陸:誘拐と拷問
その場にいた者がぎょっとして振り返る中、イザークははっとして懐に手を入れ、何かを床に放り投げた。
それは、第二皇女エレオノーラの部屋から見つかった、呪詛魔法が込められたという魔法道具の手鏡だった。
黒い魔力は、その手鏡から噴き出していた。
「結界魔法!」
イザークが唱え、手鏡を噴き出す魔力ごと結界魔法で包み込んだ。
「な、何なんだ、これは……」
皇帝も困惑した様子でそれを見つめる。
と、イザークとアインハルトが同時に声を上げた。
「離れてください!」
刹那、イザークが張った結界に、亀裂が走った。
今代最強と謳われる大魔法使い、イザークの結界が壊れるはずない。その場の誰もがそう思っていた。
「まずい、破られます……!」
その声に被さるように、ぱりんと音がして結界が砕け散った。
そして、柱のように黒い魔力が噴き出し、そこに一人の男が現れた。
長い黒髪と、血を吸ったような深紅の瞳の、二十代半ば程に見える青年。
それは、先日北の国境に雷雲を伴って現れた、ヴォルと名乗ったあの魔族だった。
「……ここが、人間共の中枢か」
ヴォルはそう呟いて、ヴィオラを振り返った。
「呪詛魔法で貴様を呪い、その解呪と引き換えに我が半身の封印を解かせようと考えたが、失敗だったようだな」
忌々し気にそう吐き捨て、ヴォルは皇帝を一瞥した。
「……今代の人間の長は貴様か」
ウィルフリードとヴィオラが、ほぼ無意識に皇帝の前に出て剣を抜いた。
それを見て、ヴォルは無表情で続ける。
「無駄だ。これは本体ではない」
「貴様は一体何者だ!」
ウィルフリードが低く問うと、ヴォルは唇を歪めた。
「答えてやる義理はない」
そう言い放ち、彼はついとヴィオラを指差した。
「時間がない。来い。ヴィオラ・シシェル」
名を呼ばれた瞬間、ヴィオラは身体の自由が利かなくなったことを察した。
直後、視界が真っ黒に塗りつぶされ、周囲の音も聞こえなくなってしまう。
意識が遠のく直前、ウィルフリードが名を呼んだ気がしたが、そのままヴィオラの意識は闇に沈んでしまった。
そして、目の前に別の情景が浮かんできた。
森の中だ。
自分とそっくりな、しかし金髪に翠の瞳の女性が立っている。その向かいには、黒髪に深紅の瞳の少年が立っている。
二人は何か話している。
女性が何か言うと、少年が怪訝そうな顔をして何か言い返し、女性は楽しそうに笑っている。
ヴィオラは直感した。
あれは母ロジーナの若い頃の姿だ。そして、その向かいにいるのは、あの魔族ヴォルであると。
今自分が視ているこの光景は、一体何なんだろう。これは誰の記憶だ。
疑問に思いながらも、ヴィオラはどうすることもできずにただ目の前の光景を見つめている。
そして、光景が変わる。
ヴィオラの見慣れた、北の国境を出た草原地帯の戦場だ。
騎士と兵士が魔物と戦う中で、立ち尽くすロジーナがいた。
その視線の先には、下半身が獣の姿になったヴォルがいる。
ロジーナが、何かを察したように視線を伏せ、そして意を決した様子で右手を掲げる。
ヴォルが何か言うが、ロジーナが首を横に振る。
その直後、ヴォルの全身が獣の姿に変わった。そして、巨大化してロジーナに向けて大きな口を開き、彼女を呑み込んでしまった。
そして、ヴォルは背中から翼を出し、北の空に飛び去っていく。
光景がまた変わり、暗い部屋にヴォルが一人でいるのが視えた。
そして、突然胸元を押さえて苦しみ出した。
虚空を見つめる深紅の瞳がひび割れる。
彼は苦悶の表情を浮かべたまま、音を立てて石化してしまった。
その瞬間、ヴィオラの視界は再び真っ黒に塗り潰されてしまった。
次にヴィオラが目を覚ました時、そこは城の中ではなかった。
いや、どこかの城の中のようではあるが、先程までいた帝都の城の中とは様子が完全に違っていた。
冷たく硬い石畳の上に寝かされていたヴィオラは咄嗟に跳び起きて周囲を見渡す。
濃密な黒い魔力の気配が充満したそこは、とても古い城のようだった。
置かれている調度品もどれも古く埃を被っていて、壁には王冠を被った男性の肖像画が掛けられていた。
ああ、ここは魔族が拠点としている大陸北部のどこかで、かつて人間の王族か貴族が住んでいた城なのだと、ヴィオラは直感した。
同時に、はっとして腰元に手をやる。剣が無い。
意識を失う直前、鞘から引き抜いて構えていたのに。
「やられた……」
歯噛みして、己の右手を見る。幸い、魔力を封じられている感覚はない。
「気が付いたか」
声がして、振り返るとそこにヴォルの姿が現れた。
「私を攫って、どうするつもりだ?」
