漆:迫る魔の手
発動して効果を失った第一陣の罠魔法を再設置する必要があるため、騎士の中で罠魔法が使える者たちが総出で出向き、厳重に罠魔法を掛けてから壁の内側に戻った。
大群討伐の後の魔法行使だったため、ほとんどの者が魔力切れを起こしてしまい、診療所と休憩所を兼ねている棟に向かった。
そこには魔力の回復薬が備蓄してあるからだ。
そこで、事件が起きた。
いや、起きていた。
騎士たちが到着し、薬品の備蓄庫に入った時、普段は数十本と常備されているはずの青い小瓶が、一本もなかった。
常駐している医者に聞いても「知らない」「数時間前まではそこに確かにあった」と証言するのみで、手がかりすら得られなかった。
ヴィオラは自分が持ち歩いていた回復薬を飲んだので、その棟には行かず、部下からの報告を聞いてそれを知った。
ヴィオラが診療所に駆けつけると、そこには既にウィルフリードがいた。どうやら部下が彼にも報告したらしい。
と、薬品棚を見つめていたウィルフリードは、視線をヴィオラに向けた。
「……アインハルト殿、わかるか?」
試すような口ぶりに目を半眼にしつつ、ヴィオラは薬品棚に意識を向けた。
そして、すぐに気がつく。
「……この魔力の気配……まさか、魔族……?」
人間と魔族、魔物は、魔力の種類が違う。
強い魔力を有する者ならば、感覚でその違いがわかるとされている。
棚にこびりついていたのは、人間のものとは異なる、魔族のそれだった。
ヴィオラの言葉に、ウィルフリードは一瞬眉を上げ、そして頷く。
「……ああ、入り込まれたらしい。大至急探して殺さないと、取り返しがつかないことになる」
「……そう、ですね……」
知能をもち、人語を解する魔物、それが魔族。
見た目は人間とよく似ている上に、魔族は魔法が使えることも多く、一度紛れ込まれたら見つけ出すのが困難だ。
そうこうしている間に、内側から人間が殺されていってしまうだろう。
「探知魔法!」
棚に右手を掲げて、ウィルフリードが唱える。
刹那、彼は目を見開き、それから首を横に振った。
「……魔族の魔力の数は一つ。それはわかったが、魔力の主がどこにいるのかは視えない」
「隠匿魔法も使えるとなると、かなり厄介ですね」
探知魔法で居場所を突き止められないということは、それを躱すための魔法が使えるということ。
「……嫌な予感がする。人間に化けているかもしれない。大至急、壁の中にいる全ての騎士、兵士、使用人を集めろ。全員の魔力を鑑定する」
「わかりました」
ウィルフリードの的確な指示に、ヴィオラが頷く。
すぐに命令が回され、北の国境に滞在する者の中で、壁外警備を担当している迎撃部隊員の一部を除いた全員が、壁の中の広場に集められた。
当然、ヴィオラの父ロクスと、弟アインハルト、客人でもあるダリウスもその対象だ。
アインハルトは身体が弱い。鎧を身に着けて長時間立つことはできないため、仕方なくヴィオラになりすますことにした。
実は過去にも何度か入れ替わってやり過ごしたことがある。
アインハルトは男性にしては線が細いため、厚着をすればヴィオラと見分けがつかなくなるのだ。
変化魔法を掛けることも可能だが、魔法を使える相手に対してそれで誤魔化そうとするのは寧ろ悪手だ。
しかも、今回は潜む魔族を探している。魔法をかけて変身している状態は見破られやすいだろう。服装だけ変えている方が誤魔化しやすい。
そんな判断で、ヴィオラの変装をしたアインハルトを連れてロクスと共に広場へ向かうと、手前でダリウスに声を掛けられた。
「アインハルト殿、少し良いだろうか」
「私ですか……?」
縁談を申し込んだ相手であるヴィオラではなくアインハルトを名指ししたことに疑問を抱きつつ、ダリウスに歩み寄ると、彼は小声で話し始めた。
「ストランドには気をつけろ。アイツは平気で部下を見殺しにするような男だ」
「え? そのような方には思えませんが……」
つい先程だって、戦場で助けられたばかりだ。
偉そうな物言いではあるが、支持も的確だし、決して部下を見捨てるような人物には思えない。
「君は英雄として名が知れている。助ければメリットがある。だが、そうでない部下は平気で切り捨てるぞ……私のようにな」
「ビスチェン卿を?」
「ああ。三年前の北西の国境での戦場でね。あの男は私のいた部隊は丸ごと切り捨て、撤退したんだ」
いくら何でもそんなことをするような人物には思えないか、ダリウスがここまで憎しみを露わにしているのには、それなりの理由があるのだろう。
「……そうですか。心に留めておきます」
当たり障りない回答をして、ヴィオラは広場へ入った。
全員が集まると、ウィルフリードは台の上から全員を見下ろし、何の説明もせずに即座に呪文を唱えた。
「鑑定魔法!」
彼の魔力がふわりと舞い上がり、その場の全員を包み込む。
通常、鑑定魔法は対象一つに対して使用されることが多い。
広範囲でこのような使い方をするのは、ヴィオラもロクスも初めて見た。
しばしの沈黙の後、ウィルフリードは僅かに目を瞠ったが、その後首を横に振って嘆息した。
「この中にはいない。皆、ご苦労だった。持ち場に戻れ」
急に集められたと思ったら呆気なく解放され、騎士も兵士も困惑した様子で戻っていく。
「……アインハルト殿」
ウィルフリードが急に、ヴィオラに近付いて来たかと思うと、「少しいいか」と言って、人気のない場所に促した。
「……何か?」
