表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ホームズ捕物帳 ~ロンドンの名探偵、江戸に転生して岡っ引きになる  作者: コナン・綺堂異流


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/24

第十三話:弁天娘の冒険 〜 The Adventure of the Benten Girl 〜

一部AIにより作成


挿絵(By みてみん)


【冒頭:ロンドン時代】


一九〇三年の三月、ロンドンはまだ冬の名残を引いていた。


ホームズは朝から機嫌が良かった——つまり、何か興味深い謎の予感があるということだ。彼はバイオリンを弾かず、実験もせず、ただ窓際に立って往来を見下ろしていた。


「ワトソン」と彼はふいに言った。「遺言というものを信じるか」


「遺言? 法的に有効な——」


「そうではなく。人が死に際に残す言葉を、どこまで信じるべきか、ということだ」


「……死に際の言葉は、嘘をつく理由がない。だから一般的には信憑性が高い、と思うが」


「一般的には、そうだ」とホームズは言い、振り返った。「しかし死に際の言葉には、別の問題がある。混乱した意識の下で発せられた誤解や、思い込みを含む場合がある。そして時として、誰かに意図的に作られた場合もある」


「作られた遺言?」


「昨日、ある依頼が来た」とホームズは机の上の手紙を示した。「神田にいる質屋の——いや、ロンドンの話だ。質屋の小僧が死の床で『娘に殺された』と言い残した。その遺言を根拠に、兄が多額の金を要求している。真相を調べてくれというのだ」


「それは——」


「行こう、ワトソン」


私たちはシティ区の一角にある質屋を訪ねた。依頼人は五十がらみの番頭で、深刻な顔をしていた。私たちが話を聞いていると、突然二階から大きな音がした——何かが倒れた音。


「待ってください!」と番頭が叫んだが、もう遅かった。


二階の棚から大量の帳簿が落ちてきた。ホームズが飛び退き、私もかわしたが——その拍子に私は階段に後ろ向きに倒れ込んだ。


階段を転がり落ちた。


頭を打った。


そして——春の江戸へ。




******




【本編:江戸での事件】


——和登三太の語り——


三月の江戸は、梅が終わり桜が待たれる季節だった。


空は高く澄んでいて、神田かんだの方から鐘の音が聞こえてきた——神田明神かんだみょうじんの鐘だ。神田明神は江戸の総鎮守そうちんじゅのひとつで、大己貴命おおなむちのみこと少彦名命すくなひこなのみこと平将門命たいらのまさかどのみことの三神を祀る格式ある神社だ。ロンドンで言えばセント・ポール大聖堂に近い存在感を持つが、仏教寺院と神道神社が複合した日本固有の形式だ。


私と捕霧七が目を覚ましたのは、その神田明神の下——明神下みょうじんしたと呼ばれる門前の町の一角だった。


「三月十八日の朝だ」と捕霧七は空を見て言った。「何かが始まる気がする」


「なぜその日付がわかる?」


「あそこの暦売りが持っている暦に書いてある」と彼は路傍の露店を指さした。


なるほど、彼の観察眼は江戸に来てからも一向に衰えていない。


そこへ、一人の中年の男が速足で近づいてきた。番頭の風体——これはロンドン時代から私にも読めるようになっていた。手代てだいや番頭という役職の男は、歩き方と着物の畳み方に独特の実務的な雰囲気がある。


「写楽の旦那ではございませんか。捕霧七の旦那……槇原の旦那のご紹介で探しておりました」


「私が捕霧七です。何かご相談が?」


「実は——今朝、とんでもないことになりまして……」




******




男は利兵衛りへえといい、神田明神下の質屋・山城屋やましろやの番頭だった。


質屋しちやとは、品物を担保に金を貸す商売で、ロンドンのポーンブローカー(質屋)に相当する。しかし江戸の質屋は、ロンドンのそれより社会的な地位がやや高く、武士・町人を問わず幅広く利用された。品物を「流す」——つまり返済せずに手放す——ことを前提とした取引も多く、富裕な商家の傍らに並んで店を構えることも珍しくない。一両から数百両まで、様々な規模の取引を扱う。


「うちの小僧の徳次郎とくじろうが、半月ほど前から口が腫れる病気になりまして……昨日、実家で息を引き取りました。それが——」と利兵衛は声を低くした。「死に際に徳次郎が、うちの一人娘のおおこのに殺されたと言い残したと……それを聞いた兄の徳蔵とくぞうという者が、今朝、山城屋に乗り込んできて、三百両を寄越せと……」


