門太夫は、自分がやったとは認めなかった。しかし否定もしなかった。私は一つのことだけを言った——半次郎を罰するな、と。それだけだ」
「それだけで?」
「江戸の武家社会には、英国の法廷とは違う仕組みが働く。証拠を揃えて陪審員に訴えるよりも、時として当事者の良心に直接訴える方が速い。それが正しいかどうかは、また別の問題だが」
半次郎はその後、服部の屋敷を穏便に暇を出され——すなわち解雇され——江戸の別の場所で職を得たと、新助は後に私に伝えてきた。
お梅の死の真相は、表向き「急な病死」として処理された。
それが江戸という時代の限界でもあり、現実でもあった。
「捕霧七さん」と、私はある夕暮れに訊いた。「今回の一件は、正義が行われたと言えるのだろうか」
彼はしばらく遠くを見ていた。
「ワトソン」と、彼はロンドン時代の名で私を呼んだ。「お前に一つ問おう。正義とは何か」
「……」
「英国の法では、証拠に基づいて有罪・無罪を判断する。それは一つの正義だ。しかしこの町では、証拠があっても、主と奉公人とでは法が違う扱いをする。では証拠を揃えて正式に訴え出れば、半次郎は救われたか」
私には答えられなかった。
封建社会の江戸において、下男が主を訴えることは、実質上不可能に近い。もし強引に奉行所に持ち込んでいたとすれば、かえって半次郎が不利な立場に追い込まれた可能性すらあった。
「私たちが今いる場所の法と道理に従うことが、時として最善だ」と捕霧七は言った。「それが気に入らなければ、法そのものを変えるための長い仕事が必要になる。今の私たちには、その時間はない」
石灯籠というものは、夜に灯を入れて初めて意味を持つ。昼間はただの飾り石に過ぎない。
この事件で明らかになったものも、石灯籠の光が照らしたものと同様に——闇の中にあってこそ見えてくる、人の心の内側の有様だったと、今も私は思っている。
******
【結末:ロンドン時代】
気づくと、私はベイカー街の居間にいた。
窓の外は夕暮れで、テムズ河の方から湿った西風が吹いていた。ホームズは窓際に立って、外を眺めていた。
「ホームズ」と私は言った。「また戻った」
「そのようだ」と彼は言った。振り返ることなく、窓の外に目を向けたままで。「ワトソン、一つ聞かせてくれ。正義とは何だと思うか」
私は少し驚いた。先ほど——いや、あの江戸の夕暮れで——捕霧七が私に投げかけたのと、まったく同じ問いだった。
「……難しい問いだ」と私は言った。
「難しい問いほど、考える価値がある」ホームズはそう言って、ようやく振り返り、私を見た。「ワトソン、石灯籠というものを知っているか」
「日本の庭の、石でできた……」
「暗い庭にあって、小さな灯を守り、足元を照らす。それだけのものだ。何かを裁いたり罰したりはしない。ただ、光を当てるだけだ」
ホームズは暖炉の前の椅子に腰を下ろし、パイプを取り上げた。
「探偵の仕事というのも、そういうものかもしれない」と彼は言った。「真実に光を当てること——それだけが、われわれにできることだ」
窓の外に、ロンドンの夜が降りてきた。ガス灯が一つ、また一つと灯り始め、霧の中に滲んでいった。
「また次の機会があれば」と私は言った。
「あるだろう」とホームズは煙管の代わりにパイプを咥えながら、いつもの涼しい顔で言った。「次はもう少し、穏やかな事件であることを祈るがね」
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本作は、アーサー・コナン・ドイル著『シャーロック・ホームズの冒険』および岡本綺堂著『半七捕物帳』への敬意と感謝を込めて執筆しています。
著:コナン・綺堂異流(Conan Kidoyle)