「言っただろう。半身の封印を解いてもらう」
「そんなこと、私は絶対にしない!」
母が命懸けで封印したと思われる魔物、ヴォル。
半身だけでも雷雲を操れるほどの魔力を有しているそれが、完全に復活してしまったらどうなるか、想像を絶する。
そんなものを解き放つということは、それはすなわち祖国に対する裏切りだ。
ヴィオラは北の国境を守る英雄アインハルトとして、これまで命を懸けて戦ってきた。そんな自分自身を否定することになる。
「……その威勢、いつまで保てるかな」
ヴォルが嘲笑めいた笑みを浮かべた直後、ヴィオラの身体にびりびりとした痛みが走った。
この独特の痺れるような痛みは、雷系の魔法による攻撃だ。
「ぐっ……!」
ヴォルは呪文の詠唱をしていない。先程ヴィオラを攫った際もそうだった。
人間が魔法を使う際には、基本的に呪文の詠唱が必要だ。
熟練の魔法使いであれば、基礎的な魔法は無詠唱で行使できることもあるが、少しでも複雑な魔法は難しいとされている。
それなのに、転移魔法や召喚魔法といった高度魔法や、雷を用いた高度攻撃魔法を無詠唱で行うなんて。
「……たとえ殺されたって、貴様の封印は解かないっ!」
痛みを堪えながら宣言し、右手を掲げるヴィオラ。
ヴォルが眉を顰め、僅かに動こうとした瞬間。
「防御魔法!」
ヴィオラが素早く唱えて自身の周りを魔力の壁で覆う。その直後、再び雷撃魔法がヴォルから放たれて魔力の壁に弾かれた。
「流石はロジーナの娘といったところか」
無表情のまま呟き、ヴォルは再び右手を向けた。
「ならば、こちらも少々本気を出すとしよう」
その言葉と同時に、更に強い雷撃が、四方八方からヴィオラの防御魔法にぶつかり始めた。
これくらいなら耐えられる、とヴィオラが手応えを感じた数秒後、急激に雷撃の威力が上がり、防御魔法による障壁がみしみしと軋み始めた。
「っ! 防御魔法!」
砕け散る前に、再度防御魔法を張り直すが、しかしそれもすぐに軋み始めてしまう。
「その程度か……」
少々残念そうな響きを含んだ呟きが聞こえた直後、特大の雷撃がヴォルから放たれ、呆気なくヴィオラの防御魔法が四散した。
容赦なく、雷撃がヴィオラに降り注ぐ。
「ぐあああああっ……!」
四肢が捥げてしまうのではないかという激痛が、全身を駆け巡り、膝を衝いた。
痛い。熱い。苦しい。
脳が焼けそうだと、全身が悲鳴を上げているのがわかる。
ヴォルの半身封印を解くと言えば、この苦しみからは解放されるかもしれない。
しかし、それでも。
「封印を解くか?」
「断る!」
食い気味に即答したヴィオラに、ヴォルは更なる雷撃を見舞う。
「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙っ……!」
痛い痛い痛い痛い痛い。
それしか考えられなくなり、意識が遠のく。
いっそ殺してくれと、絶望が頭を過ぎる。
しかし同時に、優しく微笑む、冷徹大佐と呼ばれる婚約者の顔が浮かんだ。
もう会えないかもしれない。
その現実が、何よりも悲しかった。
「……何をされようとも、私は、絶対に封印は解かないし、黙ってやられたり、しない……!」
一度雷撃が止んだところで、ヴィオラはゆらりと立ち上がった。
そして、叫ぶ。
「攻撃魔法!」
自分の回復を後回しにして、今残っている魔力を総動員して、魔力の刃を創り出す。
無数に現れたそれは、ヴォルを取り囲み、彼を串刺しにするために真っすぐに飛ぶ。
「甘い」
ヴォルは右手を軽く振り払った。
飛び掛かる火の粉を払うような、そんな軽い仕草だった。
たったそれだけで、ヴィオラが出した魔力の刃は、全て弾き返されてしまった。
「そんな……」
愕然とする。
全部が届かないまでも、いくつかは彼にダメージを与えられると思った。
二度も雷撃を喰らい、万全の状態でなかったにせよ、それでもヴィオラがゴッテスフルス帝国が誇る英雄であることは変わらない事実だ。
今の攻撃魔法は、今まで北の国境に攻めてきていた魔物の群れを一掃できるくらいの威力はあったはずだ。
「……貴様はどれだけ痛めつけても、頷きはしないようだな……」
何かを悟った様子のヴォルが、名案を思い付いたような顔で唇を吊り上げた。
「……なら、貴様の仲間らを皆殺しにするとしよう」
ヴォルは、ウィルフリードやアインハルトを呼び寄せようと、徐に右手を掲げたのだった。
もしよろしければ、ページ下部のクリック評価や、ブックマーク追加、いいねで応援いただけると励みになります!感想も大歓迎です!