「三百両」と私は思わず言った。


三百両は現代の価値に換算すれば数千万円規模の金額だ。一般の商家にとっても大金だが、質屋ならば動かせない額ではないかもしれない——それを知っての要求だろう。


「お此というのはどんなお嬢さんですか」と捕霧七は訊いた。


「それが……山城屋のご主人夫婦が、弁天様べんてんさまに願掛けをして生まれたお嬢さんで、『弁天娘』と呼ばれるほどの器量よしで。今年二十二になります。性格も優しく、小僧たちにも優しくされていた……そのお此が毒など盛るとは……」


弁天様——弁財天べんざいてんは、七福神のひとつで、音楽・芸術・弁舌・財産を司る女神だ。特に水辺の神社に祀られることが多く、江戸では不忍池しのばずのいけの弁天堂が有名だ。弁天様に祈って生まれた子を「弁天娘」と呼ぶ習慣があり、特に美しい娘に対してこの名が使われた。


「お此さんに会わせてもらえますか」と捕霧七は言った。




******




山城屋の店は、神田明神下に面した広い間口の構えで、格子戸の向こうに質草しちぐさ——担保に取った品物——を収める蔵が見えた。


お此は奥座敷にいた。


二十二の若い女で、確かに器量よしだった。色白で、目が大きく、落ち着いた物腰をしている。しかし今日は目が赤く腫れており、手が膝の上で固く握りしめられていた。


「お此さん、徳次郎さんのことを話してください」と捕霧七は静かに言った。


「私は……何もしていません」とお此は言った。「口の腫れる病気というのは、ときどきある病です。私が毒を盛ったなんて——」


「徳次郎さんと何か揉め事はありましたか」


お此は少し間を置いた。


「……一月ほど前に、私の部屋の帯留め(おびどめ)が一つなくなって、徳次郎が持ち出したことがわかりました。叱りました。強く叱ったかもしれません……でもそれだけです」


「帯留めを叱られた——その後、徳次郎の様子に変化は?」


「普通でした。気まずそうにはしていましたが……」


「お此さんに、徳次郎以外の小僧との間に、何か問題はありましたか」


「ありません」


捕霧七は部屋を見回してから、静かに立ち上がった。




******




店を出ると、私は捕霧七に訊いた。


「お此が毒を盛ったと思うか」


「思わない」と彼は言った。「口が腫れる病気——これは症状として一致するものがある。腫物はれもの系の病は、口腔内の化膿から広がることがある。三太、医師として、口の腫れから半月で死亡する病気として何が考えられる?」


「急性化膿性扁桃炎の重症化……あるいは壊疽えそ……放置すれば致死に至ることもある。それと——」


「それと?」


「毒の中には、口腔粘膜を腫れさせる作用のあるものもある。例えば水銀すいぎんの化合物や、特定の植物毒素が——しかし通常の食事で摂取される量ではない」


「その毒を、長期間少量ずつ摂取させ続ければ?」


「時間をかけて蓄積し……口腔内の炎症から始まり、全身に及ぶかもしれない」


「徳次郎は半月病んで死んだ。その前一月ほど、誰かに毒を少量ずつ盛られていたとしたら——辻褄が合う」


「しかしお此ではないとすれば——誰が」


「帯留めを盗んだ小僧を叱った、という話が気になる」と捕霧七は言った。「叱られた小僧が、誰かを恨んだとしたら——あるいは、叱られた事実を利用して誰かが——」


「待ってくれ。徳次郎を毒殺したのが第三者で、しかも死に際の言葉がお此を指していたとすれば——その言葉は誰かに仕込まれたか、あるいは病で混乱した意識の中での誤認か」


