肆:罠魔法の発動
その日の夕食は、久しぶりに家族全員が揃っていた。
長い食堂の卓の上には、北方では貴重な香草を使った料理や、焼き立てのパンが並べられている。
窓の外では乾いた風が唸っていたが、室内には穏やかな時が流れていた。
卓の上座には父ロクス。
その隣にアインハルト、ヴィオラの順で座っている。
そして、その対面にダリウス・ビスチェンが一人。
北の国境独特の質実剛健な空気の中で、帝都仕込みの優雅な佇まいを崩さない彼は、どこか異質だった。
「北の食事は初めてですが、実に美味しいですね」
ダリウスは微笑みながらナイフを置いた。
「特にこの燻製肉は素晴らしい。帝都ではなかなか味わえません」
「辺境ゆえ、保存食だけは発達しておりますので」
ロクスが答える。
食物は基本自給自足で賄っているが、雪深くなる冬は蓄えで凌ぐしかないのだ。
帝都からの配給もあるが、雪の影響で予定通り届かないことも多い。
その説明に、感心したように頷くダリウスの仕草は自然だった。
少なくとも、辺境を露骨に見下しているようには見えない。
だがヴィオラは、昼間に感じた得体の知れない違和感を拭えずにいた。
と、ダリウスはワインを口にしながらアインハルトを一瞥した。
「……本日も、魔物討伐があったとか」
「ええ。小規模な群れでしたが、最近は頻度が増えております」
「それを少数で抑え込んでいるのですから、シシェル家の武名も頷けます」
そう言って、ダリウスはアインハルトへ視線を向けた。
「特に、アインハルト殿のご活躍は帝都にも届いておりますよ。歴代最強の英雄と」
アインハルトの肩が僅かに揺れる。
「それは恐縮です」
アインハルトはにこやかに応じる。
時折りやってくる客人の対応で、英雄として接することには慣れているのだ。
一方で、ダリウスは柔らかく微笑む。
その視線は穏やかだ。まるで観察しているように。
「帝都では、アインハルト殿の武勇伝は半ば伝説ですよ。単独で魔族を討っただの、壁外で魔物の群れを壊滅させただの」
「……全て事実ですよ」
ロクスが答える横で、アインハルトが苦笑する。
その事実は、全てヴィオラ扮するアインハルトの功績である。
「私は、家族や騎士たちに支えられているに過ぎません」
「謙虚ですね」
ダリウスはくすりと笑った。
「ですが、実際に北へ来てみるとわかります。ここで戦い続けるだけでも常人には困難だ」
その言葉は自然だった。
しかしヴィオラは、彼の碧眼が一瞬だけ自分を見たのを見逃さなかった。
探るような目だった。
「……ビスチェン卿は、戦場へ出られたことは?」
ヴィオラは話題を変えるために問いかけた。
確か、ビスチェン公爵家の長男は次期公爵として内政に携わり、次男が帝国軍の中将を務めているはずだ。
しかし、三男であるダリウスの噂は聞いたことがない。勿論、軍に在籍していたとしても戦場に出るだけが軍人の仕事ではないが。
「もちろん、ありますよ。兄の部隊で、北西の国境が大群に襲われた時に」
「ああ、三年前の……?」
ちょうど、ヴィオラがアインハルトとして戦場に出るようになった頃だ。
北西でのそれは、とても大きな戦いだった聞いている。
国境の壁の一部が壊され、魔物が数体侵入したと。
それを、当時少佐だったウィルフリードの活躍で何とか前線を押し戻して国境を復興させられたそうだ。
「ええ。しかし、私はどうにも、軍人に向いていない性分のようでして」
「ほう?」
ロクスが興味深そうに眉を上げる。
「では、何に向いておられるので?」
「……生き残ること、でしょうか」
さらりと言われたその言葉に、食堂の空気が僅かに変わった。
ヴィオラがちらりとダリウスの顔を見る。
彼は微笑んでいるが、その瞳は、妙に冷たい光を浴びているように見えた。
三年前の戦場で、何かあったのだろうか。
気になったが、とても聞けるような雰囲気ではないため、ヴィオラは諦めて口を噤んだ。
「……だからこそ私は、戦場で戦う方々を心から尊敬していますよ」
その言葉は本心のようにも聞こえる。ただ、それがなんとも胡散臭く思えてしまうのは何故だろう。
すると隣のアインハルトが、小さく咳き込んだ。
「アイン」
「大丈夫だよ、ヴィオラ」
アインハルトは淡く笑う。
その様子を見たダリウスが、ふと視線を細めた。
「……お二人は、本当に仲が良いのですね」
「双子ですので」
ヴィオラは即座に答える。
「生まれる前から、ずっと一緒でしたから」
「なるほど」
ダリウスは意味ありげに頷いた。
その瞬間だった。
ドォォン!!
突如、凄まじい爆発音が響き渡った。
全員の表情が変わり、ヴィオラは反射的に立ち上がった。
「罠魔法の発動……!」
次の瞬間、食堂の扉が勢いよく開かれる。
「報告します!」
騎士が息を切らして叫んだ。
「北西より魔物の群れが接近! 飛行種も確認!」
ヴィオラの目が鋭く細まる。
飛行種。つまり翼を有する、空を飛べる魔物だ。
それらに壁を越えられれば被害は甚大だ。
「アインハルト、ヴィオラ」
父ロクスが低い声で名を呼ぶ。
危うく単身で飛び出しそうになっていたヴィオラは、即座に頷き、アインハルトを促した。
「アイン、支度を。手伝うわ」
頷いたアインハルトが席を立つ。
「私も同行しましょう」
穏やかな声が食堂に落ちた。
振り向くと、ダリウスが静かに立ち上がっていた。
「視察に来た身です。ぜひ、北の戦場をこの目で見ておきたい」
まるで夜会へ向かうような口調。
だがその碧眼には、奇妙な熱が宿っていた。
恐怖ではない。
好奇心だ。
「……どうぞ。ただし、アインハルトは壁の外へ出陣しますので、見物するにも、命の保障はいたしかねますが」
ヴィオラが早口に告げると、ダリウスは妙に楽しそうな様子で頷いた。
「もちろん。自分の身は自分で守ります。英雄様のお手を煩わせたりはしませんよ」
そう言うと、彼自身も支度のために食堂を退出して行ったのだった。
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