警戒しながら尋ねる。もしや、自分が魔族だと疑われているのかと。
「……君が、英雄アインハルトであることは、間違いないんだな?」
唐突な問いに、ヴィオラは思わず息を詰める。しかし、動揺を悟られぬよう、彼の目を見て頷いた。
「ええ、私がアインハルト・シシェルです。今更何を……」
「先程、鑑定魔法であの場にいた全員を視た」
その一言に、全てが詰まっていた。
ヴィオラはぐっと言葉を呑み込む。
「……私には、君が女で、あの場にいたヴィオラ嬢が男に視えた」
「っ……」
「君の正体はヴィオラ嬢であり、弟であるアインハルトの名で戦場に立っていた、という理解で合っているか?」
「……はい、その通りです」
言い逃れは不可能だと悟り、ヴィオラは肩を落として頷いた。
貴族の名を騙るのは重罪だ。
たとえ家族であっても、本来ならば許されることではない。
「……どうぞ、いかようにも処分してください。悪いのは全て私です」
「このことは当然、シシェル卿も知っているのだろう? 君一人に責任があるとは到底思えん」
「……伯爵家はどうなりますか?」
ヴィオラは縋るような目でウィルフリードを見上げた。
きっと彼は自分を軽蔑し、嘲るような目で自分を見ているに違いない、そう思っていたが、意外にも、彼の瞳には優しい色が浮かんでいた。
「ヴィオラ嬢が戦場に立って戦っていたことが事実ならば、シシェル家を罰するのは得策ではない。英雄がいなくなれば、間違いなく北の国境は瓦解するだろう」
だが、とウィルフリードは続ける。
「一つだけ聞かせてくれ。何故君は、弟の名で戦場に出た?」
「……父の方針で、この地で生きるからには、最低限自分の身は守れるようにと、私もアインハルトも、幼少期から剣術を叩き込まれて育ちました。しかし弟は子供の頃から病弱で、戦場に出ることは難しく、一方の私は、父が認める程になりました。私が前線に立つことは国のためになるけれど、女である私が騎士になったら嫁の貰い手に苦慮するだろうと考えた父の計らいで、アインハルトの名で戦うことにしたのです」
ヴィオラの説明に、ウィルフリードはふむ、と頷いた。
確かに、英雄と評されるほどの剣の達人である遺族令嬢を嫁に貰いたいという男はそういないだろう。
この世界の男は、自分より強い女を忌避する傾向が強いからだ。
「……なるほど。事情はわかった。一つ提案がある」
「提案?」
「俺と結婚するのはどうだ?」
「……は?」
あまりに突飛な言葉に、ヴィオラは思わず間の抜けた顔をする。
「俺も周りから結婚を急かされて辟易している。そして俺は、俺に媚びなかった君を気に入っている」
初対面で、アインハルトが女なら良かったのに、と思ったことは言わないウィルフリードである。
そして、彼のそんな心の内など知らぬヴィオラは、嫌そうに顔を顰めた。
「大変光栄なご提案ですが、お断りさせていただきます。私は、別に結婚などしなくてもいいと思っていますので。話がそれだけなら失礼いたします」
早口にそう言い、ヴィオラは立ち去っていく。
内心では、あの上から目線のウィルフリードから突然求婚されたことに戸惑っていた。
彼には先程戦場で助けられ、第一陣の罠魔法の再設置にも力を借りた。その際に、彼の実力を目の当たりにしたヴィオラは、彼の偉そうな態度には思うところがありつつも、軍人として尊敬の念も抱き始めていた。
しかし、英雄アインハルトの正体が女だと知り、態度を変えた彼に、絶望にも似た気持ちになった。
それに、ダリウスの話していたウィルフリードが部下の部隊を見捨てた、という話も気になる。
それが本当だったら、絶対に自分とは相入れない思想の持ち主ということになる。そんな相手と結婚することなど絶対に無理だ。
「……アインハルト様?」
と、突然声を掛けられ、足を止めた。
はっとして顔を上げると、エイクが立っていた。彼はヴィオラの顔を見て怪訝そうにしている。
「どうかしましたか?」
「……何でもない。それより、お前こそここで何をしている?」
焦りつつも取り繕って尋ねると、エイクはびしっと敬礼した。
「ビスチェン様が、アインハルト様とお話したいと仰っていたので、お呼びに参った次第です」
「そうか、今行く」
そう言いかけて、ぽつりと水ににインクを一滴垂らしたような、ほんの僅かな違和感を覚えた。
「……ビスチェン卿はシシェルの屋敷へ戻られたはず。何故、お前が私を呼びに来た?」
屋敷にいれば、ヴィオラ扮するアインハルトはそう遅くならずに戻って来る。
それを待てないほど急ぎの用事なら、エイクに呼びに行かせず自ら来るだろう。
その疑念に、ヴィオラが警戒しながらエイクを見る。
彼は、ヴィオラの目をみて唇を僅かに歪めた。
「……チッ、面倒臭ぇな」
上官に向かって吐き捨てるには聞き捨てならない言葉遣い。
その瞬間、ヴィオラの肌がぞわりと粟立った。
「……鑑定魔法!」
その魔法はあまり得意ではないが、対象が一つであるなら多少は使える。
目に意識を集中して、目の前の人物を視る。すると、視え方が変わってくる。
「……っ!」
愕然とした。
目の前に立っている青年は、人間ではあり得ない、どす黒い魔力のオーラを纏っていた。
そしてその瞳は、まるで血を吸ったような紅い色。
それは、彼が魔族であることを示していた。
もしよろしければ、ページ下部のクリック評価や、ブックマーク追加、いいねで応援いただけると励みになります!感想も大歓迎です!