「両方の可能性がある」と捕霧七は静かに言った。「まず、徳蔵という兄に会おう」




******




徳蔵は三十がらみの、顔の細い男だった。どことなく目が落ち着かず、言葉を選びながら話す様子があった。


「弟が死ぬ前に言い残したんです。お此が——お此が俺に毒を盛ったって。それは確かに聞きました」


「徳次郎さんはその言葉を繰り返しましたか? 一度だけでしたか」と捕霧七は訊いた。


「……一度でした。弱ってましたから、それだけ言って……」


「その場に他に誰がいましたか」


「おふくろと、隣の家の人間が一人……」


「その隣の家の人間の名前は?」


「……安次郎やすじろうという男で」


捕霧七はそこで少し間を置いた。


「安次郎という男と、あなたはどういう関係ですか」


徳蔵の顔が、わずかに動いた。


「幼馴染みです。それだけです」


「三百両の要求は、安次郎が言い出しましたか」


「……いいえ。私が——」


「一人で決めましたか」


長い沈黙。


「……安次郎が、一緒に行こうと言ったのは、確かで……」




******




「三太」とその夜、捕霧七は長屋に戻って言った。「安次郎という男を調べてくれ。徳次郎の実家がある町内の者に聞き込みをすれば、何か出てくるはずだ」


翌朝、私が調べると、すぐに話が出てきた。


安次郎は徳次郎の実家のある町に住む、職のない男で、博打ばくちの借りがあることで知られていた。金に困っていることは、近所の誰もが知っていた。


「博打の借り」と私は報告した。「かなりの額らしい。山城屋への三百両の要求は——その借りを返すためではないかと」


「それは動機になる」と捕霧七は言った。「では、毒を盛ったのは安次郎か」


「しかし安次郎は山城屋には出入りしていない」


「直接盛る必要はない」と捕霧七は言った。「徳次郎に——何か渡した可能性がある。甘い菓子のようなものに混ぜて、少しずつ」


「しかし徳次郎を毒殺して、なぜお此が犯人だという言葉が出るのか」


「徳次郎が何かを誤解するように、仕向けたのかもしれない。帯留めの一件で叱られた後——安次郎が徳次郎に『お此がお前のことを恨んでいる』などと吹き込んでいたとすれば。病で弱った意識の中で、誰かが自分を傷つけていると感じた時、最近恨まれた相手の顔が浮かぶのは自然なことだ」


私は医師として、そのような混乱が臨終の際に起き得ることを、確かに知っていた。




******




捕霧七はその日の午後、安次郎を探して直接話をした。


私も同行した。


安次郎は三十五、六の、いかにも小狡そうな顔の男だった。捕霧七の訪問を受けた瞬間、目の奥に警戒の色が走った。


「徳次郎に何か渡しましたか。菓子でも、あめでも」と捕霧七は最初から核心を突いた。


「渡してませんよ。何ですか突然」


「徳次郎が死んだ。三百両の要求が始まった。その要求を煽ったのはあなただ。なぜそこまでする必要があったか——博打の借りがあるからです」と捕霧七は淡々と言った。「徳次郎に何かを渡したことを、この界隈の者に確認する気はあります。時間はかかりますが、必ず確認できます」


安次郎はじっと捕霧七を見ていた。


「……一度、飴を渡したことは……ある」


「何の飴ですか」


「……ただの飴糖あめとうです。自分で作った」


「飴糖の中に何が入っていたか、教えてください」


安次郎の顔が、ゆっくりと崩れた。




******




安次郎の自白によると、彼は博打の相手から教わった「口が腫れる毒」——山椒さんしょうの実を過剰に煎じたものと、別の薬草を混ぜた自家製の粉——を飴の中に少量混ぜて、徳次郎に何度か渡していた。


山椒は江戸の料理に使われる一般的な香辛料だが、過剰に摂取すると口腔粘膜に炎症を引き起こすことがある。それに別の成分を加えることで、毒性が高まった。


「徳次郎が死ぬとは思っていなかった」と安次郎は言った。「ただ、病気にして、山城屋から金を引き出す口実を作るつもりで……」


「そしてお此が疑われるように、徳次郎に吹き込んだ」


「……お此がお前を恨んでいると言ったのは……確かです」


安次郎は南町奉行所に引き渡された。




******




しかしそれで事件が終わらなかった。


翌日の夕刻、山城屋から急使が来た。


「徳蔵が……山城屋の主人を斬りました」


私たちが駆けつけると、山城屋の主人が肩を浅く斬られ、蔵の前で倒れていた。傷は深くはないが、出血が多かった。私はすぐに手当てをした。


徳蔵は現場から逃げていた。


事情を聞くと、安次郎が奉行所に引き渡されたことを知った徳蔵が、山城屋の主人に「安次郎を訴えたのはあなたか」と詰め寄り、揉み合いになったという。


「徳蔵はどこへ逃げた」と捕霧七は訊いた。


「安次郎の家の方へ——」と、近所の者が言った。


捕霧七は走り出した。私も続いた。


安次郎の長屋の前に、徳蔵が呆然と立っていた。刀を手に持ったまま、動けずにいた。


「徳蔵」と捕霧七は落ち着いた声で言った。「刀を置け」


「安次郎が……安次郎が弟を殺したなら……」と徳蔵は震えながら言った。「俺は何のために……三百両を……俺はただ弟の仇を——」


「弟の仇は、奉行所が裁く」と捕霧七は静かに言った。「お前が斬ることではない。それをすれば、お前が裁かれる番になる——それで弟は喜ぶか」


徳蔵は長い間、震えていた。


やがて刀が、地面に落ちた。




******




徳蔵は傷害の咎で奉行所に出頭することになったが、山城屋の主人が「深手ではないし、事情も察した」として、重い処分を望まない旨を伝えた。


お此は——この一件が終わってから、初めて捕霧七に会いに来た。


「ありがとうございました」と彼女は頭を下げた。「私が疑われていたことは、わかっていました。でも……誰かを傷つけるつもりは、全くなかったのに……」


「お此さん」と捕霧七は言った。「あなたは何もしていない。それは証明されました。帯留めを盗んだ徳次郎を叱ったことも——当然のことです」


「でも、あの一言が……徳次郎に、私が恨んでいると思われる原因になったかと思うと……」


「それはあなたのせいではない」と捕霧七は静かに、しかしはっきりと言った。「安次郎が悪意を持って種を植えた。あなたにできたことは、何もない。自分を責めるな」


お此はしばらく黙ってから、深く頭を下げた。




******




「捕霧七さん」と私はその夜、長屋で言った。「今回は二つの事件が一つに絡んでいた。毒殺と傷害と、そして脅迫と」


「そして誤解と」と捕霧七は言い、煙管を吹かした。「死に際の言葉というのは、重く受け取られすぎることがある。混乱した意識の下で発せられた言葉を、遺言として扱うことの危うさが、今回よく表れた」


「ホームズ時代にも同じことを言っていた——死に際の言葉を、どこまで信じるべきか、と」


捕霧七は少し驚いた顔をした。


「ロンドンで言ったか」


「転生前の朝に。偶然の一致だ」


「偶然ではないかもしれない」と彼は静かに言った。「我々がここに来るたびに、解くべき問いが既に形を変えて待っている——そういう気がしてきた」


「転生の仕組みについての考察か?」


「まだ答えは出ない。しかし問いの形は、見えてきた」


弁天様に祈って生まれた娘が「弁天娘」と呼ばれる——その美しい名前の後ろに、これほど複雑な人間の欲望が絡み合っていた。


神仏への祈りと、人のごうは、いつも隣り合わせにある。


それが江戸という町の、深く豊かな部分だと、私は思っていた。




******




【結末:ロンドン時代】


気づくと、私はベイカー街の階段の下にいた。


ホームズが覗き込んでいた。


「大丈夫か、ワトソン」


「……頭を打った」


「見ればわかる」と彼は言い、腕を貸してくれた。「帳簿の件だが——あれは棚の固定が甘かったせいだ。質屋の番頭に言って直させる必要がある」


「死に際の遺言の件は?」


「調べた」とホームズは居間へ案内しながら言った。「小僧が死の床で言い残した言葉——それを利用して金を要求しようとした者がいた。遺言の言葉そのものは、おそらく混乱した意識から来ている。娘への無実の疑いは晴れる方向だ」


「複雑な事件だった」


「いつも複雑だ」とホームズは言い、私を椅子に座らせ、自分は暖炉の前に立った。「ワトソン、死に際の言葉は証拠か」


「感情的には重く受け取られる。法的には証拠能力は限られる」


「正しい」とホームズは言った。「しかし人は感情で動く——そこを利用する者が常にいる。証拠と感情の間の溝を、誰かが橋渡しするのが探偵の仕事の一つだ」


暖炉の炎が、三月の夜を温めていた。


ロンドンの質屋の棚から帳簿が落ちてきた、その後に——弁天娘と呼ばれた女の無実が証明されたことを、私は思い出していた。


奇妙な繋がりだ——しかしそれが、この転生という旅の、どこかに意味があるのかもしれないと、私はひそかに思った。




******




本作は、アーサー・コナン・ドイル著『シャーロック・ホームズの冒険』および岡本綺堂著『半七捕物帳』への敬意と感謝を込めて執筆しています。




著:コナン・綺堂異流(Conan Kidoyle)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